第5話 異世界のお嬢様

 レンガの家々が立ち並ぶ、中世ヨーロッパの様な街並み。車もバイクも走っておらず、信号機もなければ標識もない。電線も電波塔もないし、バス停も線路もない。代わりに走っているのは、図鑑でも見た事のある、小さめのトカゲなのか恐竜なのか区別のつかない生き物がひいている荷車だけ。話している言葉は日本語であるものの、文字ははっきり言って読めない。ちゃんとした文字なら良かったけれど、あれは文字というより記号だ。訳が分からん。

 それにもっと目を惹くのは、衛兵ではない人達も剣や斧、中には魔女が持っていそうな杖を持っている人もいた。実際に魔法を使ってみせている人もチラホラ見かけたし……。


「本当にファンタジーの世界なのか?」


 理解しようにも、どこか現実味を感じられない。まだ夢を見ているようなそんな感覚だ。

 けれど、やっぱりどう見ても俺の目に映る光景は変わらなかった。頬をつねっても平手で引っ叩いても痛みが走るだけ。


「本当に、俺はどうすりゃいいの?」


 財布もスマートフォンも行方不明。よく考えたら、ここが本当にファンタジーの世界なら日本のお金の単位は通用しないんじゃないか? まあ、財布まで失っているからそんな心配する必要はないんだろうけど。というか、ここがファンタジーの世界なら……あれか? 異世界転生ってことか? いやいや、転生なら俺、赤ん坊に生まれ変わるんだろうし、召喚か、転移かどっちかだろうな。傷もいつのまにか無くなっていたし、死んだとは思えないけど。そもそもこういうのってニートとか引きこもりとかがするもんだろ? なんで俺? これといった特徴なんて微塵もない俺が何で異世界転移なんか……。もう訳分かんない、マジで分かんない。考えれば考えるほど混乱してくる。


「本当にどうすればいいんだよおおお!」


 当てもなくただぶらぶらと歩き続けた挙句、再び公園へと戻って来ていた。散々歩き回った疲れもあり、俺は公園のベンチに腰かけて切実に呻いた。

 日本ではない。さらに地球上のどこかでもない。全く知らない地。早いところ帰りたい気もするけど、ある訳ないよな、帰る方法なんて。……俺の人生マジでバグった。17歳にして異世界転移か、普通なら喜ぶべき状況なんだろうけど、こんなザマじゃ喜べないだろ。


「あの……どうかされましたか?」


 未だに現実を受け入れられず公園のベンチに座ったまま項垂れていると、不意に前から声を掛けられ、俺は顔を上げた。


「…………えっ」


 声の主を見た瞬間、時が止まったかのように体が動かなかった。

 心配そうに見つめる少女。そのあまりの可愛さに、今までの不安が一気に払拭されたかのような感覚に陥る。日本でも女性とは縁のなかった俺は少女の可愛さに思わず声が漏れてしまった。

 歳は俺と同じくらいだろうか、容姿や体格は幼げに見えるがその大人びた佇まいは年齢以上の気品を感じさせる。その佇まいはもちろんだが、服装の艶やかさから一般的な人とは格の違いを感じた。多分、お金持ちのところのお嬢様ってところだろう。髪は肩に触れるくらいに長く、焦げた茶色のような色だ。瞳は透き通るようなレモン色。華奢な体躯に整った顔立ち。誰もが見惚れる顔立ちなのは俺でも分かった。


「えっと……」


 何も言わずにじっと顔を見つめていた俺を怪訝に思ったのか、困った表情を浮かべて首をかしげる少女。いかんいかん、何か答えないと妙な印象を与えてしまいそうだ。というか、あれ? 顔赤くね? 


「あっ、ごめんなさい。ちょっと色々な現実を受け入れられなくて」

「そうなんですか。詳しい事は分かりませんが、お気の毒ですね……」


 少女は俺の言葉に馬鹿にするような素振りを全く見せず、慈しむような表情を浮かべながら同情の言葉を投げ掛ける。


「本当ですよ。どう説明したらいいか……自分でもわからないくらい混乱してて」

「そうなんですか。大変な苦労をされていたのですね」


 女の子は俺の隣に腰掛け、俺の話に相槌を打ってくれている。この子凄い……聞き上手というか、相手の求めている言葉をピンポイントで分かっているみたいだ。世渡りが上手そうだな。


「ところで、あなたは?」

「あっ。すみません。私はモニカ・フォン・ジストアニア。この街の領主の娘です」

 

 そう言うとモニカはスカートの両端を摘み、軽く上げながらお辞儀をする。映画やドラマでもよく見る上流階級特有の挨拶の仕方だ。初めて見たけど、目の前で見るとやっぱり凄い。気品が服を着て歩いてるようだ。


「やっぱりですか。どこか、他の人と雰囲気が違うと思っていたんです。俺は城木セイジって言います」

「城木セイジさん……ですか? 憶えておきますね」


 あまり聞き慣れない名前だったのか少し訝し気な表情を浮かべた後、柔らかな笑みを浮かべて小さく頷いた。

 やっぱり、俺のような名前の人は他にはいないのか。名前に聞き覚えがあれば少しは希望が持てたんだけど……一人でどうにかしないといけないみたいだな。


「でも、お嬢様が一人でどうしたのですか? お付きの人とかいないんですか?」


 確か、良いところのお嬢様は執事とかメイドとかお付きの人がいたはず。小説とかゲームとかでその辺の知識はあるけれどモニカにもいないんだろうか? 屋敷の外を出歩いているみたいだし、尚の事付き人がいないと狙われやすいだろうに。


「いいえ……それがですね。――ッ!?」


 モニカは苦笑いを浮かべながら何かを言おうとした時、途端に表情が固まると、急に俺の腕を掴んでベンチから引っ張り起こし、そのままモニカは俺の腕を掴んだまま駆け出した。


「え? ちょ、えええ!?」

「ごめんなさい。詳しい事は後で話しますから付いて来てください!」

 

 モニカに引っ張られるがままに俺も走るが、靴を履いていないせいで足元を気にしながらじゃないと走れない。芝生だったらまだ良いんだけれど、コンクリートの歩道を裸足で走るのはさすがに辛いぞ。

 

「モ、モニカ! ちょっと、俺、裸足ですから!」

「あっ! ご、ごめんなさい! 装備品の店はこの先にありますから我慢してください」

「分かりました! 分かりましたから! せめて引っ張るのは止めてください!」

 

  俺の言葉も空しく、モニカは俺の腕を掴んだままどこかを目指して走っている。さっきから、走るたびに地面に爪先が触れてめっちゃ痛い! 爪が剥がれそうだからそろそろ本当に話して欲しいんだけど!

 モニカは俺の手を引いたまま、何かの店に駆け込んだ。中は薄暗く、全体的に木造と言ったところだ。

見たところ衣類店のようにも見えるが、服以外にも雑貨を売っているようだ。何なのかはさっぱり分からないけれど。


「いらっしゃい! 俺の店へ来るとはあんたも物好き……って、あんたこの街の――」

「――すみません! 私がここにいる事は黙っておいてくれませんか? それと、私達を匿ってください!」


 部屋の奥から姿を現した強面の店員が大らかな態度で挨拶する。そんな店員にモニカは物凄い剣幕で捲し立てるように言葉を放った。相当切羽詰まっている様子で俺もなぜだか焦ってしまう。


「なっ……並々ならぬ事情があるって感じだな。いいぜ。悪くねえ。こっちへ入んな」


 店員は急に目つきが変わり、親指で背後の扉を差しながら悪そうな笑みを浮かべている。信用して良いのかどうかわからないけれど、モニカが咄嗟にこうして頼った人だし、信用して大丈夫そうだ。


「ありがとうございます」


 俺はモニカと一緒にカウンターの奥の小部屋へと連れ込まれた。そこは店に並べる品物や搬入した品物を一時的に保管しておく部屋のようで、様々な品物で溢れかえっていた。それでも俺達が隠れるくらいのスペースはあって部屋も薄暗く、カウンターから部屋の様子を確認する事は難しいだろう。


「あ、あの……モニカ? これってどういう事ですか?」


 俺の問い掛けにモニカは深刻そうな面持ちでしばらく黙り込む。

 店に乗り込んで匿ってもらわなきゃいけないほど切羽詰まった状況って事は、モニカは誰かに命を狙われている可能性だって無い訳じゃない訳じゃない。

 モニカは沈黙を続けた後、神妙な面持ちで口を開いた。

「私、追われているんです」

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