人でなしの恋

藤村灯

人でなしの恋

 贖沼静馬あがぬましずまは父を尊崇そんすうし、母を敬慕けいぼする勤勉な学徒だった。

 幼い頃より精緻な機構に並々ならぬ興味を示した静馬は、精密工学の道へと進む。


 静馬が15歳の春こと。先の大戦で左腕を失った父の為、自作の筋電義手を献上した。

 重さは本来の腕と変わらず、日常生活を送るには何の不都合もない優れた出来栄えであった。

 2年後、胸の病で急逝きゅうせいした父の葬儀の折、静馬は母の口から父が義手を使っていなかった事を知らされる。

 曰く「これには心が通らない」と。道場主だった父は門下に日ごろ「剣先まで心を通すべし」と教えていた。

 それが、義手では剣の切っ先にまで意識を集中する事が出来ないという意味なのか。それとも、刀と違い義手には心を通じる事が出来ないという意味なのか。結局静馬には分からずじまいだった。


 学府にてより一層の勉学に励む日々を過ごすうち、静馬は母が認知の病を患っていることに気付いた。

 例え腕だけでなく、全身を機械に置き換えても、童女に戻った母を癒すことは出来ぬ。

 5年後、母の死去の後には、静馬の学究はすっかり袋小路に陥っていた。

 機械の身体では人を救うことは出来ないのか。人であるという事は、一体何によって担保たんぽされるのか。


 静馬は元来宗教に馴染まぬ男であった。

 戯れに立ち聞いた説法も、手慰みに紐解いた哲学書も、静馬の懊悩おうのうを解くことはなかった。

 父の言う心とは魂に由来するものか。認知を患った母は魂を持ちながら心を失ったのか。

 生命活動を終えた肉体の記録はあっても、死後の魂の記録は存在しない。そも、魂という概念が偽りなのか。

 臨死体験なる物も詰まる所、死に損なった者の見たの脳内妄想の証言に過ぎない。

 死の後に蘇った者など、宗教家の妄言の中にしか存在しないではないか。


 死とは何か。魂のありかは。死ねばそれは何処へ行くのか。

 いつの間にか、静馬の探求の対象は魂その物になっていた。

 その頃には、静馬の作製する義体は人と見紛う所作を身に付け、電脳の海に繋がり知能を拡張するまでになっていた。

 死ねば魂は何処へ行くのか。

 それを知る為に、静馬は義体に疑似的な死を与え続けたが、義体は問いに答えることはなかった。

 試行が億の桁に達した頃、静馬は自身の過ちに気が付いた。やり直しが出来る死では、人の臨死体験と何ら変わる物ではない。


 研究を重ね、静馬は義体を電源、知能共に完全に独立した物に改造した。機能はむしろ先の物より劣ったが、それはもはや人と見分けが付かぬ程の出来栄えだった。

 義体にひいなと名付け、人と同じに扱い更に磨き上げる。一度しか壊せぬ物ゆえ、静馬は雛を丹念に扱った。

 雛のかんばせは、静馬が最も美しいと思う母の顔を模していた。

 幾つもの計測器を繋ぎ、死の試行を行う間際、静馬は雛に問い掛けた。「お前は死ねば何処へ行く?」

「それを調べる為に作られた私には、答えかねる質問です。ですが、叶うなら先生と同じ所へ行きたいです」そう言って、雛は微笑んだ。

 己でも気付かぬうちに、深い情を抱いていた静馬には、もう雛を壊すことは出来なくなっていた。


「俺は死ねば何処へ行く?」静馬はその答えを持ち合わせていない。

 それを知るために雛を作ったはずだったが、雛を壊すことは出来ない。壊せるとすれば、それは雛が死後何処へ行くかが分かった後だ。

 煩悶する静馬は、転倒した本末に構う事なく、雛に繋いだ計測器を外し、鞄に詰めて街へ出た。

 雛は一体しか存在しない。対して街には人間が幾らでも存在する。静馬は日頃、死生観を声高に喧伝けんでんし、耳目を集め称賛される者を選び、問う事にした。

 政治家も宗教家も哲学者も文学者も。計測器を繋ぎ、問いを掛けた誰一人、静馬に満足な答えを示す者は無かった。

 死の試行は七度に及び、八人目への問いの最中に、静馬は警吏に捕らえられた。


 静馬の研究室に踏み込んだ警吏は、人と見紛う出来栄えの雛を目にし、感嘆の声を漏らした。

 記録を読み解いていた警吏の一人が、訝しげな顔で雛に問いを掛ける。「壊す為に作られたお前が、何故壊れずに此処にいる?」

「私は人を模して造られましたが、人を殺す事は許されていません。同時に、可能な限り生きるよう定められてもいます」

「壊されぬ為に、あるじが他を殺すよう仕向けたか? 度し難い。人形を裁く法は無いが、お前も立派な同罪だな」渋面を作る警吏に、雛はあでやかに微笑んだ。

「先生が帰らねば、いずれ私も動けなくなります。その時こそ、同じ罪にまみれた私も、あの人と同じ所へ行けるでしょう」


                                                       了

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