皆が笑顔になる為に

「聞いて欲しい事……?」


 何かを心配する様に上目遣いでこちらを見ているエレナ。

 決意が揺らがないように、しっかりと意志を込めてもう一度言った。


「ああ。そうだ。エレナに聞いて欲しい事がある」

「わ、私も……」


 そう言って俯いたエレナの身体は震えていた。

 左手を右手で覆う形で手を組み、胸の前に添えている。


 緊張しているのだろう。

 そんなエレナを見ていると、何だかこっちまで緊張して来た。


 人生で一度もこんな事をした経験もないし……。

 本当に言うのか、いや、今言わなければ。

 そんな風に迷っていると、エレナが思い切った様に顔を上げた。

 潤んだ瞳をこちらに向け、震えた声で言葉を紡ぐ。


「ヒデオ君も……本当に行っちゃうの……?」


 エレナから見れば、俺は生きて帰ってくるかどうかわからない。

 皆にとっては「人間と最終決戦をする」という事にしかなっていないからだ。


 それに、このままシナリオ通りに行けばどのみち俺はエレナが心配してくれている通りになる。

 そしてエレナを泣かせてしまう事になるのだろう。


 ちょっと自惚れ過ぎかなとも思うけど……今のエレナの表情が、その考えが間違えじゃない事を教えてくれる。

 俺は鈍感難聴主人公ではないのだ。そもそも主人公じゃないけど。


 決意を目に込めて、エレナに言った。


「ああ。俺が行かないとたくさんのモンスターが死ぬからな」

「そう、だよね……」


 力なくそう言うと、エレナはまた俯きがちになってしまう。

 そんな顔をさせたいわけじゃないのに。

 本当は笑っていて欲しいのに。

 

 今にも溢れそうな想いを抑える為に、口を引き結ぶ。

 エレナも口元と、組んだ手に力を込めている。

 その手は苦しみに耐えるかの様に、自らの胸元をきゅっと掴んだ。


 エレナが顔を上げた。

 その瞳からは大粒の涙が零れている。

 次の瞬間。


「ヒデオ君……!」


 エレナは俺の胸に飛び込んで来た。


「行っちゃやだ……!」


 この子がこんな事を言うのは初めてだ。

 出会った時から大人しくて一切わがままを言わなかったエレナは、今初めてどうしようもない、子供の様な願い事を口にした。


 一度堰を切った想いと涙は、どうしようもないくらいに溢れ続けている。

 静かに熱い涙を流して泣きじゃくるエレナは、俺の胸に顔をうずめたまま、時折左右に首を振って拒絶を表現した。

 俺は左手をエレナの背中に回し、右手で頭を撫でる。

 

 涙が服に滲み、その熱さが伝わって来る。

 そのまましばらく待つと、エレナは少しだけ落ち着いて来た。

 それを確認してから優しく声をかける。


「エレナ」


 呼びかけに応じる様に、エレナは顔を上げてくれた。

 正直に言えば俺もずっと緊張しっぱなしだ。


 顔は熱いし、震える声を抑えるのにも必死。

 手に汗はかいているし、心臓の鼓動も異常に速い。


 少し落ち着いたとは言っても、エレナの大きな瞳からは枯れる事のない涙が今でも流れ続けている。

 エレナの肩に手をかけて少しだけ力を込めて、ゆっくりと身体を離す。


 ズボンのポケットからハンカチを取り出そうと……したけど緊張しすぎて指先がおぼつかない。

 今度は恥ずかしさで顔が熱くなってしまう。

 そんな俺を見たエレナは、目をこすりながら笑ってくれた。

 

 その笑顔で跳ね上がった鼓動をどうにか抑えつける。

 ようやくハンカチを取り出すと、それでエレナの頬を伝う涙を拭った。

 顎から頬へ、頬から目尻へ。


 その間、されるがままでじっとこちらを見ていたエレナは、目尻へとハンカチが達したころに目を見開いて俯く。

 今度は顔を耳まで赤く染めていた。


 そんなエレナを見ながら、もう一度呼びかける。


「エレナ」


 こちらを向いたエレナは、今度は泣き止んだばかりの赤い目も相まってどことなくあどけない表情をしていた。

 ようやくお互いに落ち着いて来たみたいだ。


 俺は自分自身にも言い聞かせる様に、ゆっくりと喋った。


「俺は必ず帰って来るよ」

「そんなこと……」


 後に続く言葉を飲み込んで目を伏せるエレナ。

 それでも俺は力強く繰り返した。


「必ず帰って来る」


 そこでエレナは恐る恐るこちらを見た。

 何か探し物でもするかの様に、俺の目をじっと覗き込む。

 

 一体どれだけそうしていただろうか。

 やがてエレナは、今にも泣きだしそうな笑顔で言った。


「うん、わかった。待ってるから……絶対に、帰って来てね」

「ああ」


 そして今度はゆっくりと、もたれかかるようにこちらに身体を預けて来た。

 俺もそっと両手を背中に回す。


 今になってやっといくらか余裕が出て来て思った。

 何だか色々柔らかいし、すごくいい匂いがする……。


 エレナの身体は暖かい。

 それはどうしようもないくらいに熱かった、さっきの涙が持つ熱とは違う。

 まるでエレナの笑顔の様な暖かさに、また緊張してしまいそうになる。

 このままだと色々とやばいので、そっとエレナを引き離した。


 目を合わせて、諭すような口調で言い聞かせる。


「それじゃ戦いが終わるまで、ダークエルフ村で待っててくれるか? 絶対に迎えに行くから」


 ダークエルフ村は勇者パーティーの進路にはない為、今回は女子供の避難所としての役割を果たしている。

 エレナも決戦時までにはここに避難する予定だ。


「うん……待ってる」


 エレナはそう言って頷くと、部屋から出て行こうと扉に向かった。

 そして扉を開けた瞬間の出来事だった。


「わわっ……」


 扉にくっついて聞き耳を立てていたのだろうか。

 見慣れた人物が前のめりに倒れる形で部屋に入って来た。

 口に手を当てて驚きながらエレナがその名前を呼ぶ。


「アリスちゃん!?」

「ど、ど~も~……」


 やってしまったと言わんばかりの表情でぽりぽりと頭をかくアリス。

 エレナが泣きそうな声で問いかけた。


「い、今の、聞いてた、の……?」


 まあ確認するまでもないな。

 むしろその為にそこにいたんだろうし……。


 エレナの言葉を聞いたアリスは踵を返し、ダッシュで逃げた。

 その後をエレナが追いかけて行く。

 廊下からは、二人が走り去る音が聞こえて来る。


 それが次第に小さくなって今にも消えようかという頃。




「いや~、中々の名シーンでしたねぇ」

「!?」


 鈍器で殴られた様に鼓動が跳ねる。

 声のした方を振り向くと、いつの間にかソフィアがいた。

 ソフィアは俺の横を飛びながら、満足げな顔をしてうんうんと頷いている。


「ソフィア!? お前いたのかよ!」

「いましたよ?」


 可愛らしく首を傾げて答えるソフィア。

 もちろんそれには騙されない。

 そして俺はしたくない、でもしなくてはいけない質問をした。


「いつから……?」


 するとソフィアは顔をくしゃっと歪めて、文字通り俺の胸に飛び込んで来た。

 ぽすっ、と頭から衝突すると、小さな手できゅっと服を掴む。

 そして「英雄プロージョン」よりも威力の高い一言を放った。


「行っちゃやだ……!」

「ああああああ!!!! ほぼ最初からじゃねえかよもおおおおおお!!!!」


 俺は顔を両手で覆って座り込みながら絶叫した。

 しかし、邪悪な女神の攻撃が止むことはない。

 どこの誰を真似したのか、低く凛々しい声音を作って続ける。


「俺は必ず帰って来るよ。だから子供はサッカーチームが出来るくらい作ろう」

「サッカー興味ねえよもおおおおおお!!!!」


 本来ならツッコむべきはそこじゃない。

 でも、今の俺にそんな事を考えている余裕は微塵もなかった。


「ああああああああああ!!!!」


 ベッドにダイブして、まるでカーペットのゴミを取るコロコロみたいに転げ回った。

 恥ずかしくて死にそうだ。

 しかもソフィアが側にいる限りは今後もこのネタでいじられ続けるだろう。


 やがて転げ回る気力すらも失せてうつ伏せになっていると、真の魔王がぱたぱたと飛んで俺に近付きながら声をかけて来た。


「それはそうと……英雄さん、もう一つエレナちゃんに言いたい事があったんじゃないですか?」

「うるさい」


 本当にこいつは俺の心の中が読めるんじゃないだろうか。

 ソフィアの言う通り、言いたかった事は「必ず帰って来る」以外にもう一つあった。

 でも、正直エレナが泣き出した時に全部ぶっ飛んでしまったのだ。


 ぶっきらぼうに言ったせいか、少しだけ沈黙が流れる。

 それからソフィアは、用意していた様な質問を口にした。


「それに……英雄さんよかったんですか? あんな約束しちゃって」


 プロジェクトが正しく進行すれば、エレナには嘘を吐く事になる。

 ソフィアはその事を言っているのだろう。


「……どうせわかってんだろ」


 うつ伏せのままそう返事をした。

 光の入り込む余地のない視界は真っ暗だ。

 でも目を開いて顔を上げると、そこには妖精がいる。

 その妖精はこう言った。


「ええ、もちろんです。だって英雄さん、言ってくれましたよね? みんなが笑顔のまま日本に帰れる様にして見せる、って」

「ああ」


 俺はそう言って身体を起こした。

 するとソフィアは俺の目線の高さまで上昇してから口を開く。


「私は英雄さんの事を信じています。そしていつだって、英雄さんの味方です」


 優しいソフィアの微笑みに背中を押された気がした。

 そう、「アキラクエスト」の内容を聞かされたあの日。

 俺は既にこの答えを出していた。


「何でこういう時だけちょっとじんと来る様な事を言うんだよ、お前は」

「こういう時だからこそ、ですよ」


 どちらにしろ別れが来る事には変わりがないけれど。

 やっぱりみんなを悲しませてしまうのかもしれないけれど。


「なら、お前もそれでいいんだな?」

「もちろんです!」


 目指すのはバッドエンドじゃなくて、ハッピーエンド。

 何も知らないまま死に別れるなんて……全然笑えない。

 それは結果的に日本に戻るだけの俺にとっても同じ事だ。


 皆の為に、何より大切な一人の女の子の為に。

 俺がやらなきゃいけない事はただ一つ。


 ベッドから降りて、魔王っぽいマントを纏う。

 そして扉に向かいながら、ソフィアの方を振り返って言った。


「それじゃ行くか。ハッピーエンドを迎える為に」

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