第2話 雨宿り
まったく記憶の通りの外観は、故郷に帰ってきて初めて懐かしさを感じさせるそれで、私は扉を前に立ち尽くしてしまう。
背の低い植木にすりガラスのはめ殺しの窓。洋風な店構えは寂れた商店街にある店としては大変見映えがいい。
『OPEN』という文字の入ったボードが扉にはかかっている。だけど、扉の先にあるはずの見慣れた景色が変わってしまっているかもしれないという怖さで、その一歩が踏み出せない。
よくない事ばかり考えるのは、嫌な癖だ。
きっと大丈夫。自分にそう言い聞かせ、雨の冷たさで震える手をドアノブに近付けた。扉は、私の手を避けるように勝手に奥へ開いた。
「いらっしゃいませ」
見知った顔が、そこにあった。
甘く鼻に着く石油ストーブの匂いと、身体を包む柔らかな熱に誘われ、数年ぶりのその場所へ足を踏み入れる。
私の顔を見て驚いた様子の彼は、やがて何かを察したらしく、私に声を掛けるでもなくバックヤードへ続く戸の奥に消えていった。
彼が消え、視界の開けた店内を歩く。
クリーム色の壁に渋茶色のテーブルや椅子。カウンター奥の瓶が並んだ大きな棚。順番にそれらを見回す。
記憶とほとんど違わない内装は、シンプルでどこか古めかしい。まるで、時が止まっているようだ。
昔もそんなことを思ったっけ。
記憶の扉が開かれ、懐かしい気分に浸る。
雨だからか、昔と変わらないままだからなのか、お客は私以外見当たらない。
そのほうがいい。こんな姿知り合いじゃなくても見られたくはない。
カウンター席に並んだ三つの席の真ん中。いつも座っていた席へ、浅く腰を掛ける。皮のバックは足元におろして、こんなに濡れていては気休めにしかなりそうもないハンドタオルを取り出す。
「そんなハンカチじゃ、意味ないでしょ」
お洒落なブルゾンみたいな服を着た彼が、カウンターの奥から出てくる。
前髪をかきあげ、その美形で笑う顔も多少成長しているものの、昔のままだ。
彼は優しい声で、大きな白いタオルを手渡してくれた。私は、おとなしくそれを受け取ると、顔に当てて水分をふき取っていく。
うちで使うような、使い古したような硬い肌触りのタオルじゃなくて、柔らかいホッとするタオルだ。
ヤカンの置いてあるコンロに火をつけた雷斗は、またおもむろに私の視界から消え、玄関の扉を開けてすぐ戻ってきた。
「どうかした?」
「いや、店の看板を『Close』に変えてきただけ。
彼の気遣いに、落ち込んでいた心が少し癒される。人が来ないと分かったので、躊躇いなく上着を脱いで、シャツまで染みていた水滴をぬぐう。
「はい」
一通り身体についた雨滴が、なくなったところで、雷斗はタオルを取り上げ、逆の手で私の前にマグカップをサーブした。
湯気と一緒に、香辛料とリンゴの甘い香りが上ってくる。ここでいつも頼んでいたお気に入りの匂い。
「シナモンアップルでいいよね」
「うん」
「それ、サービスだから。ゆっくりしていって」
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