ひとやすみ

瀬塩屋 螢

第1話 霧雨

 丸々一夜寝ないで過ごした代償は、口から出た欠伸あくびだった。

 欠伸をして瞳が潤むころになってから、人目を気にするように、私は口元に手を当てる。

 まぁ、この平日の時間。ほとんど人がいない新幹線の中で、こんなことをしても意味ないけど。

 そうして、緩やかに欠伸を終えてから、視界の端で眩しく反射した腕時計の盤面に目を細めて改めて時間を確認する。

 高校入学と同時に、親から買ってもらったお気に入りの腕時計。ブラウンのベルトがシンプルながらも存在感を主張している。


 朝とも昼とも言える中途半端な午前10時。こんな衝動的な行動をしてなければ、今頃後輩くんと取材を始めてた時間だ。

 後輩くんの事だから、今ごろ山のように着信をくれてそうだけど、新幹線に乗るときに携帯の電源は切ったから、どうなっているのやら。

 前々から入っていた予定なのに、申し訳ないな。

 そう考えると同時に、私の中の意地悪な私が、少し微笑んでいるのを感じ、私は顔をしかめた。

 後輩くんを攻める権利なんてどこにもないだろう。苦い笑いをこらえ、窓がある方を向いた。

 小さい雨滴が、窓の下に沢山ついて風景はだいぶぼやけてる。その風景がスローダウンしていくのを感じ、終着駅が近いことに気づく。


 手荷物をまとめ。と言っても、普通の仕事鞄に窓枠に置いた眼鏡ケースをしまっただけだけど。人がすっかり駅のホームに出た頃合いを見計らって席を立つ。


 出迎えは霧雨だった。誰にも帰郷の事は告げてないから当然か。

 だだっ広くて、閑散とした冷たいコンクリートの駅のホーム。奥に見える街には雨で白いカーテンが掛けられ、空に私の心を見透かされた気分にさせられる。

 突発的に仕事を辞め、勢いで故郷に帰ってきたので、ろくな荷物も傘も持ってない。


 売店でも買う気にはなれず、小さな町の小さな駅から、音のない雨の中へふらりと出ていく。


 この小さい街に帰ってきたのは、いつぶりだろうか。


 もうずっと帰っていない気がする。

 柔らかく湿気を含んだ空気の中、記憶の中にある街とすっかり変わってしまった街の中をあてもなく歩く。

 大手の量販店がこんな小さな街にできているんだな。なんてことを考えながら、私の眼は昔あった情景を、探していたことに気付く。

変わらないことなんてないというのに。


 スーツが重たくなってきた。デニールの荒いストッキングのままの足元も、冷えてきた。どこかで休みたい。

 何かにすがるように歩いていた足を止め、あたりに休めるところがないかと見回す。どれだけ都会化しても、お世辞にも活気があるとは言えない、雨が似合う静かな街。

 その時遠くのほうに、小さな看板が見えた。

『画廊喫茶 ターミナル』と。

 その懐かしい文字が、やけに鮮明に視界へ飛び込んできた途端、私の足は自然とそちらに向かって動いていた。

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