#2 ユー・アー・キディング!
どこかのラジオから陰気な曲が流れてきて、私はストリートを憂鬱と共に眺めた。オフィスのコーヒーが切れたから買い出しに行ってくれ、と言っていたボスのにやついたタコの顔を思い浮かべ、顔をしかめる。あの脂ぎった顔の裏で、どれだけ下衆なことをしているか見てきたから。
あれから夜が明けて、納期に私の仕事は間に合い、二日か三日が過ぎて、世界は終わっていなかった。あっけない幕切れだった――さんざんカタナと弾丸を見舞われた筋肉男は、突然開いた空間の穴に飲み込まれて、姿を消した。
馬鹿げたショータイムを突然打ち切ったのは、正義の味方サマに役者が倒されてしまうから? いや、ハルクは斬られ、撃たれたそばから体を再生させていたし、まだまだ闘志も十分だった。
アンダーの住人たちに向けた宣戦布告だったのに、ハイヤーの人間がいたから興が醒めた? あの男、ディプスにそんな繊細さがあるものか。結局、この街はあの男の気まぐれに振り回されてばかりだ。私たちは奴のおもちゃでしかない。
報道もインターネットの掲示板やSNSでも好き勝手な推測に溢れているが、真相など分からない。それどころかこの機に乗じて自前の終末論やいかがわしい信仰の宣伝を行う輩がそこかしこに溢れている。
そんな憂鬱極まりない喧噪の中ストリートを歩いていると、私の『目』
は意識せずとも路地裏で女を殴りつつズボンを下ろすエンゲリオやらフェアリルに頭を撫でられて涎を垂らしながらドル札を差し出す男やらを映し出す。人目もカメラもないと当人たちは高を括っているのだろうが、まだまだ甘い。本人がその様子を面白半分に撮っていたり、分からないように仕掛けられたカメラがあれば、それが私の視線になる。誰かがオフィスで作業しているウィンドウや、こっそり暗がりで視聴されるポルノやスプラッタも。私が見たい見たくないにかかわらず、電子信号となり私の機械化した視覚野に流れ込んでくる。
だから私は既婚者のボスが新人の女の子に手を出しているのを知っているし、取引先のフェアリルの営業が横領している金額まで把握している。街を歩けば万引き、強盗、闇金、放火、誘拐、殺人、レイプ、ドラッグ、リンチ。無数の悪意や欲望の発露がありありと見える。意識して頭からそれらの映像を閉め出さなければ、この私は発狂して精神病棟か牢屋送りになってしまうだろう。
今まさに首を二本の鞭状に伸びた指で首を絞められ、苛まれている女――切り裂かれ剥ぎ取られた服は街の外の高級ブランドだ――は、こちら側に向けて口を大きく開いている。声のない叫び、命乞い。襲っているエンゲリオの他に、撮影している者がいるのだ。後で楽しめるように、ドラッグと引き換えに売れるように、狙ったカメラアングルで。
生命と女性の尊厳を両方奪われていく女を、私はただただ見ていた。この街では珍しくもない光景。陳腐なショー・フィルム、サイレントの。私には映像は見えるが音は拾えない。そして、GPSのような機能はない。だいたい、こんなテロド女が一人その場にいても何も変わらない。何の得にもなりはしない。
ボスの淫行も、フェアリルのハンサムの横領も、決定的な証拠はない。映像を記録として残せない、他人に見せつけることは出来ないから。
だから私はこの目に映る悪意を見ているだけ。いつかこの狂気あふれる地の底を出たい――そう思ったのはかなり前で、今はいっそ終わってしまえと呪っている、世界を。どうせこの街の外だって、同じ色の悪意に満ちているのだから。あの日降り注いだ剣の雨は、たまたまそれを分かりやすくしただけなのだ。機械の歯車や動物の牙や拡大した拳や毒を秘めた誘惑というカタチで。
死んだ女の体に屈みこむ男を見ていたから、もうひとつの映像に気づくのが遅れた。私の背中に伸びてきたジェラートを持った腕を避け、コーヒーの瓶の入った紙袋で男の後頭部を殴っておいてから、その場を走って離れる。防犯カメラの視線の先で、蹲った男は追って来ない。頭は鋼鉄製ではなく、特別な筋肉もない。顔は中の下。では何かがあるかと言えば、吸盤のついた長い触腕の右手。
ジェラートで服を汚し、その隙をついて触腕で拘束。路地裏に連れ込んで、金か、命か、またはその両方を奪う。オプションでお楽しみもありというわけだ。よくある手口、百回は見た。忘れてはいけない、この街の女もほとんどアウトレイスなのだ。返り打ちで股間を破壊されたり、手足が逆に曲がったり、魂の抜けた顔をしたりしてロス市警のクルマにぶち込まれる男も山ほど見てきた。正当防衛の末に逆に人殺しでしょっ引かるエンゲリオ女も、加害者ともども射殺されるモロウの女も。
そういうわけで、私はこのアンダーグラウンドを――捻れてひねくれて歪んだ真っ黒な地の底のショーを、うんざりしながらただ見つめている。拍手もブーイングもなく、早く幕が下りるのを待ちながら。
私の溜息を他所に、ストリートにはそこらの壁に卑猥なグラフティが溢れ、ゴリラの体を窮屈そうに収めたビジネススーツが携帯に向かって謝罪しながらクルマに乗り込み、金属ケーブルの髪を揺らしながらゴスがバブルガムを膨らませる。遥か頭上のハイヤーの下を、翼を広げた運送屋が行きかう。
少しへしゃげた紙袋の重みを感じながら、私はタスクの待つオフィスビルへと向かう。
……地面が、揺れた。
足元がふらつく。どこかで悲鳴が上がる。街路樹がざわめいた。ファーストフードのゴミを漁っていた野良犬がどこかへ去っていく。ビルの谷間で、ジョイント片手に天使の笑みを浮かべた男が顔を上げる。
私は、適当な『目』を起動させる。
「何よアレ……」
「また……??」
「いつもよりデカくね……」
巨大な爆炎。ダウンタウンのビルの狭間から、上へ上へと立ち上っていた。
黒々とした、不気味な巨影。
人々は口々に噂しあい、ニュースを確認している。あるいは、野次を飛ばす。
一番早かったのは、ツイッター。『目』に映るのは、不鮮明な写真と『ヤベーよ! こないだのヤツだ!』の投稿。数秒でレスがついた――『捏造画像乙』『弊社のニュースサイトで使わせて頂いてもよろしいでしょうか?』
次は蛇行するクルマのドライブレコーダー。目の間に現れた肉の柱を急ハンドルで避け、ガードレールを破り建物に突っ込み、レンズはひび割れ、真っ暗になる。
やがて数ブロック先の監視カメラから、人々の群れが押し寄せてくるのが見えてくる。何かに取り付かれたように。
誰も彼もがその顔に不安と恐慌を浮かべながら――各々の手段を以て去っていく。あるいは脚を高速化し。あるいは壁伝いに歩き。まるでハロウィーンの大行進のように、どろっとした流れが車道を歩道を満たし、流れてくる。蹄の音が、履帯の回る音が、スプリングの伸縮の音が、轟音となって生身の鼓膜を叩く。
私は踵を返す――ただの人波ではない、四つの種族の入り乱れたアウトレイスの群れなのだ。飲み込まれれば最後、この騒ぎのど真ん中に放り出されたほうがマシだ。見えてきた――馬の下半身で、重そうな履帯でアスファルトを疾走してくるモロウとテロド。周囲にいた人々も、私の前を後ろを走りだす。ゴスはケーブルをウニのように逆立て、通信を行っている。
「だから早く来いって言ってんの! ハア!? アンタが待ち合わせ遅れなきゃよかっただけだし。逃げな! マジふざけんなし!」
「おいどけどけ!轢いちまうぞ!」
履帯の上に上半身を生やした男が、声を張り上げる。
「お前もな、戦車野郎!」
大群の後方から飛び出してきたバイクが、頭上を飛び越えていく。その着地点にいたツナギの男が慌ててアホウドリの翼を広げる――が、助走が足りず、オフロードの前輪が羽を巻き込む。ストリートに悲鳴が一つ増える。
私の『目』はせわしなく様々な映像に切り替わる。監視カメラ、ドローン、取材ヘリのカメラ。スマートフォン、コンパクトカメラ。それらの『目』が、バカ丁寧に教えてくれる。
爆炎が起こる。音は逃げている私の耳にも届く。中規模の高さのジュエリー・マートビルが根本からめりめりとへし折れ、隣のビルディングに激突した。重くどす黒い煙が大量に立ち込めて、無数の窓ガラスの欠片が周囲に吹きこぼれる。地面が揺れる。
手持ちカメラの映像――こんな近くで撮影しているもの好きがいる――には、何か長大な木の幹のようなものがそのビルを打ちしだいた様子が映っている。
爆炎の中から――翼を生やしたモロウ達が逃げていく。
――そして、その向こう側に、『奴』は居た。
残業の晩、私はその咆哮をオフィスで聴いた。響き渡り、壁やガラスにヒビを入れる悍ましい声。
それはまぎれもなく、あの晩ダウンタウンで暴れ狂い――混沌のディプスのメッセージを存分に伝えたあの巨躯に違いなかった。
その身を震わせてアスファルトの地面を抉り、両腕を振るいながら暴れているのは変わらない。先程ビルを破壊したのも彼だったからだ。けれど、私が『視ている』姿は記憶にあるものとの違いがある。
体躯は50フィートほどにまで膨れ上がり、四肢にはまるで触手のような茶褐色の肉が巻き付き、まるで意志を持つかのように蠢き、鞭のごとく周囲に触れ回り、手当たり次第に穿っているのだった。
壁が凹み、瓦礫が落ちて、その下の人々や車を巻き添えにする。そう――何かが
「パワーアップして再登場……?勘弁して欲しいわ」
吐き捨て、不揃いな人々の間を縫って急ぐ。
「逃げろ!!」
「あいつ動かないわよ、何やってんの!?」
「知るかよ!! なんでまた出てきやがったんだ!!」
「畜生警察は何やってんだッ!!」
「交通整理だとさぁ!!!!」
「もう嫌ぁッ、」
「誰だ、誰が俺の脚を掬いやがった、」
「――……破滅の時は近い!!!!」
バリエーション豊かな悲鳴、怒号、狂った祈祷。
誰もが逃走し、安全地帯を目指す。被害者ではなく、ただの群衆、野次を飛ばすだけの傍観者に戻るべく。
私もその一人――走りながらも、冷静に重石となるコーヒーの紙袋を投げ捨てた。逃げ込めば世界が終わるのか変わらないのか、ただ見ているだけ――
瓶がアスファルトに当たって砕けた、その瞬間。
「おかあさあああああん!!! おかあさあああああん!!!」
聞こえた気がした――無作為のパノラマにたまたま映った一連の場面。母親と思しき女性の手と小さな手が離れ――波に飲まれて見えなくなる。『目』は意図したように切り替わり、呆然と立ち尽くす栗色の髪の男の子を捉える。
「おかあさあああああん!!! おかあさあああああん!!!」
確かに彼はそう叫んでいた。サイレントの画面の中で。
「あれ、は……」
胸の奥、半分機械化した脳の底から、
――たまらない痛みが私を貫いた――
#3に続く
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