勇気の墓場
ロセ
あなたたちは勇者だった
「えー……、転校生を紹介する」
小太りの男性教師が扉に覇気のない声をかけ、傍らにいた首に剣型のネックレスを付けた茶髪の少女は小さく頷き、澄ました表情で教室内を見渡した。
「
ぱちぱちと歓迎の拍手が起こる。教師は拍手が鳴りやんだところを見計らい、「舞剣、窓際のあの子の隣の席だ」と私の隣を指さした。「はい」と舞剣は鞄を片手に移動を始めた。そんな時だ。
ビィイイイイイイイ。
教室に備え付けられたスピーカーが狂ったように喚き、収束した時には生徒全員が硬直し、ぴくりとも動かなくなった。そんな教室でたた一人転校生の舞剣だけが瞬きを繰り返し、「やっぱりこうなりますか」と腰に両手を当て呟いた。彼女は首を曲げ、背後の教師も視野に入れてみたものの生徒と同様に教師も出席簿を閉じる際の体勢で固まっていた。なるほど、と彼女が納得した直後だ。
校庭に稲妻がほとばしった。思わず目を瞑りそうになるほどの強烈な光があたりを包んで、色が戻ると校庭に山ほどの大きさを持つ巨人がぬう、っと立っている。巨人は低い唸り声を上げ、苦痛に歪んだ人の顔を模した面を教室棟に向ける。物言わぬ視線を受け、舞剣は不敵に微笑んだ。彼女は後ろに数歩下がると助走をつけて窓の縁に飛び乗るとそのまま窓を開けて外に飛び出した。三階の教室からだ。正気かと目を疑いたくなる光景ではあるが、彼女がこれくらいの移動で死んでしまうような人間であるはずがなかった。事実、舞剣は怪我をした様子もなく、けろりとした顔で校庭に降り立っている。相対している巨人を前にしてもその顔は恐怖に引き攣らず、ただ真っ直ぐに見ている。「顕現せよ」舞剣が短く詠唱する。と、首元で揺れていた剣型のネックレスが淡い輝きを放ち、雪の結晶を表わしたように繊細な形の青白い剣に変じ、彼女の左手には銀の籠手がはめられている。
「WORLD――《銀鎖の歌》が一人……、と名前は言えませんでしたね。仕方ありません。……、《舞剣》、任務を遂行します」
厳かに告げられる宣言から数秒。巨人の左腕が肩の接合部分から外れ、ずずんと重い音を立て地面に落ちた。……、肉体強化ではああならない。となれば、この現象は舞剣が持つ剣の特質か。思考する間に彼女の手によって、山ほどあった巨人の体はみるみる内に小さくなった。が、それでもまだ校舎くらいはある。
「さて、どうする?」窓際の席から眼下の相手に問いかける私の耳にじゃらじゃら、と鎖が波打つ音が届く。幻聴じゃない。魔術の類でもない。
舞剣が持つ聖器――あの剣から無数の鎖が溢れ、彼女の周囲をぐるぐると泳ぎ、辺りを囲んでいるのだ。
「超越せよ! 遠き鎖よ、境界を越えて我が剣の力となれ! 《共鳴の楔》」
彼女が剣を振るうと舞剣の周囲を漂っていた鎖は意思を持ち、巨人に襲い掛かった。音もなく、巨人に突き刺さる鎖を見、彼女は勝利を確信したらしい。
「歌え、青銀の剣! そして証明しろ、絆の力を!」
剣は呼応するかの如く夜の星のように瞬き、無数の煌めきが巨人の体を粉々に砕いた。舞剣は石のつぶてと化した巨人に一礼を取り、踵を返そうとする。
「まだ終わりじゃない」私の呟きとほぼ同時に、舞剣の足元に歪な影が這い寄る。すぐさま影に気付いた彼女が振り返った先には、今しがた砕いたばかりの巨人を構成していた大小さまざまな石がぷかぷかと浮かんでいる。舞剣は訝し気に、しかし剣を構えたままの体勢を取った。空に浮いた岩は対峙する勇者の舞剣を前に一つになり、最初の巨人と同じ……、いや砕けた分だけ更に大きな怪物へと変化した。
《増殖する呪いの岩人形》――それがあの巨人の名称だ。しかしそれを舞剣が知るのは、勝利した後のことだ。
「新入りの様子はどうだ、
仮名を呼ばれ、視線を出入り口に向ける。そこには二人の男女が立っている。一人は白髪に今にも流れ出しそうな血みたいに真っ赤な瞳をした青年で、もう一人は枯れた芝色の髪がくるくると遊んでいる灰色の瞳を持ち、背が極端に小さい少女だ。その内、青年の方が断りもなく教室へ入り、舞剣の戦闘を見てがむしゃらだねえとうたう。
「いたんですか、
「課題の提出日が今日までだったんだよ。……、ん? なぁ、あれ
その指摘に空を見上げる。太陽に重なる位置に目玉が一つ浮いている。
「そのようです。学校には来ていなかったんですか?」
「魔宮はずっと引きこもりだよ」出入り口のところに立ったままの少女――
「引きこもり」
「そ。お前はすっかり溶け込んじまってるんだな、諏訪徒」
私は湯治の何気なく吐かれた一言から視線を逸らし、今も戦闘を続けている舞剣に視線を移した。
「らあっ!」
疲労が溜まり、それでもなお止まることが選べない彼女は粗くも懸命に剣を振るっている。そんな少女が私にの目は遠い存在として映った。
「あの転校生は何回持つんだろうな」
湯治の問いかけに私は答えない。内情を知っているものからすればそれは最大の皮肉だったからだ。
私も湯治も占堂も巨人と苦闘している舞剣と同じにこの世界と誓約を交わし、救うと誓った別世界の勇者だった。
この世界は勇者を招く。世界を越えて、だ。だからこそ私たちの中には誰一人として同郷の者はいないし、そのタイプは千差万別だ。実際に湯治は治癒術、占堂に至っては占星術師の勇者だった。
私たちは勇者の名とこの世界との誓約を果たそうとそれぞれが時と場所を選ばずに現れる敵と戦い、ついに敵将にまでたどり着いた。自分の故郷を救ったのだ。困難な道も何度も乗り越えて来た。先に進もうとする足は出来ている。だから大丈夫、きっと大丈夫だ。そう思っていた。
だがその想いも虚しく、結果は敗北に終わる。何一つ歯が立たなかった。剣術も、魔法も、防御さえも。一度は世界を救ったこの手が赤子のように感じられた。将を討てなかった出来損ないの私たち勇者に、世界は一つ残酷な仕打ちを与える。それはすべてを無に帰すことだ。有体に言えば、リセット。最初は何が起きたのか分からない。けれどその瞬間は慈悲なく訪れる。倒した敵が何食わぬ顔で再び現れ、戦うことで理解しなくてはならなくなる。
私たちに敗北は許されていないのだと。私だって自身の敗北を認められなかった。だからこそ泥臭く足掻いた。夢だと思いたかったからだ。今度こそは勝ってみせる、だって勇者なのだから。だがそれでも必死に戦ったその先に悪夢が笑って待ち構えている。悪夢の内容はいつも同じだ。
敵将に傷一つ付けられず、それどころか傷つくばかりの自分という悪夢。ぼろぼろになった勇者にこの世界はやり直しを命じる。何度も、何度も、何度も、だ。だけど何度繰り返しても私たちは敵将に勝てなかった。次元が違うと思い知らされるばかりだ。そう、ひっそり悟る私たちに世界はとことん無慈悲で、何度やっても勝利のない戦闘を繰り返させた。こうして私たちは自分がいかに無力かを強制的に理解させられ、強大なその敵に心折られた。
果てに、私たちは一つ選択をした。世界を救えなかった自分に勇者を名乗る資格はない。よって敵将のもとに勇者の証である聖器を屠り、真の勇者が現れるまで恥を忍び、この世界の住人の末端として連ねようと。名折れの勇者として。
「……、あの転校生が勝ったら私たち元の場所に帰れるのかな」
占堂がぽつりと尋ねる。湯治は頬をポリポリと掻き、何かを言おうとして止めた。代わりに所在なく視線を漂わせている占堂に私が応える羽目になった。
「私たちに元の世界に帰る資格はありませんよ。負けたんだから」
元勇者たちは揃って口を閉ざす。教室の窓にかかりはためく黄色いカーテンが広がる青空はきれいで、故郷と仲間たちのことを思い出して泣きそうになった。
しかしいまだに、敵将と勝てたものはいない。誰一人として。
――パンパカパーン。
勝利のファンファーレが響く。
勇気の墓場 ロセ @rose_kawata
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