近野物語~あなたの隣の伝説~

つぶらやこーら

第1話 みっちゃんのお人形

「みっちゃんのお人形」?

 おやおや、どこから聞いてきたんだい。もうずっと昔の話だというのに。

 またおじいさんが酔っ払いついでに漏らしたんだね。まったく、あの人は。

 どうしても聞きたいかい。そうかい、そうかい。

 じゃあ、話そうかねえ。


 むかしむかし、この辺りに、多くの家が立ち並び始めたものの、まだ田んぼがたくさんあった頃のこと。

 小学校にあがったばかりのみっちゃんは、誕生日にクマのお人形をもらったのさ。

 それはみっちゃんの体と同じくらい大きくてねえ、とっても柔らかいお人形だった。みっちゃんは、毎晩、そのクマのお人形を抱きしめて眠っていたのさ。

 だけど、人形を買ってもらって、一年くらいたつとねえ。クマのお人形はひどいことになったのさ。


 原因はけんかだねえ。みっちゃんには四つ年上の、お兄ちゃんがいたのさ。何がきっかけかなんていうのは、今となっちゃ分からない。とにかく二人はお互いが取っ組み合うくらいの、すごいけんかをしたんだよ。

 どんどん、激しくなる争いは、お兄ちゃんが妹自身だけでなく、妹のまわりのものに手を出すほどになったのさ。

 お人形もその一つ。お兄ちゃんに乱暴に殴り飛ばされた人形は、首がちぎれて、お腹が切れて、それはそれは、二目と見られないほど、ひどい姿になっちまったのさ。

 みっちゃんの家は厳しい家でねえ。物が壊れても、必要なもの以外は決して買い直したりしなかった。それにお母さんやおばあちゃんが亡くなっているせいもあって、お人形を自力で直せる人がいなかったんだ。当のお兄ちゃんはというと、自分は悪くない、の一点張りさ。

 みっちゃんは無残な姿になったクマのお人形と一緒に布団に入りながら、毎晩、涙で枕を濡らしていた。そして、思ったのさ。どうにかして、このお人形を元通りにしたいってね。


 ある時、みっちゃんは友達から話を聞いたのさ。

 望みをかなえてくれる、不思議な岩のお話。

 それはこんな話なのさ。

 学校の裏山のふもとに、廃病院がある。二階建ての小さな病院だが、かつて大きな病院がなかったこの辺りでは、とてもありがたいものとして、住んでいる人に重宝されていた。

 でもある夜、病院は火事になっちまったのさ。わざとか偶然かは分からない。ただ、誰かの意思が働いているんじゃないかと思うくらい、火の手が回るのは早く、勢いは激しかった。

 二階の人たちは玄関に向かうことができず、避難用のはしごをベランダにつけて、息も絶え絶えに避難したのさ。

 でも、ようやく全員が避難したって時に、看護婦さん、いや、今は看護師さんかね。その一人に眠ったままおんぶされていた女の子が、目を覚まして泣き出したのさ。

 二階の病室に、親に買ってもらった人形を置いてきてしまったってね。入院した時に、親がプレゼントしてくれた、大きなワニの人形。何ヶ月も一緒に過ごした彼女にとっては、大切な友達だったのさ。


 すでに火だるまと言っても過言じゃない状態の病院。多くの人が尻ごんで、女の子に諦めるように諭そうとした。けれど、一人の看護師さんが立ち上がったんだ。

 彼女は女の子を、入院からずっと見守っていた。だから、彼女の苦しみが誰よりもよく分かったんだろうねえ。消防隊が来るのを待っていたら、女の子と人形は今生の別れを告げることになる。

 大の大人が雁首そろえて情けない、と彼女は同僚が止めるのもきかず、避難用のはしごに足をかけた。当然、登れば登るほど、熱の伝わったはしごは熱くなる。

 それでも彼女ははしごを登り切り、火の海となった病室に飛び込んだんだ。

 数十秒後、彼女は人形を抱えてベランダに現れた。毛を焼き、皮膚を焦がす灼熱を浴びながらも、彼女はその意思を貫いたんだ。

 だけど、現実は残酷だった。

 彼女がはしごに足を駆けようとした途端、部屋の内側から炎がすごい勢いで噴き出たのさ。見舞いの品の何かに、炎と相性が良かったものがあったのか、もっと別の原因があるのか、今ではもう何も分からない。

 その爆風を受けて、彼女の体は宙を舞ったんだ。風を受けて漂う布切れみたいに軽やかに、でも確実に落ちていく彼女。

 これが芝生の上であれば、まだ良かったかも知れない。でもその体は、病院の庭の脇に置かれていた、大きな岩へと流されていった。


 彼女は自分の命と引き換えに、女の子の友達を守り切ったんだ。

 彼女たちの体を受け止めて、ほぼ真っ二つのひびが入ったそれは、「ひび割れ石」と呼ばれて、畏敬の念を持って伝えられたのさ。

 でも、縁起が悪いという噂もあってねえ。病院は間もなく、その門を閉ざすことになったのさ。庭は草ぼうぼうの、荒れ放題。割れた窓と、あの日の焦げ跡を刻み付けたまま、病院は捨て置かれた。「ひび割れ石」もそのままに。

 救う人をなくしたその場所に、一つの言い伝えが生まれた。

 幼子の涙が岩を濡らし、幼子の勇気があの日の部屋に届く時、看護師さんが大事なものを取り戻してくれるってね。


 みっちゃんは、それに頼ろうとした。

 当然、みっちゃんが公にそんな場所に行くことは、親が許さない。親もお兄ちゃんも寝静まった真夜中に、彼女は足音を忍ばせて、廃病院に向かったんだ。

 長年、放置されてボロボロになった塀の隙間から、敷地に入ったみっちゃんは、聞いた通りの傷跡を生々しく残す病院の姿を尻目に、庭の隅へと走っていった。

 果たして、その岩はあったんだ。みっちゃんが三人くらい寝そべることができそうなくらい大きな岩は、その真ん中を両断するように、雷が走ったかと思うほどの、ギザギザの深いひびが入っていたのさ。

 彼女は聞いた通り、ちぎれかけたクマのお人形を岩の上に置き、人形を思って涙を流して岩の上に滴らせたんだ。


 すると、どうだろう。風が静かに吹き始めてねえ。みっちゃんはふと病院の方を振り返ったのさ。

 二階へと架かる、避難用はしごが見えたんだ。病院が閉ざされる時に、確かに取り外されたはずなのにねえ。

 みっちゃんには分かった。これが自分の勇気を試す方法なんだって。

 迷わず、みっちゃんははしごを登り出した。

 一段、二段。手のひらを刺す、金属の冷たさが、夜中であることを、いっそう強くみっちゃんに感じさせた。

 はしごは全部で十三段。それが八段や九段になるとねえ、不思議と冷たさは消えていったのさ。代わりに熱い。それでも開けたてのカイロみたいに、我慢できないほどじゃない。

 みっちゃんは頑張った。そして手はようやく十三段目にかかったんだ。

 あと一段で望みは叶うはず。みっちゃんはぐっと体を引きあげて、はしごを上りきろうとした。それはベランダの手すりを越えて、病室の中をのぞく形になったんだ。

 次の瞬間、なぜか、みっちゃんははしごから手を離しちまった。

 二階に近い高さ。落ちどころによっては命に関わる。でも、その時信じられないことが起こった。

 ブワッと、病院の内側から吹いたとしか思えない方向から、突風が吹きつけたんだ。みっちゃんの体は、風に漂う布のよう。ちょうどあの日の看護師さんと同じように、岩の上へと導かれたんだ。

 でも、あの日とは違う。彼女の下にはお人形さんがいたんだ。

 傷一つない。買ってもらった日と変わらない、クマのお人形さんがね。

 

 それからの話かい?

 さて、特に面白い話はないさね。

 ただ、みっちゃんはそれからほどなく、お父さんの仕事の都合で引っ越し。廃病院も取り壊されてしまって、今だ買い手のつかない荒れ地のまんまだねえ。

 でも、誰も動かしていないはずの「ひび割れ石」が、いつの間にか姿を消していたのさ。誰かが持って行ったのか……あるいは、願いをかなえる次の誰かを探しにいったのか。

 突然直った、クマのお人形のこと。誰に聞かれても、みっちゃんは答えなかった。ただ、彼女の眼には、いつも何かに怯えるような色が浮かんでいた、とは当時、彼女と話した誰もが感じたことさ。


 もしかしたら、はしごを上り終えようとした瞬間。のぞいてしまった病室の中で、あの子は見たのかもしれない。

 あの火事の夜。看護師さんを本当に殺した、何者かの姿をね。

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