3.霊人形

 真っ暗な上下左右も何もない夢の中。

 どこからか誰かが俺を呼ぶ。

 ぼんやりとした、陰からじっと窺うような、苛々を伴う気配。


 最近は勘も鈍ってるな……ああ、しばらくメシ喰ってなかったっけ……。


「もしもし?」


 夢現の状態であれこれ考えを巡らせていると、気配だと思っていただけの何かが声を掛けてきたのだった。


「もしもし? もしもし?」


 テーブル席のソファで寝転んだ顔のすぐ横で、実際に声を掛けてくる存在があると気付いたのは、うっかり寝入ってからどれだけ経ったころだっただろう。

 店は窓もないビルの奥の半地下で、時間は壁の時計か携帯や腕時計に頼らないと普通は見当もつかないが、俺は俺の直感で深夜を回った頃合いだろうと察した。

 いわゆる丑三つ時って感じで、目を開けたくなかった。


「もしもし? もしもし?」


 しつこく何かが声を掛けてくる。そういえば自称霊媒師を追っ払ってから、最後に鍵を……掛けていない?

 開いてると思ってやってきた客だろうか、めんどくさい、スルーし続けてやる、と無意味に頑張って狸寝入りしていたが、肩をとんとんゆさゆさ揺さぶられ、物理攻撃に転じたとあってはスルーも難しい。

 諦めて、さも今気付いた体で身を起こす。

 実際に眠い目をこすりつつ、声の正体を見た。


 あ。コレはアレだ、アレ……。


 脳味噌が言葉を拒否して視線を逸らす。

 それでもそれは、性別もわからない不思議な声で続けた。

「よかった、気付いていただけたか。こんななりですまない。今はこの程度しか姿を保てないみたいで……」

 口調は男のようだった。

 ちらりと再び見遣ると、うっすらとした人の形をなんとか作っているが、とっても透け透け状態で、その姿もかなり意識して集中しないとイメージを象れない。

 しかし、そのうっすらにしろ見えた姿には見覚えがあった。


「……こないだの、英美んとこにいた、人形みたいなヤツ……」


 ぼそり、呟くように漏らすと、人影は、こくりと頷いたように見えた。


「僕は、式神を拠り所とした……僕たちは『霊人形』と呼んでるコレだけど、まぁ、そんなようなのを動かしてる。怖がらせる目的じゃないんだけど、どうも迷惑かけてるみたいなんで、謝らないとって思って……」

 おかしな幽霊だの何だのよりは、俺としてはマシだった。

 寝転けていた居住まいを正すと、どうぞ、と実態はなさそうなその霊人形とやらを向かいの席に促した。


「すまないとは思っているんだけど、簡単に言ってしまえば、御島さんに頼まれてここを監視している。ただ、僕としては気乗りしなかったのと、誰にでも視認できる形では目立つだろうと思ってしまったのもあって、強いしっかりした実態を保てなくなったんだ」

 『霊人形』は、すぅっとソファやテーブル、床などをすり抜けて、本来腰を掛けたら目線はこの辺り、という位置に立っていた。写真に撮れたら心霊写真である。

「御島って、兄妹どっちのだ? ていうか、そもそも貴様は誰なんだ?」

「ああ、お兄さんの治彦さんの方だ。英美さんは特にあそこで何かしているわけでも何でもないし。居るだけだ。だいたい御島さんと呼ぶのはお兄さんで、英美さんはそのまま英美さんと呼ばれている」

「居るだけって……そりゃ居心地悪いよな。家を出たくもなるだろうよ」

 霊人形は、人間のように、こほん、と咳払いしてみせた。

「しばらく監視してて思ったんだけど……僕には正直、なぜ御島さんが監視を頼んだのかもよくわからない。こういった仕事を頼まれる時は、それなりに理由が見えてくるものだけど……」

 俺は肩を竦めた。

「じゃあ、そう報告して手を引いてくれ。こちとら商売になんないんだよ、人通りごと減ってるんだ。何に執着しているのかわからないのは、俺らも同じだよ。それどころか、営業妨害の被害者だ」

 ほんの少しの間、沈黙が流れた。

「ひと言だけ、僕個人から言う。さっきの男には気をつけて。僕の霊人形以外にも、何か居るのは本当だ」

「…………え?」

 呆気にとられていれと、『霊人形』は小さく頷いて、ぽんっと姿を消した。

 足元には、文字通りの人の形をした小さな紙切れ。

 これが式神の元か。

 指先でつまみ上げるとカウンターへ持って行き、流し台で燃やして捨てた。


 何か居る、か……。


 居るとしても、この霊人形とやら以外には今まで何もなかったし、様子見だな。

 俺はそこまで深刻には捉えず、とりあえず施錠し直すと居室へと戻っていった。

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