3駅目 ラムネ
同じ部署だからと言って、そこに所属する全員が互いに顔と名前をきっちり把握しているかと言うと、そうではない。
直属の関係やよく顔を合わせる関係ならまだしも、シフトの重複がなかったり、あっても言葉を交わさなかったりであれば、記憶に残らないものだ。
さて、話は変わるが、ウィエール鉄道主要駅バスティンの地下には、様々な店に混ざって駄菓子屋なんてものもある。
高級菓子店の、洒落て煌びやかで綺麗な店の内装とは異なり、懐古の念を呼び覚ますようなどこか古くてセピア色の店内は、ノスタルジックな空気に触れられ、また、安くて懐かしい味の菓子が買えるとして、老若男女を問わずリピーターや定期的な利用者が多い。
高速鉄道三本柱が一柱、九塚砦州も、その一人だ。
「こんにちは」
カラカラと、これまた風情を感じさせるスライド式の店の入り口を開けて、砦州は開口一番挨拶の言葉を投げ掛ける。
「あら、燕さん。こんにちは。いらっしゃい」
すると、店の入口すぐのレジにいた女性店員が、彼の姿を見るなり穏やかな笑みを浮かべながら応えた。
調度休憩時間の合間に足を運ぶ彼をもうすっかり覚えている彼女は、砦州にとっても馴染みの店員である。
「今日も、いつもの?」
「うん。ミールワームはある? それからトンボも」
「両方あるわよ。どうぞ、見て行きなさいな」
「ありがとう」
笑顔で問いに答えた店員に同じく笑顔で返すと、砦州は意気揚々と店の奥へ足を進めた。
調度時を同じくして誰かが入店する音がしたが、わざわざ自分以外の客を逐一気にする者は稀だ。その稀に加わることなく、砦州は店の奥へと入って行った。
この店が人気な理由には、店の雰囲気以外にまだ理由がある。
ここには、様々な種族に向けた「おやつ」が置いてあるのだ。
今砦州が手に取って眺めているものを例に挙げるならば、彼–––––ツバメのような昆虫を食べる種族向けの乾燥昆虫がそうである。
他にも魚の骨の乾物や臓物の砂糖漬けなんてものもあるが、砦州が興味があるのは昆虫のみであるから、これらの内容については今回は触れないでおく。
「……えーと、これと、これと」
瓶詰めにされたトンボやハチを砦州は一つ一つ手に取りながら吟味する。好物をじっくり選ぶその姿は、真剣そのものだ。
無論、それも当然と言えば当然である。
何せ、瓶の中には特定の種類のみが詰められているのではなく、同じカテゴリに属す様々な種類の昆虫が雑多に詰められているのだから。
だがその種類を固定せず雑多に詰められている商品というのが、駄菓子屋特有の安さの理由でもあった。
「よし、これにしよ」
考え抜いて選んだ瓶を4つ手にしながら、砦州は一つ満足気に頷くと、店の会計口へと踵を返す。
女性店員がいる所まで戻ると、彼女は別の客の相手をしていた。
「それじゃあ、はい、ラムネ三本」
「……ラムネ以外が混ざってる」
レジで彼女からはいと手渡された紙袋を見たその人は、袋にガサガサと手を差し込むと三つほど駄菓子の包みを取り出す。
すると店員はくすりと笑いながら「サービスよ」と答える。
「あなた、息子みたいで可愛らしいんですもの」
「失礼するよ。僕ほどの歳の息子なんて、まだいないでしょうに」
彼は呆れたように溜息を吐きながら、しかし満更でも無さそうに取り出した菓子を袋に戻した。
「ありがたく貰うよ。ありがとう。赤字にはならないでね」
「もちろん。それは私の奢りだもの」
「それ、答えとしては半々かな。ま、また来るよ」
ひらっと軽く手を振り、客は店の出口へと出て行く。
(あの人も、ここに来るんだ)
客は、砦州の知った相手だった。
駄菓子屋には興味のなさそうな雰囲気なのに、そうでもないのだろうか。
「燕さん、お会計?」
「あっ、うん。これ、お願いします」
背中を見送りながらぼんやりとそんな事を考えていると、切り替えた店員が囁くように尋ねてきた。
我に帰り、やや慌てて先程選んだ商品をレジに置く。女性店員は、慣れた手つきでテキパキと料金を計算し、合計金額を計算する。何度も買ってるだけに、示された数字は見慣れたものだ。そして砦州はいつものように、財布からぴったりの金額を出した。
「ぴったりね。いつもありがとう」
「それはこっちの台詞だよ」
袋に詰められた乾燥昆虫の瓶詰めを受け取りながら、砦州はにこりと笑ってみせた。
正直、勤務先で駅を離れる事なく好物が入手できるのは大きい。それに、安さに妥協せぬ品質の良さは、感謝の言葉以外にないだろう。
「また来て頂戴ね」
「もちろん。また、すぐ来るよ」
弾む気持ちのまま、砦州は店員に手を振って店を出た。
スライド式の戸を開き、丁寧に閉める。
そこで早速袋の中身を取り出そうとすると、不意に、声を掛けられた。
「買い物終わったの、砦州」
「わっ!?」
「ぼくだよ。さっき、レジに並んでたろ」
驚いて声のした方を見ると、やや下に向けた視線の先にエルフの少年がいた。
否、少年ではない。幼く見えて、立派な成年だ。
緑の長髪を頭頂部で括り、耳に一対のピアス、両腕に一つずつ黒水晶でできた腕輪を身に付けた彼は、砦州と同じようにウィエール鉄道の制服に身を包んでいる。階級を表す左足のベルトは、砦州よりも一本多く、二本。
名を、シグナチュール=マルス。砦州が所属する高速鉄道部の助役である。
「マルスさん、僕のこと待ってたんですか?」
「当然。店の中に居合わせた後輩と、お互いに認識しあってるのに、挨拶もせずにいる訳ないじゃない」
マルスはそう言って、にこりと笑った。
成人だと分かっているのに、幼い少年が作るそれと同じような感覚を抱いてしまうのは、彼が種族的に見ればまだまだ若いからだけではないのだろう。
恐らく、普段彼が積極的に受付を行わないのにはこういう所にも理由があるのだろうな、と砦州は無意識に思った。
「ね、砦州。きみ、まだ時間ある?」
「えっと、一応」
「具体的には?」
「四十六分くらい、だと思います」
「その内仕事に直列しないことに裂ける時間はある?」
「四十分程度なら」
「そう。なら余裕があるね」
続けて口にされた言葉に、自身が至った考えを押しやりながら、彼は答える。
少年に見えるエルフは砦州の言葉を受けると、うんうんと頷いてから手招きを交えつつ言った。
「ちょっと、ぼくに付き合ってよ」
「いいですけど」
「ありがとう。それじゃ、ついてきて」
この後の予定は特になかった砦州が一言頷くと、マルスは長い緑髪を翻しながら踵を返して歩き出す。
目線の少し下でゆらゆらと揺れるポニーテールを見ながら助役の背中について行く。地下街の出入り口である階段を登る。人混みをすり抜けて、関係者専用通路の扉を潜り、ポータルボックスのボタンを押す。
緑のランプの点灯と共に開いた空間の内側、羅列する行き先のパネルを押したマルスの指を見て、砦州は彼が更に上に行こうとしている事を把握した。
「いい? 飛ぶよ。––––––ワープポータル、作動!」
気遣いの含まれた声に首を縦に振ると、少年の声が確認の声を発する。次いで訪れる、仄青い燐光と一瞬の浮遊感。それが足の裏から頭の天辺まで駆け抜ければ、目的の階層だった。
ポーンと言う正常を示す音と共に光が収束し、ボックスの扉が開く。
「屋上?」
「そ。僕のお気に入りの場所があるんだ」
思わず零れ出た砦州の呟きを拾って返事をする彼の声は、心なしか僅かに弾んでいるように思えた。
昼を僅かに過ぎた廊下に溢れる木漏れ日を通り抜けて、マルスが屋外へ続く扉を開く。ここ、入って大丈夫なんですかという質問が出掛けたが、砦州は呑み込む。
ここは自由度の高い職場であるが、同時に、規則には厳しい場所でもあるのだ。彼が如何に優秀さの代名詞である助役と言えども、否、助役だからこそ、皆の規範となるべくその様な事はしないに違いない。そんな風に思ったから。
真夏の屋外は、カラリと乾いた熱を帯びている。冷房の帳を抜け、遮られていた陽光の元へ足を踏み出すと、陽射しに焼かれて肌がジリリと音を立てるような錯覚を覚えた。同時に全身を包み込む夏の合唱。色とりどりの蝉の声が、自己主張をもって耳朶に触れては流れて行く。
「こっちこっち。きっと、きみも気に入るよ」
マルスはそう言って揺らめく陽炎と乱反射する音色の中へ躍り出ると、落下防止の手摺まで軽やかに進む。そこに酒瓶のケースが逆さまに置いてあるのを認めて、あぁなるほど、お気に入りの場所なのだと悟る。
砦州は外と中を隔てる扉を閉めると、後に続いた。
マルスの元へ行くと、彼は見てご覧と眼下を指差した。
「わぁ……!」
それを見た砦州の喉から感嘆の声が溢れる。
そこには、バスティン駅を出入りする様々な路線が並んでいた。在来線も新幹線も、高さの異なるそれぞれの線路が交差し重なり合っている。新幹線のレールは真っ直ぐに、在来線のレールは絡み合って、都市の隙間を縫うように視界の向こうまで伸びている様は。そして、そこへ数秒、数分置きに出入りする車両は、ほんの僅かに現実からこの場所を切り離しているように思えた。
「どう? ここ、上から全部見えるんだよ」
「こんな場所があったんですね……!」
「うん。秘密の場所。あんまり言いふらさないでね。まぁ、残りの二柱くらいならいいけど」
「分かりました、約束します!」
「ありがとう。––––––それでね、砦州。これ、付き合って」
呼ばれた砦州が隣を見ると、瓶が差し出されていた。結露で濡れた薄いブルーの瓶のラベルには、ラムネと書かれている。
「えっ」
ここにくるまで一直線だったことから、どう考えても駄菓子屋でマルスが買ったラムネだ。
砦州が受け取るのを渋っていると、彼は続けて言った。
「いいよ。本当はシリウスのぶんだったけど、彼女、今日非番なこと忘れてたし。それに、僕だって偶には後輩とスキンシップくらいしたい」
「……そう言うことでしたら」
駄目? と下がりがちの柳眉で駄目押しをされると、断る理由がない。砦州は頷き、差し出されたラムネ瓶を受け取った。
夏の日差しを受けて水を纏ったそれは、手の熱を吸収するように冷たい。
砦州が受け取ったのを見たマルスが早速開封する手順に入ったのを見て、自分もまた真似をする。キャップ部分のラベルを剥がし、同封されている道具で栓を開けると、幻想の息吹が噴き出した。
「乾杯」
僅かに傾けて差し出された瓶の尻に合わせる。
ちりん。と、現実を離れる切符に穴が開いた。
中のビー玉が飲み口を塞いでしまわないように角度に注意しながら一口、二口と流し込むと、甘みを伴った泡が口で弾けて喉の奥へ、冷気と共に流れていった。強い刺激に一度口元を拭って余韻に浸る。浸りつつ、エルフの青年を見た。
彼はまだラムネを飲んでいた。
瓶を器用に傾けながら、少しずつ喉へ流しているようだ。
細い喉が、こくりこくりと上下する。その度に彼の横顔に汗が滲み、溜まって雫となったそれは一筋の跡を描いて頰を伝い、シャツに吸い込まれていく。
不思議と酷く扇情的に見えて見つめていると、半分ほど嚥下した所で彼は息を吐き出した。
「ぷはっ。はぁ。暑いね」
マルスが肩を揺らして笑う。チリンとビー玉を鳴らしながら、続けて柳眉を下げる。
「ごめんね?」
「平気です。むしろ僕、これくらいの気温の方が馴染んでるんです」
「そっか。そう言えば、きみは、燕だったね。本当だ、汗ひとつかいてないや」
砦州は燕の獣人だ。元々南の温かい場所で生まれ育った砦州は、この時期は冷房の風があちらこちらから流れてくる屋内よりも、熱に染まった空気の漂う屋外の方が心地が良い。
それを伝えると、マルスは顎に溜まった汗を拭いながら楽しそうに笑った。白い歯が眩しい。
「マルスさんは、この暑さ平気なんですか?」
「まぁ、平気だよ」
ちょこちょこと自分のラムネを口にしながら尋ねると、マルスは自分の残りを喉に流しながらそう嘯いた。
エルフ族は元々森の中で生活していた種族故に、直射日光の熱には不慣れで暑さは苦手だと、入社してからのセミナーで学んだことがある。だから、エルフ族には夏場、炎天下での長時間作業はさせません、と。
実際マルスも、外に出てまだそれ程長くないのにここに来る前までに比べると僅かにだが覇気がなくなっているように見えた
今もなお、額や首筋から汗が滲み出している。
けれどマルスは、そんな事は気にしていないようだ。
「暑いのは確かにクるものがあるけど、おかげでラムネが美味しいし」
そう言って、残りのラムネを全て飲み干した。
その様子を見て、早いなぁなんて砦州が考えていると、彼は徐にラムネ瓶の蓋に手を掛けて外し始めた。
飲み干したラムネ瓶の蓋を開ける行為をする目的は、砦州の考えられる限り一つしかない。
事実マルスは、砦州の予想通りに瓶の中からビー玉を取り出した。ほんのりと薄いブルーをした球体のガラスが掌に零れ落ちる。
「マルスさん、ビー玉集めてるんですか?」
「いや、特に」
「えっ」
興味本位で尋ねた砦州は、あっさりとした否定の返事に面食らった。
それでは一体何のためにビー玉を取り出したのだろう。
ホロイオでは、ラムネ瓶とビー玉を分別しなければならないという決まりはない。どちらもガラスとして処分できるからだ。強いて分けて捨てなければならないとすれば、ラベルとキャップ部分だけで、それでも業者に任せずにわざわざ取り除く者は極めて稀だ。
それもあって、砦州の考えられる限り、大人がラムネ瓶からビー玉を取り出すのは収集趣味があるか、子供のためかが者が大半なのだが。
「でもほら、特別に見えるだろ?」
「特別?」
砦州が小さく首を傾げていると、マルスは続ける。
「夏のラムネのビー玉ってさ、何故かとっても魅力的に見えない? なんの変哲も無い、なんの魔法も掛かっていないただのガラス玉なのに、不思議と輝いて見える。こんな暑い日には、特に。僕は毎年毎年、この輝きに負けるんだ。後で無用の長物になると分かっているのに、特別に思えて仕方がない。思わず蓋を開けてしまうし、暑さの中にも飛び込んでしまう」
そう言って彼は、ビー玉を指先で挟むと、青空に掲げて覗き込むような仕草をした。
その姿は、不思議と特別に浮き上がって見えた。
「今だってそう。頭のどこかでは、経験では、『どうせ夏が過ぎたら捨ててしまうのに、取り出す必要はあったの?』って分かってる。なのに僕は、今この瞬間、これを手放すと言う考えを捨ててしまっている」
不思議だよね。彼はそう呟くと、指先のビー玉を弾いて掌に握る。そうしてから手を開き直し、手中の中心にあるガラスの輝きに視線を落とす。
そうしてそれを胸ポケットに収めると、残りの一本を取り出して躊躇うことなく封を切る。
泡の弾ける音が、今この瞬間の息継ぎに聞こえた。
「きっと、夏の幻に溺れているんだろうね」
またもやラムネを喉に注ぎ込んだマルスは、今度も半分ほど無くなった所で唇を離し、微かに息を乱しながら言った。
「幻に……溺れる……?」
「うん。季節が終わったらただのガラス玉に戻るのは、そう言うことだと思うんだ。ほら、この場所も、ちょっと切り離されてるみたいだし」
マルスは濡れた額を拭って薄く笑うと、摩天楼の狭間の更にその向こうへ伸びるレールへと視線を向ける。釣られて目を向けた眩ゆい日差しの向こう、立ち上る陽炎の彼方へと遠退く列車が、溶けるように視界から消え行く様を見つめていると、砦州はただ短く、「そうか」と思った。
そのもう一つ二つ向こう側を自分も見て見たくなり、砦州はほんの少しだけラムネを飲むペースを上げる。
流れる液体が、触れた全てに甘味な痛みを突き刺しては溶けて行く。それはまるで、己を思い留まらせるようでもあり、身体の内側に夏が満ちる副作用のようでもあった。
マルスはいつの間にかもう一本のラムネ瓶も開けて、ビー玉越しに浮いた世界を見ている。
ようやく飲み終えた砦州は、青年の後を追うように瓶の蓋を開けた。
不思議と高鳴る胸の音に自然と呼吸が深くなって行く中、意を決して瓶を逆さまに傾ける。
カロン、とガラスの擦れる余韻を耳に、隣の青年と同じようにビー玉を翳す。
刹那、心が浮き上がった錯覚を覚えた。
「…………綺麗」
知らず口を突いて出た言葉は、夏の合唱に混ざり合って陽炎に呑み込まれる。
だが先駆者には伝わっていたのか、彼は肩を揺すってはにかんだ。
「はは、そうか。きみも、溺れちゃったか」
「……はい」
「ぼくと同じだね。ふふ、もう逃げられないよ。夏が終わるまでは」
「えぇ。そう思います。でも、嫌な気分ではないです。この眩しさの中で、景色の中で、この輝きの中でなら––––––」
現実に着くまで、揺蕩っていても。
「そう。きみを誘って良かったよ」
砦州がきっぱりと答えると、マルスは酒瓶のケースから飛び降りた。
「…………」
それから何か彼が言った気がするが、もはや砦州の耳には届いていなかった。彼は薄いブルーの輝きと暑さが織り成す魅力に取り憑かれている。
その指にあるのは、何の変哲もないガラス玉だ。
だがそこに確かな形で存在する「特別」なものに、彼は目が離せなかった。
結局、砦州は許された時間の寸前まで、溺れる事を堪能したのだった。
後日。
彼があの時のお礼にと自分のおやつを渡そうとして断られたのは、また別の話。
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