終章 こもりくの地のその奥で

 山賊との戦から季節が一つ進んだある暑い日のこと。小太刀丸は綾女や里の子ども達と川原にいた。

「女子どもはさらってしまええ」

 木切れを杖の代わりにした老婆役の小太刀丸が、背中を丸めて子ども達に突っ込んでいく。その前に立ちはだかるのは白無垢の代わりに大きな麻布を羽織ったあかね。

「この衣の舞を見よ」

 くるくると舞い踊ると、「おのれ、おのれえ」と小太刀丸がのた打ち回る。それを見て回りの子ども達が笑い声を作ると、いよいよ小太刀丸はもがき苦しみ、最後には「この化け物があ」と捨て台詞を吐いて川原の茂みの中に逃げ込んで行った。

 老婆から里を守ったのを見て子ども達は「わー」と喜びの声を上げた。

 それが収まるのを待って小太刀丸が茂みから戻ると、「もう一回」「もう一回」と皆嬉しそうにせがんでくる。

「えー。もうそろそろ別のことしよう」

 五回繰り返し、小太刀丸はだれてきたが、子ども達はまだまだ遊び足りないらしい。

 それまで子ども達と一緒に笑う役をしていた綾女が「じゃあ今度はあたしが鬼い」と助け船を出すと、まだ少し自由にならない足を引いて、受け取った木切れを持って子ども達の輪に突っ込んでいった。

 お役御免になった小太刀丸は、いそいそと大人一人分程の崖を登ると、その上に腰掛けた。

 山賊達を退けた後、小太刀丸と綾女は揃って伏せっていた。どちらも奇跡的に急所を外していたが、それでも小太刀丸は脇腹と肩に、綾女は足に深い矢傷を受けていた。

 怪我人二人が並んで横になっていると、いろんな人達が訪ねてきた。特に子ども達は毎日縁側から上がり込んで来ては、今日は川に潜って蟹を捕まえただの、今日は山でぐみの実を採っただのと賑やかに報告してくれた。

 ある日には二人の頭の周りによく熟れた赤いぐみの実を撒き散らして食べていたところをお藤に見つかり、怒られながら皆で掃除したりもした。

 小太刀丸も綾女も動かせない身体でそれを見て笑っていたのだが、その時、囲炉裏の周りで綾女について大人達の話し合いがあったことを知ったのはずいぶんと後の話だった。


 元々五西月さしきの村の子どもとして助け、村で暮らす小太刀丸の友達であって欲しいと考えていた勘蔵は派手に振る舞って村を飛び出してきたという話を聞いて頭を抱えた。しかも考えを共にしていると思っていた椿が実は全く違う思惑で動いていたと知り、その衝撃も大きかったらしい。

「で、あんたはあの子をこの家の養い子にしたいと」

「誠に勝手な話とは思いますが」

「ああして出て来てしまった以上、親父も追い返すとは言わんだろ」

 一緒に綾女を里まで連れてきた鷹之進も椿の肩を持つ。お藤と寅吉も仕方ないと頷いた。

「それはそうだが、ここで引き取っても村より安全とはならんぞ」

 一応、吉見氏は口では里を諦めるとは言っていたが、その直後に山賊をけし掛けて里を襲わせたのであれば何も安心できない。そういう意味でも、勘蔵はこれ以上部外者の綾女を危険に巻き込みたくないと考えていた。

「安全ではないかも知れませんが」ちらりと綾女の寝ている部屋の方をうかがう。

 そこでは綾女と小太刀丸が里の子ども達に囲まれて、ぐみの実を口に入れつつ楽しげに笑っていた。

「ああ、ああ。あんなに散らかして」

 呆れたお藤が椀を持って部屋に行く。

「さあさ、採ってきた物はここにいれる。ほら、種はこっちに。葉っぱの上でもだあめ」

 散らかり放題の床の上を皆に片付けさせるのを見て、囲炉裏の周りは皆微笑んでいた。

「身の安全ということはありますが、やはり独りでいるよりは人の中でいる方が安心できると思うんです。少なくとも大水以降、私はあの子が五西月さしきの村であんな風に笑うところを見たことはありませんでした」

 駄目なら私が面倒を見ますので、と頭を下げる椿に勘蔵は大きく溜め息を吐いた。

「あんたが面倒を見るって言っても、結局この家の中だろうが。大体、あんた自身だってこれから大変だろうに」

 椿が酷く体調を崩していること、それが「つわり」であることが分かったのは戦から三日後、痛みに呻いていた小太刀丸と綾女がようやく自身の痛み以外に考えを向けられるようになってからだった。

 そんな大事な時期に戦に加わって飛び回っていたなんてと、お藤が狂わんばかりに怒り、更にそれを隠していたと鷹之進も合わせて長い長い説教があった。それでもお藤の怒りが収まらず、最後には勘蔵と寅吉が二人掛かりで諫めた程だった。

 叱られた後、椿も外に出るのを控え、しばらくは里の中で田植えを手伝ったり休んだりを繰り返していたが、暑さも盛りの季節になったところでようやく収まり、今ではすっかり顔色も良くなっている。

 だがこの先、出産、子育てと慣れないことが続く中、里に不慣れな綾女の面倒まで見る余裕などないだろう。

「いいじゃないの」

 戻ってきたお藤が嬉しそうになだめる。

「どうせこれまでだって、半年以上うちのご飯を食べてきたんだから。もう半分うちの子みたいなものですよ」

 そうかもしれんが、と納得いかない勘蔵の肩に隣からぽんと手が置かれる。

「諦めろ」

「いつの間に親父まで考えが変わってるんだ」

 ふふふと笑うと、寅吉はちらりと椿を見る。

「今度のことでは色々助けてもらったんでな」

「あー」

 わざと口元を隠し、目を逸らして意味ありげに笑う椿に、勘蔵はようやく吉見氏が来た時のことに思い当たった。

「何かおかしいと思ったら、そんなところで結託してたのか」

 笑みを収めた椿が「何卒、よろしくお願いします」と頭を下げる。もう、勘蔵の手には選べる物はなかった。

「仕方ないな」

 椿の目が喜びにぱっと見開かれる。それはその場にいた誰もがこの数年、見たことのない椿の顔だった。

「それでは洗濯に行ってきます」

 ぱっと立ち上がると、止める間もなく出て行ってしまった。

「洗濯? 何の?」

 呆然とする勘蔵を置いて、お藤と鷹之進が顔を見合わせる。

「何だ。知ってるのか」

「白無垢ですよ」

 笑いを抑えきれないといった顔でお藤が答えた。

「戦の後から、折角可愛い妹ができたんだから、もう一度着れるようにするんだって、毎日川に持って行っては洗っているんですよ」

「着れるようにって、あれだけボロボロで血まみれの物をか」

「あんなにボロボロになっても、あれは特別な衣ですから」

「あっ」と、気付いた勘蔵に鷹之進が「鈍いなあ」と笑う。

「いやいやいや。儂は認めんぞ」

 その狼狽っぷりに周りはにやにやと意地悪く笑うが、全く考えもしていなかった企みに、勘蔵自身はそれどころではなかった。

「この歳で、いきなり、そんなこと」

「そうは言っても、もう十二だろうが。まあ、それは追々の話だ」

 寅吉になだめられ、勘蔵はこの一連の白無垢の怪が実は案外負け戦だったかもしれないと、ようやく気がついた。

「それに、あの子が妹と思って大事にしているのなら、無碍にもできんだろ」

 まさか家の中にも敵がいたとはな。

 目を閉じ、こんこんと額を叩く。どうにもならないことを悟ると、隣から聞こえる子ども達の笑い声で自分を慰めるのだった。


「おう、どうしたよ」

 振り返ると、田んぼの畦を鷹之進が歩いていた。草鞋を履き、竹編みの籠にはずっしりと米やら麦やらが入っているのだろう。背負っている背中がいくらか前屈みになっている。

「なあんも。ずっと同じ遊びだから疲れた」

 よっと掛け声をかけて小太刀丸の隣に座ると、子ども達の不気味な笑い声がする川原を微笑まし気に眺める。

「みんな元気そうだな」

「まあね。毎日同じ遊びに付き合わされんのは堪らんけどさ」

「で」と兄の顔をまじまじと見る。急いでいるようには見えないが、今回鷹之進には大事な役目があったはずだった。

「ああ、それか」

 湯浅の屋敷まで行き、最近の動きを確かめて来ること。それが今回の目的。

 だが鷹之進は荷物を持ったまま、まだ報告にも行っていないようだった。

「ちょうど、あの猟師が呼び出されてたところだった」

「てことは」

「細かいことは分からんが、兵を集めたり武器を買ったりしている様子もないし、攻めて来ることはないんじゃないかな」

 それを聞いて、小太刀丸はようやく胸の底の不安が拭われるのを感じた。攻めてこないのなら、あの猟師が来るのは里への書状のためだろう。そこにはきっと、里を安堵することが書かれているはず。

 そうすれば、もう人に見つかることを恐れて暮らす必要も無い。

「あ、そしたら」

「なんだ」

 急に考え出した小太刀丸を不審げに眺める。

「もう、物の怪でなくてもいいのか」

「ああ。そのことか」

「何かあったん」

 問い返す目に「実はな」と悪戯っぽく返す。

「『物の怪の里』であり続けることになった」

「は?」

「小太刀が寝てる間に話し合いがあってな。もしあのお武家の言う通りに山狩りに遭わないことが決まっても、農民にまで知れ渡るまでは、まだしばらく掛かるだろうという話になった」

「ああ、それで」

 そんな話し合いがあったことすら知らなかった小太刀丸はようやく納得する。

「そう。この首に褒美がかかっていないことが皆に伝わるまでの間は、『人』になる訳にはいかないって話だ」

 けどなあ、と対岸の森を眺める鷹之進に釣られて、小太刀丸も視線を上げる。ちょうど目の前には合歓木ねむのきが白と桃色の鮮やかな花を咲かせていた。周りにはもこもことした濃い緑の木が多い中、そこだけが妙に目を引いた。

「それ以前に、俺達は周りの里の人を騙し過ぎた。里を守るためとはいえ、怖がらせたり、驚かせたり。だから、『じゃあ今日から俺達は人間な』って言っても、今までの恨みを晴らしに来られないとも限らん。

 ま、騙すことは減っていくだろうし、俺達が死ぬ頃には『ただ人』になれるかもしれんがな」

 じゃあ、ちょっと親父らに伝えてくら、と鷹之進は籠を背負い直し、畦道を戻って行った。

「結局」

 畦を抜けて坂道を上る鷹之進の背中を眺めつつ、ぼんやりと呟いた。

「何も変わらんのか」

 鎌倉からの追手が無くなったことは途方も無く大きなこと。けれど、今まで通り人の目から隠れて物の怪として生き続けるのなら、日々の暮らしはほとんど何も変わらない。

 小太刀丸にはそれが嬉しいのか、寂しいのかよく分からなかった。

 足元ではいつの間にかごっこ遊びを止めた子ども達が、綾女の話に楽しそうな笑い声を上げている。


 ここは誰も踏み込まないこもりくの地。その奥地では、人としては生きられない物の怪達が密やかに蠢いている。


                            (了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

こもりくの地のその奥で 石谷 弘 @Sekiya

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ