第8話 4月③ 逃げていいんだよ

 4月になり、大学の前期の授業が始まってから3週間。語学クラスは同じクラスが一年生から二年生まで持ち上がり制だ。語学クラスのリーダー的存在である男子が飲み会を開こうと言い出した。


 自分にも飲み会の誘いがきたが、その日は予定があるのでと断った。本当は予定なんかないのだけど、大人数の飲み会には精神が耐えられない。そういう飲み会では、すみっこではぐれて唐揚げをつまむ僕が容易に想像できる。誰にも話しかけられずに鬱々悶々としたまま時間が過ぎ去っていくのだ。そして、隅っこにいる僕をそういう奴なんだなと思って見ている人。その人たちの視線にも耐えられない。


 正宗に飲み会に行くか聞いてみると、多忙を理由に断るという。正宗は飲み会に行かない理由が本当にあるからいい。僕は怖じ気付いて行かないだけだ。こういう時、僕は仲間を作れない疎外感を覚える。こんな性格でなければ、本当は行きたいのだ。人の輪に加わりたいのだ。そうやってうじうじしているうじ虫みたいな僕は、自分でも情けないし、同情の余地もない。


 でも、もはや僕は諦めている。気質や性格というものはそう簡単に変えられるものではない。この語学クラスでは正宗と友達になれただけでもよしとしよう、そう思った。人を見る目は意外と厳しい僕でも、正宗ほどいい奴はいないと断言できる。


 夕方どきに大学から駅まで歩いている途中、正宗にその悩みを話すと、「無理に行く必要なんてないよ。そんなことで悩む必要もない」と僕の悩みを一刀両断されたので、僕はそう思うことにした。群れるのが嫌いなのではない。性格的に群れられないのだ。このままずっと僕はこうなのだろうな。工事中の場所にあるクレーン車が優しい夕日色に染まる。


 その後、正宗に誘われて駅近くのゲームセンターに行った。正宗は対戦格闘ゲームで対面に座っている実際の人間を相手に連勝を重ねていく。一人の若い男性が負ける度にコインを何回も入れているようだ。正宗が10連勝したあたりで、その男性は諦めたのか席を後にした。


 その対戦格闘ゲームが終わった後で「正宗はこのゲームも強いんだね」と僕が言うと、「ああ、このゲームのキャラクターの技は全ての技のフレーム数まで覚えているからな」と正宗が返す。


「フレーム?」と僕が聞きなれない言葉について口に出すと、「こういうゲームの専門用語だよ。時間を示す言葉で、六十分の一秒が今の対戦格闘ゲームの主流だよ」と正宗が話した。


「音楽と同じで対戦格闘も数学的なんだぜ。音楽を数学的な構成だとすると、対戦格闘は数学的な駆け引きだな」と正宗が重ねて言う。正宗は僕の知らないことをたくさん知っている。


「ゲームは攻めと守りが重要だろ? そして、勝てない時は逃げる。俺が今日の対戦相手だったら、一戦戦ったところで力量の差を感じてコインを入れるのを止めてたよ。普段の生活もそうさ。勝てないと思ったら逃げていいんだよ」


「そうだね、逃げることも大切だね」僕は相づちを打つ。


「聡吾は敏感だからさ、飲み会の席の雑音や空気にいちいち反応して疲れてしまうんだろ。人には向き向き不向きがあるからな」正宗は僕の性格を裏の裏まで見透かしているようだ。


「正宗にも苦手なことはあるの?」


「俺は人から束縛されるのは大の苦手なんだ。女とはそれが原因で別れたりするよ」


「ふうん」どんな風に束縛されて別れたのか聞いてみたい気もするが、さすがにそれを聞くのは野暮だろう。


「他にも苦手なことはたくさんあるさ。ストレスを感じることがあっても、ライブでの演奏で全て吹き飛ばすんだよ」


「正宗には苦手なことなんてないと思っていたけれどな」


「俺にだって苦手なことや悩みの一つや二つくらいあるよ。ストレスをどう発散させるかも大事だよな」正宗が自販機に硬貨を入れて缶コーラを買いながら言う。正宗が自販機で買うのはいつも決まってコーラだ。


「僕のストレス発散方法は音楽を聴くことだな」どんなに心憂うことがある時でも僕は音楽を聴いてやり過ごしてきた。


「音楽を作るのも楽しいんだぜ。聡吾みたいに悩める青年だと、悩みが音楽に昇華されて良い音楽を作れると思うよ」正宗が缶コーラのタブを開けながら言う。タブを開けるとプシュッと爽やかな音がした。


「ははは。僕はそんなに悩みが多そうに見えるかい?」


「聡吾に会う時、聡吾が目前に現れた俺にまだ気づいていない時は、いつも死んだ魚のような目をしているもんな」


「死んだ魚のような目とは、友達でも失礼だぞ」言葉では怒っているように見せかけて、顔は笑っている僕が言う。


「これからも何か困っていることがあれば遠慮なく俺に言ってな。俺にはなんだって言っていいんだぜ。秘密も絶対に守るよ。俺も聡吾に相談したいことも出てくるだろうし」正宗が笑いながらあっけらかんと陽気な声で言う。



 対戦格闘のコーナーを離れた僕らは、ギターの演奏を模した音楽ゲームを二人で楽しく遊んでゲームセンターを出た。ギターのゲームでは、正宗のスコアがとんでもないことになっていた。


「正宗のスコア、すごかったね」


「高校時代、友達と音ゲーはやっていたからな。バンドマンで音ゲー(音楽ゲーム)を馬鹿にする人も多いけれど、リズム感と反射神経は、音ゲーをやることで一定程度養えるよ」


「反射神経?」音ゲーで反射神経を使うとはどういうことなのだろう。


「ああ。音ゲーでは、線が上から降ってきて、下の線と重なったところでピッキングするだろう? リズム感があればなお良いけれど、優れた反射神経があれば、線の重なりそうな所を見て反射神経を使ってすぐさまピッキングすればクリアーはできるもんなんだぜ。そして、そういった反射神経はバンドの演奏でも使えるんだ。例えば、ミスをした時でも、反射神経があれば、ある程度ごまかすことも可能なんだ」


「ふうん。今日は楽しかったよ。またゲーセンに来ようね」


 日が暮れて夜になりつつあった。語学クラスの飲み会のことは、涼しげな風に吹かれて、今はあまり気にならない。

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