車輪の歌

@needleworkers

ある海景

 日に日に頻度をます攻撃の下で、街には焦燥と諦観の入り混じった奇妙な空気が流れていた。

 

昨日も長屋の庭で爆発が起こり、僕らは夜中に叩き起こされた。母と弟を近所の避難所に逃がし、戻った時には建物の大半は燃え落ちていた。呆然自失の態で立ち尽くす老婆、僅かに残った世帯道具を持ち出そうと駆け回る夫婦、早くも焼け跡に金目を探しうごめく子どもたち。同じ光景を、もう何度見てきただろう。

 ある日は爆撃、またある日には放火、その度に人々は住処を変え、家とも呼べない木組みを建てて生活を続けている。誰もその街を離れようとはしない。誰もその攻撃が誰によって行われているのか知らない。誰もなぜその街が、海沿いの住宅街に過ぎないその街がこれほどまでに執拗な攻撃に遭っているのか、知らない。

 

 僕はどこへ向かうともなく山の手の方へ歩いていた。なんとなく、ただ海から離れたかったのだ。軒並みシャッターが下りた商店街を過ぎ、この街を唯一通る鉄道の線路に沿ってゆくと、次第に道は上向きに、人家はまばらになってくる。道端では山を切り開いた僅かな畑に、里芋の大きな葉が折り重なるように広がっていた。

 この鉄道は街の中心にある役場と、山の手の住宅地のさらに奥の峠を結んでいる。他にはどこにも止まらないし、その先のどこにも行かない。ほぼ全ての都市機能が停止した今も、この汽車だけは毎日、きっちり時刻表通りに往復している。乗客も、運転手すらもいないままに。役場前の駅で発着時に流れるメロディは、何十年も前から変わっていないそうだ。この町の者は皆そらで歌える。どこか切なく、祭りの屋台列の裏に咲く彼岸花のような。


 最後にぐっと急になる坂を越え、峠の駅に着いた頃には日が傾き始めていた。プラットフォーム、と言ってもコンクリートの塊が横たわっているだけだが、その端に腰をかけ、足を泳がせながら町の方を眺める。

 蛇行しながら下る線路の先には、様々な色あいに陽を反射する低い屋根瓦が海の汀まで続いている。昨日燃えた長屋のあたりは真っ黒な穴のように見え、その縁のほうには燃え残った柱が生々しく突き出している。攻撃を受けてから数日経った地域は全て持ち去られて完全な更地だが、もうすぐ誰かがバラックを建て始めるだろう。森と同じだ。役場の駅を離れた汽車が、屋根の合間を縫って加速していくのが見えた。

 遠くに見える海は虹色だ。近くを通るタンカーから重油が漏れているのだと言う人もいるが、ここ数ヶ月、タンカーどころかほんの小さな船影すら見た者はいない。視界の右側で海は大きく突き出した砂嘴に分断されている。光の具合なのか、虹色の何かがそこに淀んでいるのか、その境界線では海の色はひときわ鮮やかだった。

 

 ふと風の音が弱まり、僕は遠くから聞こえてくる楽器の音に気がついた。見回すと、道が峠の森にさしかかるあたりに大きな家がある。なんとはなしに立ち上がり、

そちらへ歩いて行くと、最初ハーモニカだと思っていたそれはアコーディオンの音であるらしい。艶やかできめの細かい、良い音だった。

 童謡か何かを弾いていたようだが、僕が家に近づくと音は止み、止んだと思う間もなくばたばたと物音をさせて音の主が玄関から出てきた。痩せて背の低い、だが健康そうな少女だった。胸に抱えたアコーディオンはその体には不釣り合いに大きく、丁寧に磨かれた表面には無数の細かな傷が見える。少女が生まれるずっと前から使い続けられてきたものなのだろう。音を褒められると、彼女は大げさなほど喜んだ。

 少女の家は代々観光ガイドを生業としていた。今でこそ閉ざされ忘れられたこの街にも、以前はそれなりに観光客というものが来ていたらしい。彼ら彼女らはどこからともなく街に現れ、海辺を散策し、ちょっとした史跡やら名勝やらの前で写真を取り、そしてなぜか必ず汽車に乗った。二つしかない駅を往復し、満足げな顔でどこへともなく帰っていったのだという。だが徐々にその数は減り、街への攻撃が始まってからはぱったりと途絶えてしまった。少女も物心ついてから一度も、町の者以外は見たことがないのだそうだ。


 お前も今日からこの街のガイドだって、ちょっと前に父に言われたんですけど、そんなこと言われても困っちゃいますよね。アコーディオンもくれはしたけど、ろくに教えてもらえないし。あ、でも私あれ弾けますよ。ぬま。


 鉄道の駅でいつも流れているあの曲だ。少女はいそいそと手近の石塀に腰掛けると、真剣な顔つきで楽器に指を置き、一呼吸おいて弾きだした。

 蛇腹の伸び縮みに合わせて、聞き慣れた明朗なメロディが溢れ出てくる。近く、遠く、雲間の月が照らす波のように。しなやかに旋回する装飾音はエキゾチックな官能に満ち、紡がれ崩れ形を変える和音は胸を締め付ける余韻をたたえ。

 やがて短い後奏を経て、少女の演奏は終止する。僕はしばらく押し黙った後、素晴らしかった、とだけ言った。それは奏者の年齢に比してあまりに複雑で、なおかつ単純だった。僕の言葉を受けて彼女が見せた笑顔もまた、その通りだった。


 

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