ぼく

沫月 祭

ぼく

ある日、僕は生まれた。

名前?

それはまだわからない。

ただ僕は、白い何かだとしか。

白くて細長くてかたい僕は、何かの中にいるようだった。

凄く大きな泣き声が上から聞こえてくる。

周りからわんわん響いてきて、僕の体がグニャグニャ揺れる。

泣かないで、そう言おうとしたけど、どうやら僕は喋ることは出来ないようだ。

ただ、この泣く何かを支えることしか。

僕には、自我だけがあるようだった。


わんわん響く泣き声は、まだ僕を揺らしている。

それと同時に、「泣かないで、よしよし」という、まさに僕の言いたかった言葉が外から聞こえた。

僕は周りを見渡してみた。

僕と同じ形をした、白い何か。

それが沢山いた。

けれど、僕と同じように自我のある者はいないようだった。

勿論、声が出せないのだから確かめようもないのだけれど。

ただのカンだ。


上から聞こえてくる泣き声。

そこに最近、笑い声が入ってくるようになった。

僕が安心していると、不意に後ろから大きな音が聞こえた。

どくどくどくどく。

赤い何かが、僕の後ろで必死に動いていた。

その音は、今まで泣き声で聞こえていなかったようだ。

その音を聞いていると、何故か僕は、安心していた。



最近、毎日僕の体に軽い衝撃が伝わるようになった。

僕のいる何かが、動き始めたらしい。

じり、じり。

擦る様な動きで、のんびり動いている。

僕は祈る様な気持ちで、

頑張って。

そう思いながら必死にこの何かの体を支えた。


人間、と言うらしい。

今日不意に聞こえた言葉。

僕がいるこの何かは、人間のそれも赤ちゃんというモノらしい。


「・・・ちゃん、お母さんだよ。・・・おかあさん」

赤ちゃんと僕を生んだらしいお母さんとやらが言葉を教えているのに対し、赤ちゃんは、必死に答えている。

「あ―、う、」

それでもまだ、言えない。

僕が教えてあげられたら。

なんて、何回思ったんだろう?


「おか―さん、ほら!ばった!みつけた!」

それからどれ位たったのか。

赤ちゃんは赤ちゃんとは呼べない年齢になり、名前も判明した。

春、と言うらしい。

僕は春と一緒に毎日成長していた。

大きくなってだんだん足というものを使って走り始めた春に合わせるように、僕もどんどん丈夫になっていく。


あ、何処かにぶつかった。酷い衝撃だ。

僕に、ヒビが入った。

いたい、いたい、と春が泣いている。

僕も、痛い。泣きたい。痛いよ。

そんな風に僕も春と一緒に苦しんでいるとき、春は何処かに運ばれていった。

「肋骨に少しヒビが入っていますね」

そんな聞いたことの無い声が、聞こえた。

そうやら僕は、肋骨という名前らしかった。

暫く安静にして、自然治癒を待つ、という方針になったらしい。

僕はヒビが入ったまま放置されることになった。

「いたいよ」

そんな風に春が泣くのを聞くたび、

待っててね、すぐ治すから、泣かないで。

そんな風に思って、僕は痛みをこらえながら必死にヒビを治していた。


それからどんどんと春は大きくなっていって、今は高校生というやつらしい。

僕にはよく分からないけれど、春はあまりお母さんと上手く行っていないようだった。

お母さんの泣き声が聞こえる。ああ、いいの?春。

前はあんなにお母さんが大好きで大好きで、いつだって傍にいたのに。

…でも、今僕の後ろで鳴っている心臓とやらは、苦しげにどくどくと音をだしている。

(春、きみも苦しいのかな)


「うざい」「どっかいって」「かまうな」

そんな声ばかりが聞こえていた時が過ぎて、また春は大きくなった。僕は何故か大きくならないみたいで、もう春をみまもるばかり。

春はお母さんとは仲直りできたみたいだ、よかった。

そんなある日、とても近くに別のどくどくという音が聴こえた。

どくどく、どくどくどくどく

あれ、春の心臓のどくどくがいつもより早い。それに、僕の正面より少ししたくらいからも、聞こえる。

どくどくどくどく。

おなじ、心臓の音?


彼女、というやつらしい。そして婚約者というやつらしい。

その彼女の心臓は頻繁に僕の近くにやってきて、どくどくと音を鳴らしてゆく。

ああ、もしかしてこの向こうにも僕と同じような肋骨がいるのだろうか?まぁ、確かめるすべなどないのだけど。

笑い声が上から聞こえた。ああ、春が笑っている。よかった、幸せなんだね。

それなら、僕も幸せだ。


またたくさんの時が過ぎて、彼女は妻と言う物になったらしい。人間って忙しなく名前が変わるんだなぁ。

妻はとてもよく笑い、春をよく笑わせる人だ。いい人。

僕も大声で笑えたらいいのにな


妻はあかちゃん、を身ごもったらしい。そうか、また僕と同じ者たちが生まれるんだね。

春も妻もとても嬉しそうで、さらによく笑うようになった。

赤ちゃんが生まれてからは忙しそうで、たまにケンカというものをしてしまうときもあったけれど、赤ちゃんを抱きしめると落ち着くらしい。

ああ、向こう側にあかちゃんのどくどくが聴こえるよ、懐かしいな。

笑い声も、泣き声も、昔は春もこうだったんだよ。


赤ちゃんはすくすくと育ち、また良く笑う子になった。

笑顔の絶えない三人、僕は幸せ者だ。

春の子どもはよく春の背中に上る。後ろから聞こえてくる楽しげな笑い声に、僕も笑えそうな気がしてきてしまう。

僕もがんばらなきゃ、春を守らなきゃ。


子どもは大きくなって、二人の元からいなくなってしまった。

二人はとてもさみしそうで、でもとても嬉しそう。少し笑顔は減ったけれど、相変わらず幸せそうだった。

二人は前のように、よく出かけるようになった、騒がしいところ、静かなところ、綺麗な音の鳴るところ。僕は音でしか分からないけれど、二人がとても楽しそうなのはいつだってわかった。


二人はいつも笑って僕を幸せにしてくれる。僕も二人を笑わせたいなぁ。



とてもとても、長い時が経った。

恐ろしいほどに静か。こんなに静かな時が、いままであっただろうか。

後ろの心臓のどくどくはとても静かで、今にもなくなってしまいそう。

…あ、泣き、ごえ?

遠くの方で、妻が泣く声がする。だめ、泣かないで。春、どうしたのさ、どうして妻の涙をとめないの?

そう思う間も、後ろの心臓はどんどん静かになっていく。


ああ、なんとなく、わかった。


春、春、長かったね。幸せだったね、ありがとう春。

僕の存在なんて知らないだろうけれど、僕はとても幸せだったよ。春が笑って、お母さんが笑って、春の妻も子どもも笑って。

とても笑顔に満ちた時で、音でしか分からない僕にはこれ以上ないほど幸せな時だった。

ありがとう、ありがとう春。



ゆっくりお休み。



それから僕は、静かな泣き声を聞きながら、ゆっくりと意識を消した。

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