昼に降る星
篠岡遼佳
昼に降る星
いつもの、夏休みの午後のお話。
「今日も暑い~だるい~」
「扇風機でなんとかなってるんだから、文句言わない、ほら、やる!」
「でも暑いの~ノートが汗でよれるの~クーラーほしい~~」
もう、だらしがないったらない。私は彼女の灼けた腕をつんつんとつつきながら、
「
「わかってる~。
「わかっているなら、日が暮れる前にわかんないところだけやるよ!」
「はいであります!」
私たちはどこにでもいる高校二年生で、私は
私は数学が全くできない似非理系で、彼女は数学以外を覚えられないときている。
そういうわけで、お互い協定は結べるのだが、それは不平等である。そう、私の方が圧倒的に教える量が多いのだ。
私は叫ぶ。教え子の脳みその調子が良くないからだ。
「だからさ、
「だって、びびっときたんだもん……」
「ちがーう、君のことはどうでもいい、現代文は問題の作者とフィーリングをあわせて下さーい」
そして沙野香も叫ぶ。教え子の脳みそが熱さでオーバーヒートしているからだ。
「ええ!? さっきできたじゃん、この問題! 一年の時に習ったやつだよ!」
「わからないんです。ほんとにわかんないんです。単位円とかもう忘れました」
「それじゃあズルズルとなぜか文系になっちゃうよ! 数学の如何でこれが決まるのはひどい話だけど、いまの日本の教育はそうなってるから頑張れって!」
私たちがこんなにぎゃいぎゃい言いながら、宿題という名の一学期の復習と二学期への予習をしているのは、もちろん理由がある。
二人とも、同じ大学を目指している。それも、そこそこ名の知れた大学へだ。
振り返ってみると、沙野香とは、無二の親友、というのもしょうがないくらいの仲だ。
一番古い記憶を引っ張り出してみると、ちいさい沙野香が青いスモックを着てびぃびぃ泣いているのを、「しょうがないな」と思いながらなだめている姿が浮かぶ。
ちなみに、同じことを沙野香に聞くと、逆パターンの私の姿を思い浮かべるらしいから、どうにもならない。
母親同士が病院で同室で、たまたま似たような時期に女児を産み、そこから一気に仲が深まったらしい。家も近かったこともあり、ほとんど姉妹のように暮らしてきた。親としては、「どこに行ったか聞かなくてもわかるからほんとに楽」という気持ちだったそうだ。なんとも放任である。
「でもさ」
私が解いた問題集にマルとバツとバツとバツをつけながら、沙野香は言った。
「響子は正直言って、数学捨てても、そこそこのいいとこいけるじゃん? この間だって、国語三つとも模試の順位表に乗ったんでしょ? なんでまた、こんなにこんなな数学を使おうとするん?」
うーん、とペンを片手に沙野香。気持ちは私が間違えた問題の解説にいっているようだ。
「そりゃあ、正直沙野香だけじゃ大学不安だから。お兄ちゃんがいつも履修届って言うの、出すのギリギリだしさ、自由な分だけ責任が伴うっていうか……」
言うと、沙野香はこっちを見て半目になる。
「そんなの私だってわかってますー。だからね、なんていうか、もったいないじゃん? 響子のこの勉強ができるところをさ、なんていうか、潰しちゃうんじゃないかって……」
「それは私が決めたこと。いいの、これで」
「んんん? なんでそんな言い切っちゃうのさ」
「だから、これでいいの、これがいいの」
「あ、なんか隠してる」
「隠してません」
「隠してるな」
「ません」
「る!」
「ない!」
「ある!」
「――じゃあ、好きだから離れたくないって言ったらどうするの?」
ぽかん、とした顔、というのは、この表情を言うのだろう。
そんな顔をしたまま、私をじっと見て、一口麦茶を飲む。
カラン、氷の音。止まることのない時間を、首を振る扇風機がゆるく混ぜていく。
これは、あー、失敗ですかな……?
自分の感情が、普通の人とは違うと自覚したのはけっこう最近だ。
私は、確かに沙野香と二人で同じように育てられたから、食事も着替えもなにも、全裸同士だって平気、だった。過去形だ。
ある日、気付いた。わからないくらいある日に。
沙野香とお風呂に入ることになって、沙野香の裸を見て、細い腕とか、腰とか、む、胸の膨らみとか、そういうのに目が行くようになってる自分に。
その自分を自覚したらもうダメだった。一緒にお風呂はそれ以来NGである。
「お、おかしいと思ったんだよね!」
声をひっくり返しながら、ようやく我に返って私を指さす沙野香。
「いつも響子はツートンカラーな感じの服しか着ないじゃん? でも今日はなんかワンピースだし、かわいいチェックだし」
「そうですよ。私はどうせモノトーン女ですよ」
「いや、シックな感じで大人だなと思ってたんだけどさ……」
「別に褒めなくてもいい」
「きょ、今日のはかわいいって言おうとしたのに……」
「ほんと!?」
「わあ! 麦茶こぼれる!」
身を乗り出す私に、テーブルがガタガタ揺れる。
「響子?」
「なに?」
私はよいしょと姿勢を戻し、麦茶を一口。
沙野香は小声で尋ねてくる。
「ほんとに、……ほんきなの?」
「二年くらい前から、お風呂一緒に入ってないじゃん?」
「うん、入ってないねぇ……って、えええ! そんなに前から!?」
「そうだよ、わるいか」
ふん、と息を吐くと、再び小声が聞いてくる。
「あのー、それは、なんていうか……ぷ、ぷらとにっく、的な、青春にはありがちなものなのでは……ない?」
「ない」
「返事が早い!」
なんだよ、肉欲にまみれてたっていいじゃないか。汚れなきものなんて、私は最初から持ってないし、だからそんなにきれいなものはあげられない。そう言うと、沙野香は手をわにわにしたり、左右を見たりして、
「そ、そうか、そうなんだね、うわあ、うわあ、どうしよう、どうしよう?」
「告白した相手に聞かないこと」
「う、うん……」
沙野香はもう一度手を足の間に挟んでもじもじした後、
「あのね、あのね、すごく、――うれしい」
「え!?」
あり得ない返事が来た。私は再びテーブルに乗り出す。
「う、うそ言うな! こんな、肉欲とかいきなり言い出す女のどこが……」
「響子はそういうとき、嘘つかないじゃん。私には思ってるほんとのこと言うでしょ。そういうところ、好きだよ?」
沙野香はそう言うと、一度だけ小さく「ごめん」と言った。
「私、今すごい浮かれてる。あのね、私にとって、響子は憧れなんだ。大好きなんだよ。お風呂入る時に、胸ばっかり見ちゃうくらいには、好きなんだよ」
あんたも見てたのか!
「そりゃ、見るよ……見るけど……でもそういうのってどうしたらいいかわかんないじゃん? で、後から知識で知るわけじゃん、女の子のことが好きな女の子って」
でもさ、と沙野香は続ける。私のことを、そっとハグして。
「好きなのが先なんだもん。他人がそれに名前をつけるだけ。そんなのどうだっていい。これからも、響子と一緒に居たいから、私だって勉強頑張りたいし、だけど響子の将来も同じくらい大事だと思うの、私で縛ってしまわないようにって」
「沙野香……」
「えへ、えへへ……ちゃんと伝わった?」
沙野香のいつもの笑顔に、私も笑顔で応える。
「もちろん、もちろん伝わってるよ!」
最初にして 最後の楽園、理想郷。
アルカディア、エデン、黄金郷、そういったもの。
それはここだ。
沙野香の腕の中だ。
この腕の中でなら、これから一番近くで守ってあげる。
馬鹿にされてもいい、だけど、いまは絶対本当なんだ。
手を繋いだ私たちは、お互いを見たり、視線を外したり、一瞬手を引っ張ったり、それを強く握り返したりして。
そして、ただ、目を閉じてそっとキスを交わした。
扇風機が二人の肌の汗を冷やしていく。
そっと目を開けたら、薄目の半端な顔の沙野香が見えて、思わず吹き出しそうになる前に、私は微笑んでいた。
愛しいという意味を指でなぞるようだったひとりの恋は、こうして、次の意味をふたりで考えるのだ。
私は知っている。毎晩いくつも流れる星や流星群のことを。
だから願おう。昼の空にも流れる星に。
一瞬でも長く、彼女を愛せますように。
昼に降る星 篠岡遼佳 @haruyoshi_shinooka
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