頭を抱える彼女

七条ミル

図書館にて

 僕はいつものように図書館に入った。カウンターの前を通って、ほぼ毎日会う司書の方に軽く会釈。そして鞄に入っていた本の返却手続き。

 もはや日課となった図書館通い、あまりお金がないので新刊は買えないのだが、図書館にはかなり沢山の本が置いてある。どうしてもほしい新刊があるとき以外は図書館を使うようにしている。書店に寄ると、とうしても本が欲しくなってしまい散財してしまうので、極力書店には寄らない。書店員さん、ごめんなさい。

 日本文学の棚の間にはいって背表紙に書かれたタイトルを追い、そこからめぼしい本を見つけだす。毎日やっているのに、どうしてこうも面白そうな本は減らないのだろうか。

 借りていた本も元に戻し、面白そうな本も手にとってから、僕はその本を借りるべく、エントランスに戻る。

 ここの図書館のエントランスには、いくつかテーブルと椅子が設置されており、勉強などができるようになっている。

 ただ、定期テストがあるわけでもなく、かといって受験シーズンでもない今、そのテーブルを使う人など、休憩するひとくらいのものだろう。

 などと思いながら本棚から抜けると、そこには頭を抱えて前につんのめった女性がいた。いや、比喩じゃなくて、普通に抱えている。普通に頭を抱えて、前につんのめっている。物理的に。

 あんまり気になるので暫く本棚の影からのぞいていたのだが、その女性はふっと顔を起こすと、そのままこちらに走ってきた。

 僕はちょうど曲がってすぐのところにいた。

 つまり何が言いたいかと言うと、思いっきり正面衝突した。

「イタタタタ……。」

僕より身長が低いのか、女性の額が僕の鎖骨あたりに。鎖骨って一番折れやすい骨だったと思うんだが、折れてないよな……?

 一応触ってみたが、どうやら折れてないようである。

 目の前を見ると綺麗に尻餅をついた女性がちょこんと。白いTシャツの上にパーカーを前をあけて羽織っていて、黒い七分丈のズボンを履いている。靴はどこの靴屋にも売っていそうなスニーカー。ヒールを履いていたらおそらく僕は顔面で衝突していただろう。鼻の骨が折れていたかもしれん。

「大丈夫ですか?」

とりあえず、声をかけてみる。声かけ、大切。

「すいませんッ! 私は大丈夫ですけど、あなたは大丈夫ですか!?」

かなりな早口で捲くし立てるように。さっきの悩み(?)方からして、かなりせっかちなのだろう。少し関西訛りで、声は高めだが丸っこい。聞きやすい声をしている。

 少し話しをしたあと、僕はいつの間にか床に落ちていた本を拾ってカウンターのほうへ歩く。カウンターで本の貸し出し手続きをしてもらい、本日の図書館は終了。


 その翌日である。一冊読み終わったのでそれを返しに図書館を訪れた。カウンターで返却をして、その本を本棚に戻そうと本棚のある方向へ向かうと、案の定と言うべきだろうか、昨日の女性がいた。今日も頭を抱えてのめっている。なんなんだろう。

「昨日はすいませんでした。」

とりあえず声をかけてみることにした。

「ああ!私が走ったりしなければええ話でしたから!気にしないでください!」

昨日よりも少し訛りの強くなったしゃべりで女性は返してきた。僕は別に怪我していないし、そんなに気にしていないのだが、僕が心配なのは、この女性のほうが怪我をしていないかだ。

 話を聞いた限りでは、どうやら大丈夫らしい。一安心。

 さりげなく横に座り少し話をしてみる。

 ちなみに僕に彼女はいない。別に他意はない。

 この女性は僕と同じ学年で、別の大学に通っているらしい。

 なんだかんだ雑談をしていると、この人はどうやら留年しそうで悩んでいるらしいと話してくれた。

 ふとポケットからスマートフォンを出して時刻を確認すると、そろそろ帰らねばならない時間だった。

 女性に帰る旨を伝え、いまだ手の中にあった本を棚に戻して図書館をあとにした。


 どうでもいいのだが、僕も単位が危ない。出席日数はたぶん大丈夫だが、単位を落としそうでやばい。そろそろ、読書量を減らしたほうがいいのかなど考えつつも、ついつい図書館へ入ってしまう。

 昨日、一昨日とあの女性は居たから、今日も居るかもしれない、と淡い期待を抱きつつも、歩く。

 いつものテーブルを見やったが、そこに女性の姿はなかった。居ないものは仕方がないので、適当に本を探し出そうと本棚の間に入ると、足元に小さな塊が。

 避ける暇もなく蹴ってしまい僕はそのまま前に転んでしまった。

 なぜ僕はこうもこの図書館で何かにぶつかったりするのだろうか。この短い期間の中でこれはそうとうな確率なのでは。

 そういう思考もいいのだが、僕は何に躓いたのだろう。後ろを見ると、見慣れた女性が背中に手を添えて這い蹲っていた。

「ああっ! ごめんなさい!」

僕がそういうと、彼女はゆっくりと起き上がり、

「いえいえ、私がこんなところで変な格好しとったから……。全然大丈夫ですから。」

関西訛りが何故かまた強くなったこの女性は、全然大丈夫ではなさそうなゆっくりとした動きで歩き始めた。

 しかし、どうも腰が痛い様子で、すぐにまた倒れこんでしまった。

「ああっ! ちょっと! 全然大丈夫じゃないじゃないですか!」

僕は彼女の腰に手をそえて、いつもの場所に女性を座らせた。

 僕がもっと注意をして歩いていればこんなことにはならなかったのだ。これは、僕の非だろう。

 やっぱり、僕はダメな人間なんだろう。小学校のテストですら満点を取るのが難しく、中学のテストは下のほう。受験勉強をがんばってなんとか大学にいける高校に進学したが、一浪でようやく大学に合格。大学でも単位を落としそうになって尚読書に勤しむ。ハハ、なんだこれ。

 こういうことをさらりと考えてしまうのは僕の悪い癖だが、これがどうなるというわけでもないので、頭の悪い自分とひたすら付き合うしかないのだろう。

 女性に目を向けると、腰に手を添えて、テーブルに突っ伏していた。バッグの中を探すと腰痛に効きそうな塗り薬、液体状の、キン○ンみたいな奴があったので、それをためしに手渡してみる。

「あんまり痛かったら、これ、使ってください。」

女性は受けとって少し見てから、

「ありがとうございます。」

と言ってトイレの方向へ歩いていった。それを塗りに行ったのか、単に用を足しに行っただけなのかは分からないが、暫く本を読んで待つことにした。

 なんというか、暑い。空調が効いているはずの図書館の中でさえ暑い。尋常じゃなく暑い。本を読んで待つことにしたがこれでは到底普通に本など読めない。

 要は普通じゃなければいい。鞄の中から扇子を取り出して広げ、片手で仰ぎながらもう片方の手で本を持ち読書。完璧じゃないか。

 そんななんとも無意味な両手持ちの読書を暫くしていると、例の女性は帰ってきた。どうやら、なんとなく効果があったらしい。先ほどよりも歩き方が綺麗になっている。いや、時間が経ったからだろうか。

 なんにしても、少しでもよくなったのなら良かった。

「いやあ、案外効くもんですね、こういう薬も。」

「そうですね。結構効くんでよく買ってるんですよ。」

この塗り薬は昔にスポーツジムか何かのトレーナーをやっている友人に

――最近腰痛ひどくってさ、なんかいい薬ない?

とたずねたら即答されて買ったものである。

「もうすこし、お話、どうですか? なんなら今からカフェにでも…。」

 そして僕の心拍数は極限まで上昇するのである。

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