第82話顎門に消えた女神と海底の神々

 クリスは佳大を突き飛ばすが、びくともしない。

佳大の身体を迂回して、エリシアの元に翔け飛ぶ。

ペーガソスと長槍は節くれた鬼の手で握りつぶされた瞬間、数万年の年月が一瞬で流れたように風化してしまった。

武器を失ったエリシアは黄金の輝きを身体からジェットのように噴射しつつ、少年に迫る。

二人が打ち合う寸前、クリスの身体から黄金の毛が爆発するように広がり、金色の巨大狼が出現した。


 エリシアの貫手が狼の皮膚を裂き、筋肉を穿つ。

同時に夏の草原のように生い茂る体毛が刃となり、女神が突き込んだ右腕の肘から先を、シュレッダーのように斬り刻んだ。

歯を食いしばって声を抑えた彼女は、前脚で打たれるも、左腕の円盾で防ぐ。回転しながら吹き飛ぶ彼女はすぐに体勢を立て直し、先程まで自分がいた座標に目を向ける。


 目の前にかぁっと口を開いた黄金狼の牙があった。

クリスは戦女神の頭部を口腔に捉え、兜ごと、その肉体を咀嚼する。

首を噛み千切られるも、エリシアの肉体は動きを止めず、クリスの脇腹を殴りつけた。

舌の上で首が暴れているのが分かるが、その痛みにいちいちリアクションを取る彼ではない。

エリシアの抵抗が止んだ頃、音を立てて彼女の頭部を飲み下したクリスは、後ろに控えていた佳大に詰め寄った。


「なんで邪魔したんだよ…!ヨシヒロォ!」


 黄金狼は雹と雪をまき散らし、その中に姿を消した。

空中で静止する佳大を冷気が包み込み、まもなく空間そのものが音を立てて凍り付き始める。

以前、左足を喰われた戦いの時のような、壁の中に埋め込まれたような重圧が佳大を捕らえた。


「僕は、あんな、女に殺、されないのに!殺されない!」


 クリスは巨大な前脚で、佳大をサンドバックを叩くように殴り続ける。

エリシアに向けて振るうような遠慮のない連打に、柿色の皮膚が徐々に赤味掛かっていく。

胸板から血が噴き出す頃、佳大は大喝一声、佳大はクリスの万象凍結を引きちぎり、黄金狼を右アッパーで打ち上げた。

唸る拳はクリスを教会堂の中に放り込む。


 佳大がそれを追って内部に入ると、クリスは唐突に変身を解いた。

憤怒に顔をゆがめていると思っていたが、少年の思いのほか静かな表情をしている。

変身する前とは違い、衣服こそ破れているが、負傷は無い――佳大のパワーと自覚無しの無意識下の指示により、傷が癒えたのである。


「最後の最後のケチがついちゃった…嫌になるなぁ」

「悪いとは思ったが、心配だったんでな。悪い悪い」

「ふん、いいよもう。けど、今回の事は忘れないからね」


 クリスは呆れた様子で、教会堂の入口に向かって歩く。

機嫌を損ねてしまった佳大だが、さほど事態を深刻に捉えてはいない。

自分もクリスも、五体満足でこの場を切り抜ける事が出来たのだから、結果オーライだ。

後々、あの少年が殺しに来るかもしれないが、ロムードを始末するまでは倒される気はない。また、彼を殺す事なく場を収めて見せよう。



 光差さぬ海底に、建造物の群れが沈んでいる。

門柱を備えた門、滑らかに切り出されたテラス、ドーム型屋根を戴く列柱――起伏のある丘陵に造られた都市だ。

南の関から都市の中央を貫く大通りを進むと、アーチ型の扉を閉ざした双子の塔に行き当たる。隣には寄棟屋根の館。

そのいずれもが大きく、この都市を利用するなら、常人の2~3倍の体躯が無ければ不自由するだろう。


「エリシアがやられたらしいな。ここもヤバいか」


 主人の間で、ロムードは1組の男女と話していた。

左に向かって流した前髪と無精髭が特徴の壮年男性は、ポセイドン=マーリド。

金属的な光沢を放つ銀髪を団子状にまとめてた女はアムピトリーテ―=コレット、彼女は口を開く事なく聞き役に徹している。


「ひょっとして私を差し出す気?」

「此処を嗅ぎつけるならな。こっちもコレットさんとオーバンを危険に晒してまでお前をかばう気はないんだ。変な期待は捨てて、作戦でも考えときな」


 両者の間に気まずい沈黙が流れる。

耐えかねたロムードは部屋を出ていく。エリシアに避難を強く勧められた際に、自身の宝物は持ち出した。

これで勝てるだろうか?不安を拭えないまま、ロムードは佳大のイース脱出を待つ。


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