第26話戦女神エリシアの分体、人鬼の前に降り立つ(2)

「ありがたい、無傷で返してくれるのですね」

「!!?」


 佳大はエリシアを追って、グラウンドを囲う屋根の向こうに跳ぶ。

外にあったはずの家並みは消え、周囲は見渡す限りの平原に変化していた。

戦女神が指を遂と動かすと、長槍が主の手の中に戻る。壊しておけばよかったが、今更後悔しても遅い。


「チッ…」


 舌打ちと同時に人鬼の姿が大きくなる、

柄の端を持ってなお、穂先が届かないほどの間合いが、瞬時に縮まったのだ。腕を伸ばせば、お互いの髪が掴める。

膝を跳ね上げるが、肉を打った感触はない。回避されたのだ。佳大は後退すると同時に、置き土産のように前蹴りを見舞う。

右膝の皿が砕け、流血。


 エリシアの顔が苦痛に歪むが、彼女は右膝を無視。

昼の光の下、彼女は目の前の敵に、内心息を呑んでいた。動きの鋭さが増している。

傷を負った事もあるのだろう――佳大の方が深手だが――、お互いの傷が癒える気配は無い。

戦争に関する知恵、勝利、審判を司る彼女は、一撃必殺の武装を持っていない。また、戦士に勝利と生存を約束する彼女の権能は、この異邦人に対しては通らないようだ。


 また彼につけた傷からも、依然として血が流れ続けていた。

癒えたのではなく、筋肉の動きで塞いだだけらしい。動かす度に気が逸れるのか、赤い飛沫がその身体から舞う。

凄惨な笑みを浮かべる柿色の鬼は犯罪者のようである一方、無心で遊ぶ少年を想起させた。


(とんでもない人間を招き入れましたね、ロムード)


 エリシアの猛攻を凌ぎつつ、佳大も果敢に攻め手を繰り出す。

穂先はもはや必中とはならず、3度槍を奔らせても、捉えられるのは1度。時にはそれを下回る。

動きが鋭くなっているのだ。肉体の性能…、佳大の知覚力が鬼の形態に順応しつつある。

眉間と心臓に槍を奔らせる、これはフェイント。本命は右肩への斬り下ろし。利き腕らしい右腕を切断する。


 エリシアはその瞬間、頭が真っ白になった。

人鬼が半身ずらして槍の振り下ろしを避け、こちらの懐に入っている。

上半身が回転し、フックが戦乙女に刺さり、しなやかな身体が吹き飛ぶ。


 追撃するべく、身体を沈めた佳大を冷気が貫く。

氷点下の烈風が彼とエリシアを呑み込み、挟み込むように巨大な氷柱が走る。

渦巻く寒さは無数の雹と共に現れ、人鬼と戦乙女を貫いていく。身体を傾がせた彼の頭上を、金色の流星が通り過ぎた。


「ハハハっ…、ウハハハハ――!!」


 爆笑する巨大な黄金の狼。

爆撃のような轟音と突風をまき散らし、戦乙女に噛みつくと、変身したクリスは顎に容赦なく力を入れる。

軍馬を噛み砕く噛みつきだが、エリシアも分体とはいえ神格。上顎に槍を突き刺す。


 痛い。こんなに痛いのは初めてだ。

クリスは2人が訓練場から去るまで、身動きが取れなかった。

エリシアが発した圧に屈し、変化した佳大が巨躯の女戦士と戦うさまを、黙って見ているしかできなかった。


 目の前で繰り広げられる戦舞に心躍りながら、ただ見ている事しかできない。

自分も参加しよう、と思考に上がったのは、2人が去ってから。自由を取り戻した瞬間、クリスはロケットスタートで吶喊した。


 黄金狼は飽きるまで走ると地に伏せ、戦乙女の頭と足に前脚をあてる。

彼の疾走に銀白の世界が同行し、果てしない草原に雪化粧を施す。クリスは胴体を千切らんと、首を持ち上げる。

槍は相変わらず刺さったまま、それどころかエリシアの意思を汲み、左右に揺れて傷を広げるがどうでもいい。


(なんですか、この力は!?)


 呼吸するだけで分体の内奥まで凍り付かせる冷気。

それだけではない。エリシアは石に埋め込まれたような重圧が、身体を覆っていくのを感じていた。

このままここに留まるのは不味い。戦乙女は悔しさを押し殺し、降りた時同様、唐突に姿を消す。

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