第4話金色の氷狼
夜、一人の少年が獣人の村――ベヒモット村を疾走していた。
剥きたての卵の様な白い肌に黄金の髪、猫の様に大きな瞳に高い鼻、薄い唇に細い顎は天使のようだ。
風のように駆ける彼は両手を血に染め、四方から群がる村民を斬り刻んでいく。
6つの集落から成る村の長である父が死に、最近代替わりした。不義の子であったクリストフ・ベヒモットは血が濃いながら、道義上の観点などから、相続権を持っていない。
後継者を指名する前に、父が死んでしまったので。
クリストフも、村長なんぞに興味はない。
酒宴に呼び出され、注がれた杯に毒が盛られなければ、これまでどおり暮らしていただろう。
銀の矢が雨のように降り注ぐが、黄金の四肢を持つ彼を射抜くことは無い。村長屋敷の敷地から走り去ったクリストフを追って、村民が門から出ていく。
「悲しいなァ。近所の住人だっていうのに、なんで寄ってたかって殺そうとするわけぇ?」
少年の身体が、黄金の毛に飲み込まれる。
巨大な毛の塊は、一匹の狼に変化した。馬車のように大きく、軽く4人は背中に乗れるだろう。
黄金狼は砲弾と化し、武装した村人を轢き殺していく。獣人の村といえど、血は随分と薄くなった。
完全な獣に変化できる者は、もう半分もいないのではないか?
クリストフは踵を返し、村を南北に分断するヨナ川の河原に到着。
瞬間、清流が白く凍り付いた。別種族の母から受け継いだ、冷気操作能力である。
周囲200mに雹の嵐が吹き荒れた。凍った空気を吸った村民を、立ち並ぶ家屋を、馬ほど大きな氷礫が潰していく。
それを見た村人たちは唖然となり、それぞれ武器を構え、あるいは猛獣の衣装を持つ怪人に変身して襲い掛かる。
「ほらどうしたの!僕を殺すなら、これくらいで止まってちゃあ、駄目だよ」
その程度の覚悟で、自分に武器を向けたのか?
主犯と思われる正妻は、酒宴の席で腸を晒している事だろう。
たしか、新しい村長はいの一番に逃げ出したはず、彼が指揮しているのだろうか?
「ま、君らの事情なんてどうでもいいんだけどさ」
若い男の胴をかみ砕き、クリストフは臓腑の温かさに酔いしれる。
未消化の食事、舌を刺す汚物の味すら、彼にとっては甘露に等しい。骨の砕ける音が、少年の耳を楽しませる。
クリストフは暴力に歓喜する。村道で馬賊を迎え撃った時には、はしたなく失禁してしまったほどだ。
「あぁ、ひどいなぁ」
毒が回ってきたらしい。
僕はまだまだ殺せるのに、身体が言う事を聞いてくれない。
この殺意と愉悦を満たさずに死ぬわけにはいかないから、クリストフは隠れて時間を稼ぐことにした。
「僕は死なないんだよ!不死身なんだから!僕は永遠なんだ!」
黄金の影が揺らめき、集落を踏みつぶして姿を消した。
当てもなく走り続け、やってきたのは寂れた廃村。そこに唯一存在した生き物の気配を捕らえるや否や、クリストフは屋根を破り、右足を寝こけていた男に叩きつけた。
佳大が目を覚ましたのは、現代ならまだ起きている時刻。
日没とともに眠りについたとはいえ、まだ寝ていたいが、状況が許してくれないらしい。
頭が重く、寝汗をかいたのか、衣服が身体に纏わりついてくる。
(疲れてるのに…)
毛布が裂け、爪が衣服を切るも、皮膚に刺さらない。
身体が土間に沈むが、致命傷を負っているのではない。地面より頑丈な身体を持っているのだと、クリストフは直感で悟った。
「アハハ、遅い遅い!けど頑丈だねぇ」
佳大は近づく金色の影に拳を繰り出すが、目で追える速度ではない。
腕を伸ばしきる前に、金色の巨大なものは、間合いの外に出ている。佳大は前脚で殴られ、体当たりで弾き飛ばされるうち、襲撃者が動物らしいことを知った。
金色の狼は外に転がり出た佳大を引き倒し、上下の顎で挟み込む。佳大は圧迫感と恐怖に耐えかね、牙の一本を掴むと力任せに千切った。
クリストフは痛みに驚き、佳大を放り捨てると、愉快気に言う。
「あははっ。痛いなぁ。君くらい、頑丈な奴は初めて見た」
佳大は、この時に初めて相手の姿を詳らかに見た。
巨大な黄金の狼。恐ろしいと思いつつ、死ぬまでに仕返ししなければと佳大は考える。
巨獣は口から血を流しながら、涼しげな高音で笑った。見かけからは判断がつかないが、女性あるいは少年なのか。
立ち上がった佳大の体には、牙がつけた穴が幾つも開いている。
衣服には血が滲んでいるが、既に痛みは引いているらしい。クリスの前で、黒髪の青年は力強く、脚を肩幅程度に開く
「君なら僕が果てるまで付き合えそうだ、行くよ!」
佳大の視界が、銀白で覆われる。
身を切るような寒さに包み込まれ、皮膚や髪に雪が張り付き、氷礫が浴びせられる。
寒い、と感じた直後、肌の痛みが和らぎ、筋肉が軽くなった。佳大の皮膚が柿色に染まっていたが、この時点では気付いていない。
体感では軽くなったが、実のところ骨や筋肉の密度は、異世界転移前の倍以上に増えていた。
「僕を殺す気なんだね!殺せると思ってるんだ!アハハハ――!」
佳大の踏み込みで、地面が爆ぜる。
岩石のような握りこぶしで、黄金狼の顎が裂ける。直前で身を引いたからか、骨にまでは達していない。
クリストフは稲妻のように周囲を飛び回ってから、弾丸の如き速度で体当たりを見舞う。背中を左側から衝突された佳大は、軽い老人のように宙に舞った。
クリストフは佳大に追撃を加えるべく足を踏みしめるが、崩れるように沈む。
黄金の体毛が縮んだ。拳を振り上げた佳大の前に、中から麗しい少年が姿を現した。華奢な体躯をしており、顔立ち相まって、女のようだ。
崩れるように横たわった彼は罪悪感を滲ませた笑みを、異形と化した佳大に向ける。
「あぁ、そういえば毒を飲んだんだった。ごめん、ちょっとしたら回復するだろうから、待っててくれる?」
「何言ってんだお前?」
立ち上がった佳大は少年の側まで歩み寄ると、屈んで髪を掴み、顔を持ち上げる。
いきなり襲ってきて、自分の都合で休憩など、納得すると思っているのか?存分に痛めつけてやろう。
このとき、自分の腕に気づいた。前腕には逞しい筋肉が浮かび上がり、指には鋭い爪。さらに皮膚はオレンジに近い朱色に染まっている。
「焦らなくても最後まで付き合うからさぁ、ちょっと休憩にしようよ。お預け喰らわせるみたいで申し訳ないけど」
クリストフは気を悪くした風でもなく、顔に歓喜を浮かべて佳大と見つめ合う。
虐めてやるか、と腕を上げた瞬間、彼の耳に何かが空を裂く音が飛び込んできた。
彼は反射的にクリストフの背中に腕を回して拾いあげると、地を蹴って向かいの家に飛び込む。
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