第11話 昔の話

 金山にいたマルクンは、ジグハが金の横領と公主の命を狙ったかどで捕らえられたことを知ると大慌てで逃げ出そうとしたという。マルクンの率いた兵に紛れていたルイグンの側近に捕らえられ、粛々と王宮まで護送されてきた。香詠の書簡を持った使者は既に発ち、とっくに都に着いたであろうが、梁克嶺もそれを連れ戻しに来た一団も城内の邸に留め置いている。ジグハは牢の中だ。さて、とルイグンは考えこむ。

 ジグハとマルクンには罰を与えなければいけない。梁克嶺と帝国の兵士、役人にはお帰り願いたい。しかし、どれも角を立てずに行わなければならない。特に帝国の役人はこの地に支配をしくためにやってきたのであるからそう簡単には帰らないだろう。役人たちを帰すというだけで帝国への反逆ととらえられかねない。表向き対等な関係であるとはいえ、帝国側の内心がそうではないのは明らかだ。

 そう考えると、香詠が帝国に……さらにいえば皇帝に直接のつながりを持っていることはあまりにも大きな力に思えた。帝国からすればまだ香詠は帝国側の人間なのだ。ルイグンが発する国書よりも香詠の親書のほうが説得力があるだろう。ルイグンは自嘲の笑みを浮かべる。すっかり香詠の手の内だ。

 執務室でじっと思案を続けていると、そっと侍従に呼びかけられた。顔をあげると、見覚えのある職人を数人連れている。香詠が連れてきた職人だ。あまり面白くはないが、入るように勧める。

「……香詠の弁護をしに来たのか」

 静かにひざまずいた職人にそう言葉をかけると、最前に膝をついた職人は小さく首を横に振った。

「あの日のことを申し上げたい。それを聞いて公主様をどうするかは、王様しだいです」

 ルイグンは息をのむ。あの日とは、香詠が供の役人を眠らせて陣に火を放ち、焼き殺した日のことか。姿勢を正し、目を細めて職人の様子をうかがう。

「聞こう。しかし、なぜ今になってその話をしようというのだ」

「……俺たちしか知らない公主様の姿を王様にお伝えしないまま、おふたりが心を隔てられてしまっては寝覚めが悪い」

 職人は無感動にぼそぼそと喋る。ルイグンは注意深くその表情を観察しながら続きを促した。


 自分たちが香詠に選ばれ、利益を与えられている存在であることは承知の上だが、と職人は前置きする。

「それでも多くの工房は軌道に乗ってきた。王様がこのまま公主様を遠ざけられていても、俺たちの仕事は変わりない。もし帝国に帰れと言われれば従うが、帰ったところで公主様の秘密は明かせない。……それほどに、あの日の公主様は痛ましかった」

 話は、香詠が自ら宮廷のみならず城下をもめぐり職人を求めたころにさかのぼる。香詠が求めた職人の条件は、確かな腕はもちろん、口が固いこと、そして何より現状に不満を持っていることだった。不遇をかこつ職人たちのもとに現れた香詠は公主とは思えぬ粗末な身なりで、供には狼をひとりかふたり連れているだけだった。香詠ははじめ身分を明かさず、じっくりひとりひとりと話をした。実直ゆえに成功から遠い職人たちはしだいに誠実な香詠に心を開き、不満をこぼす。上に取り入るのがうまい者ばかり取り立てられ、どんなに腕を磨いても日々の暮らしは苦しい。香詠は真摯に話を聞き、最後にそっと一筆残して「その時が来たら、これを持って宮廷にいらしてください」と去る。やがて職人を募るお触れが出て、半信半疑で香詠の残した紙切れを持っていくとあれよあれよと役人に旅装を整えさせられ、狼の国に向けて旅立つこととなった。

 華々しい行列に加わりながら、職人たちは香詠の真意がわからずにいた。わざわざ城下まで足を伸ばさなくとも、宮廷にいくらでも御用職人がいたはずだ。それを問うこともできるはずがなく、このまま狼の国に行くのだと思っていたが、国境が近づいたあるとき、職人たちを集めた野営の天幕にそっと香詠が現れた。

「公主様……!?」

「静かに……。皆さん、明日宴を開きますが、決して酒に口をつけてはいけませんよ」

「ど、どういうことです?」

 香詠は頼りない灯火を手に、泣き出しそうに笑う。

「あなたたちだけに、生きていてほしいからです」

 ……そして、宴の後、眠り込んだ兵士や役人たちを呆然と眺める職人たちの前に、香詠は油の壺を引きずって現れた。

「公主様……」

 思わず伸ばしかけた手を香詠は振り払い、険しい表情で首を振った。

「あなたたちは何も見なかったことになさい。これはわたくしの罪です」

 たおやかな手を土とこぼれた油で汚しながら油を撒いた香詠は、離れているように職人たちに告げ、松明を投げる。勢いよく燃え上がる天幕を少しの間だけ見つめていたが、すぐに背を向けた。

「財宝のたぐいは離れたところにまとめさせています。急ぎましょう」

 炎を背にした香詠の表情は暗くうかがいがたかったが、その頰を光るものがひと筋、滑っていったように見えた。


 いったん話が途切れ、渋面のルイグンが口を開こうとしたのを、職人が片手をあげて押しとどめる。

「まだ続きがあります。……俺たちだけが残り、公主様に直接、なぜこんなことをしたのか尋ねることができました。職人の中にも言いつけを破って酒を飲み、もろともに火に巻かれた者もいた。きちんと理由を話してくれなければ、みな怯えたままだと申し上げると、公主様は俺たちを集めて身の上を話してくれた」

 香詠が語るには、普通後宮の外に自らの邸を構える公主の身でありながら後宮の片隅に暮らしていたのも、また香詠の母が頻繁に尼寺へ療養に行っていたのも、祖父の虐待が原因であるという。

 産まれたばかりのころ、香詠にも他の公主と同じように多くの財産が与えられ、賀家の邸も賑わった。しかし香詠が長じるに従い寵愛は衰え、財産は底をつく。焦った祖父はどんな手を使っても寵愛を奪い返せと娘に強い、香詠には持てる限りの学問を詰め込もうとし、逆らえば繰り返し体罰を加えた。さらには公主に支給される財産をかすめとり、ほうぼうに賄賂をばらまいて回るようになった。ろくに食事も与えられずやせ細った香詠の手を引き、後宮に保護を願ったのが、あの黄翁なのだという。

 後宮は男子禁制であり、祖父といえども男の身のまま入ることはできない。ひとまず身の危険からは逃れたが、祖父も宮廷に深く関わる身でもあり、また香詠には頼る者もないとあって、支給される財産はいつもどこかで誰かに奪われて少なかった。皇帝に訴えようにも、他の公主や妃嬪に「陛下の気を引こうとしている」と思われてはいよいよ命が危うい。ただ後宮の片隅で息をひそめ、祖父が後宮に送り込んだ女学者に従い、機嫌を損ねないよう学問に励む。それは繰り返し体に刻まれた飢えと痛みが香詠を操るのだった。……そして、その日、香詠の宮は火に包まれる。他の宮に身を寄せた香詠は、かつて自分の宮だった場所に皇帝の命で水郷風の庭園が造営され、そこで皇帝がお気に入りの妃と遊ぶのを言葉もなく見ているしかなかった。


 語り終えた職人は深くため息をつき、これで終わりです、と言うようにやっと視線をあげた。その朴訥なまなざしを受け止め、ルイグンもまた言葉を失っていた。職人は片頬を歪めて笑う。

「公主様の作り話と思われても結構。伝え聞きでしかないのですから、信じられなくとも仕方がない。ですが帝国には後宮の火事についても、その焼け跡に庭園が造営されたことも記録に残っています。特に機密でもないから、調べればすぐにわかるでしょう」

 職人はルイグンをひたと見据え、はっきりと声をあげた。

「公主様がこのことを自ら語らなかったのは、このつらい記憶をお涙頂戴の作り話ではないかと疑われることを恐れたからではないかと、俺は考えています。ですから俺から申し上げた。王様は疑ってくださって結構です。しかし、帝国の役人どもがただ留め置かれることに我慢の限界を迎えるのもそう遠い話ではない。時間はあまりないかと思いますが」

 うろたえてはならない、焦ってはならない、とルイグンは己に言い聞かせ、深呼吸をする。話の壮絶さに情を流されても、期限を切られて焦っても、判断を間違うだろう。

「……わかった。ひとまず仕事に戻ってくれ。香詠とはもう一度話をする」

 そう言って職人たちを下がらせ、まずは香詠とあの職人たちが接触した形跡がないか調べさせた。香詠は自室にこもっており、監視もつけているが、あの日ルイグンの前から下がらせて以来誰とも口をきいていないという。もちろん職人が香詠のもとを訪れた形跡もない。それどころか食事もあまり進んでいないと聞いて、ルイグンはしばし思案した。

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