第9話 帝国の威光

 帝国の威光を誇示するかのような壮重な行列を組み、役人と兵士たちが城下にたどりつく。ジグハが胸を張って迎えると、役人の代表が慇懃に礼をして問うた。

「出迎え感謝いたします。あなたが王か? ……銀狼王、と聞いているが、毛色が少し……」

 ジグハは落ち着き払って礼を返す。

「王は多忙ゆえ、王叔ジグハがお出迎えいたしました」

 役人は眉をひそめ、咳払いをする。

「ふむ。……まあ、いいでしょう。我々は公主の補佐に遣わされ、また単独で侵入した梁将軍を連れ帰るために参りました。今は王にお目通りがかなわなくとも、公主のもとにご案内願いたい」

 ジグハは柔らかく笑みながら一団を導くように片手を広げた。

「そう焦ることはないでしょう。邸をご用意しましたから、まずは長旅の疲れを癒していただきたい」

 兵士のひとりが焦れたように進み出て凄む。

「何を企んでいるか知らぬが、王も公主も現れぬなどとそんな無礼があるものか。我々は帝国の代表としてここにいるのだぞ」

「存じております。我々も狼の代表として恥じることのないもてなしをするつもりです」

「ならば公主を出せ!」

 語気を強めた兵士をひたと見据え、ジグハは低い声で言い切る。

「公主様はあくまで王妃。我々の代表ではございません」

 長身のジグハに睨まれてひるんだ兵士を後ろに追いやり、役人が出てその場を収めようとする。

「まあ、ここで睨み合っていても仕方がないでしょう。ご厚意に甘え、ひと休みさせていただこう。……もちろん公主にはすぐにご挨拶できるのでしょうな?」

「ええ、もちろん」

 にこやかにうなずいたジグハの後に一団がぞろぞろと続き、城内の広い邸に案内されていった。


 いまだ意識を取り戻さないルイグンの枕元にじっと座り、香詠はその大きな手にすがるように両手でしっかりと握りしめていた。ジグハが部屋の戸口に寄りかかって声をかける。

「公主様、さすがに顔を出してもらわないと困るんだけどねえ」

「ええ。……すぐに参ります」

 振り返りもしない香詠に、ジグハはため息をつく。

「すぐにご対面して、どうするって言うのかな? ルイグン様は目覚めない、梁将軍は帰せない、役人を受け入れるつもりもない。あなたの立場はわかったけれど、まるで八方塞がりに見えるんだがねえ」

 まあ、僕が言うのもおかしいか……と自嘲ぎみに笑うジグハの前で、香詠は静かにルイグンの手を推し戴いて額をつける。どこか神々しい光景を目にして、ジグハは口をつぐんだ。

 香詠はそっとルイグンの手から震える手を離し、袖を払って立ち上がる。

「……わたくしは、己に……いいえ、ルイグン様に恥じぬ行動をするだけです」

 静かに戸口まで歩み、ジグハを見上げて微笑む。ジグハは気まずそうに目を背けた。

「そこは疑っちゃいないけどね。……どういう結果になるか、わからないのが不安なのさ」


 色とりどりの布をかけ、または敷きつめた不思議と居心地のいい石造りの部屋で、梁克嶺はじっと椅子に腰掛けていた。部屋には窓もあって明るく、毎日温かい食事が運ばれてくるが、部屋を出ることは許されず情報も遮断されている。狼王は目覚めたのか、ジグハはどう処分されたのか、そして自分はいつどうなるのか……。まともに考えると気が狂いそうだ。

「梁将軍。わたくしです」

 ふいにかけられた声に耳を疑い、顔をあげると戸口に公主とジグハが立っていた。どういうことだ。狼王はまだ目覚めないのか? 混乱する梁克嶺に公主が歩み寄ってくる。

「あなたを迎えに、都から兵が参りました。……既に言ったとおり、わたくしはあなたをただ都に帰すつもりはありません。あなたもこのまま帰って処分を受けるのは本意ではないでしょう」

「公主様、しかし、どうやって……」

 おろおろと言葉を探す梁克嶺に、公主はわずかに苦い笑みを見せる。

「……今の段階で表立ってお祖父様に逆らうことはできません。ですが、お祖父様の思惑通りに役人を受け入れ、あなたの地位を落とすこともまた受け入れがたい。……梁将軍、あなたは都に戻ればふたつの罪を問われます。ひとつめは勝手に国境を越え、この国に侵入した罪。ふたつめは父母の許しなくジグハ様に婿入りした罪です」

 梁克嶺は言葉を失い、ただ公主を見上げた。公主は憂いを宿したまなざしで梁克嶺を見下ろす。

「お祖父様はこの機を逃しはしないでしょう。今上陛下を挟んで、お祖父様と対立している筆頭は梁将軍です。追い落とし、勢力を伸ばすことのできる絶好の機会です」

「お、俺は……どうしたら……」

 愕然とつぶやく梁克嶺から一歩離れ、公主は梁克嶺に立ち上がるよう促した。

「梁将軍。わたくしはお祖父様が権力を独占することを望みません。ですからあなたには、また都でお祖父様と対立していていただきたいのです」

「へっ!?」

 思わず声をあげて立ち上がると、公主はそっと唇の前に指を立てる。一度振り向いてジグハとうなずきあい、公主はまた梁克嶺に語りかけた。

「もちろんただ帰れとは申しません。わたくしの手駒として、お祖父様の力を削ぐために都に帰る。これが前提です。わたくしの秘密を漏らしたときには相応のことが起こると思ってください。もちろん、わたくしはあなたの罪を免じるよう陛下に働きかけます。……陛下もお祖父様が増長することはお望みでないはず。わたくしが願えばお聞き入れくださるでしょう」

 頭痛がしてきた。梁克嶺はぐらぐら揺らぐような頭を押さえる。

「でも、では、役人は……?」

「役人にも、もちろん帰ってもらいます。お祖父様にも、役人は必要ないとご理解いただかねばなりません。そのためには、わたくしが役人なしでも狼の徳化を進められている証拠が必要です」

 梁克嶺は目を泳がせる。確かに公主のもたらした知恵は狼に浸透しはじめている。だが、公主はそもそも狼を支配下に置くために行動しているわけではないのだ。証拠といっても、それは嘘のものになる。

 公主は凛と顔をあげ、まっすぐに梁克嶺を見上げた。

「あなたがその証拠を見せるのです。狼の妻と義父を連れ帰り、礼にかなった婚姻であったことを示すのです」

 梁克嶺は開いた口がふさがらない。交互に公主とジグハを見やると、ジグハはどこかあきらめ顔で鼻を鳴らした。

「僕はルイグン様が目覚めるまでは代理を務めなければいけないから、すぐには向かえないがね。……ルイグン様が目覚めしだい、罰を乞うて追放の形でそちらの都に向かうだろう。……理解したかな、梁将軍。君はうなずく他に何もできないのだが?」

 ジグハに念を押され、梁克嶺はじわじわと冷や汗がにじむのを感じながら小さくうなずいた。


 なめらかに綴られた文字の整然と並ぶ書簡から顔をあげ、皇帝はちらりと賀燦に目をやった。使者の読み上げた書簡の内容を最後まで聞くのも忌々しいと言いたげに身を震わせている賀燦は、案の定使者の声がきちんと終わるのも待たずに声をあげる。

「馬鹿な! 勝手に国境を越えたばかりでなく、父母の許しなく婚姻まで結んだ梁将軍をお咎めなしになど……いくら公主の願いでも聞き入れるわけにはいかぬ!」

 びりびりと堂が震えるような怒声を断ち切るように、皇帝が佩刀の鞘でどんと床をつく。賀燦ははっと皇帝を振り仰ぎ、口をつぐんで皇帝をうかがうように見上げた。

「そこは私が決めさせてもらおう。……あの公主が道理を曲げてまで願うのだ、必ず意味がある。梁将軍とともに狼の王女と王叔を迎えることはひとまず良しとしよう。だが役人がいらないというのは、どうしたことだろう」

 静かに見下ろす皇帝の前で使者は伏したまま答える。

「狼の徳化は役人なしでも確実に進んでおり、せっかく人手を集めたのであれば不慣れな都で暮らすことになる王女と王叔のために働かせてほしいと公主様は仰せでした。また、王女と王叔の姿を見れば役人の手がなくとも問題ないことがおわかりいただけるとも」

「…………ふむ」

 もう一度書簡に目を落とし、皇帝は静かに考えこむ。それからまた困ったように眉を下げ、書簡を丁寧に畳んだ。

「私も梁将軍には命を救われた身だ。此度のことは公主の言うとおり不問に処したい。王女と王叔を迎えるというのも、和親を確かなものにする助けとなるだろう。賀太史令も公主のことは心配だろうが、ひとまずその王女と王叔に会ってみてからまた役人を送るかどうか考えてはどうかな」

 ね、と有無を言わさぬ笑顔を柔らかに向けられ、賀燦は渋面のままぐっと奥歯を噛み締めて頭を下げる。

「……陛下の御心のままに」

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