第三話 過去へと導くウヴェルテューレ

 ――俺が見ていた。


 俺"は"ではなく、俺"が"見ていた。

 主観的ではない、客観的なニュアンス。


 より正しく言うのであれば、俺が俺を見ていた、ということになる。


 暗い闇の中。

 いや、光さえもないため『暗い』という表現こそおかしいこの世界の中で、なぜかその存在を認知できていた。


 顔はおろか姿かたちさえ分からない。それどころか輪郭すらもない。

 だというのに、ソレを俺だと認識できる。こちらを見ている、と理解できる。


 闇だけで何も見えていないはずなのに視界の端には黒いモヤがかかっていて、視界を動かしてみればその感覚が伝わってきた。

 何一つ世界に変化はないけれど。


「――――――――。――――」


 俺が何かを言っているようだ。

 何も伝わらず、内容も理解できないが、その事実だけは感じ取れた。


 耳を傾けてみよう。


「聞こえているか、雁字搦めの俺よ」


 ……雁字搦め?

 言われたことに疑問を持ち体を動かしてみれば、ジャラジャラと鎖の鳴る音を聞いた――気がした。


 気のせいかもしれない。

 何せ、見下ろしても自身の身体を見ることなど能わず、この世界には闇以外に存在していないのだから。


 けれど、体中を縛られ、文字通り雁字搦めであることは感じられる。

 それと同時に、こんな格好なのに自由に行動できることまで理解できた。


「アレのおかげで、ようやく声が届くようになった。感謝するぞ、縛られし俺よ」


 ……意味が分からない。

 アレとは何か? なぜ、俺が二人いるのか? 疑問が尽きない。


 一つ分かったことは、話している向こうの俺は聞いている今の俺とは違い、鎖に縛られていないという事。そして、その代わりなのか檻に閉じ込められているという事だ。


 縛られた俺は自由に動け、束縛のない俺が動きを制限されている。

 何とも皮肉な世界だこと。


 それも全て、感覚として伝わったことでしかないけれど。


「そして、その力のおかげで生き永らえることも出来た」


 生き永らえる……?

 俺は死にかけたのか?


 記憶を掘り起こしてみるが、何も思い出せない。

 それどころか、何一つ記憶として浮かんでくるものがない。


「だが、勘違いするな。この力は使えても精々があと一、二回だ」


 そして、話はドンドンと進んでいく。

 互いが互いに好き勝手に思って語る図は、どうにもシュールだな。


 すると、突然眩い光が世界を照らした。

 思わず手を掲げる素振りをするも、この世界に体はなく、眩しさは防げない。目を瞑ってしまう。


「同時に忘れるな。いくら俺を抑えつけようと、心に隙を見つければいつでも現れる」


 その光は次第に弱まり、目を開けば――。



 ♦ ♦ ♦



 瞼を持ち上げると、予想以上の光が目の中へと入る。

 開きかけた瞳を一度閉じ、少しずつ、徐々にその明るさに目を慣れさせるようにゆっくりと開けた。


 自重で沈む体を支えてくれる柔らかな感触。スベスベとした布の肌触り。

 懐かしい雰囲気に起き上がってみると、つい先程まで俺はベッドに横たわっていた、ということに気が付く。


 辺りを見渡せば、見覚えのある家具とその配置。

 忘れようもない。ここは俺の育った場所であり、帰る場所――あの孤児院だ。


 しかし、どうしてここに居るのか?

 覚えている記憶の中で最も最新のものを引っ張りだそうとすれば、一瞬の気持ち悪さを覚えた。


 記憶の混濁。

 起き抜けの脳にはその処理が厳しかったらしく、目眩を覚える。


 頭を抑えて俯き、俺はジッと耐えた。

 目は開いているのに、見ているのは虚空の彼方。そのまま数秒の間、体勢を維持していれば自然と整理がつく。


「あーっ、俺負けたんだっけか……」


 思い出したのは斬られた瞬間。

 痛みも何もなく、力が抜け、ただただ目の前が真っ暗になる光景。


 ついその傷がある胸に手を当てると、柔らかい感触が跳ね返り、清潔感のある白い肌着を着せられていることに気がついた。


 捲って確認してみれば、そこには更に包帯で巻かれた上半身が。

 恐る恐るなぞってみても痛みはなく、完全に塞がっているように思える。


 ――カチャリ。


 そこで、扉が開いた。

 姿を見せたのは、金色のサラサラとした髪を携えた一人の少女。


 その手には木桶が抱えられており、縁にはタオルが掛けられている。


「よぉ、ルゥ。久し……ぶり?」


 思いつくままに挨拶をし、無意識で選んだ言葉のチョイスに俺は自分で頭を捻った。

 なんで「久しぶり」なんて言ったんだ?


 一体今はいつで、どれくらい寝ていたのか。

 そんな疑問が頭に浮かぶが、それよりも先に挨拶の謎の原因を見つける。


 それはきっと、ルゥの髪型が少し変化していたからだろう。

 以前までの伸ばしっぱなしではなく、前髪も、肩まで切りそろえられた後ろ髪も、丁寧な手入れが行き届いていた。


 ともすれば、俺の姿を見たルゥはその手を口元に宛てがい、驚きの表情を浮かべる。

 案の定、支えを失った木桶は落ちて転がり、中に溜まっていた水は木製の床へと沁みていった。


 ……いや、湯気が立っているしお湯かな。

 にしても、だいぶ派手にぶちまけたようで……後々の掃除が大変そうだ。


 状況の読めてない俺は、場違いなのを承知でそんなことを考える。


 訂正。どうやら相当に心配をかけたようだな。


 目尻いっぱいに涙を溜めて胸に飛び込む少女を抱きとめ、初めてそのことに気が付いた。


 泣き止むまで待つことしばし。

 未だに嗚咽を響かせつつも何とか落ち着いたようで、その背中を軽く叩きつつ声をかける。


「それで? 俺はどれくらい寝ていたんだ?」


 兎のように赤く腫らした目元を指で払ったルゥは、掠れた声で教えてくれた。


「…………三ヶ月」


「…………………………………………」


 ……マジか。

 どうやら思っていた以上に事態は深刻だったらしい。


 良くて三日、せいぜいが一週間程度だと予想していたがこれは……。

 後で詳しい話を聞いとくかな。


「ここって、孤児院だよな? ……元々行くはずだった」


「うん」


 次の質問をすれば、今度は予想通りの解答。

 まぁ、部屋の作り的にも俺が見間違えるはずはないか。


「だったら……まぁ、予想はつくけど……助けてくれたのはお師匠さまか?」


 質問の体で聞きはしたが、これはどちらかと言えば確認に近い。

 そんな俺の言葉に、ルゥはしっかりと頷いてくれる。


「そうだよ、ナディアお姉さんが来てくれたの」


「…………ナディア、お姉さん?」


 だから、次の質問で大体のことは聞き終えられる――そう思った矢先の一言に俺は耳を疑った。


「…………? 何か変? そう呼んで欲しいって言われたから呼んでるけど……」


 間違ったことをしているのか、と不安そうに尋ねてくる。

 それに対し、俺は取り敢えず首を振っておいた。


「あ、あぁ……いや、別に。気にするな、こっちの話だ」


 笑って誤魔化す。

 だが、心の中では文句……というか諦観が渦巻いていた。


 あの、年増……。まだ諦めてないのか。

 いい歳なんだから、人に呼称を強制させるのは止めろよ。


 昔から続くお師匠さまの悪足掻きに溜息をつき、気を取り直して俺は最後の質問をする。


「それじゃ、俺が寝ている間に何が起きたのか――話せるだけ話してくれよ」

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