第八話 裏切りは斯くも無残なり

 そこには何も存在せず、何も感じない。だというのに、何故か自分の意識だけは認識でき、そこから身体が浮き上がったかのような錯覚を覚える。


 その感覚に身を任せれば、いつの間にか浮上している対象は自分の意識へと切り替わっており、気が付けば横たわっている事実を認識していた。


 意識の覚醒――目を開けば見慣れたテントの布地が広がっており、身体を起こすと服の袖に引っ掛かりを覚える。


 視線を向けると、そこには指先だけで遠慮がちに摘むルゥの姿。

 起こさないようにその指を解けば、今度は俺の手が握られ、思わず苦笑いを浮かべてしまう。


 だが、その姿はこの子が本来持つべき子供らしさで溢れており、つい空いた腕がルゥの頭へと伸びた。


 優しく、髪を梳くように動かせば彼女の口元は緩く微笑み、擽ったそうに寝返りを打つ。

 それと同時にルゥの拘束も解除され、ようやく俺はテントの外へと這い出ることができた。


 遮るものなど何もなく、直で照り付ける太陽。

 高所特有の澄み切った心地の良い空気。


 起き抜けの体には少々刺激が強く、でも、だからこそ今の俺には丁度良い。


「おっ、もう起きたのか。早起きだな」


 凝り固まった身体をほぐすために伸びをすれば、そんな声がかかった。

 目を向ければ、幾つもの型を無駄なく、流れるように切り替えるドウランの姿がある。


「それはこっちのセリフだ。随分と修行熱心なんだな」


「親に仕込まれた日課なんだ」


 歩いて近づく俺に対して構えを解いたドウランは、何とも言い難い表情で首を竦めた。


「それよりどうだ? 昨日の続きでも……」


 そう言って組手を誘ってくるが、俺は首を横に振ることで答える。


「いや、遠慮しておく。朝飯を作らなきゃだし……また食後にでも頼むわ」


 リュックを引っ張り出すと、材料や調理道具を取り出し俺は朝食の準備を始めた。


 さすがに五人分ともなればそれなりの量の食材を使用しなければならず、まだある程度の余裕はあるものの、確かな減りを感じる。


 ……というよりも、どこぞの犬もどきがただ単に食べ過ぎなだけなんだけどな。


 そんなこんなで調理を始めて十数分。ある程度料理の完成が近づいてきた頃になると、その匂いにつられてか三人の娘どもが寝ぼけ眼を擦りながら起きてきた。


「…………ん、レス……? ……おは、よー」


 まだ覚醒しきっていないのか、目はトロンと瞑られたまま料理をする俺の腰にしがみつく。


「はい、おそよーさん。危ないから、取り敢えず顔を拭いてこい」


「…………、はーい……」


 力のない返事が聞こえると、ルゥはそのままトテトテとテントの中へ戻って行った。

 その一方で……。


「――朝っぱらから、やかましいわ!」


 唐突な怒鳴り声。驚いてその方向を向いてみれば、ドウランが二人の妹を相手に何やら騒いでいる。


 一見するとただの喧嘩だが、昨日一日を共に過ごすことでそれが彼らなりのじゃれ合いだということを俺は知っていた。


 今日は良い日になりそうだ。


 雲と空の境界線――雲平線とでも呼べばいいのか、そこから頭を覗かせる太陽に目を細めながら、そんなことを思った。



 ♦ ♦ ♦



 簡単な朝食を終え、洗い物などの雑事も全てこなし終えた俺たち一行は、昨日の続きとばかりにそれぞれの鍛錬に入ろうとしていた。


 ルゥもその例外ではなく、狐姉妹のところへ行こうとするその後ろ姿に声をかける。


「おい、ルゥ。ちょっと待ってくれ」


「……? 何?」


 急に呼び止められ首を傾げるルゥをよそに、俺は朝食と並行して用意していたあるものを手渡した。


「コレは……?」


 それはガラスでできた細長い筒状の入れ物。中では赤黒く染まった液体が揺れており、それらが零れないようにコルク栓で閉じられていた。


 計七本――リュックの底に眠っていたウエストポーチを改造したモノに仕舞い、差し出す。


「それは俺の血だ。魔法の練習や何かあった時にでも使えるように準備しておいた。数が少ないから大事にな」


「うん……! ありがとう!」


 嬉しそうにはにかみながらそう礼を言われた。

 その後に狐姉妹の元へと走っていくルゥの姿を見送り、背後で待機していた練習相手の方へと向き直る。


「悪いな、待たせた」


 軽い会釈とともに謝罪の意を示すも、特に気にした様子も見せずに笑って応えてくれた。


「いや、別に。それじゃ、前回の復習からしとくか」


 そう言葉を発すると同時にドウランは宙を蹴り、文字通り空を駆ける。


「必要なことは、昨日も言った通りだ。人の体の周りには常に自分の魔力が張り巡っている。その中の足裏に流れる魔力を足場に変化させることでこの技――『飛脚』は成立する」


 自由に跳ね回る姿は、今後の戦闘に対しての展望を俺に抱かせた。

 もし飛脚を自在に操ることが出来たならば、きっと今まで以上に立体的な動きでかき乱し、幅のあるバトルスタイルになることだろう。


「まずは体表に流れる己の魔力を感じ取れ。イメージはこうだ――纏った魔力から足を突き抜かすように宙を蹴り、反対に魔力はその動きに抵抗して硬質化する。魔力そのものを足場に変えようとするな、あくまでも蹴りに反発して作用するんだ」


 目を閉じ静かに集中する。

 体に流れる魔力の流れを掴み、その場で飛び上がった俺は宙を蹴った。


 足が伸びきる前に何かに跳ね返る感触が届き、僅かにだが空中を進む。

 気を抜かず、何度も何度も蹴り出してみることでその感覚を染み込ませていった。


 それから暫く――。


「――そういえばさ、俺の銃が全然当たらなかったけどアレって俺のミス? それとも、外させられてたのか?」


 組手なども交えてより実践的な練習をし、そろそろ休憩に入ろうかというタイミングで俺はそんなことを聞いてみた。


「……あぁ、あの時のことか。答えは後者だ。『乱歩』って名前の歩法を使った」


「乱歩……?」


 聞き慣れない名前にオウム返しで尋ねてみると、ドウランは丁寧に説明してくれる。


「おう、それも俺が編み出した技なんだがな。歩きに大きな緩急をつけることで、あたかもさっきまでそこにいたかのように誤認させるんだ。しかも、それを歩きだけで行うから避けたとも思わせず、相手は自分が攻撃を外したと勘違いするんだぜ」


 そう得意げに語る姿には微笑ましいものがあった。

 自分が開発したものって饒舌に話しちゃうよなぁ、分かる。


 俺も魔導具について聞かれたら、うっかり原理とか話しちゃいそうになるだろうな。

 ……真似されても困るから、絶対に話さないけど。


 続いて視線を別の方に向ければ、遠くではルゥの特訓している姿が見て取れた。

 向こうも組手で動きを反復練習しており、休憩で空いた時間には俺が渡した血液をチビチビ飲みながら魔法の練習をしている。


 随分と熱心に頑張っているようだし、報われるといいな。


 そんなことを考えて俺は体を起こした。


「……そろそろ再開するか」


「そうだな」


 俺とドウランは互い向き直る。

 互いがそれぞれに構え、踏み出そうとした瞬間――それは唐突に訪れた。



 ♦ ♦ ♦



 ――構えておいて良かった。

 現状を認識した時、最初に思ったことはそんな内容だった。


 急な気配に体は勝手に動き、気が付くと俺は二人の襲撃者を蹴り飛ばしている。


 だが襲ってきた敵もさる者で、すぐに受身を取ると用心深く構え直した。


「やるな、人間……キキッ」


 独特な語尾。猫背で全身が短い毛で覆われ、顔の骨格は俺たち人間にそっくりな獣人。昨日の話に出てきた猿族に違いないはずだ。


 そして周りを見てみれば、いつの間にか俺たちは大量の奴らに囲まれている。


「随分と大所帯だな……。ピクニックか何かか?」


 軽い口調でそんなことを言うが、内心で流す汗の量は尋常ではない。


 ……どうする? いくらドウラン達が人間の敵ではないと言っても、どちらかと言えば獣人側だ。

 この場において手を貸してくれるとも思えず、最悪の場合は敵になるぞ。


 …………そういえば、ルゥは大丈夫なのか?


 逃げるならば彼女の安否が気になるところ。

 確認しようとそちらへ目を向け――しかし、それが判断ミスだった。


 突如訪れる後頭部への重い衝撃。受身も取れず体が地面へと叩きつけられ、浮き上がり、反転する。

 揺れる視界の中、その隅で、まるで両手を振り落としたかのような体勢のまま固まるドウランの姿が写った。


「レスゥーー!」


 遠くから聞こえるルゥの絶叫は頭の中で反響し、耳鳴りが続いている。


 目の前が暗くなっていく。時間がゆっくり流れ、ドウランの口が小さく動いた。


 もう音さえはっきりと聞こえないのに、俺は確かにその声を聞いた気がする。


「悪いな」


 その記憶を最後に、意識は根絶した。

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