第四話 誤解と和解
しかし、いつまで経っても俺に死は訪れなかった。
それどころか痛みも、意識の断絶も、肉が裂ける感触さえもなかった。
あるのは首筋に触れられた爪の感覚と、一向にとどめを刺そうとしない狼男の姿だけだ。
「……俺の勝ちだな」
戦闘時に発していた敵意とは打って変わった――親しみを込めた笑みを浮かべ、俺に話しかける。
喉元へ伸びていた腕はいつの間にか、俺を引っ張り起こすために差し出されていた。
だが、自体の把握ができず頭は混乱し、体を動かす事は疎か、声さえ出ない。
そんな俺に苦笑いを浮かべた狼男は勝手に手を取り、引き起こす。
「混乱しているようだな。取り敢えず言えることは、俺たちは敵じゃねーってことだ」
「……そう、なのか…………?」
何が何だか分からず、そんな言葉だけが口をついた。
「でも、何でだ? 獣人族ってのは、人間を敵視してるんじゃ……?」
一番気になることであり、俺を混乱たらしめている事実について質問をすれば、狼男は困ったように後頭部を手で掻く。
「あー、それ、勘違いしてる人間って結構多いんだよなー。有り体に言えばだな――」
「おにぃ、それよりもお腹がすきましたわ」
「そうだぜ、兄様。話はご飯を食べながらでも出来ることだ」
すると、話を遮るように狐姉妹が抗議の声を上げた。
しかし、声の方向を向いてみれば、ルゥを挟むようにしてプニプニツンツンと愛でている姿が変わらずそこにある。
……ずっとアレが続いていたのだろうか。だとしたら、ルゥには気の毒なことをしたかもしれない。
「――っと、確かにそうだな。悪い、続きは飯を食いながらでいいか?」
「問題ない。ついでに、俺が何か作ろう」
自ら給仕を買って出ると、すっかり疲弊した顔のルゥを手招きして呼ぶ。
すると、普段は見ることの出来ない俊敏さで二人の拘束をくぐり抜け、嬉しそうな安堵したような表情でこっちに駆け寄ってきた。
――訂正、思いっきり突進してきた。
ぶつかる衝撃を逃がすように受け止めてやると、ルゥは俺の腰に腕を回し、グリグリとお腹に頭を擦り付ける。
サラサラと零れる金色の髪を梳き、撫でてあげると、先程の申し出に返答をする声が聞こえた。
「おう、それは助かる――って、おい愚妹ども! いい加減、大人しくしとけ」
見れば、狼兄は必死にルゥを再び捕まえようとする狐姉妹の動きを食い止めている。
「やだよ、兄様! あの子ともっと遊びたい!」
「そうよ、おにぃ。あの子もまだ遊び足りないと言っているわ」
「どこがだよ! めちゃくちゃ怯えた目じゃねーか!」
「それはおにぃが気持ち悪いから」
「それは兄様がキモイからだぜ」
「明らかにテメェらのせいだろうが、貧乳チビ!」
「は? 言うに事欠いて兄様や――」
「――禁句を言ってしまいましたわね」
「上等だ、こいよ! 妹らの暴走を止めるのが、兄の務めってもんじゃ!」
そう言い合った後には、なぜか遠くの方で乱闘が起きていた。
……コントかよ。それとも、あれを本当の兄妹喧嘩と言うのだろうか。
そんなことを思いつつ食材の用意をしていると、ふと大事なことに気がつく。
「アイツら、俺が料理に毒を仕込むとか考えてねーの?」
もちろん、そんなつもりは毛頭ない。だからこそ、こんな心配に行き着いたわけだが――。
「……まぁ、いいか」
向こうにも何か考えがあるのかもしれない。俺は俺で、自らの役目を果たそう。
「…………いいの?」
しゃがみこんでリュックの中身を漁る俺の背中に、もたれ掛かるように身体を預けていたルゥがふとそんなことを尋ねてきた。
「いいって、何が?」
「……あの人たちを信じて」
一瞬、食材を取り出す手が止まる。ため息を一度つくと、再び作業を開始した。
「別に信じているわけじゃない。ただ、あの戦闘で俺は確実に死んでいたからな。今更なにか行動したって意味は無い。敗者は敗者らしく、潔い態度をとっておくさ」
あらかた食材を出し終え、道具も一通り並べた。あとは調理を始めるだけというところで、俺はルゥに向き直る。
「…………それよりもすまないな、不安にさせて」
敵と思わしき者に囲まれ、頼みの綱である俺が負けた。本人からしてみれば、相当心細かったに違いない。
そのことについて、俺は心から謝罪をする。
その場では何もしてやれず、こうして事後に後悔することしか出来なかった。
だというのに、気にした様子もないように彼女は笑ってくれる。
「うん、大丈夫。……それよりも何か手伝いたい!」
「じゃあ、それを切ってもらおうか」
遠くから響く獣人たちの喧騒を音楽に、俺達は二人で作業を行った。
♦ ♦ ♦
「はぁー、こりゃ美味い」
ルゥとの共同作業によって出来上がった料理を食べる狼男の第一声がそれだった。
作ったものは付け合わせのかぼちゃのスープ。それに主食であるパンを組み合わせた手頃な昼食だ。
毒を盛ったなどという疑いを防ぐため、俺はどちらの料理も大きな器で一纏めにし、各自で取ってもらう形式にした。
だというのに――。
「にしても、チマチマと一々注ぐのは面倒だな。最初から分配してくれりゃ良いのに……」
このクソ狼、人の気も知らずにグチグチと文句を言いやがる。
「……誰がどれくらい食べるか、分からなかったんだよ。…………察しろ」
いや、本当に察して欲しかった。
それとも、ただ何も考えていないだけか?
「兄様に期待するのは止めといた方がいいぜ。頭の方はからっきしだから。それに、ウチらは匂いで色々と判別できるから心配しなくてもいい」
「…………? そうね。何のことかは分からないけれど、おにぃは馬鹿よ。そして、シスターは絶対だわ」
女性にしては口調がやけに煩雑な狐っ娘が、何かを察したように言葉を投げてくれる。
……なるほど、俺たちはある意味ふるいにかけられたわけか。
もう片方の妹さんは……ただ、兄貴を貶したいだけなのかな?
そんな思考とシンクロするかのように、件の狼兄は文句を言い放つ。
「うぉい! ヂーフーにならともかく、ウーフーにまで言われる筋合いはねぇぞ! てめぇも馬鹿だろ!」
「私たちは二人で一人だから。シスターが賢いのなら、私も賢いのよ」
「トンデモ理論すぎるだろ!」
「諦めなよ、兄様。この考え方に関しては、完全に兄様が原因だぜ?」
心当たりでもあるのか、姉妹の一人にそう諭された狼兄は「うぐっ……」と言葉を詰まらせた。
そんなやり取りを脇目に、俺は深く息を漏らす。
コイツらの独特な空気感と妙な兄妹愛はもう十分に理解した。もうそろそろ本題に入りたい。
「……なぁ、さっきの話の続きをしてもいいか?」
兄妹らが未だに不毛なやり取りを繰り返している中、俺は声をかけた。
「さっきの話……って、なんだっけ?」
口喧嘩を一旦切り上げ、狼兄は反応を示してくれる。
「ウチらは敵じゃないって話だぜ、兄様」
「全く、おにぃは鳥頭もいいところね。滑稽滑稽、烏骨鶏だわ」
「上手いこと言ったつもりかよ……」
半眼で狐妹の一人
「まぁ、それもいいけどよ。先に軽い自己紹介でもしないか? 同じ釜の飯を食った仲でもあるし、名前ぐらいは交わしておこうぜ」
そう言われて初めて、互いの名前も碌に知らない関係であることに気が付いた。
……そういや、俺らはつい数分前まで殺しあってたんだよなぁ。
感慨深くも懐かしみのある不思議な心情にポツリと浮かぶ一言。
現実に意識を戻せば、向こうから名乗るらしい雰囲気を感じた。
「俺はドウランってんだ。見ての通り、狼がベースだ。こっちの二人は――」
「ウチがヂーフー!」
「私がウーフー」
「ウチらは狐がベースの獣人だぜ」
「私たちは狐がベースの獣人ですわ」
それぞれから名前、それと外見から予想できた通りのベースとなる動物を聞き、俺は頷く。
「俺はレスコット=ノーノ、ただの人間だ。レスとでも呼んでくれ。で、こっちの少女が――」
そこで一度言葉を切ると、チラとルゥを一瞥した。自分で名乗るかどうか確認するためだ。
だが、彼女は素直に俺の言いつけを守り、特に口を動かそうとはしない。
なので、代わりとして俺が言葉を続ける。
「――ルゥナー=ノーノだ。俺はルゥと呼んでいる。この通りの人見知りだから、あまり構い過ぎないでやってくれ」
ポンとその頭に手を乗せてそう紹介すると、ドウランもそれに倣えで妹らに何かを言う。
「だそうだ。お前ら、気をつけろよ?」
すると、その言葉に反応した狐姉妹は唐突に立ち上がり、変なポーズを決めた。
「だが断る――ですわ、おにぃ。……ねぇシスター、これで合ってるのかしら?」
「だが断る――だぜ、兄様! ……おう、多分合ってるぜシスター……ウチもよく知らないけど」
台詞の最後に連なる謎の会話のせいで、最高に締まらない。
ドウランも同じことを思ったのか、呆れた様子で静かにツッコミを入れる。
「……なんだ、それ?」
「知らないの、おにぃ? ……何を隠そう、私も知らないわ!」
「兄様や兄様や、なんか若い子の間で流行ってるんだってさ」
…………変わった文化が流行ってるんだな、獣人族って。
「へぇー……まぁ、そんな悪ふざけはどうでもいい。マジで気ぃ使って行動してやれよ。……互いに踏み込まれたくない部分ってのはあるからな」
「……分かってるよ」
「……分かってますわ」
おちゃらけた雰囲気から一転、兄妹は神妙な顔つきで何かを納得し合う。
気になる言い回しと内容ではあったが、下手につついて蛇が出てきても困りものだ。ここは知らぬ存ぜぬでやり過ごすとしよう。
「それよりもルゥちゃんや、レスくんとファミリーネームが同じとは一体どういう了見だ?」
「走って抱きつきに行った姿を見るに、恋仲の線もあるのかしら……ねぇ、ルゥさん?」
空気を変えるかのように移り変わる話題。今度は俺たちの名前に関することらしい。
「いやウーフー、さすがにそれはねぇだろ。どうせ、俺たちと同じ兄妹だって」
無難すぎる解答を投げかけるドウランに対して、二人の姉妹は揃って首を振った。
「いえ、それは無いわ。ねぇ、シスター?」
「だな。顔を触って気づいたことだけど、ルゥちゃんは吸血鬼だぜ?」
『――――!?』
何気なく発せられた言葉が元で俺たちの間に緊張が走る。
隣に座るルゥの手が俺の手へと伸び、握られた。彼女の怯えが直に伝わってくる。
「ほぉー……こんな子が最強と云われた種族ねぇ……」
好戦的な色を湛えた肉食の瞳が小さな少女を捉える。
「…………で? 家族じゃないとしたら、なんで同じファミリーネームなんだ?」
――だが、その数瞬後にはもとの様子に戻っていた。
それ以上は特に何かを言うでもなく、俺の答えを待っているようだ。
「…………え? あっ、あぁ……そもそもノーノっていうのは孤児院の名前なんだ。俺もこの子もその名前を借りているだけ」
思考も纏まらないなか、俺は慌てて答えを教える。
――それにしても、なんだ? 俺たちの情報は獣人族側には伝わっていないのか……?
「訳ありか……。それは、さぞかし苦労したことだろう」
返答に窮したようで、何やら薄っぺらいことを言っている。
――でも、有り得るぞ。そもそもの話、人間にとって獣人は敵だ。だとしたら、わざわざ自分達の弱みになるような情報は流さないんじゃないか?
それとも――。
「兄様、浅い。浅すぎるぜ」
「超浅の極浅ね。だから浅ましいなんて言われるのよ、おにぃは。深いのはその大層な毛だけかしら」
「ちょ、おいウーフー! てめぇ、今日はちょっと言い過ぎだぞ! 久々の客だからってあんまり調子に乗るなよ」
――それとも、コイツらは何かを隠している…………わけないか。
いつまでも話が脱線し、どこまでも脱線した話が続いていく現状に重いため息をつく。
結局、本題に入ったのは皆の器が空になって暫く経った時分であった。
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