105話 筋肉に歴史あり回
その山深い場所にある神殿は、かつてフレッシュゴーレム戦役のころ、追い込まれた昼神教が神へ祈りを捧げるためにこもった場所であった。
王都、どころかあらゆる人里から遠く離れたこの場所は、まずここまでたどりつくというだけですさまじい体力が必要になる。
また、山の中腹あたりにある神殿にたどり着くまでには山裾に広がる広い樹海を抜けねばならず、方向感覚を狂わされながら柔らかい腐葉土に足をとられ、ゴールまでどのぐらいかもわからない場所を歩くというのは、精神力を容赦なく削る。
ある意味で自然豊かなその場所を越えると、今度はとたんに禿げ上がった岩肌をさらす勾配の厳しい山が立ちはだかっており、今度は容赦なく硬い地面が足にさらなる追い込みをかけるありさまだ。
そういったあらゆる障害を超えた者だけが━━
「聖女様、樹海エリアですでに半数が脱落しております」
「…………
神殿で報告を受けた聖女ロザリーがそう告げると、伝令役の信者が青ざめて震えた。
十七日詣━━横で聞いてるリッチにはどういうものなのか全然わからないが、とにかくおそろしいものだということだけは伝わってくる。
昼神教がすっかり『神殿』と称するようになってしまった古代遺跡は、瓦礫などが撤去されたこともあり、広く美しい空間となっている。
部屋はないでもないのだがこの広大な建物は大部分が『天井の高い空間』となっており、屋内運動をするには最適な場所となっていた。
古代文明への侵略と引き換えに手に入れたこの空間の真ん中には腕組みして足を肩幅に開いた聖女ロザリーがおり、さっきからひっきりなしに伝令を受けては指示を飛ばしている。
エルフボディに入ったリッチはそれを横で見ているわけだが、さっきからいろんな意味で光景が異様すぎて、もはやコメントにも疲れていた。
こう、ひっきりなしに人が出入りするし、みんな移動が基本的に全力ダッシュだし、声はいちいちでっかい。
体育会系━━って感じだ。
「……嘆かわしい限りです。フレッシュゴーレムどもの横暴以来、人々の心は信仰を忘れ、人々の体は礼拝を忘れた……以前までの大礼拝大会参加者ならば、樹海地帯で半数も脱落するなどありえなかったでしょうに」
「聖女様! 樹海地帯トップ通過者が出ました! すさまじい速さ……聖女様に並ぶペースです!」
「素晴らしいタイムです。どのような方ですか?」
「例のレイという……」
「ああ……はい、ええ、まあ、その………………あの者なら当然でしょうね。あの者はいいので、引き続き脱落者に目を配っておいてください。参加者に筋肉痛以外のダメージを与えずに帰すのも我らのつとめです。安全には気を配るように」
「はい!」
全力ダッシュで信者は神殿を出て行った。
というか伝令・観察役の信者たちは山をのぼったりおりたり、樹海を入ったり出たりしながら全力ダッシュで伝令を続けるわけで、体力の桁が参加者とはあまりにも違う。
エルフッチは思うのだ。
━━見てるだけで、疲れる。
いちおうレイラの記憶関連ということで同行しているものの、別に体力自慢どもの祭典をこんなとことでつぶさに見ている必要もないんじゃないか、という気分になってきた。
だからリッチはロザリーの肩をつついて、言う。
「あのさロザリー、リッチはやることもないし、部屋に体を置いて研究室に戻ってるよ。いい感じの時間に帰ってくるからあとよろしく」
「お待ちなさい」
「ええ、なぜ……リッチのやることないでしょ……」
「信仰あつき者たちが全力を出しているのですよ? ならば我らも全力でそれを見届けるのが礼儀では?」
「いや……報告を受けて統括するのはロザリーがやってるし、伝令・監視役は有志の信者がたくさんいるし、リッチは本当になんもやることないじゃん」
「応援という役割があります」
「声も姿も届かない位置から応援したって、なんの意味もないよ……」
「気合は人々に届くのです」
「どのような成分がどうやって伝播するっていうんだ」
「成分とかなんの話ですか……気合の問題です」
「いやだから、気合っていうのはどういったもので、それがどういうふうに伝播し、どういう効果をもたらすのかを聞いてるんだよ」
「気合は、気合でしょう?」
「だから……」
「…………?」
━━ダメだ。
お互いにお互いがなにを言いたいのか、全然わからない状態だった。
住んでいる世界があまりにも違った。体育会系と理系ぐらい違う。
そこでリッチは学術的興味がわいてきた。
「どうしてロザリーはそこまで筋肉とか気合とか言うんだ」
「それが信仰だからですが」
「いや、だから……どう言えば伝わるのかな……そもそも、礼拝が筋トレだっていう解釈は、ロザリーの宗派の問題だろう? それまでの昼神教において、決して信仰と筋肉はイコールではなかったはずじゃないか」
「
「わかった。こうたずねよう。ロザリーの生い立ちを教えてくれ」
ロザリーは話が長くなると聞く気を失うので、『疑問解消のために気になるエピソードだけ抜粋して教えてほしい』というような、楽な対話ができないのだ。
いち会話ごとの文字数を絞らねばならない都合上、総合的な会話文字数が増えるという非常に面倒くさい特性の持ち主なのである。
なのでリッチはロザリーの筋肉偏執狂の理由が彼女の生い立ちのあるのではないかとあたりをつけ、その半生をまるまる聞く覚悟を決めた。
研究が煮詰まっていなければ無視して早々に帰っただろうけれど、今は煮詰まっているので、特に意味のない情報を浴びたい気持ちだったのだ。
リッチとしては『説法流し聞き』ぐらいの興味しかなかったわけだが、ロザリーは「ふむ」と真剣な顔でリッチをじっとながめ、
「あなたが他者に興味を持つというのは、なかなか珍しいことですね」
「あの……ロザリーさ……リッチが勇者パーティーにいたことがわかってからちょいちょい『昔から知ってる』ムーブかますけど、あの当時のリッチたちはまともに会話もなかったし、互いのことを『あなたにしては』みたいに語れるほどには、『あなた』について詳しくないでしょ?」
「……」
「無言で拳を握るな」
「まあしかし、あなたが他者の生い立ちを知ろうとするのは、実際に珍しいのでは?」
「話を理解できてるじゃないか! なぜ暴力を振るおうとした!?」
「あなたがなにを言っているかはわかりませんが、あなたがなにを言おうとした感じかはわかります。多くの信者から悩みを打ち明けられる中で目覚めた力……これが『表情筋を読む力』です」
リッチ本体の時にやけに話が通じなかったのは、もしかしたら『リッチ本体に表情筋がなかったから』というのが理由の可能性が浮上した。
「それでどうなんですか。珍しいのでは?」
「珍しいかもしれないけどさあ」
釈然としない。
こいつの予想が合ってるのだと認めなければならないのは、頭脳が筋肉に敗北したようであまりにも悔しい。
「まあしかし、わたくしの生い立ちといっても大した話はないのです。わたくしは戦災孤児であり、その暮らしの中で神を感じる瞬間は筋肉を感じる瞬間だったので、礼拝とは鍛錬であり、筋肉とは信仰だと信じたのです」
「まるで意味がわからない。もっと説法みたいにやってくれ。ロザリーは人に話して盛り上げるの上手でしょ」
「では明日の朝礼のネタにしましょう。神殿まで辿り着ける者が十名以上いたら話します」
「いや、条件、いる? 普通に話せない?」
「今回の参加者たちは礼拝が足らず、現状だけ見ていると十名もここにたどり着けるかは微妙なところです。なので━━必死に応援してください」
「……」
「あなたの応援が信者を救うと信じて」
「うおおおお! がんばれえええ!」
やけくそ。
ロザリーと話していると住んでる世界が違いすぎて、思考するのが面倒になってきて、勢いに任せてしまった方が楽だなという誘惑が常に頭によぎるのだ。
インテリと言われる人たちが宗教にハマったりする理由もこのへんにあるかもな……と思いながら、リッチは考えることをやめて、応援した。
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