96話 『剣士』とか『魔法使い』は職業ではないよね回
魔王領から出発した死霊軍は、西進して人族対魔族の戦線を抜けたあと、北進して人族王都を目指した。
人族女王ランツァは死霊軍が王都にたどりつくまでおおむね五日ほどと予想していた。
これはすでにかなり速く見積もった速度だ。
ほとんど『移動だけ』……すなわち『途中で軍隊の邪魔が入っても、足止めされることがない』という予想に基づくものであった。
けれど、予想外なことに……
死霊軍は、三日と少しで人族王都に到着した。
というのも、ランツァが行軍速度を『通常の軍隊よりやや速い』程度で計算してしまったのが間違いだったのだ。
死霊たちには疲労がない。
そして高低差はゴーストたちにより無視できる。
ゾンビはぐずぐずしている(肉が腐っているという意味ではなく、歩調が遅いという意味)ので遅れているが……
ゴーストとそれに背負われたスケルトンwithリッチは、『軍馬が全速力で駆け抜け続けた』のを上回る平均速度を維持したまま人類王都にたどり着いたのだった。
「リッチ様」
あまりにも早く着いてしまったのでもう行っていいのかな……どうかな……とリッチが立ち止まっていると、横合いから声がかけられた。
声のあるじは死霊将軍アリスであった。
物憂げな大人の女性といった見た目のその人物は、リッチに話しかける時いつでもそうであるように、『これ言いたくないなぁ。でも自分が言わないと誰も言わないしなぁ』というような表情で、リッチに語りかける。
「軍団の者が王都に遊びに行きたいとはしゃいでいるのですが、いつまで待っていればいいのでしょうか」
「立ち止まって半刻ぐらいなんだけど……」
「ここまで駆け抜けたので、勢いがついているんです」
「もう少し我慢とかは……」
「リッチ様……我慢という行為は、大変に知的なのです」
「そうか……」
リッチはすべてを察した。
アンデッドは━━知的なこと全般が苦手だ。
リッチは後ろを振り返る。
そこには集められるだけ集めまくった死霊軍がいる。
その軍勢は先ごろ東門付近に布陣していたレイラ軍など比べようもない規模であり、スケルトンとゴーストで構成されていることからも、まさしく『死者の軍勢』という様子だった。
たびたびものすごい軍勢が前に布陣することに定評のある東門は今日も元気に閉ざされ、物見やぐらには裏事情を知らない見張り兵がビクビクしながら物見していた。
東門付近はこうしてたびたび脅威にさらされるようになってしまったので、地価が下がりに下がり、ランツァなどがいろんな商社の名前を使って土地の買い占めを行っているらしい。
いろいろ片付いたあとにこのあたりの土地は大・学問学舎を中心として開発をするとか言われている。どういう街並みになるかちょっと楽しみ。
「しかしリッチは今後の展開をよくわかってないので、ランツァから連絡が来るまではまだ攻め込みたくないんだよな……ほら、人は死んだら死ぬので」
「けれどリッチ様、ここに来るまでにあった村落は残らず滅ぼしてしまったので、今さらでは?」
「死ぬと同時に蘇生したし、王都の人以外はそろそろ死に慣れてきてるし大丈夫だと思うよ」
フレッシュゴーレム騒動からこっち、王都に住まう人たち以外はたびたび死の憂き目に遭っている。
これはフレッシュゴーレム戦役時代にはフレッシュゴーレムに、その後のレイラの乱あたりではレイラ軍の偽死霊術過激派によってだいぶ雑に死なされてきたからだ。
リッチとその生徒たちによって繰り返し蘇生されているので最近は慣れた
この国は死霊術否定とか肯定とか言ってる場合ではなく、もはや末端の民衆のあいだでは死霊術が完全に受け入れられている。
『死んだことがない』という経歴はもはや王都民や貴族だけのものになっており、『死んだことがない』が一種のステイタスになりつつあるほどだった。
「まあ、王都も一回、フレッシュゴーレムにめちゃくちゃにされてるし、果たして本当に『死んだことがない』人がどのぐらいいるのかは甚だ疑問なんだけれど」
もしかしたら現在生きてる人たち、全員死んでる説まである。
フレッシュゴーレム戦役においてリッチは本当に手当たり次第蘇生したし、もともと『個人』に関心が薄いせいもあって、誰が死んでて誰が死んでないのかは一切不明なのだ。
話を聞いて「なるほど」とうなずいたアリスが、ハッとしたあと、奇妙にまじめな顔で、言う。
「全員死んでそうということは……ここであと一回ぐらい死んでも、別に構わないのでは?」
「……」
「行けそうな感じじゃありません?」
アリスは、下半身さえ見なければ人族の女性に見える。
半透明で白すぎる肌や、どことなく生気がない感じに目をつむれば、理知的で大人びた人族の女性なのだ。
脚がないあたりに人外感はあるものの、そのあたりから目をそらせば、王宮で文官などしてそうなほど、それはそれは賢そうな見た目をした、片目隠れの女性なのであった。
でも、脳は透けてる。
リッチは問いかける。
「……もしかしてアリス、王都に行きたいの?」
するとアリスはぎょっとしたように目を見開き、それから、言う。
「わかりますか」
「わかるよ。……なんで?」
「このあいだ、行けなかったので」
フレッシュゴーレム戦役のころの話だ。
当時、フレッシュゴーレムの本拠地 (のうち一つ)であった王都に、アリス率いる死霊軍もまた攻め寄せた。
だが、フレッシュゴーレムたちの陽動を受けて王都に入ることができず、そのままフレッシュゴーレム戦役が終わってしまったため、なんやかんやで入れずじまいだったのだ。
しかし……
「別に王都は楽しいところじゃないよ……ただ、人がいっぱいいるだけだし」
「その『人』たちは、兵士ではないんですよね?」
「まあ」
「もしかしたら……おどろかせたら、びっくりしてくれるかもしれないですよね」
「……まあ」
「物陰からそっと顔とか出してびっくりさせたいです」
アリスの顔はどこまでも真剣で、なにかまじめな戦術の話でもされているかのような気分になってくる。
しかし話題は幼児レベルなのだった。
びっくりする。
「びっくりさせて、どうするんだい?」
興味本位というほどでもなく、ほとんど頭を使わずにリッチは問いかけた。
するとアリスは首をかしげて、
「人をびっくりさせることに、理由はいりますか?」
「……いや、まあ、その、リッチはやろうと思わないので、『なぜ?』とは思うね」
「そもそも、ゴーストは『びっくり』のために生きているので……」
「ここに来て新しい生態を明かさないでほしかったな……」
「しかし兵士の人たちも、フレッシュゴーレムの人たちも、あんまりびっくりしないし、それどころか、こっちがびっくりする始末。これはよろしくないですよ」
「そうなのか」
「そろそろ、びっくりさせる側にまわらないと……ゴーストは、大変ですよ」
「大変なのか」
「ええ、大変です」
アリスの大人びた理知的な顔立ちで『大変です』と断言されると、まるで世界の存亡でもかかったとんでもない事態が勃発しようとしているのではないか、という気持ちにさせられる。
しかしこれはリッチのカンだが、たぶんこの『大変です』は、具体的にどうとか、そういう話は全然なく、なんとなく大変な気分だという程度の話なのだろう。
……いや、ここで面倒くささに負けて確認を怠るのはよろしくない。
のちのちなんらかのマジ大変な事態が起こらないとも限らないのだ。
リッチは確認する。
「どう大変なんだい?」
「…………………………『どう』?」
「理解した」
なにも起こらないだろう。
リッチは頭痛をこらえるように頭蓋骨を片手でおさえて、
「まあ、アリスはゴースト系だから『びっくりさせたい』かもしれないけれど、リッチたちは遊びに来たんじゃないんだ。お仕事でここにいるんだよ」
「そのお仕事というのは、しないといけないものですか?」
「えっ、いや、どうかな……」
「私はしたことがないので。お仕事」
「いや、リッチの世話を仕事と言ってたことがある気がするよ」
「そうですか?」
ゴーストに記憶を問うてはならない。
この者らは昨日の自分がなにをしていたかさえ覚えていないのだ。
それでもなんとなく悔しくて、リッチは食い下がるように問う。
「死霊将軍とか、リッチの世話とかは、仕事ではないのかい?」
「趣味ですが……というか、死霊将軍ではないんですよ。代理です。それにリッチ様だって、仕事なさってないでしょう?」
「研究者だよ!」
「研究はお仕事でやってるんですか?」
リッチは絶句した。
仕事の定義について確認してみると、それはどうにも『生活のために
リッチには食事やらなんやらがいらないし、たとえば研究をやめたとしてリッチの住環境が奪われることはないだろう。
つまり━━
研究は━━
趣味だ━━
「……なんということだ……リッチは無職だったのか……」
「そもそも、やりたくないことなんか、やる必要あります?」
そう、仕事が生活のために行うものなら、死霊軍には『生活』がないのだ。
衣食住が必要ない集団なのだった。
つまりリッチが背後に従える連中は、趣味でここまで来た無職の集団ということになる。
そしてこれから王都は、この無職どもに攻め滅ぼされるのだ。
女王さえ、無職に殺される。
次に民衆が戴くことになるのは、無職の王なのだ。
「……人族の末路、これでいいのかなあ」
人類愛とか同族愛とかに乏しいリッチでさえ、人族の未来を憂いてしまう。
ともあれ━━
「━━神よ」
影のようにそばに従っていたエルフが、リッチに呼びかける。
リッチとアリスはそちらを向く。
真っ黒い、性別不詳の人型は、
「女王ランツァより許可が降りました。進撃を開始してください」
号令が降る。
暇を持て余した無職たちが唸り声をあげ、進み始める。
━━その日、リッチは思い出した。
自分たちが無職という状況を……
力に職業など関係ないのだという現実を……
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