38話 価値のあるものはたやすく手に入らない回

 しかしゴーレムは死んでいなかった!



「ご主人様……ゴシュッ……ゴシュジン……ゴッ……ゴル……」



 聖女ロザリーは紫色の瞳を細める。

 美しい面立ちには、慈愛が浮かんでいた。



「神を知らぬ哀れなる者よ。汝の魂に、我が最大の一撃を持って救済をあたえましょう」



 ロザリーが足を肩幅に開く。

 体をぴったり覆うような、紫色の聖職者ローブ――

 その腹部が、だんだんふくらんでいくのが見えた。


 ――息を、吸っているのだ。


 ほっそりしたロザリーの腹部が子供でもいるかのようにふくらんだところで、彼女はいったん息を止め、



「ハァッ!」



 吸いこんだ息をすべて吐き出し、叫んだ。

 その大音声のせいか、地面が揺れているようにさえ感じられ――


 いや、地面が、本当に、揺れている。



「見ていますね、リッチ」



 けっこうな距離があるはずなのだが、人類種であるはずのロザリーは、たしかにその瞳でリッチを捉えていた。

 普通ならば声がとどくはずもない距離だけれど、リッチにはたしかに、ロザリーの声が聞こえる――そう、これが骨伝導の力だ。



「わたくしの超震動信仰拳は、持続力がないのが欠点でした。圧倒的な消費スタミナを前に、いかに信仰で鍛え上げられたわたくしの信仰であろうとも、最大威力の維持は一瞬しかできない……」



 リッチは技の説明とかどうでもいいと思っているほうなので、口上のあいだに生徒たちを後ろへ下がらせておく。



「しかし、神はわたくしを見ていてくださった……ある時、お告げがあったのです」



 大地の揺れは激しくなる。

 ロザリーの体が、腕だけではなく、その全身が、小刻みに揺れているのだろう、ブレて見える。



「――『肉体にはスタミナに限界がある。しかし大地にはスタミナに限界がない。自分自身が震えるのではなく、大地そのものを揺らせば、最大威力の超震動信仰拳を長時間維持できる』」



 リッチはさすがに唖然とした。

 この地震、ロザリーがやっているのか?



「えっ、バカなの?」

「信仰なき不死者には理解できないでしょうが、信仰は本来、人の心を温かくふるわすものなのです。信仰がいたれば、それは大地さえ揺らす……当たり前ですね」

「えっ、アホなの?」



 この場合の『バカ』『アホ』は褒め言葉だった。

 ありえないことを、信仰という理由だけで成し遂げてしまっている。


 リッチは人口に膾炙かいしゃする『神』は信じていないが……

 かつて、人類で最初に『神』を感じた者はきっと、ロザリーみたいな奇跡の体現者を見たことがあるのだろうと思った。



「わたくしの超震動信仰拳は、いよいよ神の口づけ・・・・・を受けたのです」



 ざぁぁぁぁぁ……

 そんな音をたてて、フレッシュゴーレムが無数のチリに分解されていく。


 ロザリーは先ほどまでゴーレムを突き刺していた拳をブン、と振る。



「いわば、しん神動神仰拳しんどうしんこうけんの開眼です」



 リッチはなんだか隣に来た死霊将軍アリスに言う。



「あれが『価値のある魂』だよ。たぶん、思い込みだけで、人類が今まで使えなかったタイプのエネルギーを使ってる。魔法も死霊術もそうだけれど、才能のない者が理論を覚えてようやくできることを、才能がある者は感覚でやってのけるんだ。非才の者には知り得ない『概念』というものを体得している……あれはすごいよ。すごい、ほしい」

「なるほど」死霊将軍アリスは話が長くなると言葉が耳の上をすべっていくタイプだ。



「さあリッチ! 我らの因縁もここで終わりとしましょう! わたくしはあなたを倒し、進む! この戦場こそが、わたくしとあなたの――神を信じる者と、神を信じぬ愚か者との、決着の場です!」



 ガィィィン!

 ロザリーは拳にはめたガントレットを打ち鳴らす。


 そうして、軍勢を後ろに置いたまま、魔族軍の方向へと歩いてきた。


 アリスが言う。



「リッチ様、敵は一騎打ちを望んでいるようですよ」

「わかった。リッチが出るから、みんなは――」

「がんばって応援しますね!」

「……そうだね」



 魔族は『一騎打ちに気をとられている敵に集中砲火をあびせる』という発想ができない。

 まあ、ロザリーに集中砲火が効くとも思えない――今、大地を揺らすアレを倒せるのは、たしかにリッチだけだろう。同じ『法則の外』に生きる、リッチだけ、なのだろう。


 リッチも歩み出た。

 ボロのローブに節くれだった杖をついて歩くその姿は、あまりにも頼りなく、情けない。


 しかし誰もが知っている……

 その枯れた老人のような姿の持ち主は、誰よりも『死』の扱いに長けているのだと。


 二人は五歩ほどの距離でにらみあう。

 ロザリーの全身は震えているせいでブレて見えるし、大地もまだ揺れ続けている。


 リッチはふと、空を見上げた。

 日差しは中天にあり、まだ明るい。

 夜のおとずれは遠いだろう。



「リッチさあ、思うんだけど」

「その話は長くなりますか?」

 リッチは無視して続ける。「勇者は弱かったよね」

「ええ、まあ。しかし、魅力的な人物でしたよ」

「そうなんだよね。レイラはバカみたいな力持ちで、ロザリーはバカだった」

「手短に」

「……たぶんだけど、勇者が生きてたら、人類の勝ちだったと思うよ。俺たちはまとまっていたもの。勇者という一人のもとに。俺たちみたいな、はぐれ者たちが」

「いえ、それは違います」

「ふうん?」

「勇者が生きていれば、たやすく、人類は勝ったでしょう。しかし――」

「……」

「わたくしが新たな『勇者』となり、人類はそれでも勝つのです」

「いちおう言うけどさ、リッチは君の魂と肉体がほしい。リッチの研究に協力してくれないかな?」

「あなたの体に筋肉と皮と内臓があれば、一考の価値のある誘いだったかもしれませんね」

「いや、たとえリッチに骨以外があっても、君は一考もしなかったと思うよ。……まあ、皮も肉もあったころの俺は、そんな誘い、恐くてできなかったけどさ」

「……あなた、どこかでわたくしと会ったことが?」

「うん、それでいい。それがいい。……少しだけ気が向いたよ。君を殺すね。殺して、持ち帰るから」

「あなたに信仰のなんたるかを教えて差し上げましょう。神はいる。ここに。我が拳に、足に、大地に」



 ロザリーがガントレットを打ち鳴らす。

 リッチが揺れる大地に杖の先をたたきつける。


 大地が爆ぜ、死が渦巻き――

 二人の一騎打ちが始まった。

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