14話 教える側は教えるだけではなくて教えている相手に教えられているという回
リッチの二重生活は続いていく。
昼は勇者として人類側の領地で過ごした。
夜は魂を魔族側の領地に返し、リッチとして研究に励む。
まだ勇者として戦場に出てはいない。
『病気療養中』という言い訳を使っている。
けれどもうしばらくしたら、さすがに戦場に出ないままではいられなくなるだろう。
周囲からの『いい加減戦場に立て』という圧力が増してきたら、勇者の体を捨てるのも手の一つか。
勇者の発言力を利用した戦況のコントロールを優先するから、それともめんどくさいから復帰戦一戦目で『勇者』を殺してしまうか悩みどころだ。
◆
勇者として過ごす時間は、女王ランツァと一緒にいることが多い。
彼女は熱心な生徒で、死霊術という学問に抵抗がない。
また、勇者とすごすぶんには、周囲も褒めこそすれ、とがめはしないようだ。
「人類と勇者は婚約予定だったのよ。だから、人類と勇者が一緒にいるのは、みんな祝福してくれるの」
女王ランツァから聞いて、勇者ッチは「へぇ」というリアクションをした。
もっと他に言うべきことや考えるべきことがあるのは間違いない。
でも、それらは人の心の機微にまつわる、繊細なものだ。
勇者ッチには人の心がわからない。
「あなたはいつまで勇者でいるつもりなの?」
防音設備の整った、勇者の家の、勇者の私室(なぜ防音設備が整っているかは知らない)で、ある日勇者ッチとランツァはそんな話題に触れた。
こうしている今も、勇者ッチはランツァに死霊術を教えているところだった。
かつて、勇者の部屋は、大きなふかふかのベッドと、酒のたくさん入った棚、それから武器が多数壁にかけられているだけで、『なにかを学ぶ』にはおおよそ向かない場所であった。
今は、文机を一脚と、椅子を一脚、それから研究用の机を一つ、導入している。
あとは大きな魔導板だ。
これは壁に提げて使うもので、ここに板書をしながら死霊術の講義をおこなっているのだ。
ベッドは部屋の端に追いやられ、その上にはたくさんの資料や道具が置かれている。
睡眠に使うこともまれとなっていて、勇者ッチは魂をリッチに戻す際には、勇者の体を床に放り出して帰っている。
酒の満載された棚は中身を使用人たちに分け与え、空いた場所には資料と道具類を入れてある。
リッチは酒がよくわからないのだけれど、酒を受け取った使用人たちが恐縮し平伏し感涙していたことから、かなり上物の酒ばかりが収められていたのだろうというのは、予想がついた。
別に惜しいとは思わない。
「どうだろう……勇者もそのあたりは決めかねているところなんだ。勇者は研究について考えるのは苦じゃないのだけれど、そういう戦略や政治みたいなことについて考えるのは面倒で……まあ、いざとなったら体を捨てればいいだけだから、決断すればすぐだけど」
「あなたはどこに帰るの? やっぱり魔族の領地?」
勇者は自分がリッチであることを明かしていない(うっかり一人称を『リッチ』にしたことはある)。
そして、自分の正体が魔族側であることはおろか、本当の正体が勇者パーティーの死霊術士であることも、明かしていない。
しかし――
「それとも、家に帰るの? このあいだの、素敵な家に」
ランツァは勇者ッチの正体に気付いているようだった。
勇者ッチは文机についた金髪碧眼のまだ幼い女王を見て、首をひねる。
「君は勇者の正体をどのようなものと予想しているのかな?」
「死霊術士でしょう? 勇者パーティーにいたっていう。あなたにこのあいだされた話は、死霊術士にかんする情報だけ、明らかに情報量が多かったもの」
「じゃあ、『魔族の領地に帰る』っていうのは?」
「あなた生きているでしょう?」
「まあ。一回蘇生はしたけれどね」
「でも、人族の領地に戻ってきた形跡がないわ。だいたい、あなたの肉体が人族の領地に来ることができたら、勇者の体で自分の家を漁る必要もないじゃない」
「そうだね」
「ということは、魔族の領地かなって思っただけ。『誰も知らない、未開の僻地』っていう可能性も考えたけど……死霊術の研究は、文明のない土地でおこなうのは難しいわよね。自給自足生活をしながら研究だなんて、現実的じゃないもの」
「なるほど。正しい。そして非常に論理的な推理だ。勇者はとても評価します」
「えへへ」
よく今ある情報でここまで推理できたものだ。
まあ、勇者ッチ側の正体隠蔽意識が低かったというのもあるが……
ランツァに色々察せられているとわかったお陰で、今では勇者ッチも多少慎重になっている。
主に『勇者のことをよく知っていそうな戦士レイラや聖女ロザリーとは接触を避ける』などの正体がばれないための努力をしている。
もしランツァに『勇者ではない』とばれることがなかったら、普通に接触して、普通にばれてたかもしれない。
最初にばれた相手がランツァだったのは、幸運と言える。
「……でも、そっか。やっぱり、いつかは『勇者』をやめちゃうのね」
「うん。どうせ長続きはしないと思っている。勇者としたら不自然な行動もするつもりだし、勇者はこの体を使い捨てるつもりでいるよ」
「そしたら、人類はあなたとお別れなの?」
「勇者の本体は魔族領にあるからね。君は人族の女王だし、まあ、会えなくなるんじゃないかな」
「……あなた、勇者パーティーの一人じゃない。人類の膝元に戻ってくるわけにはいかないの?」
「無理だよ。勇者の本体は今、見た目が完全にアンデッドなんだ。戦場で元の仲間に会っても正体がばれなかったぐらいだし、魔族としてふるまってても全然元人族だと疑われないぐらいなんだよ。人類の領土には今さら戻れないよ」
そのへんの問題を解決するために、『みんなの目の前で蘇生する』という算段だったのだ。
見た目がアンデッド化することはある程度予想がついたため、一度死んで、王都に運んでもらって、国葬どうしようみたいな空気の中復活すれば、『見た目はアンデッドだけど死霊術士なんだよ』という説得も可能だっただろう。
まあ、置いていかれると思っていなかった。
想定が甘かった――の、だろうか?
あるいは、事前に相談することをしなかった――相談できるほど、死霊術と死者蘇生に理解ある同志がいなかったことが、原因、なのだろうか?
聖女ロザリーとか、ぶん殴ってでも『蘇生やめろ』とか言ってきそうだし(そしてロザリーに殴られると死ぬ)。
「人もアンデッドになれるのね」
ランツァは静かにつぶやいた。
「なれるよ。でも、面倒な手順が必要だし、高い技術も要求される。なにより、成功確率が高くない。勇者がやっても、二割は失敗して『ただ死ぬ』可能性があった」
「八割も成功するじゃない?」
「『八割』は命を賭けていい数値じゃないよ」
「そうなの?」
「うん。『八割成功』というのは、死霊術的に『低い確率』なんだ。死霊術で扱うのは『命』だからね。そして命っていうのは、扱いを誤れば二度と同じものが手に入らない資源なんだよ。死霊術で『成功率八割』は『失敗率二割』と表現するのが一般的だね。……まあ、死霊術が一般に広まっていないから、『過去の死霊術士たちがそのように表現していた』という意味で『一般的』なのだけれど」
「じゃあ、なんであなたは、そんな『低い可能性』に賭けてアンデッドになったの?」
「時間がほしかったんだ」
「……時間?」
「うん。アンデッドの寿命は人族に比べてずっと長い。それに、物理攻撃無効だし、魔法にも強い耐性がある。外的、内的要因によって死ぬ確率が低い……ようするに、長い時間研究ができるっていうことだ。リッチの体なら睡眠や食事もいらないしね」
「リッチって、前にも言ってたわね」
「そうだよ。死霊術の始祖と言われる伝説の存在――まあ、魔族側では実在するもので、魔王やなんかと知り合いだったらしいんだけれど、そういうものに、俺はなったんだ」
「どうしてリッチを選んだの?」
「『リッチ』という存在が、他の生き物から殺されることが滅多にないっていう点が一番大きいかな。それに、リッチになる方法は確立されていて、何人かがその方法に挑んで、リッチになっている節がある。つまり、過去に成功した実績があるっていうことだね。実績があるというのは、かなり大きなプラス要素だよ」
「なるほどね」
「魔王たちが知り合いと思っているリッチも、そうして生まれた『元人族』なんじゃないかと、俺は思っているよ。……まあ、そこは確認のしようがない。それこそ冥界にいる元リッチの魂を呼び戻しでもしない限りはね」
「わたしでも、リッチになれる?」
「死霊術と治癒術を極めれば可能だよ。ただし、俺以上に習熟しないと、成功確率を十割にはできない」
「……どのぐらいで、極められるの?」
「君は物覚えがよく、頭がいい。それでも十年は覚悟しないといけない。……逆に、現在わかっている段階までだと、十年で『極めた』と言えてしまう程度しか発展していない学問、ということでもあるね」
「それは悪いことなの?」
「ある分野の学問について、『極めた』と言えてしまうことは、その学問の奥行きが浅いという意味なんだ。……まあ、『極めた』という言葉の定義の問題にもなってくるだろうけれど、『現在可能と思われているすべての技術を修めること』を『極める』と言うなら、死霊術は本当にそのぐらいで極められてしまう程度しか技術がないんだ。だから俺は発展をさせていきたいと考えているんだよ」
「立派なのね」
「現在の宗教思想では社会貢献ができない学問だから、立派と言われると、どうにも言葉に詰まるな。……社会にとって必要な学問であれば、もっと必要性に迫られてみんなやっているからね。でも、最近は生徒も増えてきて、死霊術の未来は明るいかなって思っているよ」
「わたし以外にも生徒がいるの?」
「魔族の領地にいるよ。色々あって魔族側で世話している獣人の子たちがいるんだ」
「会いたい!」
ランツァは椅子をガタンと言わせて立ち上がった。
勇者ッチはきょとんとする。
「不可能だよ」
「でも、あなたは魔族領からここに、魂だけで来てるじゃない! わたしにもできないの、それ?」
「これはだいぶ特殊な技術が必要なんだよ。憑依術の一種なのだけれど……ここまで遠距離で違った肉体を自由に行き来するには、相当複雑な術式が必要なんだ。少なくとも、まだ初歩の憑依術さえできない君には、できない」
「普通、どのぐらいの距離なら『憑依』は可能なの?」
「目視範囲だよ。憑依後、肉体を動かすことのできる距離は、目視範囲に限らないけれど……魂の入れ替えをする時には、普通、憑依する先の肉体を、憑依前の肉体の視界に収めていなければならない。リッチがやっている技術は、霊体――肉体の内側にある、魂をくるんでいる膜に特殊な『マーク』をつけて、それを目印に遠距離憑依を成功させる、というものなんだ。道具と設備と時間がないと『マーク付け』ができないし、憑依する魂が死霊術をある程度修めている必要がある」
「それじゃあ、こういうのは?」
「どういうの?」
「わたしが、目視範囲にいる誰かに憑依するじゃない。それで、憑依した状態で限界まで歩くでしょう?」
「うん」
「それで、限界まで歩いた先で、また別な体に憑依するの。そして、また憑依した肉体を操って、歩く。その繰り返しで、魔王の領地に行くの。どう?」
「……理論上は可能かもしれないけれど、『道ばたに死体を並べておかなければいけない』という点で不可能だね。戦争中ではあるけれど、死体は並べっぱなしというわけでもない。それに、本来の自分の肉体から離れすぎると、やっぱり危険だよ。失敗率九割というところかな」
「そっかあ……」
「……ただ、なるほど。その理屈は使えると思う。今、俺がやっている技術と併せて……うん。ちょっと理論を構築するから、今日の授業はここまでにしよう。君は君で、憑依術の基礎をおさらいしておいて」
「わかったわ」
「たぶん三日ぐらい勇者の体には戻らないから、そのつもりで」
「帰るの?」
「うん。魔族のほうでやることができた。……やはり後進が育つのは有益だ。最初は時間をかけて他人を育てる効果に対して懐疑的だったけれど、違った、若い発想は大事だね」
勇者ッチは一人で納得したようにうなずく。
そういうわけで、ここからしばらく魔族のもとへ戻るのだ。
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