第70話 絆

 馬車がフォクスの街にさしかかった時に、雲が湧いてきて今にも一雨来そうな空模様になってきた。


セリカたちが宿屋に到着してすぐにザンザン降りの夕立になったので、馭者の人たちは一安心していた。


「いい降りだな。これで暑さも少し落ち着くだろう。」


ダニエルは玄関先から外を見ながら、雨粒が土の中に染み込んでいっているのを満足そうに見ている。


そこに玄関の奥から宿屋の主人が足早に出てきた。

庶民には珍しく、姿勢のいい人だ。


「侯爵閣下! ようこそお出でくださいました。もしかして…こちらは奥様ですか?」


「ああ、セリカという。よろしく頼む。」


「わが宿に来ていただいて嬉しゅうございます。どうぞ、お部屋の方へ案内いたしますので。」


ここの宿の主人とダニエルは知り合いなのか、ダニエルの表情がいつもより柔らかい。

セリカが二人を交互に見ていたので、ダニエルが気づいて説明してくれた。


「このダンカンは貴族の中でも変わり種なんだ。うちの執事をしていたんだけど、平民の奥さんをもらって、結局その奥さんの実家に入り婿に入ったんだよ。ラザフォード侯爵邸を捨ててね。」


「侯爵閣下、お人が悪い。それでは私が恩義知らずの変わり者みたいじゃないですか。あの時は悩んでいる私を、ダニエル様が後押ししてくださったと記憶しておりますが…。」


「ハハッ、そうだったな。成人したばかりの私によく仕えてくれたと思ってるよ。魔法科学研究所を立ち上げてからの忙しさの中で、なんとか人間らしい生活ができたのもお前のお陰だ。」


ダンカンさんはそのダニエルの言葉に、感激して胸を熱くしているようだった。

目元にも光るものがある。


「…こんなお言葉を頂けるとは、思ってもみませんでした。セリカ様、ありがとうございます。」


なぜかダンカンさんにお礼を言われてしまった。


「おいっ、なぜそこでセリカが出てくる。」


「閣下のお顔が柔らかくなっていらっしゃいます。前はこんな安心した幸せそうな顔をなさることはありませんでした。先日の事件の噂を聞いた時にもセリカ様に感謝しましたが、今日は本当に…私にとってこんな嬉しい日はございません。」


「ダンカンさんが喜んでくださってるのが、私も嬉しいです。エクスムア公爵家のハーバートもだけど、ダニエルは執事に恵まれてたのね。」


セリカとダンカンはダニエルを愛するもの同士の絆をすぐに感じ合った。

そんな二人の様子に、ダニエルは照れてそっぽを向いていた。




◇◇◇




 旅行に出るとダニエルと一緒にいる時間が長い。


馬車で話すこと、今日の買い物でのダニエルの様子、そしてダンカンのような人との出会い。

そんな一つ一つの出来事に会話も深まり、お互いを理解することへの手助けになっているような気がする。


新婚旅行ってすごいね、奏子。


― そうだね。

  私も知らなかったけど、こんな効果があったんだね。



「お先に。いいお湯だったよ。ここはホットスプリングのお湯を混ぜるから、湯上りに肌がサラッとして気持ちがいいんだ。」


「ホットスプリング?」


「病気なんかに効用のあるお湯が沸きだしているいずみがあるんだよ。」


― 温泉よ、セリカ!

  わぁー、久しぶり。


ファジャンシル王国にも温泉があったんだね。



キムがお風呂の準備ができたと呼びに来てくれたので、セリカもウキウキしてお風呂に入りに行った。


広めの湯船に身体を横たえると、旅の疲れが取れていくような気がする。

肌を伝うお湯の感触が、言われたようにどことなく違う。


気持ちいいね。


― そうね。

  でもダニエルも『お先に。』なんて、だいぶセリカの家の

  流儀に馴染んできてるわね。


ん? そういえばそうか。

最初にトレントの家に泊った時は、父さんに『お先に。』って言って来てくださいねって言ったら、不思議そうな顔をしていたもんね。


私が貴族のやり方に慣れようと努力している時に、ダニエルも私の習慣に慣れてくれてたんだね。



お風呂からあがって部屋に帰り、ダニエルとゆっくりしていると……もう一度お風呂に入った方がいい状態になってしまった。


二人でコソコソと残り湯に入りに行ったのだが、脱衣所に替えの下着が用意されていたのには赤面した。


コールとキムにバレバレだし…。




◇◇◇




 翌朝、ダニエルとふたりで日課の散歩に出かけた。


起きだしたばかりのフォクスの街に、生活の音が響き始める。

昨夕の夕立のおかげか、夏の朝の空気の中にひんやりとした湿り気があって、高原の空気を吸っているような爽やかさがあった。


カンカンと金物を叩いている懐かしい音がしたのでのぞいてみると、鍋やザル、ボールなどを陳列している店の奥に工房がついた金物屋さんがあった。


セリカは幼馴染のハリーのお父さんに小さい頃から教えを受けていたので、金物の目利きには詳しい。

ここの店のあるじが相当な腕の持ち主だということがわかって、訪ねてみる気になった。


「おはようございます。お忙しいところをすみません。」


セリカが声をかけたが、唸り声がするだけで誰も出てこない。


「………店は七刻からだ。そんなこたぁ誰だって知ってるだろう。」


しばらくしてやっと、奥の工房からだみ声がかえってきた。


「ふふ、そうでしたね。後からまた来ますねー。」


「セリカ、私が話をつけようか?」


「いいのよダニエル。職人の段取りを狂わせたら悪いから。」




宿の朝食は庶民の宿屋では珍しい、少量の料理が盛り合わせられたオードブルから始まる、貴族の家で出されるようなコース料理だった。

セリカとダニエルは久しぶりのコース料理を堪能した。


「こういうのもたまにはいいわね。」

「最近は奇天烈な料理が続いてたからな。」


「えぇー? でも美味しいって言ってたじゃない。」

「うまいよ。味のことを言ったんじゃない。それはわかってるだろ?」


ダニエルに懐柔するように笑いかけられると、セリカはそれ以上なにも言えなくなるのだった。


ん、もう。

なんか負けた気がしてきちゃう。


― 甘いマスクであの甘い微笑み

  …誰にも太刀打ちできないわね。

  ダニエルも威圧感だけじゃなくて、新たな境地を開拓

  したのかも…。




 朝食の後でもう一度、だみ声の職人のいる金物屋に行ってみた。


そこにはさっきはいなかった笑顔の娘さんがいた。


「いらっしゃいませ~。何をお探しでしょう。」


「鍋も欲しいんだけど、新しい形の鍋をここのご主人に作ってもらいたいと思ってるんです。」


「…う、父ちゃんと話をするんですか?」


「ええ、ぜひっ! ここの金物類は仕上がりが素晴らしいんですもの。こちらの職人さんに頼みたいものがあるんです。」



この娘さんはポーラといって、近所に嫁に行ったのだが、お父さんが店番を首にばかりするので、仕方なく店のことだけを手伝いに来ているそうだ。


しぶしぶとポーラが案内してくれた工房で、セリカは生涯の友となるアダムという男と向き合った。

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