第39話 ポチ

 ここ三日ほど、セリカはお義母様と買い物に出かけたり、一緒にテラスでお茶をしたりしていた。

おかげで、王都の貴族の人たちの噂話もいくつか仕入れることができた。


ダニエルのお父様のエクスムア公爵は、少し気の弱い方らしい。

お兄様の国王陛下はダニエルのように頭が回るやり手の人らしいが、公爵閣下は典型的な婿養子の事なかれ主義だと、お義母様はおっしゃっていた。


ダニエルはお母様のシャロンさんのことを、気位の高い人だと言っていたから、なんとなく公爵家の雰囲気がわかる気がする。


― お父様は完璧に奥様の尻に敷かれてるわね。


たぶんね。



「この辺りでは王都と言ってるけど、王族の直轄地の周りに公爵家の領地がそれぞれ四ケ所あるのよ。侯爵家はまだその外側に領地があるし。でも侯爵家の領地の辺りまでは、道も整備されているから王都と言われる都会になるわね。」


お義母様の言われていることは、フロイド先生の地理の授業でも習った。


ファジャンシル王国は大きく中央帯、東部帯、西部帯、南部帯、北部帯、の五つに別れている。


東西南北の地方の地帯から言うと中央帯に属する家領は、王都に分類される。

企業や商店も多い経済の中心地でもある。


ここダレニアン伯爵領は西部帯の北の方に位置している。

王都までは、普通の馬車で二週間。

魔導車だと一刻ぐらいだそうだ。


ダルトン先生とバノック先生は王族の直轄地に住んでいるので、ラザフォード侯爵領に住んでいるフロイド先生夫妻とは、違う魔導車に乗って帰って行った。


ラザフォード侯爵領は王都と言っても、ダレニアン伯爵領が属する西部帯に近い場所なので、普通の馬車でも一週間ぐらいで行けるらしい。



 今日はとうとうダニエルがやって来る日だ。


四日前に先生方とお別れしてから、セリカはこの日を指折り数えて待っていた。

自分でも不思議だが、ダニエルの妻になってからは一人でいるのを寂しく感じるようになってしまった。


今は話をするマリアンヌさんやペネロピもいないし、勉強も一人で復習をしているだけなので気を紛らわせるものもない。

そのため考えることといったら、ダニエルのことやこれからの生活のことばかりだった。


今日からずっとダニエルと一緒だと思うと、心が浮きたってくる。




◇◇◇




 七刻の鐘が鳴ってからずっと、セリカは焦れながら窓の外を何度も確認していた。


荷物はもうまとめてあるし、服も乗馬服を着こんでいる。


お義母様は「結婚式に出るのだからドレスを着ていって伯爵邸で着替えたら?」と言ってくださったが、乗馬服でも平民の結婚式には派手すぎるぐらいだ。

パーティー用のドレスなどで出かけたら、皆の中で浮いてしまうことは間違いない。


今日の主役は私じゃなくてベッツィーだからね。



― セリカ、来たみたいよ。


本当だ!


山の上の空に点のように見えていた黒い粒が、みるみる大きくなってくる。


セリカはカバンの肩ひもを頭から被って荷物を持つと、窓から下に飛び降りた。


エバが笑いながら部屋の窓を閉めてくれている。



真っ白なペガサスが草原に降り立ち、そのまま少し走って伯爵邸の玄関近くまでやって来る。


近くで見ると見上げるように大きく見える。

ブルンッと鼻息をつきながらペガサスはセリカのすぐ側で止まった。


ダニエルが飛び降りると、ポチは大きな翼を馬体の横にたたんでいった。


ふわふわの羽毛が気持ちよさそうで、撫でてみたくなってくる。


セリカがポチの方を見ると、長いまつ毛に覆われた優しそうな目でセリカの方をじっと見ていた。


「ポチ、今日はよろしくね。」


セリカが肩の近くの羽を撫でると、ポチは頭をセリカの方に寄せて優しく匂いをそっと嗅いだ。


うわー! 

サラサラで綺麗な羽。


― 馬に触ったのも初めてだけど、それがペガサスだもんねぇ。



「へぇ~、ポチが大人しくしてるな。」


ダニエルが面白そうにセリカとポチを見ている。



玄関の扉が開いて、伯爵夫妻や執事のカースンをはじめとする雇人の人たちが、お別れの挨拶に出てきてくれた。

エバも急いで二階から降りて来たようで、皆の後ろに立っている。


「セリカ、元気でね。また落ち着いたら遊びにいらっしゃい。」

「ありがとうございます、お義母様。本当にお世話になりました。」


「二人とも気をつけて行くんだぞ。トレントの家族にもよろしく言ってくれ。」

「はい。ダレニアン伯爵、色々とお世話になりました。」

「お義父様、カールへのお祝いをありがとうございました。どうかお二人とも、お元気でお過ごしください。」


「セリカ様。」

「お元気で。」


出てきてくれていた人たちへもお礼を言って、エバとは抱き合って別れた。



「よし、それじゃあ行くか。」


ダニエルの言うことがわかるのか、ポチは馬体の向きを変えて翼を広げ始めている。


「私の後ろに乗ってしがみついておけよ。」

「はい。」


ダニエルの言葉に頷いて、セリカも羽に気をつけながらポチの背中に飛び乗った。


うわ、筋肉がすごいね。


― それに温かい。


お尻の下にポチの身体の躍動感を感じる。


セリカは肩にかけていた荷物を後ろに回して、ダニエルの腰にしがみついた。


ダニエルの匂いがする。


背中に顔をつけながら、セリカは久しぶりに感じる安心感に浸っていた。



ポチは翼をはためかすと、あっという間に空へ飛び上がっていった。


― あら不思議。

  飛行機に乗った時みたいなGをあんまり感じなかったわ。


ふわっと飛び上がったね。



馬車で半刻ちょっとはかかるダレーナの街が、ポチで飛んで行くとあっという間だった。


「セリカ、ここら辺りで飛び降りるぞ。」

「はい。でも、ポチは?」

「こいつは大丈夫だ。私が呼ぶまで森の中で遊んでる。」


ダニエルと一緒に空中に飛び出すと、ポチは旋回しながら森の方へ飛んで行った。



「私が支えてるように見えたほうがいいだろう。」


ダニエルはセリカが魔法を使えることを大勢に知られたくない気持ちを、なぜだかわかってくれている。


後ろから身体を抱きしめられるようにして、二人はトレントの店がある通りに降りて行った。


通りを歩いている人たちが、セリカたちの姿を口を開けて眺めている。

レイチェルが、店から飛び出してきて空を見上げたのがわかった。


ふふ、相変わらず好奇心旺盛ね。



セリカはふわりと店の前に降り立った。


一か月以上、側で見ることができなかった店の扉。


「帰りました。」


小さく呟いたセリカの背中を、ダニエルがぎゅと掴んでくれた。

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