第35話 フェルトン子爵

 四月に入り草原や森が燃えたつような若葉でおおわれる季節になって、王都から一通の書留郵便がダレニアン伯爵家に届いた。


「我が家にもう一つ爵位が叙勲された。伯爵位からの陞爵しょうしゃくも検討されたようだが、跡継ぎがクリストフしかいないことから、それは見送られた。そこでかつてのコルマ男爵領をフェルトン子爵領と名前を変えて、嫡子ちゃくし相続領として治めるようにとのことだ。」


昼食の時に、ダレニアン伯爵様からそんな話が皆に伝えられた。



「ということは、僕たちはコルマじゃないフェルトン子爵領に住むということですか?」


「そういうことになるな。お前はダレニアン卿ではなく、今日からフェルトン子爵と呼ばれることになる。叙勲式はまとめて秋に王都で催されるそうだ。」


「フェルトン子爵…。」


マリアンヌさんもペネロピも顔を見合わせて驚いている。



「コルマの名前がなくなるのはいいかもしれないな。あの男はロクなことをしていない。ここら辺り一帯の平民に貴族の不評が広まっているのはあの男のせいだ。」


セリカも貴族はとんでもないことをするという噂を聞いて育って来たので、クリストフ様が言うのもよくわかる。

ダレニアン伯爵家へ養子に来るのも、そんな噂のせいでちょっと怖かったのだ。




◇◇◇




 午後の勉強の時にも、フェルトン子爵領の話題が出た。


「伯爵夫人に頼んで、こちらのリネン室で実習をさせて頂く予定でしたが、つわりの時期のマリアンヌ様を助けて、フェルトン子爵邸の準備を整えて欲しいと奥様に頼まれました。」


「そうなんですか。」


「腕がなりますわ~。セリカさん、お屋敷をまるまる最初から作り上げるなんてなかなか経験できることではありませんよ!」


バノック先生はいつになくハイテンションで、腕まくりをしてねじり鉢巻きでもしそうな雰囲気だ。


これから作戦会議があるらしく、マリアンヌ様の居間へバノック先生と一緒に向かうことになった。



いつも優雅にお茶をしている居間には、大きな作業机が運び込まれていて、若い女中たちがまだ椅子を運び込んでいる途中だった。

すっかり会議室の装いだ。


「バノック先生、良かったですわ。ありました。コルマ邸の設計図と間取りの詳細がわかるもの、庭の俯瞰図も伯爵様からお借りしてきました。」


マリアンヌさんの付き人のロイスさんが、作業机の上に何本もの巻紙を置いた。


「やっぱりあったんですね。ラザフォード侯爵閣下のことですから抜かりはないと思いました。先を予測して仕事をされる方ですからね。」



バノック先生とロイスさんは、巻いてある紙を広げて文鎮で両脇を止める。


「ふ~ん、男爵邸だったにしては贅沢な造りね。」


「屋敷が広くて良かったですよ。まだまだ赤ちゃんが増えそうですし。」


ロイスさんはマリアンヌさんが妊娠したことがよほど嬉しいのだろう。

自慢したくてたまらないようだ。


この二人のはしゃぎように、セリカとマリアンヌは顔を見合わせて苦笑いをした。


そこにペネロピが付き人と一緒にやって来たので、皆で席に着いて話し合うことになった。



「まず大まかに部屋を決めたほうが話を進めやすいと思います。主人用の寝室はこちらのようですから、第一夫人のお部屋はここになるかしら? マリアンヌ様は、こちらのお部屋でよろしいですか?」


「はい。」


「そうなるとペネロピ様のお部屋は、ここかこちらがよろしいわね。」


「私はこちらのお部屋にして頂きたいわ。テラスがあるからアルマが大きくなっても遊べそうですし。」



セリカはその間取り図を見て、自分がダニエルの第一夫人として扱われているということを知った。


第一夫人の部屋は主人の部屋と扉で繋がっているが、第二夫人の部屋は二人の部屋からだいぶ離れているのだ。


そういえば、ここでもペネロピの部屋は子ども部屋や図書室などを挟んだ所にある。

やはりそれぞれのプライベートスペースを取ってあるようだ。


― でも第一夫人は、主人が夜に違う奥さんの所へ出て

  いくのが気配でわかるのね。


なんか微妙な気持ちになりそう。



その後、最高位のお客様が泊る客室のことでバノック先生がロイスさんに注文をつけた。


「その部屋は広いですが、こちらの庭に面した客室を改装した方がいいと思います。クリストフ様を訪ねて来る最高位のお客様はラザフォード侯爵閣下かジュリアン王子殿下の可能性が高いでしょ? お二人ともお庭が好きなんです。特にジュリアン殿下はマーガレットのお花が好きでね。小さい頃はよく私に花を摘んできてくださったものです。」


懐かしそうに言ったバノック先生の顔は、まるで母親が息子の話をしているようだった。


「そうなんですね。クリストフ様は本当にお友達にも奥様にも恵まれて、幸せなことです。」


ロイスさんは鼻高々でバノック先生の意見を取り入れた。

雇人にとっては、勤め先の主人が王家と繋がりがあるというのは自慢なことに違いない。



それを考えると私のような平民がダレニアン伯爵家に養子に入ると聞いた時にはがっかりしたでしょうね。


― そう言えば、最初にロイスさんが店に来た時に、

  セリカがドアを開けたから、戸惑ってなかった?


ふふ、驚いてたわね。

顔には出さないようにしてたけど。

だれか執事のような人が扉を開けるものと思ってたでしょうね。

それが本人だったんだから…。



ロイスさんのように代々伯爵家に勤めて来たような筋金入りの人が、今ではセリカを受け入れてくれているのが不思議な気持ちだ。

そうなるまでには葛藤もあったに違いない。


セリカは母さんが言ったことを思い出していた。


『出会った人の縁を大切にしなさい。』

『前を向いて侯爵様と上手くやっていくことを考えなさい。』


本当にそうだね、母さん。


私がたいしたこともないのにダニエルを見限ってダレーナに戻って来たら、こうやって知り合って仲良くなった人たちの一人一人の思いも踏みにじることになるんだね。


セリカは気合を入れて、バノック先生やロイスさんが話していることを覚えていった。

いつか自分が任される侯爵家の采配ができるように。


そしてペネロピに許されている権限も覚えていった。

第二夫人、第三夫人と地位が落ちて行った時にも対応できるように。



庭の話になって、花や果物の選定に移ると、セリカの頭の中にも夢が広がっていった。


菜園をやってみたいな。

新鮮な野菜を作って、トレントの店の味を自分で再現してみたい。


父さんの料理の味が王都でも再現できたら、寂しくなくなるような気がする。


セリカのそんな思いも乗せて、フェルトン子爵家の大枠の構想がまとまろうとしていた。

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