第20話 ダレニアン伯爵邸
馬車は広い車回しをぐるりと回って、重厚な扉のある伯爵邸の玄関へ横付けした。
馬が止まると、外から扉が開かれて踏み台が降ろされる。
伯爵様ご夫妻は反対側の出口から降りて、屋敷の中へ入って行かれた。
クリストフ様が先に降りて、セリカの方へ手を差し出してエスコートをしてくれる。
その手につかまってセリカが馬車を下りると、そこにはセリカを出迎えるように三人の人が立っていた。
ニコニコした年老いた男性とキリッとした中年の女性、それにツインテールの若い女の子だ。
「セリカ、この人は執事のカースンだ。」
クリストフ様が一番手前に立っていた男の人の紹介をしてくれる。
「セリカ様、カースンと申します。よろしくお願いいたします。」
「こちらこそよろしくお願いします。」
年寄りの男性は執事さんのようだ。
そういえば執事って、何?
― この屋敷全体を取り仕切っている人よ。
使用人の中でも一番偉い人。
へぇ~。
カースンさんの隣にいた中年の女性は、女中頭のバリーさんだった。
挨拶の様子からみて、厳格そうな感じだ。
若い女の子は、私に付いてくれるエバという子らしい。13歳だと言っていた。
スカートをつまんでピョコンと頭を下げるおじぎの仕方を見ても、落ち着きがなさそうな気がする。
バリーさんが顔をしかめてエバを見ていた。
エバ、がんばっ!
セリカはなんとなくこの後エバがバリーさんに注意されそうな気がして、心の中で応援してしまった。
セリカの旅行用のバッグを御者の人が降ろしてくれると、エバがそれを持って屋敷の中に入っていった。
クリストフ様はセリカを連れて玄関を入ると、エバの後を追うように階段を登って行く。
横に六人は並んで歩けそうな広い階段だ。
最初は真っすぐに登って行って、中段にポーチがあり、そこから左右に階段が別れている。
セリカたちは右手の階段を登って、濃いえんじ色のジュータンが敷かれている廊下を右の奥の方に進んで行った。
「こちらです。」
エバが開き戸の片方のドアを開けてくれたので中に入ると、セリカの家の一階よりは広そうな応接室があった。
「この部屋と隣の部屋を使ってくれ。奥の寝室に衣裳部屋とバストイレが付いている。勉強部屋は三階にある。」
「…わかりました。」
クリストフ様はぼんやりと部屋を眺めるセリカの顔を覗くように身を屈めると、目を合わせてにっこりと笑った。
「ようこそ、セリカ。ダレニアン伯爵家へ。短い間だけど、自分の家だと思って寛いでくれ。」
セリカは、ハッとしてクリストフ様にお礼を言った。
「素敵な部屋をありがとうございます。これからよろしくお願いします。」
「ああ。これから昼食までは部屋でのんびりしているといい。昼食の後に誰かが屋敷を案内するからね。」
「はい。」
ちょっとこれ、どう思う? 奏子。
― 運動会ができそうね。
一人で使う広さじゃないよね。
どうやって掃除するんだろう。
― ふふ、たぶん掃除は女中さんたちがしてくれるんじゃない
かしら。
それにほら、ここではセリカも魔法が使えるわよ。
そうか……いままでは隠し通してきたから、自由に使えるとなるとなんか変な感じ。
◇◇◇
エバがざっと置いてくれていたらしいセリカの物を、自分が使いやすいように並べ替えていると、昼食の時間が来たと言ってエバが呼びに来てくれた。
一緒に長い廊下を歩きながら、セリカはエバに話しかけてみた。
「エバはいつからここで働いてるの?」
「十歳の時からです。」
やっぱり貴族の家でも平民と同じで十歳から仕事をするんだな。
「そう。エバも魔法が使えるの?」
「はい。使用人の中では魔法量が多いと言われて、セリカ様付に抜擢されました。」
「へぇ~、魔法量の多い人を付き人にすることになってるのかしら?」
「いいえぇ、セリカ様の魔法量が少ないからフォローするためですよ…あっ、申し訳ありませんっ。」
どうも貴族間では魔法量の多い少ないが問題になるらしい。
エバはうっかり失礼なことを言ってしまったと思って、身を縮こまらせている。
ラザフォード侯爵様はこちらにいる最後の日にセリカの魔法量が多いことを知ったので、うっかりクリストフ様に伝え忘れていたらしい。
一階の食堂に着いて中に入ると、細長いテーブルの端っこにダレニアン伯爵が座っていて、真ん中あたりにクリストフ様とマリアンヌ様が座っていた。
セリカが来ると男性が二人とも席を立ったのでビクリとした。
― セリカ、前に話した貴族のマナーよたぶん。
ああ、女の人が部屋に入って来ると男の人は立つっていうあれね。
セリカは二人とマリアンヌ様に軽く会釈して、エバが魔法で引いてくれた椅子に腰かける。
エバとタイミングを合すのが難しそうだ。
これは、ずっと一緒にいると上手くタイミングを合わせられるようになるんだろうな。
セリカの席はマリアンヌ様の向かいだ。
先日、服を買う時に長い時間を一緒に過ごしたので、気持ちが落ち着く。
二人で顔を見合わせて微笑み合った。
ペネロピ様はどうするんだろう。第二夫人というのは一緒に食事をしないのかしら。
セリカの疑問を察したのか、クリストフ様が説明してくれた。
「ペネロピは赤ちゃんが産まれたばかりなので、最近は部屋のほうで食事を取っている。」
なるほど。まだ産後の安静期なのね。
伯爵夫人が食堂にやってきたので、昼食が始まった。
最初に主人である伯爵様が食べる前の挨拶をするようだ。
「ファジャンシル王国の安寧と自然の神に感謝して、今日の糧をいただく。」
「いただきます。」
「…いただきます。」
セリカも少し遅れたが、挨拶が出来た。
いただきますは、平民と一緒なんだ。
良かった。慣れてるやり方で。
食堂付きの係の人がいるらしく、二人の男女がセリカたちの食べる料理をサーブしてくれる。
いつもは自分がやってることなので、他人に料理を持ってこられるのはどうも落ち着かない。
しかし次々にお皿を運んでくる二人の流れるような動きに、セリカはいつしか見惚れていた。
急いでいるのにそんな風に思えないな。
どうやってやるんだろう。
教えてもらいたいな。
― セリカ、自分の立場を忘れてるわよ。
あ、そうか。
…ダメだな。まだ頭の中が飯屋モードだ。
料理は、一口ずつのとても上品なものだった。
奏子の記憶の中のフランスのコース料理に似ている。
セリカの頭の中で、賄い飯のカツドンをかき込むラザフォード侯爵様の姿がよみがえる。
あの人、庶民の料理が好きなのかしら?
そんなことを考えてしまった昼食だった。
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