第12話 連絡
朝。
カーテンの隙間から眩い光が差し込んで、焔は眉を顰めた。カーテンをもっとちゃんと閉めれば良かったと後悔しながら、光を遮断すべく手を伸ばす。
今日は烏間高校の創立記念日、即ち、休みであった。休日なのだから、わざわざ朝に起きる必要などないだろう。そう、カーテンを閉め切って、焔は枕に顔を埋め直し――
鳴り響いた携帯電話の着信音に、飛び起きた。
「……はぁ?」
焔の電話番号を知る者は少ない。誰だ、と顔を顰め、腕を伸ばして携帯電話を掴み、引き寄せる。
ディスプレイに輝いていたのは――数少ない連絡先を知る者の一人、中嶋悠大の名前である。さらに、焔は顔を顰めた。中嶋は焔の性格をよく心得ている。休日は昼まで寝ていたいことも、用のない連絡が嫌いであることも。
――そんな中嶋が連絡を寄越すということは、『何かがあった』ということだ。そして、それは、『聖域』である中嶋にはそう珍しいことではない。
「……何の用だ? 今度は何に目ぇ付けられた、中嶋」
通話ボタンを押し、電話を耳に当てる。電話の向こうで、困ったような中嶋の声が聞こえた。その声に困惑はあれど、焦りは、無い。
『悪い、焔。用があるのは俺じゃないんだ。荒川がな……』
「……切るぞ」
『ま、待ってくれ!』
荒川の名前が出た途端、焔は顔を顰めて電話を離す。慌てた中嶋の静止が入り、渋々電話を耳に当て直して、焔は溜息をついた。中嶋は焔の性格をよく心得ている。焔の嫌がることも知っている。だがそれ以上にお人好しならば、荒川が焔への中継ぎを頼めば断りはしないだろう。
『休日に本当ごめん、焔。けど荒川の様子も普通な感じじゃなくて……話だけでも聞いてやってくれないか』
溜息を聞き取ったか、中嶋の罰の悪そうな声がする。
「……手短に済ませろって伝えろ」
『! ああ、ありがとう!』
返答を返せば、中嶋の声が弾む。そのまま声は少し離れて、同じ場所にいるらしい荒川と何かを話していた。
そして、物音。電話の相手が変わる。
『頼む。桜を助けるのに協力してくれ』
案外、静かな声だった。煩く吠えるかと思っていた荒川の声は、張り詰めて僅かに震えている。
――面倒事かと、焔は溜息をついた。
「断る」
『っ……頼む! お前じゃないとダメなんだよ! 桜が行方不明なんだ! 昨日の晩! 俺に助けてって言ってきて! それから連絡がつかねぇ!』
「何だそりゃ。んなもん警察に言えよ」
静かであったのは最初だけで、煩く騒ぎだした荒川に、焔は顔を顰めて電話を離した。寝起きに耳元で叫ばれるのは頭が痛む。
桜、とは、確か荒川の幼馴染みとやら、そういうものだった気がする。ただ、誰でもいい。焔には関係の無い話だった。面倒臭いし頭も痛い。通話を切ってしまおうかと、焔の指はボタンを撫ぜる。
『六花代学園なんだ……!』
――その、荒川の振り絞ったような声が耳に届かなければ、さっさと通話を切ってしまっただろうか。
『六花代学園、なんだ。桜が、進学したのは』
荒川がもう一度、繰り返す。焔は――息を吐いて、電話を耳に当てた。
「お前が、俺に連絡してきた理由はわかった」
『……ああ』
「巻き込まれてる――って可能性、確証は?」
『……無い。けど、桜はこんな風に連絡を絶つような奴じゃない、絶対に』
「……わかったよ」
もう一度、焔は息を吐く。本当に面倒臭い。こんな電話さっさと切ってしまいたい。
だが、脳裏に、かの少女が浮かぶ。黒い髪、赤い瞳。荒川と要らぬ縁を、そして焔に事件との縁を幾つか結んでおいた――などとほざいた、あの化け物。
この事件が、荒川に――荒川の幼馴染みに初めから運命づけられていたものか。それとも、焔に結ばれた縁を伝って、焔から荒川に、そして荒川から幼馴染みに、伝わって、巻き込ませてしまったものなのか。
「六角駅の改札で待ってろ。俺も今から出る」
どちらでも、もうどうでもいい。どちらにせよ、もう、関わってしまったのだから。
*
六角。
焔の住むアパートがある幾江町から、烏間町とは反対方向、一駅先にある、大きな町だ。町、とは言うものの、そこは普通の市町村とは一線を画している。
六角の統治に、国は立入ることを許されない。その町を治めるは、代々町長の座を受け継ぐ『夜桜家』の長である。
部外者は、町に自由に入ることは出来ない。六角駅という、外部に繋がる線路はあるものの、駅自体は六角の外にある。結局町に入るには電車を降り、人の身で往かねばならない。そうして、人の身で門を通り町の中に入るには、『パスポート』が必要だ。三種類、仕事の都合で夜桜家が招き入れた者に渡される有効期限付きのパスポート、観光客に渡される仮パスポート、そして住人となる者に配られる本パスポート。どれも、手に入れるためには厳密な審査に合格せねばならない。
最早、日本からほぼ独立した国家のような場所だった。そして、六花代学園とは、その六角に存する唯一の教育機関である。小中高大一貫式のその学園は、六角の住人が多く通う他、外部からの進学も受け入れている。細道桜子は、外部から審査に合格して六花代学園へと進学した少女であった。
――そこまでが、少々どころではなく変わり種であるものの、『こちら側』の話である。
「六角は、怪奇と人が共存している」
六角駅。その改札で顔を合わせた半袖シャツとジーンズを身に着けた荒川は、随分と張り詰めた空気をしていた。いつもの騒がしさが少ないのはいいが、と焔は何度目かの溜息をつく。
「……今までは、ただの都市伝説だと思ってたんだ。幽霊とかバケモンとか、そんなの、作り話だって」
荒川がそう吐き捨てて、拳を握った。
――六角は、怪奇と人が共存する町である。
その文言は、焔のように怪奇や人外との縁が深いような者でなくとも知っている、六角という町を語るには切り離せない謳い文句である。だが、それを真実と考える者はどれほどいるか。怪奇や人外、人間の理を外れるもの。そういったものを正しく知る者は、焔のような例外を除けばほとんど居ない。イギリスには幽霊の住民票があるだとか、それくらいの感覚であるかもしれない。荒川も、そうだったのだろう。
猿の駅。あの一件が無ければ、きっと今もそうだった。
「……六角内部は、外とはかなり違ってる。なにせ怪奇や人外が認知されまくってるからな」
焔の呟きに、荒川が顔を上げる。
「細道桜子が、そういうモノに襲われた。そう言いたいんだろ、お前は」
荒川は険しい顔のまま、焔を見ていた。その無言が答えで、焔はまた、息を吐く。
「……だが、怪奇についてはこの前知ったばっかのお前より、仮にも六角の住人になった細道桜子とやらの方が知ってるはずだぜ。距離の取り方もな。それを間違えて襲われたんなら、自業自得だと思うがな」
「桜はんな馬鹿やらねぇ!」
吠えるように否定する荒川の脛を蹴り、「うるせぇ」と焔は呆れた目で見上げる。
「どういう経緯でそうなったのかはいい。どうせ調べなきゃわかんねぇ。ここまで来たんだから今更放置して帰んねぇよ」
ぐ、と荒川が言葉を詰まらせる。その目は揺れて、不安の色が隠しきれてはいない。猿の駅でもぎゃんぎゃんとうるさかった男のくせに、と、焔は肩を竦めた。やかましい男が萎れているのは、どうにも調子が狂う。
幼馴染み、というのは、そうも心を乱されるものなのか。それほどまでに、大切な人間。
――そんなもの、焔には存在しない。だから、荒川の気持ちなどわかりはしなかった。
「……行くぞ」
荒川に背を向け、歩き出す。ハッと顔を上げた荒川が慌てて着いてきた。
「行くって、六角の中か? お前パスポート持ってんのか!?」
「持ってない」
「ど、どうやって入んだよ?」
「お前、俺が何とかするって思ったから俺に連絡してきたんだろが」
不安を帯びた荒川の声が鬱陶しくて、焔は荒川を見上げる。そうして、挑発的に笑ってみせた。
「何とかしてやるよ。黙って見てろ」
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