第11話 乞救

「驚いた。荒川、いつから焔と仲良くなったんだ?」

「仲良くはなってない」

 クラス委員長、中嶋悠大が目を丸くして言うのを即座に否定したのは、声をかけられた荒川ではなく焔であった。


 時間は昼時。烏間高校も昼休みにあたる時刻、各々昼食を摂ったり友人同士歓談したりとクラスは賑やかだ。

 今までは一人屋上でパンを頬張っていた焔が賑やかな教室に拘束されているのは、ひとえに、勝手に焔の席の前を陣取って弁当を貪る金髪ヤンキーのせいである。

 ――『猿の駅』での騒動が起きて、大体一週間が経過した。あれ以来、付き纏う荒川によって、焔の静かな日常は打ち砕かれてしまった。

「こいつのコミュニケーション能力ってやつを養ってやってんだよ、こいつマジで協調性がねぇ」

「頼んでないんだが」

 やれやれとでも言いたげに笑う荒川に、焔は深く溜息をつく。

 最初こそ今まで通り屋上に昼食を持ち込んでいたのだが、何を言っても着いてくる荒川にやがて諦めを覚えた。何処に行っても荒川が居るなら、移動する労力は無駄だ。だったら教室で食べたところで何も変わらない。そういうわけで、不本意にも、昼休みに教室で荒川と向かい合って昼食を摂ることが日常になりつつあった。

「はは、でも焔が他の生徒と馴染んでるのは良い事だよ、安心した」

「……で、何の用だよ、中嶋」

 馴染んではいない、と否定したくても、したところで意味が無いことは分かっている。だから何度目かの溜息をついて、焔は中嶋に問い掛けた。ああ、と言って、中嶋が笑う。

「再来週の校外学習の、選択体験、希望用紙今日までだぞ。焔まだ出してないだろ」

「……熱心だなお前も」

 校外学習、即ち遠足にて、二つのグループに分けて山登りと海遊びの希望する方を――勿論人数調整の関係で全員が希望通りになるかは不明だが――行わせる、らしい。焔は休みたい思いだが、それは荒川が許さなそうである。

 はぁ、と息を吐いて、ファイルからまだ白紙の希望用紙を引っ張り出す。適当に『希望無し』に丸をつけ、名前を書いて、中嶋に手渡した。受け取った中嶋がまた笑う。

 一連の流れを、弁当の中のハンバーグを咀嚼しながら見ていた荒川が、飲み込んで、口を開いた。

「つか、焔テメェ、委員長にはわりと素直じゃねえかよ」

「そうかな? 焔はいつもこうだが」

 どこか拗ねたような荒川に、中嶋は首を傾げる。焔はひとつ、息を吐いた。

「……中嶋は『聖域』だからな」

「はぁ?」

 焔の返答に荒川はいかにも訳がわからないと言ったような顔をする。そんな荒川を無視して焔はパンに齧り付いた。中嶋が苦笑して、一度周りを見渡す。他の生徒が自分達に意識を向けていないことを確認してから、口を開いた。

「焔は説明が足りないよ……なんというかだな、俺は霊とか妖怪とか……そういうものに好かれやすいらしいんだ。マイナスイオン? のようなものを放っているらしい……自分ではよくわからないが」

「中嶋は聖人過ぎるんだよ。魂に穢れがない。徳を積みすぎてカンストして、それが本人の外にも溢れ出してる。自律式聖域発生装置だ」

 頬をかいた中嶋の言葉を、パンを飲み込んだ焔が引き継ぐ。

「その割に戦闘能力が無いから厄介なのを引き寄せやすい……ああ中嶋、荒川といれば多少回避出来そうだぞ。こいつ臭いからな、人外にとって」

「臭いって言うんじゃねぇ!」

 怒りに叫んだ荒川を無視する焔と、ギャンギャンと吠える荒川――そんな二人を見て、中嶋は困ったように笑う。

「まあ、そういうわけで、そういうのに詳しいらしい焔に色々と面倒を見てもらってるんだ」

「……そろそろ自分で対処出来て欲しいがな、俺だっていつまでも面倒見てられるわけじゃない」

「はは……すまん……」

 焔の言葉に、中嶋は罰が悪そうに頭を掻いた。そんな二人に、とりあえず荒川は関係性への納得をしたらしい。ほぉん、と相槌をうって、白米を口に運んだ。

 ――その時、荒川の方から、プルルル、と着信音が響いた。

 ガタンッ、と荒川が立ち上がる。水筒を煽って無理矢理米を流し込み、鞄から鳴り響く携帯電話を引っ張り出した。

「っわり! 電話! 桜だ!」

 何に謝っているのか焔には分からないが、ともかく荒川は煩く鳴り続ける黒い箱を握り締めて慌ただしく教室を出て行った。

 烏間高校においては、緊急時と昼休みにのみ携帯電話の使用を許可されている。だからクラス委員長である中嶋も注意することはなく、むしろ微笑ましげに見送っていた。

「……何なんだ」

 しかし、焔にその目線の意味はわからない。だからつい疑問を零すと、中嶋が笑った。

「桜、っていうのは荒川の幼馴染みだよ。細道桜子さん。別の高校に進学してしまったらしいが、今でも連絡を取りあっているらしい。荒川にとって大事な人なんだな」

「はぁ」

 説明されてもあまりピンと来ない。幼馴染み、なんていうものは、焔には無縁のものだった。

 ――とりあえず、荒川がいないと静かに飯が食えて良い。

 そんなことを思いながら、また、パンに齧り付く。


「何遠慮してんだよ。昼休みだったし、全然いいって」

「俺? 元気元気! 桜はどうだ?」

「うっ……け、喧嘩も最近あんましてねぇって……売られたら買うけどよ……」


 ――声が大きい。

 廊下に出ているというのに――教室の扉が開いていることも一因ではあるだろうが――荒川の声が聞こえてくる。あれでは廊下に出た意味などないのではないだろうか。そう、焔は呆れた目で眺めた。遠くに見える荒川は、一喜一憂しながらも、全体的には楽しそうに電波の向こうへと語りかけている。

「嬉しそうだなぁ、荒川」

 中嶋のように微笑ましく眺める気にはなれず、最後の一欠片を飲み込んで、焔は昼寝の体勢に入った。



 その日、荒川が帰路についたのは夜遅く、深夜零時を回ろうとしていた。門限をとっくに過ぎた時間を見て、荒川は焦れて息を吐く。急いでいても赤信号はしっかり守る荒川は、しかし早く渡りたい一心で横断歩道の前で足踏みをしていた。

「くっそぉ、あいつら絡んで来やがって……」

 カッコイイから、という単純な理由で染めた金髪と、生来の悪い目付きによって、荒川はよく不良に絡まれる。荒川自身、短気も手伝って売られた喧嘩はついつい買ってしまい、このように夜遅くなってしまうことも時折あった。しかし、今日は一段と遅い。かつて『スケバン』であった母の拳骨を覚悟して、荒川は身震いした。

 信号が青に変わる。荒川はすぐさま、家に向かって駆け出そうとした。

 ――しかし。

 プルルル、そんな、いつもの着信音。懐にて震える感触に、まさか母からの怒りの電話かと、荒川は顔を青くして電話を引っ張り出す。

 だが――その予想は覆された。ディスプレイには『桜』という文字が白く光っている。

「もしもし? 桜? どうしたこんな時間に」

 取らない、という選択肢はない。携帯電話を耳に当て、声をかける。真面目な幼馴染みは、この時間、とっくに寝ているはずだった。

『――竜ちゃん、』

 今日の昼、話した声。突然電話してごめんねと、謝ったその声。同じ声だが、昼よりも、ずっと小さく、震えている。あの時は、荒川に元気かと問うて、荒川の問いに、元気だよ、と返したその声が。

「……桜? どうした? 何かあったのか?」

 尋常ではない様子だと、荒川にもすぐにわかった。電話の向こうで、もう一度、竜ちゃん、と声がする。昔から、幼馴染みが自分を呼ぶ時の呼び名。

『竜ちゃん』


『――たすけて……』


 ブツン。

 切れる音。その先は、どれだけ耳を澄ませても、つー、つー、という冷淡な機械音しか響かない。

 電話を離す。丁度、ディスプレイが示す時刻は零時に至ったばかりであった。


 渡り損ねた横断歩道の前に立ち尽くす荒川を、赤信号が嗤っていた。

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