第1話 開幕

「連絡感謝致します。それでは、私はここで」

 竜を模したような灰色の仮面をつけ真っ黒な制服を着た男が、そう事務的に頭を下げる。始業式も終わり、帰宅部は帰宅して、学校に残るのはもう部活動に励む者しかいない。そんな時間に、人気のない校舎裏とはいえ高校で見かけるにはあまりに奇怪な姿の男がいれば、不審者と騒ぎ立てられても仕方が無いだろう。しかし、その男と現在対面する男子生徒は平然とした顔で「仕事はちゃんとこなしてほしいんだがな」と言葉に棘を忍ばせる。

「それは失礼。我等としても、貴方達人間が、死した後大人しく着いてきてくれればこんなことは起きないのですが」

「生きてる俺に言うなよ」

「ええ、ええ、全くで。貴方の魂を回収する時は楽そうでとても助かります」

 見た目だけは朗らかに、中に冷たさを秘めて、会話はテンポよく進む。仮面の男は手に持つ鎖をしゃらりと鳴らした。その鎖の先には、いくつもの、ぼんやりと光る球体が繋がれている。今朝、教室に渦巻いていた、死者の魂である。仮面の男は鎖を持つ手とは逆の手を掲げ、その掌からずるりと新たな鎖を引き下ろす。一定の長さまで伸びたそれを空に向かって振ると、その軌跡に沿って一つの『ヒビ』が、空気を裂いた。みし、と、空間が軋む音がする。

「では、どうぞその身にお気を付け下さい」

 仮面で、男の表情はわからない。

 鎖によって描かれたその線を瞼として、空間が、目として見開いた。文字通り空中に浮かぶ人間的な眼球はいつ見ても不気味である。それを開かせた仮面の男は動じることもなく、一礼して、魂を引き連れてその目の中に身を沈めていく。男の姿が見えなくなると、目は静かに閉じられていき、再び線に戻り、やがて空に溶けるように消えてしまった。

 それらを見届け、男子生徒――焔圭太はひとつ溜息をつく。


 裁判者機関。そう呼ばれる、竜を模した仮面と黒の制服を着込んだ集団とは、焔は奇妙な縁があった。

 彼等、裁判者は、『世界』の均衡を守ることを役目とする。「人間界性種族を支配者とする幾つもの小さな界の総称」と定義付けられた『人間界』――焔が住まうこの界もまたその一部であるが――は、『世界』のほんの一部でしかない。神界、地獄界、天国界……様々な界が、この『世界』にはひしめき合っている。

 そういったことを、通常、人間は知る由もない。人間界とは、他の界と隔離された――もっと正しく言うのなら、疎外された界だった。

 人間界性種族とは実に特殊な種族で、そういった『世界』事情に全く無知であるくせに、他の種族に不可能な『転生能力』を持つ。魂が、死してなおその場に残る。寿命が短い代わりなのか、何度も生に耐えうる頑丈な魂を持つ。だから、裁判者機関はその魂が記憶を積み重ね、『世界』に有害にならないよう、職務として回収し『浄化』して転生させるのだ。そう、焔は教えられた。

 通常知らされないはずの『世界』の真実を、焔は知っている。そして、裁判者機関と縁がある。それは、焔がある『体質』を持つからで、さらにはそれ故に、裁判者の上司とも呼べる存在に、気に入られてしまったからだった。

 裁判者機関は『世界』の均衡を守るという名目の元、人間界性種族の魂転生の他、界同士の衝突も規制する。地獄界などという、他の界からやって来た『人外』が、人間を襲う時、裁判者はそれを裁く義務がある。焔の『体質』上、人外とは嫌な縁がある。そのせいで、裁判者機関とももう馴染みとなってしまった。とはいえ、馴染みとは決して良い意味ではない。むしろ、裁判者としては厄介でしかない存在なのだろうと、焔もよく知っていた。だからと言って焔も望んで得た『体質』ではない。罪悪感など無く、裁判者機関とは、極めて淡々とした縁を、お互い望まないまま繋いでいる。

 『体質』のせいで、焔は裁判者機関に監視され、そうでなくとも、いつも面倒事に巻き込まれる。だから彼は、裁判者機関も、その『上司』も、自分の体質も、大嫌いだ。


 裁判者が居なくなり、静かになった校舎裏。学生の賑やかな声が遠くに聞こえる。運動場では始業式終わりだというのに部活に精を出す元気な学生達が青春を燃やしているのだろう。

 そんな煌めいた彼等とは真反対の、灰色の青春を燻らせる焔は、大した興味も無さそうに欠伸をして、鞄を抱え直した。



 始業式終わりの、授業のない日。帰宅部が帰るには遅く、部活動に励む学生が帰るには早すぎる、微妙な時間だからだろうか。帰りの電車にはあまり人が居なかった。がら空きの長椅子に腰掛けて、焔はぼんやりと電車内を眺める。スーツ姿の男や、ひそひそと声を潜めつつも世間話に花を咲かせる主婦らしき女達、スマートフォンに視線を落としていたり、単語帳らしい冊子を捲っていたり、楽しげに喋ったりしている見知らぬ制服の学生達。何の変哲もない光景だ。彼等の多くは、きっと裁判者も幽霊も『面倒事』も知らないのだろう。羨ましいことだと、焔はまた欠伸を零す。今日はもう、さっさと帰って寝たい。

 電車の中で一眠りくらいしてしまおうか。そう思って目を伏せた時、騒がしくバタバタと駆け込む音が聞こえて、片目だけ開いた。

「おっしゃあ! セーフ!」

 彼が電車内に駆け込んだとほぼ同時に、電車の扉は閉まってその箱は動き出す。

 同じ、烏間高校の男子制服である。だが、それ以外は焔と正反対の風貌だった。染めたのであろう金髪と、耳に幾つも嵌められたピアスが、彼が所謂不良だということをありありと示している。確か烏間高校は髪の染色もピアスも校則の上では禁止されていたはずだったが、彼には知らぬ事のようだ。顔のあちこちには絆創膏が貼られているが、痛々しさというよりは勲章といったように、彼はその傷を堂々と掲げていた。

 焔には知った顔だった。確か同じクラスだったはずだ。目立つ風貌だから顔は覚えているが、名前は知らない。そもそも、焔はクラスメイトの殆どを把握していなかった。

「あ゛ークソが、俺は忙しいってのに喧嘩売ってきやがって」

 大きな独り言をボヤきながら、不良は空いた長椅子にどっかりと腰掛けた。空いていて、間は十分にあるというのに、同じ長椅子に座っていたスーツ姿の男性はそっと隅に寄る。近寄りたくない。そんな感情をありありと示されたというのに、不良は全く気にした様子もなく大きな欠伸をして、抱えていた鞄を枕にするように顔を埋めた。暫くして、見た目より控えめな寝息が聞こえる。

 寝付きの良い奴だなと妙な感心を覚えたが、それ以上焔の興味を刺激されることはなく、彼もまた背もたれに体重を預けて、瞼を伏せた。眠気に押し流されていく意識の中で、次の駅名を告げる放送が聞こえていた。


「次は、新杉山。次は、新杉山。お降りの際は忘れ物の無いよう、ご注意ください」


「次は、聖王町。次は、聖王町。お降りの際は、忘れ物の無いよう、ご注意ください」


「次は、」




「次は、猿の駅。次は、猿の駅。お降りの際は、お降りの際は、お降りの際は、は、は、はははははははははははははははははははははははは」

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