002

「なっ? ヒグマ!?」


 女は俺に振り返ってそう言った。釣り目で気が強そうだが、透き通るようなあ水色の髪の中々の美人だ。

 そうか、俺はヒグマなのか。ちょっと景気づけにやっとくか。


『がおー!』


 こんな感じだろうか?

 上手く出来ただろうか?


「くっ! いくら子グマでもこれじゃあっ……!」


 ふむ? なるほどなるほど。

 この女にとって俺は敵なのか。

 そりゃそうか。モンスターと獣に挟まれた人間だ。

 元々俺が人間だったとしても、それがこの女に伝わるはずがないか。

 しかし、問題がある。

 俺は一体どちらの味方をすればいいんだ?

 人間? やっぱり人間だよな? 良き隣人として人間を助けるべきだよな?


「ケーッ!」


 そんな事を考えていたら、ゴブリンが叫んでナイフを投げた。

 かわす美人。その直線上に俺がいるからな。当然、ナイフは俺に向かってくる。


『ふん!』


 やっぱり野生動物の動体視力って大したものだよな。

 かなりの速度で飛んできたナイフを、簡単に叩き落とせてしまった。

 決まったな。美人のねーちゃんを狙ったにしても、結果的に俺に攻撃がきた。ならば敵意を向けるべきは、モンスターという事になる。

 にわか知識の俺の格闘技好きの魂が燃え上がるような気分だ。


『んごっふ!』


 美人の脇を通り過ぎ、俺は四足でゴブリンへの距離を詰めた。

 ナイフを持たないゴブリンなんて、子グマパンチで……、


『おらぁ!』

「きぃーっ!?」


 凄い。

 児童とかには見せられないような感じで、ゴブリンの顔が潰れてしまった。

 ……獣って凄いんだな。

 さて……、


「な、何よっ」


 美人は涙目になりながらこっちを見て、小さな肩を震わせていた。

 そもそも何故こんなところに美人がいるんだ?

 ゴブリンだっているし、俺みたいなヒグマだっているんだぞ?

 これって相当危険なんじゃないか?

 まぁ、助けるだけ助けたからいいか。

 今、俺にはこの女に構うより大事な事があるんだ。

 アメマスの刺身を食べる事!


「え? え? ……え?」


 女の脇を再び通り、俺はのそのそと元いた場所へ歩いて行く。

 あの川べりまで戻ると、俺は小走りに刺身がある葉に向かった。


『あ~、腹減っ――――はっ!? ない!?』


 おのれ、俺の刺身を……一体誰が!?

 そう思って周囲を見渡すも気配がない。


「キィー! キィ―!」

『上かっ!』


 空を見上げると、蝙蝠のような、鳥のようなモンスターがしたり顔でこちらを見下ろしていた。

 ゆ、許せん!

 俺は近くにあった石を拾い、上空に向かって投げる。


「ビィ―!?」


 くそ、かわされたか。

 そのまま逃げて行った奴を追いかける元気は、俺にはなかった。


『はぁ~、また三枚おろしからか~……』


 そう呟きながら俯いていると、目の前の葉の上にパンが置かれていた。


『はっ! パンが現れた!? がぷっ! ん~~うめえ!』


 と、顔を上げた時、正面にはあの美人が立っていたのだ。


「バアットに食べ物取られちゃったんでしょ? それはさっきのお礼ねっ」


 目の前でちょこんと座った女は、やはり美人だったが、少女のようにも見えた。

 短いブロンドを揺らし、黄金の瞳で俺を見ていた。


「アナタ、可愛い顔して物凄いのね。そこらへんにあるモスフロッグの死体も、あなたがやったんでしょう?」

『バウ』

「といっても、私に襲い掛からないでよねっ。食べたって美味しくないんだから!」


 人に指差すのはよくないと思う……って、俺はクマだからいいのか。

 しかし、施しを受けてしまった以上、何かしら礼をしなくちゃいけないな。


「ここは君の縄張りなの?」

『ばう?』

「いや、お父さんとお母さんは?」


 いたら困るのはそちらの方ではなかろうか?


「そうかー、君だけなのか」

『ばう!』


 それにしても俺の耳にはちゃんと言語が伝わるのが凄いよな。

 てっきり知らない言語かと思ってたが、がっつり日本語だった。

 それとも俺の知らないところで何か起きてるのか?

 ……いやいや考えすぎだよな。


「私はジジっていうの。しばらくここら辺のモンスターを狩る予定だから、また会う事もあるかもしれないわね」


 ジジはそう言って立ち上がり、下流の方へ向かってしまった。

 ……ジジか。そういえばこの身体、発声は出来るのだろうか?


「……ギギ」


 ……うーん、ちょっと訓練が必要かもしれないな。

 まぁ耳から入る言語は知ってるものなんだし、暇を見つけて何とかすればいいだろう。


『それにしても、パンは美味かったが、やはりこの身体じゃちょっと少ないよな』


 何だかんだで一般成人男性くらいの体重はありそうだし。

 それに、ここに一人というのも不安だ。

 近くに水はあり、食料もある。

 だけどモンスターがいるのなら、俺だって食われてしまう可能性もある訳だ。

 そもそも子グマなんだし、気を付けなくちゃいけないよな。

 あ、そうだ。さっきのゴブリンのナイフ。

 あれを拾って来よう。爪の方が強力かもしれないが、使えるようになったらそれはそれで飯が食べやすいしな。

 ――――無理だった。

 何だよこの手、グー作れないじゃん……。

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