第299話  妹の躰調査隊


「ああ~、腰が痛いっ腰が痛い~」


 密林の中、弾むような声でシルヴィアが歌う。

「痛い痛い」と言いながらも、全然そうには見えない軽やかな足取りだ。

 両の手をヒラヒラさせ、踊るようなステップに、浮かれたような顔つき。


「こ・し・がぁぁ~い・た・い♪」

「くそぅ……」

「うぜぇ……」


 振り返って覗き込む様こちらを伺うシルヴィアのドヤ顔に、ファルアとガランガルンが顔を顰めていた。


「おい、ヘタクソ! 責任取れっ!」

「何を言うとるんじゃ! 責任も何も、もう儂等は夫婦めおとじゃ、め・お・と! それにコルル坊はいっぱい、い~っぱい気持ち良くしてくれおったぞ? まあ、多少まだ股がジンジンしちょるが……」


 辟易したようにファルアが小声で呟き九郎の脇腹を肘でつつくと、九郎が答えるより早くシルヴィアが捲し立ててくる。言い澱みながら恥らうように下腹を押さえ、ファルアが顔を歪めて横を向くと、ニヤケ顔をチラチラ向けてくる。


「なんで昨日まで処女だったオババが、あんなんなんだよ!? 短小でもなきゃ可笑しいだろ!」

「ガラン坊もコルル坊のを見とるじゃろうに。こやつのは凄いぞ? あの大きさがこんなに膨れあがりおった! 儂も最初信じられんかったわい」 


 呆れるように呟くガランガルンにも、すかさず答えてシルヴィアは両手を開く。


「はははははは……」


 そこまで大きくねえよ! と心の中で突っ込みながら、九郎は乾いた笑いを溢すしかない。

 昨晩逢瀬を遂げた事で、今日のシルヴィアは頗るご機嫌だった。

 ただ、ご機嫌すぎて少しテンションが可笑しくなっているようにも感じる。


(朝はしおらしくて可愛かったのになぁ……)


 好いた男の腕の中で目覚めるのが、こんなに幸せだとはの……――そう言いながらはにかんだシルヴィアには、思わず見惚れてしまっていた。

 シルヴィアが今朝の食事当番でなければ、確実にもう一戦していたように思う。

 夜の彼女も美しかったが、朝の木漏れ日の中で微笑むシルヴィアは、妖精のように可憐で神秘的だった。


「ファルア達が弄り過ぎた所為だ……」


 ただ今の彼女に神秘さは感じられない。

 コレはコレで可愛いとも思うが、それは欲目もあってのことだろう。

 そしてこのテンションを続けられると、流石に九郎も恥ずかしい。


「おう、今は海より深く反省しるぜ……」

「んも~コルル坊ったら……昨晩儂を弄りまくっちょったのは……

 お・ぬ・し・じゃ・ゾ――」

「すまねえ、オババっ! 俺らが悪かったっ!」


 九郎の弱々しい呟きに、珍しくファルアが素直にこうべを垂れ、畳み掛けるように寄って来たシルヴィアに、ガランガルンが頭を地面に擦りつけていた。

 シルヴィアは二人の仕草にシシと笑い、満足気に頷く。

 長年からかわれ続けていた事への仕返しだったようで、呆気にとられる九郎に片目を瞑って、シルヴィアはペロリと舌を出していた。


「それじゃ、ま、行くとするかの。お~い、もう来てもええぞ~!」


 言うなれば、こちらも3年越しの想いを遂げたと言ったところだろうか。

 思い返してみれば、3人と仲良くなった当初から、シルヴィアの初心な部分はからかいの的になっていた。

 シルヴィアは、疲れた顔の二人にもう一度勝ち誇った笑みを向けると、後方に向かって叫ぶ。


「クロウしゃま、これ捕まえたでしゅ!」

「びっくりです! 向こうから獲物がやってきました!」


 シルヴィアの呼び声に反応して、藪の中から二人の姉妹が顔を出していた。

 その手に掲げられた小さなサイのような動物に苦笑しながら、九郎は苦言を呈する。


「クラヴィス、デンテ……危ねえかも知れねえんだから、何かあったら言えっつっただろ? 話によると結構ヤバい魔物もいるって事だしよ」


 二人の少女の頭を撫でて戦果を湛えながらも、保護者としての言葉が先に口をつく。

 クラヴィスとデンテ。

 二人の獣人姉妹に、年齢以上の戦闘力があるのは九郎も知っている。その戦闘を直に見たカクランティウスが、太鼓判を押すくらいの実力があることも。

 しかし少々過保護になりつつある九郎としては、心配の方が先にくる。

 まだ子供と言う事もあって、危険の潜む場所を連れ歩く事に、最後まで抵抗していたのも九郎だった。


「ちゅうてもこの辺りはまだ浜から近いから、危険な魔物はおらんと思うぞ?」


 褒められながら叱られると言う複雑な状況に、クラヴィスとデンテが尻尾をふりながら耳を伏せるのを見て、シルヴィアが彼女達の側に着く。


「クロウ、そいつは『ウッドティアー』だ。珍しいっちゃ珍しいが、危険な魔物って訳でもねえ。逆に良く捕まえられたな? 臆病だから罠で無いとそう捕まえられねえぜ?」


 それに追従して、ファルアが肩を竦めながら苦笑する。


 子供の頃から危険な大森林に潜っていた彼等としては、クラヴィス達の年齢も気にならないのだろう。

 第一、彼等が寸劇を繰り広げていた時点で、「周囲には危険が無い」と言っているようなものだ。

 密林の中を歩くにあたって、ファルア達ほどのベテランはそうはいない。


「心配ないですって、クロウさん! 僕に寄って来るのは、僕より弱い動物だけですから……」


 クラヴィス達から少し遅れて、藪の中から白い髪が覗く。


「最初は子守かよって思ってたけど、予想以上に優秀だな、坊主。ミラデルフィアでも食っていけるぜ」

「うむ。もっと胸を張って良いと思うぞ? フォルテ嬢……ん~フォル嬢?」

「シルヴィさんっ……僕、男ですからっ!」


 フォルテの『魔眼』の力に、ガランガルンが顎を撫で手放しに褒めていた。

 遠慮がちなフォルテの頭をシルヴィアが撫で繰り回し、フォルテが抗議の声をあげた。



☠ ☠ ☠



「しっかし結構デカいな……裏庭……」

「この先は毒草が多くなるみたいです。気を付けてください、クロウ様」


 地図を片手に周囲を見渡し、九郎が呟く。

 そしてナイフを片手に意気込むクラヴィスを押し止めながら、九郎はもう一度地図を眺める。

 本日九郎は久しぶりに、フィールドワークが割り当てられていた。


 密林での冒険に慣れたシルヴィア達と、今後狩猟も分担したいと言ってきたクラヴィス達年少組。

 冒険者パーティプラスお子様達と、なんだか遠足じみた面子だ。

 とは言え、九郎も内心テンションは高い。年少組が同伴していなければ、一番はしゃいでいたのは九郎だっただろう。


 再会してからずっと、九郎はサクラにべったりだったので、実は九郎も島の調査は初めてだった。

 今後の事を考え、九郎も島を把握しておくべきだとの声で、今回調査隊に加わっているが、久しぶりの冒険者らしい仕事に、九郎も内心ワクワクしている。


 子供達が一緒とは言え、ベテラン冒険者のシルヴィア達も同伴しているので、小言は出るが不安はあまり感じていない。引率教師の方が多く、誰か一人であっても安心して見ていられるほど、シルヴィア達への信頼は大きい。


「つっことで、クロウ! 行ってこい!」

「マ゛ッ!」


 ファルアの号令に九郎はシャツを脱ぎ捨て藪に飛び込む。

 肌をチクチク擦る茨の感触は、かつて何度も経験していたものだ。


「え? まっ!? クロウ様っ!?」


 クラヴィスの小さな悲鳴が消える前に、藪はクタリと萎びていた。

 痺れ毒を持つ「結構危険」と言われる毒草――『雷草スタンウィード』も、九郎の熱にかかればこの通りの有様だ。

 藪を祓おうと意気込んでいたクラヴィスには悪いが、未知の領域を歩く事に関して、九郎程の適任者はいない。


「一応チェックしといてくれよー。燃やす訳にもいかねえからなー」


 クタリとへたった『雷草スタンウィード』を足で散らしながら、九郎は片目を瞑ってVサインを掲げる。

 クラヴィスは何とも言えない表情を九郎に向けていた。


「おい、クロウ~。ガキんちょが俺を睨んで来るんだが……」

「『私のご主人様を酷使すんなっ!』ってか? ガキにモテんな、クロウ~?」


 九郎が首を傾げた事で、クラヴィスはじとっとした目をファルアに向けた。

 その視線にファルア達からからかいの声が飛んで来る。


「こう言うのは適材適所ってんだぜ? そうファルアを責めんなって。つーか顔が怖えから警戒されてんじゃね?」

「ふむ、そっちの方じゃろうな。付き合いの長い儂でも、夜いきなり現れるとチビりそうになるくらいじゃもん」

「オババはそろそろオムツが必要――おい馬鹿止めろ! 弓はいけねえ! 手加減無しじゃねえか?!」

「お主の腹は分厚いから、きっと大丈夫じゃ!」

「オババの矢は熊も貫通すんだろがっ!」


 いつものやり取りを経て、九郎はクラヴィスの頭を撫でると、クラヴィスはまた複雑な表情で眉を下げながら尻尾を振る。


「こう見えて皆ベテランだからよ? 安心して良いんだぜ?」

「………………はい」


 九郎はしゃがんでクラヴィスに微笑みかける。

 強かで大人顔負けの聡明さを見せるクラヴィスだが、それでもまだ12歳の少女。2年の間、言葉が話せなくなったベルフラムを守り、一番気を張っていたのは、きっと彼女なのだろう。

 俯きながら、小さな声で返事を返すクラヴィスに、九郎は彼女の表には出せない不安を感じ取って、眉を下げる。


「んじゃ、こうすっか!」

「えっ!? いえっ……あのっ!」


 子供が不安を感じている時には、スキンシップが一番――と言うより他にあやし方を知らない九郎は、経験から導き出された対処法で、クラヴィスを肩車してあやす。


「最初に出会った時もこんな感じだったよなっ?」

「えあ? ……は……はいっ」


 突然視界が高くなった事で驚いたのか、クラヴィスはぎゅっと九郎の頭を抱え込んでいた。

 少し元気を取り戻したクラヴィスの返事に、九郎は満足気に頷く。

 ――後頭部に当たる柔らかさから、反射的に逃げた訳では……決して無い。



☠ ☠ ☠



「クロウしゃまー、バッタ! バッタ~」

「おっ! 『ショウユ』じゃん!」

「なにっ!?」「見せろ見せろ!」


 道中の先頭をファルアと交代し、九郎は最後尾をのんびり歩いていた。

 肩車したクラヴィスは恥ずかしそうにしているが、それでも少し気持ちは落ち着いてきている様子だ。

 デンテの方は新たな環境にも好奇心が勝ったのか、元気よく周囲を探索しては、九郎に纏わりつくを繰り返している。


「コルル坊……こりゃ『塩蝗エンコウ』とは違う種じゃぁぁ……」

「けっ……ぬか喜びさせやがって!」

「おい、ガラン! んなこと言うなよ! デンテ、コレはコレで……うん、毒もねえし、良い食材だぜ?」

「ほんまじゃ。小エビみたいな味じゃのぅ。ええ仕事したなぁ、デンテや」

「えへへ……」


 道すがらはいたって平和そのもので、時折出くわす危険そうな魔物も、ファルア達にあえなく追い払われていた。


(まさに適材適所って奴だよな!)


 九郎はシルヴィアに撫でられ尻尾を振るデンテや、バッタを引き寄せようと頑張っているフォルテを眺め、感慨深気に頷く。

 

 以前に龍二達も森に入っており、大まかな調査は終わっているとは言え、まだ『ライア・イスラ』島の全ての把握は出来てい無かった。

 アルフォス達のおかげで島の地図は出来上がっているが、結構抜けが多い。


(つーか龍二も結構弱点多いんじゃね? 植物に『詳解プロフィール』が効かねえって……フィールドワークに向かねえ奴……都会っ子め!)


 一応風の防護壁を身に纏う事で、毒草による備えは出来ると言っていたが、龍二の『神の力ギフト』、『ボウカンシャ』は密林の探索には向いていなかった。

 動物系の魔物に対しては、無類の強さを発揮する彼の能力も、植物相手では無力となる。

 共に調査に出向いていた際、ミスラが先頭をきって歩いていたと言うのだから、「護衛とはなんぞや」と言ってやりたい。

 龍二の仲間達も密林の探索は初めてだったようで、お姫様が先頭を歩き、その後ろを護衛の面々が恐る恐る着いていっていたのかと思うと、苦笑も出るというものだ。


(まあ、毒ってのはそれだけ『来訪者』にとっては怖いものなんかもなぁ……)


 スタート地点が毒物まみれだった九郎も、『フロウフシ』で無ければあえなく死んでいただろうから、その警戒も分からなくもない。そもそも『不死』でなければ、最初の時点、空に放り出された時点で間違い無く死んでいた。

 レイアの診断の際も、龍二は絶対に触れようとはせず、出来るだけ距離をとっていた。

 瞳の回復の際にも、かなり厳重に風の防護壁を纏っての施術だった事を思うと、結構無茶をさせていたのかもと、九郎も反省する。

 料理も当然別で、九郎が何度誘っても、龍二は頑なに自分達だけで食事をとっていた。


(あいつ、最初は乾きものばっか食ってたからな……食う時も恐る恐るだったし……)


 この世界の病原菌に抵抗力を持たない『来訪者』は、ある意味に於いては、弱者のままだ。

 弱いからこそ虚勢を張り、力を誇示してしまうのかも知れない。

 そんな事を思いながら、九郎は最近新鮮な魚や野菜を絶えず得られるようになり、少しは改善されて来ている龍二の食事風景に、思いを馳せていた。



☠ ☠ ☠



「かあぁぁあっ! 良い景色だぜっ!」


 現地調達の食材での昼食を終え、九郎は両手を広げて風を浴び、とりあえず叫ぶ。

『ライア・イスラ』の植生は、聞いていた通り多岐に及んでおり、加えて地形も変化に富む。

 密林を抜けると小さな渓谷が広がっており、それを超えると見晴らしの良い草原が広がっていた。


 水を吹きだす山――『ライア・イスラ』の鼻孔に近付くにつれ、草原地帯が目に着くようになっていき、今九郎の目の前に広がっているのは、アルプスの山間やまあいに似た絶景だった。

 どうやら『ライア・イスラ』の植生は、東西南北ではなく、降る雨の量で分けられているようで、鼻孔に近い今の場所の方が、雨量は少ないらしい。

 時折降り注ぐスコールのような雨も、噴水のように吹きだしているので当然にも思える。


 後ろを振り返ると、浜辺で働く仲間達の小さな影と虹の橋。

 拠点のこれからを考え、九郎は目を細める。


 高い地点から見下ろすと、島の様子が良く分かった。

 鼻孔の山を頂点に、拠点は三日月形をしていた。地図もあるのでそれは知っていたが、改めて見て見ると結構大きな島である。

 島の周囲はおよそ100HHラハイン(km)程と聞いている。一日で歩くには結構厳しい距離だが、旅慣れた者ならば踏破できなくもない大きさだ。

 ただその下には測る事も出来ないくらい大きな魚影があるのだから、改めて『ライア・イスラ』の巨大さに呆れてしまう。


「凄い……」


 クラヴィスもその魚影に、目を丸くして息を飲んでいた。

 拠点の正体は初めに明かしていたが、半信半疑の部分もあったのだろう。その気持ちは大いに分かると、後ろでもファルア達がうんうん頷いている。


 巨大な怪魚の顎が僅かに動くのは目にしていても、どこかで「そんな筈は無い」と否定しいたのかも知れない。

 出会い頭に全容を見ていた船旅組と、まだ『島』の認識が強い彼等とでは、驚き方にも差があるようだ。

 聞かされた後で実感するのと、最初に常識を砕かれるのと、どちらの方が馴染みやすいのか……。

 空を飛んだ時どのような反応をするのか、九郎は今から楽しみで仕方が無い。


「んじゃ、そろそろ戻るとすっか?」


 島の大きさ。そしてさらに巨大な怪魚の影に、「もう考えるのは諦めた」と言った感じで、ファルアの声が掛かる。


「思った以上に早く集まったのぅ……果物に獣肉と卵と植物油と……」

「ぜってーあると思ってたからな! 『オーガプラント』!」

「前みてえに黒こげにならなくて良かったな?」

「うっせえ! 俺はこれで石鹸を作って皆を驚かせるんだっ!」

「コルル坊やぁぁぁぁ!」

「クロウさん、今言っちゃってません?」

「言ってやるな……あいつらは基本的に頭が悪い!」


 ファルアの悪態も気にならないくらい、九郎は上機嫌だった。

 なにしろ『ライア・イスラ』の背中は、ファルアが『宝の山』と言うのも頷ける、まさに『自然の楽園』なのだから。

 クラヴィスの表情も、朝より遥かに良くなっている。

 飢えを恐れるクラヴィスにとっても、食料が溢れる森の姿は、気持ちを明るくさせるものだったのだろう。子供達の表情が明るいと、九郎の気持ちも明るくなる。


「一応調査も兼ねてんだから、別ルートで帰んなきゃな……ん?」


 九郎は地図を眺めて呟き、顔を上げて首を傾げる。

 見下ろす森の中に、空白とも言える場所が存在していた。


「あれ、なんであそこだけ何もねえんだ?」

「ほんまじゃ。不思議じゃのぅ……」

「……調査ついでに見ていくか」


 九郎が指さす先を見て、シルヴィアも同様に首を傾げ、ファルアが頬の傷を撫でて言った。

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