第289話  小さな太陽


 大粒の雨を運んでいた雨雲はいつの間にか通り過ぎていた。夕闇が割れたステンドグラスを複雑な色に染めている。


「変わんねえなぁ? クロウ!」


 一つの命を繋ぎとめた九郎の頭に、懐かしい声が降る。


「まったくじゃ……せっかくカッコよう登場したつもりだったんじゃが……」

「よう、ルーキー? ちったあ成長したようじゃねえか」


 割れた天井の影から、ガランガルンが顔を覗かせ、シルヴィア、ファルアと続く。


「シルヴィ、ガラン、ファルア……俺全然……」


 ファルアの言葉に九郎は眦を下げて口ごもる。

 大切な者の命を失う寸前だった今の九郎に、「成長した」と胸を張れる自信など欠片も無い。

 情けなさに弱り顔を浮かべた九郎に、ファルアは肩を竦めて首を傾げる。


「ちゃんと求めたじゃねえか? 助けをよ?」

「遠くからも聞こえたぜ?」

「コルル坊の声がのぅ」

「カーテン越しの影しか見えなかったが、ぶち抜いて正解だったようだな?」

「ファルアは『別にクロウでもかまやしねえ! あいつなら死なねえだろ?』て言ってたがよ?」

「儂が愛する旦那様の影を間違える訳がなかろうもん」


 シルヴィアが目を細めて得意気にシシと笑う。

 指一本動かせず、それでも抗い続けた結果がシルヴィア達の登場を早めたのだと、九郎は思い至る。

 そして即座に矢を放ったのは、彼等が九郎を良く知る人物だった事が理由にあったのだと。

 結界内で九郎は『不死者』では無かったが、その判断の速さがベルフラムの命を繋ぐ時間をくれた。

 口しか動かせなくても諦めなかった九郎の執念が、ベルフラムの笑顔に繋がったとも言える。


「すまねえ……助かった! ……!!」


 窮地を救ってくれた仲間達の後ろには、澄んだ夕焼け空が広がっていた。

 赤紫色から藍色に移ろいゆく空の色は、まるで先の戦いの終わりを告げるかのようだった。

 赤く染められた瓦礫の山が動くまでは――。


「終わったつもりで……いがっ!? いんじゃ……あが! ねえぞ……」


 瓦礫の山の頂上で雄一の怒鳴り声が響き渡る。


「よくあれで生きてるな……」


 ファルアが瓦礫の頂上を眺めて、呆れた様子で呟く。

 瓦礫の中から這い出てきた雄一は、ファルアが言う様に、生きている到底思えない姿だった。

 ナメクジのようであり、僅かに人のようにも見える。

 半身はドロドロに溶け落ち消失しており、今や右手と顔半分だけが人の面影を残した悍ましい姿。


「アンデッド化しとるんじゃろ」


 ファルアに向けてのシルヴィアの答えに、九郎は身構える。

 アクゼリートの世界は死は時に終わりでは無い。怨嗟、呪詛、渇望……強い感情を持つ魂は、輪廻の輪から弾かれる。

 負の魔力と呼ばれる「神々から拒絶される魂」が、雄一に安らかな死を許さなかったのか。


「しつこすぎんだろ……」


 九郎の口から思わず『不死者』らしからぬセリフが零れる。

 アンデッド化してもなんら不思議はないと思いつつも、そのしつこさには辟易してしまう。

 汚い部屋が崩れた瞬間、雄一の苦しみもがく悲鳴は九郎の耳にも届いていた。

 しかし九郎に雄一の死を確認する余裕など全く無く、ベルフラムの延命に集中していた。

 いつの場合でも九郎の意識は、手から零れ落ちそうになる命が優先される。

 目の前の敵よりも失われていく命に目が釘付けになり、他の事がすっぽり抜け落ちてしまうのだ。


「いがっ!? テメエ……見てたぞ……。その力で……俺を不死にしろよぉ……」


 雄一はもはや動ける状態ですら無い。

 その姿は必死に生にしがみ付く、一人の男のなれの果てだった。

 半身の『支配』が解けた雄一は、必死に回復魔法を使い続けていた。

 しかし体の腐敗速度と拮抗していて、盛り上がった傍からドロドロに腐れ落ち、一向に肉体は元の姿に戻らない。

 解毒の魔法が使えない雄一は、現状を留めるので精一杯だった。

 再生と崩壊を交互に繰り返す、自力の『不死者』の姿がそこにあった。


 その口が正気を疑う提案をしてくる。

 何を世迷い事を……九郎が言い返そうとすると、雄一が顔を歪めて九郎の隣を指さす。


「俺が死んだら……そこの女が死んじまうぜぇ?」


 雄一の残った指の先には両目を失ったレイアが、座り込んだままぼんやりと雄一を見つめていた。


「嘘よ! レイアの目はもう……」


 死を宣告されたレイアを胸に抱き寄せ、ベルフラムが怒りの眼差しを雄一に向ける。


「お前の心臓を貫いたのは誰だったよぉ? そいつの支配は切れちゃいねえ! なんなら、息を止めて見せようかぁ?」

「レイア!!?」


 雄一の半欠けた口元が引き上がる。

 胸に抱いていたレイアの動きにベルフラムが目を瞠る。その目はレイアが息が止まった事を示している。


「ベル! レイアの口を開けろ!」


 九郎は叫んで指を食いちぎりレイアの喉に血を注ぐ。

 気管に滑り込んだ九郎の血液が空気を生みだす。

 雄一がその一連の動きに確信したような笑みを浮かべる。


「分かっただろう? なんだったら次は心臓を止めて見せようかぁ? なに、俺が死んだらそいつも死ぬようになってるみたいなんだわ~? 当然だよなぁ? 昔から『シハイシャ』が死ねば家来は一緒に死を選ぶってな! ひゃひゃっ……さあ、さっさとこっち来て俺様を不死にしやがれ!」


 雄一が怒鳴る。その顔には余裕の無さが浮かび上がっていた。

 雄一ももはや瀕死の状態なのは間違い無かった。

 九郎への憎悪を優先していたのならば、何も言わずにレイアを道連れに死んでいただろう。

 しかし雄一は、最後の最後で捨てた筈の命に縋りついていた。

 死が認められず、抗い続けるその姿は、九郎が恐れてた自分自身化物そのもの。

 悍ましい姿に成り果て、それでも生にしがみ付き、死を認めない。

 九郎との違いは、それが『自身の命』か『他者の命』かの違いだけだ。


「レイア! 貴方の主は私でしょ! 思い出して!」

「アア……アアアアア……」


 ベルフラムの悲痛な叫び声が九郎の耳に響く。

 雄一はレイアを完全には『シハイ』出来ていない。その可能性は九郎も感じている。

 九郎の胸を何度も刺し貫いてきたレイアだったが、両目を自分で抉りとったり、優しく抱きしめてきたり、ベルフラムの死を感じ取って慟哭したり――雄一の勝利に綻びを作ったのもレイアだ。

 雄一が毒を喰らってまで今の状況を企てたとは考えにくい。

 しかしレイアが息を止めたのも事実。


「クロウ……この子は……私の騎士よ。――だから」


 ベルフラムが九郎を見上げて小声で囁く。

 力の籠った眼差しに、九郎は覚悟を決める。


「ひゃっひゃっ! そいつはなぁ? もう光なんか見たくねえって目を抉ったんだとよぉ! 別に『支配』が解けてた訳じゃねえ! そいつはお前に絶望させられたんだ! そいつが最後に見た景色は、自分を殺そうとするお前の姿だったんだよぉ!」


 絶望の直前の景色を繰り返す。

 雄一の『シハイシャ』がベルフラムに真実を告げる。


「レイア! 今の貴方に私はどう映ってる? 怖がらないで良く見てよ! 目を覚ましなさい! レイア!」

「残酷だねぇ? 目がねえのにどうやって見るんだっつーの!」


 小さな少女の必死の叫びを嘲笑う雄一は、ベルフラムの心の強さを知らなかった。

 レイアの右目に深緑の目が嵌っていた。

 代わりにベルフラムの右目が赤い血の涙を流していた。

 先程『不死』となったばかりだと言うのに、驚くべき順応の速さ、豪胆さだ。

 九郎の心臓移植を見ていたからだとしても、その決断の速さには驚かされる。


 ベルフラムが先程九郎に囁いたのは「レイアの目を覚ます」との一言だった。

 ベルフラムは『不死者』になっていたが『ヘンシツシャ』の力は持っていない。

 九郎がレイアに飲み込ませた血が、ベルフラムとレイアの視神経を繋げただけだ。

 幼い少女に目を抉らせる選択を、九郎は選んでいた。


「レイア……見える? 貴方は私の騎士でしょう? 私の幸せを守ってくれる……騎士なんでしょう? 駄目よ、勝手に他所に行っちゃたりしちゃ……」


 痛みの為か、ベルフラムの額には滂沱の汗が流れていた。

 しかしベルフラムは気丈に口を引き結び、痛みに耐えて笑みを作る。

 

「ベ……ル…………」

「息が戻ったわ! クロウ!」


 その声が聞えた瞬間、九郎は雄一目がけて瓦礫を駆け登る。

 耳に僅かに聞こえた嗚咽交じりのその声に、一縷の望みが繋がった。


「な、なに怒ってんだよ……」


 雄一の媚びるような視線が、再び僅かな『シハイ』の綻びを物語っていた。

 雄一の口からは、とぼけたセリフが放たれる。

 向けられる怒りから目を逸らすかのような物言いに、九郎の目が吊りあがる。


「分からねえのか……それすらも……」

「あ、あの女は俺が知らねえ間に犯されてたからよ……お前もいらねえだろと思って――ぶっ!? ぎぎがっ!」


 地の底から響くような九郎の声に、雄一は言訳を並べて媚るような薄笑いを浮かべる。

 聞くに堪えない言葉に九郎は無言で首筋に爪を立て、頸動脈を引き千切る。

 赤い雨が雄一に降り注ぐ。

 僅かな刺激で体が痛むのか、雄一は血の雨にのた打ち回る。


「他人が使ったオナホなんか誰も使いたくねえだろ? だから俺が有効利用してやろうって」

「テメエは……女をなんだって思ってやがるっ!」


 他者の人格を認めない。人を道具としか見ていない。どれだけ歪めばこの様な性格になるのだろうか。

 欲望だけでしか女性を見ていないからこそ、そんな身勝手な言葉が出てくる。


 なぜこんな奴にレイアは穢されなければならなかったのか。ベルフラム達が辛い思いをしなければならなかったのか。多くの人々が殺されなければならなかったのか。人々が幸せを奪われなければならなかったのか――。


「お、俺を殺したら、あいつも死ぬぞ! 人殺し! お前も俺と変わんねえんだよぉ!」

「不死になりてえんだろ? 望みを叶えてやんよ……。

 お前は死んでも・・・・許さねえ・・・・……。

 ちょっと俺が死ぬまで・・・・・・……苦しんでな!

 『鳴かサイレントぬ蛍フェアリー』! 『運命スレッドオブ赤い糸フェイト』!!」

「あづあ゛あああ゛!!」


 九郎の叫びで雄一を濡らしていた血が、灼熱の炎となったまま九郎の中に吸い込まれる。


「お前との戦いの後はいつもこうだ……」


 九郎は顔を覆って溜息を吐き出す。

 空虚な虚しさだけが九郎を包んでいた。


 勝利の喜びなど湧いて来ない。

 最初から負けていた戦いなのだ。

 レイアを凌辱され、ベルフラム達に辛い生活を強いられていた時点で、九郎の守りたかったものは、傷だらけにされてしまっていた。

 九郎はその最後に残った、命だけを守ったに過ぎない。


 雄一を殺さずに世界から削り取る。

 レイアの生存を優先させるのなら、この方法しか思い浮かばなかった。

 もしかしたら、レイアの『シハイ』は完全に解かれていたかもしれない。ベルフラムは隙を見て殺せと言いたかったのかも知れないが、万が一にでも雄一とのリンクが切れていなかったら――レイアの死で戦いが終わる。

 口にしないだけでベルフラムはその覚悟もしていたのかも知れない。レイアを殺してしまうかもしれないと言う覚悟、彼女の死を背負う覚悟を……。

 しかし九郎にはそれを選ぶことは出来なかった。


 時の止まった九郎の中では、雄一は苦しんだりはしていないかも知れない。

 しかし僅かでも痛みを刻み付けて、九郎が死ぬまで・・・・永遠に苦しんで欲しいと九郎は願わずにはいられない。


「……ベ……ル……………?」

「そうよ……ゆっくりでいいわ……思い出して。……また私を見てよ……レイア」


 レイアの呆けた声と嗚咽交じりのベルフラムの声が、勝利の鐘を寂しく鳴らしていた。

 見つめ合う緑の瞳が、夕陽に反射して赤い色を映していた。

 

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