第287話 六畳一間の支配者
夢を見ていた。
何か大事な物を抱え、恐ろしい化物から逃げ惑い続ける。そんな悪夢を。
化物はどんなに逃げても、どんなに抵抗しても追って来て、大事な物を奪おうとする。
罵倒の言葉も侮蔑の視線も――もう慣れてしまったと思っていたのに。
化物は最後に残ったたった一つのそれすら奪おうと手を伸ばして来る。
必死に抗い抵抗し続ける。
これだけは駄目だ。これだけは渡してはいけない。
太陽を望むことなどとっくの昔に諦めていた。
自分は暗闇の中の住人だ。
太陽を見てしまえば目が眩む。目が焼かれる。
汚れた自分には暗い地の底がお似合いだ。
なのに化物は逃げ込んだ地の底まで追って来る。
これ以上自分から何を奪おうと言うのだ。
もう自分は何も持って等いない。
過去の居場所も。今の幸せも。未来への希望さえも。
それでもこれだけは奪われたくない。
たった一つ。何も持たない自分の中に、最後に残った物だから。
それ以外全てを投げ捨てても構わない。
尊厳などとうの昔にボロボロだ。畜生にも劣る存在だと嘲笑われ続けてきた。
耳を塞いでも聞こえてくる、侮辱と嘲笑。そうだ自分は惨めな存在だ。
もう自分は
二度と見ないと宣言しよう。
だけどこれだけは渡さない。
この
☠ ☠ ☠
――人間死ぬ気になれば何だって出来る――
その言葉を雄一は憎みながらも希望としていた。
その言葉は唯一自分を慰める魔法の言葉。
自分はまだ本気を出していないだけ――絶えず唱え続けてきた呪文が、雄一の心の支えでもあった。
「手前ら、楽しいかよぉ!? 弱いもんイジメはよぉ! 人の心がねえんじゃねえのかぁ!」
それが今裏切られた。
雄一は苛立ちを隠そうともせずに声を荒げる。
「お前らリア充は何でも簡単に手に入んだろうがよぅ! 俺らみたいなブサメンは、一個手に入れるだけで大変なんだよぉ! 苦労が違うんだよ! それを掻っ攫おうなんて酷過ぎじゃねえか!」
自分を見つめる多くの視線に、雄一は後ずさりながらも愚痴を吐く。
残りの魔力は枯渇寸前。もう自分を守る防壁で精一杯だ。透明な卵の殻に閉じこもりながら、雄一が出来る事と言えば、悪態を吐く事くらいしか残されていない。
集めた手駒はすでにいない。
均衡を保っていた戦況は、五十六が倒されたことで将棋倒しのようにガラガラと崩れて行った。
アールは捻くれた性格が顔に出ている少年に、目を切り裂かれて繋がりが断たれた。いたいけな少女に剣を向ける等、性格の悪さが顔に出ている。
ナナとの繋がりが切れたのは、アールが倒れて直ぐ後の事だ。
アンデッドと思しき空色の髪の娘は、あろうことか自分を巻き込み白い闇を作り出した。
『ターンアンデッド』――雄一がそう呼ぶ邪を退ける聖なる闇は、『
しかし白い闇が晴れた後には、ナナを吊り上げた幼女が一人立っていた。
その空色の髪の幼女は、あろうことか残酷に、動けなくなっているナナの目に傷を入れた。人の所業とは思えない。雄一は憎しみの籠った眼でミスラを睨む。
「なぜ自分だけがと思い至れる。他者も同じく必死になって生きていると言う事に何故気付かぬ? 特別だと思う事は否定せぬ。それは自信となって己を立ち上がらせる力となるからな。しかし他者を見下し何になる? 見下した所で貴様の地位は上がらぬ。他者を貶める事でしか自己を確立できないとは、自分を憐れに思わぬのか?」
「そうやって見下してるんはお前だろうがよぉ~! 偉そうな物言いしやがって! 俺は神から任命された『シハイシャ』様だぞ! 偉くて当然だろうが! 俺以外は全部ゴミクズだろうが!」
「では、そのゴミクズに滅されなさいませ。二度目の轍は踏みません。魂も残らぬようこの世から消して差し上げますわ」
ナナが倒れるとミスラの手が空く。
ミスラが加わった事で、雄一は初めて自分よりも多くの人数を相手にする羽目に陥った。
「おーおー。リア充の言う事はいちいち残酷だなぁ? 別に俺はお前らに迷惑なんざ掛けてねえだろうが! わざわざしゃしゃり出て来て他人のもん奪おうなんざ、強欲にもほどがあんぞ!」
「うわ~……。本気で思うとるで、このおっさん……」
「ボク……なんだかこの人見ると悲しい気持ちになっちゃう……」
五十六が倒れた事で胸の大きなアンデッドの女が戦線に加わった。その事は雄一を更に追い詰める結果となった。
最後に残った虎の子。アインスを奪われたのもそのアンデッドの女の仕業だ。
雄一が見た事も無い悍ましい魔法を使い、アルトリアは雄一からアインスを掠め取って行った。
自分の身を守ることで精一杯。黒い蟲の濁流に飲まれて、気が付けばいつも隣にいた筈の、初めて雄一が手にしたトロフィーが無くなっていた。
暴れるアインスの剣で胸を貫かれたまま、アルトリアは柔らかな笑みを湛えてアインスを抱きしめていた。
その目を閉ざしたのは、目つきの悪い少年だ。
アールにしたのと同じように、幼女の目を切り裂くと言う残虐な攻撃を躊躇う事無く繰り出していた。
「てめえだけは……てめえだけは許さねえ! 雄一ぃぃぃいいい!!」
「ひぃいいぃっ!! これ以上俺から何を取ろうって言うんだよぉ! 分かった、反省した! もうしませんー。反省してますぅ―。だから許せよ! 見逃せよ! そっちは誰も死んでねえじゃねえか! 殺人罪適用されんのはお前らの方だろうが! それを見逃してやろうってんだ! あーあ、また泣き寝入りじゃねえか……少しは可哀想だと思わねえのかよぉ!」
多くの者が憐みの視線を向ける中、怒りの感情をぶつける者が一人。
その感情が目に見える形で現れたかのような、鬼の形相をした九郎が雄一の防壁をガンガン殴りつけてくる。
雄一はその目に睨まれると委縮してしまう。
思ってもいない謝罪の言葉が口から零れて出てしまう。
憎悪の感情を滾らせた九郎の瞳には血の涙が伝っていた。
どれだけ憎悪を向けられても、今迄雄一はそれを心地良く感じていた。
弱者の向けてくる暗い感情は、殊の外甘美なものだ。その力の無さを認められず、必死に抗い続ける者の心を折るのは、何物にも代えがたい快感を齎す。
抵抗が強ければ強いほど、それを圧し折る時に自分の優越感を擽る。
しかし目の前の男だけは恐ろしい。
圧し折れない弱者などありえない。弱者は弱いからこそ弱者であり、強い弱者など矛盾も甚だしい。
「もう謝っただろうがぁぁ! だいたいなんだよ! ラノベじゃねえんだぞ! 愛の力で『支配』を解きましたなんて、今時同人でも見ねえ展開だろうが! イケメンだから許されるなんざ思ってんじゃねえぞぉ! 自惚れんなよ! あれは俺がやらせただけだっつーの! それで満足しとけよ! 俺様がお前の為にお膳立てしてやったんだ! 感動的な一場面じゃねえか!」
「ぶっ殺してやる……生まれて来た事を後悔させてやる……」
雄一を何より怯えさせ、苛立たせる存在。
それを前にして放つ言葉は支離滅裂で、思うままに卑屈なセリフと尊大な言葉が交互に飛び出る。
レイアの抵抗が再び現れ始めたのも気に食わないが、あれほど打ちのめしたにも拘らず、立ち上がり続けた男の存在が、雄一の劣等感を刺激する。
レイアが自ら自分の目を抉りとった行動がにも怒りが込み上げて来て治まらない。
そんなご都合主義などありえない。
心を砕き、希望など見えないようにひたすら辱め貶めた女が、たった一人のイケメンが現れた事で正気を取り戻すことなどあってはならない展開だ。
ただ今の雄一に九郎に立ち向かう勇気など無い。
鬼の形相に睨まれると、心の奥底に封じ込めていた恐怖が再び湧き出して来る。
あまりに理不尽な『不死』と言う存在に、手駒を失った自分に敵う術が思い当たらない。
恐れの感情は雄一の視線を他へと向かわせる。
真正面から自分を否定して来る視線に、雄一は怯えて逃げる。
「だいたい、いきなり人の国に押し入りやがって! 強盗と同じじゃねえか! あーあ、これからこの国は大変だろうなー。俺が必死になって平和を作って来てたのにー。リア充どもが荒らしまわって、滅茶苦茶にしちまってぇ」
「王があっての民では無い。民あっての王なのだ。王が民を作るのではない。民が王を作るのだ。そこを履き違えていると貴様のように、孤独な王しか残らぬ。その玉座のようにな」
視線に押されるように後ずさっていた雄一の視界がストン下がる。
追い詰められた雄一が最後に逃げた先は、自室へとつながる扉の無い玄関口。雄一はいつのまにか玉座に座っていた。
激しい戦闘で王妃の席は無くなっており、瓦礫の中ぽつんと残った玉座の方が奇跡的だ。
その玉座も、血と泥で汚れきっており、ボロボロの状態だったが……。
玉座に『シハイシャ』が座っていると言うのに、傅く家臣は一人もいない。
あれだけ大勢いた兵士達も、玉座の周囲に侍る若く美しい妻達も、誰一人残っていない。
孤独な王――悍ましい紫色の髑髏顔の男が言う通り、雄一を助けようと身を挺する者など、一人として存在していなかった。
見下ろしているのは雄一の方で、見上げているのが彼等の方なのに、全く優越感が満たされない。
「なんで……」
自身の終わりを悟った雄一は、わなわなと口を震わせる。
この世界に来て10年が経とうとしていた。
生前引きこもりだった自分が、たった一人の力で10年も生きて来たのだ。
それこそ称賛されるべきであり、拍手の一つも送って良い筈だ。
間違っても邪魔などしてはいけない。
この世界は自分の為に作られた、幻想の世界。
雄一は本気でそう思っていた。
自身の欲望を叶える為に、神が用意した世界。
誰もが自分を褒め称えるだけに存在し、自分を気持ちよくさせる為だけのNPC。
妻達は自分を飾る装飾品であり、有象無象の心地良い嫉妬を煽る
何せ自分は神に選ばれた。いや、もはや神と言って良い存在だ。
絶望を与えて支配した人形に傅かれる生活の中で、雄一の自尊心は肥え太っていた。
自分は『シハイシャ』の『
雄一の都合の良い頭の中からは、神に言われた言葉などとうの昔に忘れ去られており、自分に都合の良い部分のみが残っていた。
支配者の自分には皆須らく頭を垂れ、傅くのが当然。
不興を買う者は皆、処刑されて然るべき。
雄一は妄想と現実の区別がつかないまま、世界を蹂躙した。
――10人から希望を託されて参れ――
金色に輝く柱に言われた言葉など、とうの昔に達成したものだと雄一は考えていた。
ただ雄一が託された希望の数はゼロ。
いくら力が強かろうとも、弱者を単なる鬱憤のはけ口としか見ない男に、誰が『希望』と言う、自らの未来、子供の将来、世界の行く末を託そうとするのか。
それでなくても刃向う者は呆気なく命を奪われ、彼が気にいった少女は身の毛も弥立つ残虐な手法で絶望を与えられて、心を壊され人形と化す。
雄一を持ち上げ称えるのは、彼が支配した者達だけ。
自らの意思を持ち、雄一に頭を垂れた者達ですら、心の奥底では彼を侮蔑していた。
一人きりの孤独な王。
カクランティウスが言うように、『シハイシャ』の『
「なんで他人の夢の中にまでしゃしゃってくんだよぉ! お前らはお前らで好き勝手生きりゃ良いじゃねえかぁ! 日陰者の領域まで入ってくんじゃねえ! ここは俺の世界! 俺の楽園にすんだよぉ!」
それでも雄一は満足していた。
他者の気持ちを省みない雄一にとって、自分が好き勝手出来る世界はそれだけで価値があった。
生前は引き籠っていただけの生活の中で、どれだけ虚勢を張っても、自らには嘘が付けない。
妄想の中に逃げ込み、その感情から目を背けていた雄一にとって、アクゼリートの世界は、正に妄想が具現化したような世界だった。
(俺の世界が……俺の為の世界が……壊れる?)
ここに来て雄一は再び世界に現実味を僅かに感じ始めていた。
九郎に一度目の死を感じさせられた時は、雄一の思考は狂気を貪り命を繋いだ。
しかし今の雄一には壊れる事すら出来ないでいる。
既に半壊していると言っても良い、破綻した思考は、現実と妄想が行き交い、生前と変わらぬ子供じみた性根が露わになる。
もう雄一には見苦しく泣き喚くことしか出来ない。
手足をばたつかせ、駄々を捏ね、子供のように泣きじゃくり必死に自分の正当性を訴える。
その思いが他者を傷付けていたとは露と思わない。
我儘な子供のまま成長し続けた憐れな中年は、玉座に座って尚、王者とは間違っても言えない醜態を晒して泣き喚く。
「ごちゃごちゃ言ってんじゃ……」
ピシリ……
雄一の耳に。妄想の世界が崩れる音が地獄の底から響く声と共に響いていた。
ガラガラと崩れる防壁が、夢の終わりを告げてくる。
そしてやっと雄一はこの世界が、自分以外にも主役がいる、生前と変わらぬ現実であることに気が付く。
社会を築き、多くの人々が意思を持って暮らしている、恐ろしい世界だと言う事に……。
こんな事になるのなら、まだあの頃の方がマシだった。
暗く澱んだ六畳一間の自室の方が、余程幸せだった。
「くんな! くるんじゃねえ! 俺はっ! 俺の世界はっ! あの部屋だけなんだぁ!」
雄一の心は、安全な領域を求めて引き籠る。
追い詰められた雄一が最後に想い描いたのは、生前過ごしてきた一番安堵できる場所。
この世界に来て、九郎に怯えていた時でも唯一安心する事が許されていた、6畳にも満たない薄汚れた自室。
雄一は九郎に背を向け、妄想の中の布団をひっかぶり震える。
かび臭い匂いが雄一の鼻に香る。
(ほら見ろ。やっぱ夢じゃねえか……。何も聞えねえ……何も感じねえ……)
不思議な事に――いや雄一にとっては当然の事に、妄想の世界の住人達の追撃は、いつまで経っても雄一の布団を剥しには来ない。
雄一は幻と感じていたが、それは幻では無かった。
この時、思い描いた通りの物質を作り上げる神の力――『ソウゾウシャ』が発動していた。
雄一が支配してきた者達の中で、ただひとり絶望での支配では無かった支配下。
『従属』された五十六は、絶望で支配された者達と、『支配』の効果が違っていた。
『従属』とは自ら傅く事を意味し、頼られる事を意味する。絶望で『隷属』させた者達とは、『シハイシャ』にとって意味が違っていた。
それは五十六が雄一と同じく、人を人と見ていないと言う類似点も関係していた。
同じ思いを持ち、同じ未来を想い描く。そして同じ夢を見続ける。
アンデッドとなった五十六には目玉など存在していなかったにも拘らず、五十六との意思疎通が出来ていたのもこのためだった。
恐怖で動かされるのではなく、同じ夢を見ていたからこそ、『従属』は『隷属』よりも上位の力を『シハイシャ』に与える。『従属』した者が息絶えると、王に想いを託すように、能力が引き継がれる。力を増幅されていた対価として。
「なんだっ!?」
「は? 何考えて? ……え? なんやこのノイズ!?」
走馬灯にように形を取り戻していく部屋の様子に、幾つかの雑音が混じっていたが、雄一には届かない。
雄一は安全な領域を夢想する事に夢中だった。
それは追い詰められた故の逃避行動。何年も干していない布団が、一番雄一を優しく包む。
目を瞑れば詳細に想い描ける汚れた部屋が、カビ臭い匂いと共に黄色く澱んだ空気を広げる。
「ヒヒャ……なんだ夢か……」
慣れ親しんだ独特な匂いに気付き、雄一は恐る恐る布団から顔を覗かせ、悪夢からの目覚めを口にしていた。
目の前に突然現れた薄汚れた部屋を見渡し、雄一は額の汗を拭って呟く。
一瞬にして様変わりした周囲の様子に、長い夢を見ていたような気分だった。
雄一の目の前には変わらぬ世界が広がっている。
ゴミがうず高く積み上がった汚れた部屋と、光を拒む分厚くカビ臭いカーテン。
染みだらけの万年床からは加齢臭が立ち込め、丸めて黄ばんだちり紙があちらこちらに散らばっている。
なぜいきなり自分が生前の部屋にいるのかすら不思議に思わないまま、雄一は安堵の吐息を吐き出し――目を見開く。
「だっ! 誰だ?!」
部屋の中に幾人もの男女の影が犇めいていた。
一瞬びくりと身を竦ませた雄一は、見覚えのあるその顔を引きつらせる。
夢のように思えた世界から現実に引き戻されたかのように感じていたが、代わったのは景色だけで、状況は全く変わっていなかった。
激情に駆られた形相で、九郎が拳を振り上げた状態で固まっている。
驚いたにも拘らず、雄一の心臓の鼓動はとても静かに脈打っていた。
生まれてから一番長い時間を共に過ごした薄汚れた部屋だからこそ、雄一の心は安堵を貫いていた。
この場所は雄一の城。雄一が自由に振る舞える、たった一つの残された場所だと、心が判断していた。
「夢の続き……てかぁ?」
「てめっ……何を……ごぶぅ」
苦悶の表情を浮かべて額に汗を流す九郎を見上げ、雄一は顎を撫でる。
九郎は大量の血を吐き出し、汚れた床を赤く染めていた。
九郎の腹からも同じように、大量の血が流れ落ちている。
腸が殆んど失われているのだからそれも当然だろう。
何故か怖くは感じない。何も不思議に思わない。
何故ならこの小さな汚い部屋は、生前から雄一の王国だったから。
雄一が支配者として君臨できる唯一の領域だと分かっていたから。
変わらぬ世界だからこそ、雄一は尊大に振る舞える。
見知った世界だからこそ、雄一に恐怖は生まれない。
この時雄一は6畳にも満たない狭い空間を『シハイ』していた。
雄一が他者を支配するには、隙間が必要だった。
虚無とも言い換えられる、空虚な思考があって初めて雄一の『シハイ』は発動する。
ただ、本来世界に隙間など存在しない。
空間に穴など開くはずも無い。
雄一が得意としていた転移の術も、世界に穴は開けていない。繋いでいるだけだ。
だがこの時、謁見の間には世界の隙間が多く存在していた。虚無の世界が存在していた。
九郎の体から迸る悍ましい赤い光が削り取った、何も無い、全てが失われた空間が。
その穴に雄一の『
雄一や五十六に『
突然現れた生前の部屋は、託された『ソウゾウ』の力に依るもの。
澱んだ黄色の空気が広がる場所は、雄一が思い描く、雄一だけにしか知り得ない世界。
その世界を留めるのは、黄色く汚れたセピア色の結界。
「頭が高えんだよっ!」
「ぐぅっ!!」
この小さな世界の中では、雄一は全能であり神に等しい。
支配した領域の中でそれを自然に悟った雄一は、九郎を蹴飛ばし歓喜しながら頭を踏みつける。
「クロウ!」
「クロウ様っ!!」
九郎の仲間の少女達から悲鳴があがる。
しかし動く事は出来ないでいる。
雄一はそれを当然のように受け止める。
この部屋を自由に振る舞えるのは雄一にしか許されていないのだからと。
雄一はこの部屋にいる人間を誰一人支配出来てはいなかったが、空間を支配していた。
九郎も彼女達も今は動く事も出来ないよう、無限の質量を持った空気に押し固められていた。
「おいおいおいおい? ま~だ反抗的だなぁ? 自分の立場を分かってんのかぁ? おおん!?」
雄一は嗜虐的な笑みを浮かべて、近くにあった汚れた割り箸を九郎の腹に突き立てる。
元から裂けていた腹に、汚れた割り箸が吸い込まれていき、僅かに残った内臓を掻きまわす感触が雄一の手に登って来る。
「がっ!? があああああっ!」
九郎の口から、雄一が焦がれていた苦悶の悲鳴が鳴り響く。
この世界でなら九郎を殺せる。痛みを感じる素振りも見せなかった九郎が、割り箸ごときで悲鳴を上げている。雄一の嗜虐心を擽る悲鳴が部屋に木霊する。
「ここじゃあ、お前は不死じゃねえ……。ただの人間……化物ですらねえ!」
「がっ! ぐっ! あがっ! ぎっ!」
突き立てた割り箸を足でぐりぐり踏みにじると、その度に九郎の口から痛みの証拠が零れ出る。
「さんざん俺を虚仮にしやがってよぉ? 分かってんのかぁ? その罪の重さがよぉ!」
「ぎゃああああ゛あ゛っ! あ゛っ! あ゛……」
雄一は九郎の腹から割り箸を引き抜き、今度は右目に突き立てる。
地獄の叫びと感じる悲鳴が九郎の口から放たれる。
割り箸を引き抜いた腹から流れる赤い血は、一向に戻る気配を感じない。
雄一を心底恐れさせた赤い光も湧き出て来ない。
何故なら世界は雄一が作り出した、雄一の世界。九郎に力を授けた神の力は届かない。
「ひゃひゃひゃひゃっ! ど~だ? ただの人になった感想は? いてえだろう? いてえよなぁ? 俺が味わった痛みはこんなもんじゃねえぞ? ずたずたのボロボロになるまで苦しんで死ねやぁあああ!」
不死でなくなった九郎など恐れるに足りない。
雄一は最後の最後で勝利を手にした事を確信して、狂ったように笑い声を上げた。
どんな方法でこの男を苦しめてやろうかと夢想し、打ち震え、歓喜する。
「って、マジで直ぐ死んじまいそうだな……弱えなぁ、てめえ……」
しばらく勝利の余韻に酔っていた雄一は残念そうに顔を歪めて溜息を吐き出す。
腸を失ったまま『不死』ではなくなった九郎は、既に虫の息だった。
回復魔法を使おうかと思ったが、魔力が少なくなりすぎて失った腸を再生させるまでは出来ないだろうと思い悩む。
本心で言えば、九郎を心配げに見つめて泣きそうな顔の女たちをひたすら凌辱し、汚して殺して、絶望の中で九郎に止めを刺す事が、一番望ましい。
しかし見た目に九郎は既に瀕死で、直ぐにでも息絶えてしまいそうだ。
雄一は逡巡し、溜息を吐き出し首を鳴らす。
そしておもむろに虚空に手を伸ばし、黒い穴を生みだし弄る。
この部屋の中でなら転移の魔法が使えた。元から雄一の転移を封じていた『安定』の魔法は、空間に穴を開けて綻びが生じていたが、それが無くてもこの部屋の中は雄一の世界。結界の中に効果を及ぼさなかっただろう。
「誰に殺されてえ? って動けるのが一人しか残ってねえじゃねえか……」
九郎の力が切り離された事で、最初から倒れていたベルフラムは勿論の事、クラヴィスとデンテの二人も毒の煙に巻かれて意識が朦朧とした状態だった。
唯一毒に抵抗力があったレイアだけが、ベルフラムに覆いかぶさりうわ言のように何かを呟き続けていた。
「まあ、あんだけ刺されてたから今更とも思うがよぉ? 俺が味わった毒の苦しみ……お前も感じてあの世に逝けや?」
雄一は空間を操りレイアを無理やり立たせると、小馬鹿にするように九郎の死を宣告した。
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