第192話  絶世の美女


(シオリ!? まさか『来訪者』!? ……あれ?)


 部屋に響いた男の声に九郎は思わず顔を上げた。

 そして同時に自分の考えが違った事を確認する。


 部屋の中に入って来た女性は、金髪碧眼の可憐な少女だった。

 歳の頃は17、8くらいか。長く伸ばされた金の髪はそれ自体が輝いているかのように光を反射している。大きな青色の瞳は宝石のような輝きを持ち、引き込まれそうになる。

 形の良い小さな鼻はつんと上を向き、桜色の唇は瑞々しく潤っている。

 顔だけでなく体も全て完璧だ。

 大きく膨らんだ胸元は見せつけるような谷間を作っており、くびれた腰つきは誰もが羨むであろう曲線を描いていた。

 足はドレスに隠れて見えないが、晒された手の細さ、長さを見るに、手足は長くモデル体型だろうと想像できる。

 絶世の美女。そういって間違いないほど美しい少女だった。

 どこからどう見ても日本人では無い。


(なんか……変な顔……)


 しかし客観的に見れば完全に美少女だったのだが、九郎が抱いた感想はそれと大きく乖離していた。

 何処のパーツ一つをとっても完璧だと言わざるを得ない容貌なのだが、九郎が抱いた感想は女性に対しては些か失礼な感想だった。


 ここに来るまでの間にイケメンを見過ぎて、女性を見る目が衰えてしまったのだろうかと言うとそうでは無い。

 入って来たシオリと言う女性の見た目は完璧なのだが、九郎は奇妙な違和感を覚えていた。


 一つ一つのパーツは最高の、理想と言っても良い形の良さなのに、それが纏まっていると途端に奇妙に感じてしまう。言ってみればバランスが取れていない。最上級食材をごった煮にすれば最上級の料理が出来上がる物では無いのと同じように、彼女の顔はどれもこれもが存在感を放ちすぎていて、逆に胸やけをもたらしているような、そんな感じだった。


「おお……」


 しかしそんな感想を抱いたのは九郎だけだったようだ。

 九郎と同じように声に誘われ顔を上げた奴隷たちは、皆一様にうっとりとした表情でシオリに目を奪われていた。


(まあ、美少女っちゃぁ美少女なんだけど……)


 完全に恋に落ちてしまった目をしている奴隷の男達を横目に見やり、九郎は心の中で引きつり笑いを浮かべる。人の好みはそれぞれだしそこに口を挟もうとは思わないが、九郎にしてみればシルヴィアやアルトリアの方がよっぽど美人に見える。どちらも性格の良さが顔に出ていて、見ているとホンワカした気分をもたらしてくれる。

 それに対してシオリと言う女性は、その態度からどこか人を見下したような視線を感じ、余り良い感情は抱かなかった。


(……ってか俺、今奴隷だったわ)


 自分の今の状況を思い出し、九郎は眉を寄せる。

 人を身分で見ない九郎は自分の身分も頓着してない。どうであろうとも自分は自分だと、若さゆえの考えで人と距離を測らないのが九郎の性格だ。

 だがリオの心の傷や、奴隷達への扱いを見る限り、奴隷と言う身分がかなり蔑まれるものだという事は理解している。


「まあまあね……前よりはマシじゃなあい」


 シオリは九郎の心証など気に止めた素振りも見せず、男達の熱い視線を気持ちよさそうに浴びていた。集められた男の奴隷はどれも見た目はカッコいい。それだけの美男子に熱の籠った視線を向けられれば女冥利に尽きるのだろう。


 それにしてもと九郎はリオを横目に確認する。

 リオは今にも倒れそうなほど青白い顔でガタガタ震えていた。

 この少女の何が怖いのか、リオは俯いたまま視線を上げようともしていない。

 呼吸の仕方を忘れてしまったかのように口をパクパクさせながら、苦しげに胸を押さえるリオの様子は、九郎達と出会った時以上の恐惶きょうこうさだ。


(ビビり過ぎだろ……。いや、リオは領主に弟を奪われたって言ってたな……。とするとこの子がリオの弟を手籠めにした? いや……そりゃねえだろう……)


 リオがこれ程恐れているという事は、この少女が目下の敵方なのだろうか。

 しかしリオは、忘れていた記憶の時期は3年より以前だと言っていた。

 その話を信じる限り、リオがこの領主の屋敷にいたのは14歳くらいの時までだろう。当時のリオより3歳年下と言うと11歳だ。そんな小学生くらいの少年を当時リオと同じくらいの年齢のシオリがかどわかすだろうか。

 流石に早熟な異世界であっても、趣味が歪みすぎてはいまいかと思ってしまう。

 とりあえず後でリオに確認しておこうと九郎が思っていると、ひとしきり熱い視線を浴びていたシオリが、口の端を曲げ、


「あまり不躾にジロジロレディーを見るもんじゃないわあ。ひれ伏しなさあぁい!」


 どこぞの女王様のようなセリフを言い放った。

 

(いや、有頂天でしたやんっ!!! アンタッ!)


 九郎は思わず声を上げそうになる。

 ノリに乗った身振りで手を横なぎに払い、高笑いでも始めそうな表情。

 口元をヒクヒク痙攣させ、明らかに男達の視線に恍惚としていた少女が、鼻の穴を膨らませながら言っても滑稽なだけだ。


 九郎が思わず突っ込みを入れそうになって口を押える。そんな突っ込み待ちみたいなボケをされても、ノリで返すわけにも行かない。弛緩した空気が流れるのを予想しながら、心の中だけで突っ込みを入れておく。


 だがまたしてもそんな感情を抱いたのは九郎一人だけだったようだ。


 シオリが腕を横なぎに払うと同時に、ホール内の空気が一変していた。

 それまで理想の女性を見つけたとでも叫びそうな顔をしていた男達が、一斉にひれ伏していた。

 奴隷の生活が長かったから、為政者に傅く行動が刻まれているのだろうか。呆気に取られて周りを見渡すと、もはや顔を上げているのが九郎一人の状態だ。全ての奴隷達、お付の者達までもが全て地に頭をこすり付けてガタガタ震えているではないか。


 あの突っ込み待ちのようなセリフがここまで緊張を高めた事に、九郎は驚き狼狽える。

 一拍置いた事が拙かったのか。一人だけ頭の高い九郎とシオリの目が合う。


(ヤベッ!)


 自分も他に習って平伏しようとした時には遅かった。


「あなたぁ? アテクシの言葉が聞こえなかったのかしらあ?」

「あ、はい。スンマセン! へへー。へへー」


 シオリが目をすうっと細めた。慌てて頭を下げながら、蛇のような目つきと言うのはこんな感じなのだろうかと、九郎は冷や汗を流す。頭の中では反抗するが、むやみやたらに目立つわけにも行かない。リオの弟がどこに囚われているのかも分からないのに、問題だけを抱え込むのは少し拙い。


「オマエ、顔をあげなさい! へえ……珍しい顔ねえ。懐かしい感じがするわあ。日本人みたい」

「うえあっ!??」


 大人しくしていようとしたばかりだったが、シオリのセリフに九郎は声を声を堪えきれなかった。完全に固まって口をパクパクする九郎を眺めて、シオリは面白そうに口元を引き上げ嗤っている。

 その表情の意味を考える暇も無く、九郎の頭は混乱していた。


(確かに言ったよな!? 日本人て!? ええ!? 親が『来訪者』だった可能性もあんのか?)


 この世界に日本人は数多く来ているのは知っていた。

 九郎はこの世界の72番目の『来訪者』。考えなくても自分より以前に71人の日本人がこの世界に来ている事になる。

 アクゼリートの世界に転移してくる前に白い部屋で、白い歯車の天使ソリストネが言っていた。力を持った為に『来訪者』が好き勝手して子供を作りまくっていたのだとも。

 その所為で、九郎はお預けを喰らっている事を思い出す。


「あなたには分からない言葉だったねえ。そう言えば……」


 驚き固まったままの九郎を見つめ、シオリは溜息を吐き出していた。

 完全に意表をつかれ固まった九郎を見て、『日本人』と言う言葉が理解出来なかったと思ったのだろう。

 事実九郎は混乱しすぎて馬鹿面を晒している。


「顔はまあ、けっこうイイケド、アナタ馬鹿そうねえ……。ナウくないわあ」

「うえあっ!? ナ、ナウい!?」


 混乱している九郎に、シオリはさらに驚かして来る。

 完全な死語と化している古代の言葉を持ち出されては、黙っていられる訳が無い。

 金髪碧眼の美少女から『ナウい』の言葉が出て来ることが理解不能で、それこそ九郎の母親ですら、「もう恥ずかしくて使えない」と認識していた『古語』を、年の若そうな少女が使った事で理解が追いついて行かない。


「ああ、この言葉もこっちの言葉じゃ無いものねえ。アテクシの故郷の最先端の流行語だったのよお? 一つ賢くなったわねえ、ボ・ウ・ヤ」


 シオリの言葉は九郎の理解を越えていた。

 混乱する頭で必死に考えていたが、目の前の現実との齟齬に頭がくらくらする。


(さ、最先端の流行語!? ボウヤ!? え? ええ?)


 口ぶりからはこのシオリと言う少女は確実に日本人だ。

 何せ『私の故郷の流行語』と言ったのだ。親の故郷でも、先祖の故郷でも無く、『私の故郷』と。

 しかし目の前の少女に日本人の特徴は全く見られない。輝く金髪の生え際も黒くなったりしていないし、青い瞳もカラーコンタクトには見えない。そもそも肌の色が違う。黄色人種ではありえない肌の白さ。透き通るような肌は白すぎて血管すら見えそうなほどだ。


(ハーフ? いや、確かにいると思うけど……。てか何歳だ!?)


 見た目と言動があまりに違い過ぎて訳が分からなくなってしまう。

 どうみても10代の少女の口から九郎が生まれる前の流行を最先端と言われ、明らかに年上であろう九郎を見てボウヤと呼ぶ。

 全てが奇妙過ぎて言葉が出ない。


(あ、『不老』? 俺もそういや『不老不死』だし……。そういった『神の力ギフト』か?)


 ただ考えてみれば自分も年を取らない事に気が付き、九郎は少し落ち着きを取り戻す。

 なにも『神の力ギフト』が無二の存在だとは聞かされていない。九郎と似たような『神の力ギフト』がある可能性を忘れていた。


「それじゃあ、あなた達はこれからこの屋敷で働くのよお? ここは街の奴隷には考えられない楽園よぉ? 光栄に思って自分の幸運とアテクシに感謝なさあい?」


 状況を忘れて考え込んでいた九郎を無視して、シオリは両手を広げて宣言していた。

 もう九郎に興味を失ったのか、それとも時間は無限にあると思っているのか。

 平伏したまま震える奴隷達の中で、両手を広げるその仕草は、何処かで見た事の有る、神を画いた絵画のようだった。

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