第184話  奴隷局


 リオの住む町の名はバッグダルシアという名前だった。

 奇しくも九郎とカクランティウスが落ち合い場所に決めていた街の名と同じだ。

 ただ草原の街とのカクランティウスの話は過去の物で、緑の色は影も形も無く、乾ききった砂埃の舞う赤茶けた街だった。


「60年前ニ訪レタ時ハ緑溢レル豊カナ街ダッタノダガ……アノ頃ノ吾輩ハ穢レテオラナンダナァ……」


 どこか虚ろな様子でカクランティウスが感慨に耽っていた。――兜で顔を隠しているが、遠くを見て思い出に浸っているのかも知れない。彼もこの60年の間にいろいろあったのだろう。歳を取れば色々汚い事にも手を染めなければならなくなるのだろうか。九郎も自分の未来を思い遠くを見つめる。


「こっちだ……です……」


 兎にも角にもまず最初にリオの手続きをしなければならないと、奴隷局という建物を目指す。

 街の中心部に近付くにつれ、整備された道に変わって来る。

 埃っぽいのは相変わらずだが、立ち並ぶ家々には高級感が見えるようになっていた。


「ここか……」


 一時間ほど歩くと目の前に一際大きな建物が現れた。

 砂漠の街の建物らしく、日干し煉瓦で出来ていたが、その外観は他の建物の数倍立派だ。


「全員で入っても……いいのかな……?」


 田舎育ち、外の世界で街を見たのも初めてのアルトリアは、ここに来て少し怖気づいていた。彼女は突飛な行動をとりがちだが、根は小市民な部分がある。

 そう言われて九郎もしばし考え込む。

 中がどう言う建物かは入ってみない事には分からないが、もし人の多い場所だったのならカクランティウスは拙い気がした。

 何かの拍子に兜を取れとでも言われてしまえば、二度とこの場所に来れなくなってしまう。

 中でどう言った手続きが必要なのかも分かっていない今、安全を考えるならカクランティウスは留守番だろう。

 そして一応大丈夫だと思うのだが、アルトリアはアルトリアで心配が絶えない。

 人が多い場所では彼女がどういった行動を取るのかが全く読めない。

 奴隷局――奴隷と言うからには中に入る者達も、リオと同様最低限度の衣服しか身に着けていない可能性が高い。その光景を見てアルトリアが発情してしまう可能性は捨てきれない。


「カクさんとアルトはここで待っててくれ。俺が一回見て来るよ」


 自分もこの世界の一般常識には疎い方だが、それでも冒険者としての経験もあるし、なにより東京と言う人口密度が半端じゃない地域に住んでいた事も有るのだ。自分が一番適任だろうと根拠の無い自信を掲げて九郎が胸を叩く。


「大丈夫? ならここで待ってるケド……」


 多少ごねるかと思っていたアルトリアがあっさりと引き下がった。田舎者特有の気後れだろうかと、田舎出身の九郎は考える。


「マア、貴殿ガ言ウナラ……ア……空ガ綺麗……ソレニ引キ替エ……」


 心ここに在らずと言った感じでカクランティウスがおざなりな返事を返す。

 かなり心的外傷トラウマが酷い事になっている。九郎は「触れた訳でも無いのに……」との言葉を飲み込む。立ち直るにはしばらく時間が掛かりそうだ。


「んじゃ、ちょっと行って来る。リオ、案内してくれ」

「あ、ああ……」


 アルトリア達には奴隷局の建物から少し離れた場所の路地裏で待ってくれるよう頼み、九郎は奴隷局の門を潜った。


☠ ☠ ☠


(役所かっ!)


 奴隷局へと入った九郎は中の様子にまず突っ込んだ。

 外観は日干し煉瓦の建物だったが、中の装丁には石も使われており清潔な感じがした。

 石の床に長椅子が並べられ、奥には長いカウンターが見える。

 長椅子には何人もの人が腰かけているが、言葉は少なく、喧騒の中の静けさと言った感じだ。

 時折銅鑼が鳴り


「316番の札をお持ちのお客様~」


 と聞き覚えのあるセリフが聞こえてくる奴隷局は、まさに日本の役所と変わらぬ様子を見せていた。


「ご、ご主人様……そこの札を取ってくれ……ください。ア、アタシは触っちゃいけないから……働かせようって訳じゃないっ……」


 先頭を歩いていたリオが柱の一つを指さす。

 大きな柱に何枚もの皮で出来た札が掛けられていた。

 何も言っていないのにリオは小さくなってビクビクしている。

 あれ程必死にこの場所へ行かなければと言っていたのに、いざ来てみるとこの有様では九郎も不安になってくる。

 とりあえず今は言われるままにしようと、壁に掛かった札を一枚取る。

 札には数字だけが書き記されており、これが番号札と言う訳だ。401番と書かれた革札を取り、九郎は空いている長椅子に腰かける。


「リオは座らねえのか?」

「あ、アタシはここのものに触れちゃいけない決まりなんだっ……」


 隣を開けてリオを呼ぶが彼女は慌てて頭を振った。

 何となく男の自分だけが座っているのもと、無意味に九郎も立ち上がってしまう。


(奴隷……奴隷ねぇ……)


 リオの態度や言動からも奴隷は多くの制限が有るように思えた。

 立ち上がった九郎に不思議そうな顔を浮かべるリオを眺め、腕組みして難しい顔で考え込む。


 日本の、身分制度の無い国で育った九郎には、言葉だけで想像するしかないのだが、奴隷という言葉にポジティブな響きは全く感じられない。

 リオの態度、先の言葉からも自由が無い事は明白だ。だが九郎もこの世界に来てもう3年を過ぎている。この世界の住人の一人として暮らす今の九郎に、中世の価値観に対する反発は薄い。

 美麗辞句を並べて奴隷制を批判したところで、彼らは彼らの倫理、法律で動いている。そこに口を挟んで奴隷解放など掲げるつもりは毛頭ない。


(聖人君子でもあるまいし……。そりゃよくねえとは思うけどよ……)


 身分差がある世界だということは痛感していた。しかしその世界で生きる人に、日本の倫理や道徳を振りかざすのも間違っている気がするのだ。

 ベルフラムやレイアと言う高貴な身分の出。クラヴィスやデンテのような下層で生きて来た者。どちらも分かり合えることを知っている。それだけに、身分差だけで喚くのはお門違いにも思えていた。


 結局人によるのだと、自分の中に折り合いをつけるしかない。高貴な身分の出であろうとも下衆な者は多い。逆に下層の出であっても高潔で心優しい者達もいる。

 シルヴィアやシャルル、ファルア、ガランガルンのように自由民ののような立場の者。農民であるアルトリア。王族であるカクランティウス。

 様々な人々と出会い、九郎はこの世界で生きてきた。

 エルピオスやアルトリアの村を襲った領主がいくら高貴な者と言われても、敬意は一欠けらも抱く気は起きない。しかしカクランティウスのような者には自然と敬意を抱く。

 見た目、肩書で判断されたくないといった、若者っぽい思いだけは、この世界で暮らして来た今でも変わっていなかった。

 それは『不死者』として、『化物』としての自分を、そのような部分からだけで見て欲しくは無いといった、九郎の願いもあったからだろう。


(結局、高貴だろうと下層だろうと……化物だろうと何だろうと……俺には関係ない……ってとこだよなぁ……)


 身分の差など自分の感情にさしたる影響を与えない。


「401番でお待ちのお客様~。2番カウンターまでお越しくださーい!」


 自分の中で考えを纏めた九郎の耳に、どこかで聞いたことのあるようなセリフと銅鑼の音が届いた。

 リオが目でカウンターの場所を伝えてくる。

 その顔に様々な感情が浮かんでいる事を目端に捕えながら、九郎はカウンターへと進む。


「今日はどういったご用件でしょうか?」


 カウンターに着くと若い男が尋ねてきた。

 突然尋ねられてもと、九郎は狼狽える。リオに促されるままにこの場所に来ている。中でどう言った事になるのかこれから聞くつもりだったのだ。


「え? えっと……このコがここに来る必要があるって……」


 取りあえず横のリオが言っていたとの説明をするしかない。


「えーっと……番号は?」


 カウンターの男はリオを一瞥するとそっけない態度で尋ねる。

 リオの顔が曇る。


「Dの18925番……」


 リオは俯いたまま端的に呟いた。何を意味する言葉だろうと、九郎は訝しんだ表情を浮かべる。


「えー……ああ、これか……。おや? お前は3ヶ月前にビアスタ―に貸し出されているな……。逃亡か……」


 羊皮紙の束を捲りながら男がギロリとリオを睨んだ。


「違うっ!!」


 慌てた様子でリオが叫ぶ。


「奴隷が勝手にしゃべるなっ!!!!」


 突如に男が態度を急変させ、怒気を孕んで眉を吊り上げた。静かそうな男だっただけに九郎も驚き少し仰け反る。


「も、申し訳……ありません……」


 男の怒気に気圧されたのか、リオが途端に大人しくなる。

 九郎達に抱く恐怖とは別の恐怖。怯える視線と震える肩は大人に叱られている子供のようだ。

 絶対的な者に対する言いようの無い怯え。訳も分からず叱られ、言い訳できないような理不尽な感情。それを押さえ込んで耐えるしかないと言った複雑な感情が見え隠れしている。

 出会った当初は感情の起伏が乏しいと思っていたが、よくよく観察していると乏しいのではなく、偏っているのだと九郎は気付く。

 安堵の表情も笑顔も見ていないのは、やはり自分達に囚われていると思っているからだろうか。


(やっぱ女の子は笑ってなきゃいけねえ……)


 散々な光景を見せてしまったのだから仕方が無いとは言え、女性が悲しむ顔や怯える顔ばかり浮かべているのは勿体ない。リオも整った顔立ちなのだから笑えばきっと可愛いに違いない。

 それが行きたいと言っていた場所に、苦労九郎を重ねて来てみれば、叱られ塞ぎ込む顔しか見れないのでは、カクランティウスも浮かばれない。


「貴様は教えた事も出来ないのかっ!? 主人、目上に逆らうなと教えられなかったのか!? モノが勝手に口を動かすなっ! 懲罰課に送られたいのか!? あぁ!?」

「あの~……」


 年下の女性が怒鳴られ委縮ているのを見ていて、少し気分が悪くなってきた。

 九郎は分からないままに嘴を突っ込む事を決めた。


「はい?」


 男は先程見せた怒りを綺麗さっぱり無しにしたような、柔和な笑みを湛えて九郎を見る。


(なんだっ!? サイコっぽいにーちゃんだな……)


 男に引きつった笑みを返しながら九郎はさてどうすると、頭を回転させる。

 分からないままにしゃしゃり出ると問題を起こしてしまいそうな気もするが、とりあえずカクランティウスから庇ったのだから、ここでも庇おうと、訳の分からない理論を打ち立て口を開く。


「ビアスタ―って人……俺……いや俺の連れなんスけど――が殺っちゃいましたんで……もういないっすよ?」


 ここからが勝負だと気合を入れ直して一つ言葉を発する。

 頭の中では大急ぎで次の言葉を捜しながら、男がどういった反応を見せるかを探る。

 ビアスタ―の名前は先程門番が口にしていた。名前と顔を知っていながら、野盗という事も知っている様子だった。外の犯罪には法が存在しない可能性もある。だが首を司法局という場所に持って行けば報奨金が出ると言っていた事から、殺した事に問題は無いはずだ。


「あなたが? ……いえ、お連れ様でしたよね。それにしてもあのビアスタ―を?」


 この世界では貧弱な部類の九郎の体を値踏みするように見た男が、言葉の真意を疑うようなセリフを吐く。


「ええ、一瞬で声も上げさせず殺っちまいましたよ? そんでこのコはそいつらに引き連れられ、捕まってたんで……。どうしてもここに来なきゃって言ってたから連れて来たんス」


 一瞬だけムッとしながらも九郎はいろいろぼかして言葉を続ける。

 リオが自分の首を刎ねた事は隠しておく。そもそも自分も死んでいないのだから、誰を殺した罪に問うのかとの思いもある。しかしリオの手慣れた様子から伺うと、彼女は一度や二度以上に殺人を犯しているだろう。

 彼女も野盗としての罪に問われるのだろうか。その辺りが曖昧で不安なのだが、相手が知っているのなら隠しようが無い。彼はリオがビアスタ―の元に居た事は知っている様子なのだ。


「ああ、そうだったのですか! それはこちらもお恥ずかしい所を見せてしまい、申し訳ありません。ではコレは収奪品扱いとなります」

「収奪品?」


 男の様子から罪に問われる事では無さそうだ。

 人をモノ扱いしている事には言いたいことはあるが、九郎は感情を押し殺して疑問を口にする。


「ええ、現在コレ……Dの18925はビアスタ―に貸し出されている状態で、あと2ヶ月ほど期間が残っております。その間のコレの所在は、持っていた者から奪った者へ権利が移っております」


 何だか思っていた奴隷と違う気がすると、九郎は内心焦りを覚える。

 奴隷を良く知る訳では無いが、貸出との言葉はいかにも変だ。そんな派遣従業員のようなシステムで奴隷を管理しているのだろうか。


「ビアスタ―の首はお持ちで?」

「あ、ああ……。樽の中ビアスタ―でいっぱいだせ? 14人もいるんだぜ?」


 そんな印鑑の所持を尋ねるような感じで首の所持を尋ねられるとは思ってもいなかった。

 続く男の言葉に九郎はさらに狼狽える。


「では司法局で証明書を貰って、もう一度お越しください。その場で枷の使い方をお教えしますので」


 ニコリと微笑み男は頭をさげる。

 訳が分からないままに九郎も引きつった笑みと会釈を返す。

 流れるような説明を受けた筈が疑問の方が多くなってしまった。

 収奪品ということはリオは九郎がビアスタ―から奪ったモノと扱われている。

 不思議なのは奪ったモノと言っておきながらも、その罪を咎められなかった事だ。

 野盗だから、悪人だから問題無いのだろうか。それにしては流れるような説明で、慣れている風でもある事が疑問と言うより不気味だ。


「一個聞いても良いっすか?」


 聞くべきか一瞬迷ったが九郎は恐る恐る尋ねてみる。


「この街って……強盗とか多いんすか?」


 男が目で促すのを見やり、男が慣れきった様子で手続きを進めた事に対しての疑問を口にする。


「強盗とは? ああ、強奪ですか? まあ多い方でしょうね。この街では奪われる方が悪いとの考えが根付いていますから」


 男は苦笑を浮かべながらあっけらかんと言い放った。


 ならどうしてリオの元主人ビアスタ―は賞金を掛けられる立場にいたのか。

 理由は、ビアスタ―達が外から来る者、商人や旅人達を襲う事を生業にしており、それがやり過ぎて街の者たちから恨まれていたから。男の言葉を聞きながら九郎は開いた口が塞がらなかった。


(ようするに鴨を独り占めしたから恨まれてた……って訳?)


 あまりに自然体で言われ、思わず顔を顰めてしまう。

 悪感情を抱かせることは得策では無いと思って大人しくしていたが、この街は誰もが野盗の街という事では無いかと思ってしまう。


「急いで戻らねえと……」


 九郎は男に背を向け駆け出していた。

 そんな街にアルトリアとカクランティウスを放置したままだ。


(アンデッドと死体だらけじゃ無きゃいいけど……)


 襲うにしても相手が悪すぎると九郎の背中には汗が伝っていた。

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