第161話 一歩進んでまた戻る
(うひゃぁ……。すっげぇ人……)
アルトリアと別れて2日。雪山を下り、道なき道をひたすら北上していた九郎は、やっとの事で街道らしきものに差し掛かった。
雪深いこの国で道など端から見つからないと、余り期待もしていなかったのだが、幸運だったのかそれ以外に理由があったのか、街道を見つける事は直ぐに出来た。
深く積もる雪の所為で道が見えなくなっているだろうとの予想は、良い方に裏切られた形だ。
何十人もの足跡。
積もる端から踏み均された人の足跡が、雪に覆われた平野に道をしっかり作っていた。
しんしんと降り積もる雪の中に伸びる、白い溝を通って進むと、道を作ったであろう人々の群れに行き着く。城壁のような高い壁で囲まれた門の傍に大勢の人々が犇めき合っている。
(祭りでもあんのかぁ? こりゃ、結構時間がかかりそうだ……)
小さな吸い込み口に詰まった落ち葉のように、遅々として進まない人の群れを眺め九郎は眉を下げる。
「おいっ! 日が暮れちまうぞ!」
「この寒空で野宿しろって言うのかぁ!?」
進まない行列とも言えない群衆から、苛立った様子の怒号が飛ぶ。
勝手気ままに抗議の声を上げる群衆に肩を竦め、九郎は行列の最後尾らしきものの後ろに並ぶ。
行列をスムーズに動かすのには、静かに並ぶことが一番の早道だ。
そう信じて止まないのは、九郎が世界でも珍しいほど並ぶことを厭わない、日本人と言う民族だからだろうか。
群衆の人々よりも頭一つ背が高い九郎が、並んだまま前を覗くと、どうやら衛視の検問で時間がかかっているようだ。
(ああ、検問所ね。そりゃあ時間が掛かるわ)
九郎は一人納得したように頷く。この世界に来てから、九郎は街の検問所で止められなかった試しが無い。必ず根掘り葉掘り、事細かに自分の素性を尋ねられ、時には牢に入れられる手前まで行きそうになったこともある。まあその原因は、九郎がこの世界の常識を知らなかったり、ほぼ全裸だったり、真っ裸だったり、ヌーディストだったりした所為ではあるのだが……。
しかし今の九郎の格好は、ちゃんと
冒険者と言う旅をしていても怪しまれない職業が有る事も知っている。
検問所など恐れるに足りないと、九郎は暢気に構えて周囲を見渡す。
見渡すと周囲には、100人を超える人々が口々に不満を叫びながら焦ったような表情を浮かべていた。
「これ、何か祭りでもあるんスかね?」
何だか場違いな空気を感じつつ、前に並んでいるふくよかな体型の女性に話しかけてみる。
殺気立った――と言うよりは焦燥のままパニックに陥りそうな雰囲気を和らげようと、殊更暢気に尋ねた九郎に、一瞬目を見開き呆れた様子を見せた女性は、一つ溜息を吐き眉を寄せる。
「あんた、フラグス領の人間じゃないね?」
「ウス、冒険者ッス」
予想された言葉に九郎はよどみなく答える。自分の顔つきが他と違っている事は自覚しているし、慣れない土地で取り繕った嘘は翻って怪しまれることになる。地名に至ってはチンプンカンプンだ。
しかし九郎の予想に反して、女性はポカンと九郎を見上げると鼻で笑って眉を寄せた。
訝しがる九郎に、女性は笑いを堪えるように口元を引き上げる。
「武器も鎧も付けて無い冒険者がいるもんか! もう少しマシな嘘をつきな」
「え~? ホントっすよ? これでも結構名の知れた……」
「大方、この騒ぎに乗じて街に入り込もうとした他領の村の次男坊って所かねぇ? 細っこい体を見りゃ、畑仕事じゃ役に立ちそうもないし……」
端から九郎の言葉を信じてないのか、値踏みするように九郎を見ながら女性は勝手な想像を並べ始める。
自分の体形がこの世界の人々と比べ貧弱な事は身に染みている九郎は、女性の言葉に異議を挟めず眉を下げる。
「ぬぐぐ……。で、この状況は? 何でこんなに混んでスか?」
力だけはそんじょそこらに負けるつもりは無いのだが、それを示す岩なども見当たらない。
九郎は諦めて先を促す。見ず知らずの女性に力を誇った所で、どうとなるわけでもない。
そう自分に言い訳しながら、上擦った声で尋ねる九郎に、女性はまた呆れた表情を浮かべる。
「あんた、ホントに何も知らずにここに来たのかい? ……まあ、運が良かったんだね」
なんとも意味深な発言。一人で納得されて逆に興味が湧いてきた。
「オネーサン、もったいぶらないで教えてくださいよ~」
九郎は猫なで声で女性に尋ねる。どう見てもお姉さんと呼ぶには歳が過ぎているであろうが、年上の女性は全て「お姉さん」と呼ぶのが正しい。その事は九郎は経験則から知っている。伊達に近所のおばちゃんから可愛がられていた訳ではない。
九郎の目論み通り、お姉さんと呼ばれたふくよかな女性は驚きの後に照れた素振りを見せ、その後幾分柔らかになった表情で顔を寄せてくる。
「ああ、そうねぇ~。いや、出たのさ……」
「何がっすか?」
おばちゃんから女へと表情を変えた女性に少し気圧されながら、九郎は尋ねる。
背丈は九郎の胸ほどだが、体重は明らかに負けていそうで迫力が半端ない。
「魔物だよ、魔物! それもおっそろしい奴がさ! それで近隣の住人が逃げて来てるって訳だ」
「へえ……。でっかい熊みたいな奴っすか?」
「でっかい熊……? ああ、『ガイアベア』のことかい? あれも強力な魔物っちゃあ、強力な魔物だけれどもね、冬眠中を起こさない限りは大人しいものさね。そんな馬鹿な事をする奴は、農村にはいやしないよ」
「へ、へぇ……そうッスか……。じゃあ何が出たんすか?」
成程、近隣で魔物が出たからこの人たちは逃げて来たのか――それほど強そうな魔物は出くわさなかった九郎は、雪山で出会った熊かと思い聞き返す。だが九郎とカクランティウスを翻弄した『ガイアベア』は、通常それほど脅威では無いらしい。いつのまにか眠りを妨げてしまい襲われた形だったのかと、九郎は引きつり笑いを浮かべる。
女性はニヤリと笑い更に九郎に顔を近付けると、突然大声を上げた。
「アンデッドだよぉ! おっそろしい不死の魔物が出たんだよ!」
同時に両手を鉤爪に形作り、襲い掛かるような格好を見せる女性に九郎は思わず後退る。
思わず仰け反った九郎を見てカラカラ笑う女性。子供を驚かせるのと同じ手口で、九郎が慄いたのが面白かったのだろう。九郎が女性の迫力に慄いたとは知らぬが花だ。
未だ心臓がどきどきしていると胸を押さえる素振りを見せながら、九郎は渋面する。
(あっちゃぁ……。カクさん見つかっちまったのか?)
アンデッドと聞いて真っ先に思い浮かぶのは、紫色のスケルトン、カクランティウスだ。
見た目だけなら恐ろしいともあまり感じないが、それは九郎の主観であって、何も知らない人々から見れば十分恐ろしい魔物に見えるのかも知れない。
「そ、そりゃぁ怖いっすねぇ……。どんな奴なんすか?」
九郎は背中に流れる冷や汗を感じながら、恍けて尋ねる。
人の事は言える立場でないが、カクランティウスの性格も結構迂闊な部分があるから、歩いている所を近隣の住人に見られてしまったのかもと考え、心の中で苦虫を噛み潰す。
彼に恐れて逃げだして来たのなら、それは何だが申し訳ない気分がしてくる。
数日とは言え共に旅した人物が、周囲の村に迷惑をかけた気がして何とも居た堪れない。
顔だけは美形に入る九郎が、不安げな表情を浮かべた事が女性の琴線を刺激したのか、女性は眼を細めながら怖がらせるように詰め寄って来る。
「そりゃあ恐ろしい魔物さぁ! 地獄から蘇ったような風貌……」
「へ、へぇ……」
あの面白おじさんがねえ……自分の主観ではカクランティウスは恐ろしいとは感じない。
多少の威圧感はあったが、それは彼が『魔王』と知ってからの、それ相応の威厳のようなものだと思っていた。しかし彼を知らない人たちから見ればそう感じるのかと、九郎は取り繕った苦笑を漏らす。
「全ての生者を恨むような澱んだ目……」
「ふ、ふぅん……」
女性は九郎が苦笑いを浮かべた事に怪訝な顔をしながら話を続ける。
彼に目など有っただろうかと、九郎は首を捻りながら曖昧に返事を返す。
何処を見ているか分からない骸骨の目を、知らない人はそう捉えるのかとの新鮮な驚きを覚える。
「汚れを放つ黄色い肌……」
「…………ん?」
あ、これ人違いだ……九郎は内心胸を撫で下ろす。
カクランティウスに肌などない。アンデッドと結びつくにはカクランティウスがスケルトン状態の時に限る。その状態を見られてしまったと思っていたが、どうやらそうでは無いようだ。
人の姿に戻った時のカクランティウスは、日に焼けた肌を持つゲルマン系の風貌をしていた。
あの姿を見て黄色い肌と見間違えられるのには無理がある。
九郎が安心した素振りを見せた事で、女性は拍子抜けした素振りを見せ、そして少し後退り、
「そう言えばアンタも肌が黄色い……。まさかっ!!?」
そう言って怖がった素振りを見せた。
目鼻立ちのくっきりとした顔立ちの九郎も、れっきとした黄色人種だ。
うぇ? と顔を顰めた九郎に、女性は面白そうに顔を歪め、笑みを形作る。
「なんてね。アンタみたいな平和そうな眼をしたアンデッドがいる訳ないさね! とにかく恐ろしい魔物が出たんだよ。アンタも襲われなくて良かったさね!」
「はぁ……」
ばしばしと背中を叩いて言いやる女性に九郎は眉を下げる。
その心中は、――どうしておばちゃんは意味も無く背中を叩くのだろう――その思いで一杯だった。
☠ ☠ ☠
「おい文無し! 兎肉と魚が上がった! とっとと持って行け!」
「はいっ! かしこまりっ!!」
がやがやと活気に満ちた店内に、一際大きな声が響く。
「マスター! 兎2、魚3追加っす!」
右手にジョッキに似たカップを4っつ纏めて持ち、左手に皿を3つ乗せた九郎がカウンターに身を乗り出し叫ぶ。
真冬の氷を溶かすような熱気に包まれた店内には、大勢の客が詰めかけていた。
酒場の喧騒は留まる事を知らない祭りのような賑わいを見せている。
九郎はその喧騒の中を、嵐に翻弄される小舟のようにあっちにこっちにと飛び回っていた。
なぜ九郎が酒場で働いているのか。その理由は至極単純なものだ。
日の暮れる寸前に街に入った九郎は、この時になって初めて自分が文無しであることに気が付いた。
しかし食べなくても死なないとは言え、腹は空く。寝る場所はその辺の路地裏でいいかと考えていた九郎も、腹の訴えにはなかなか勝てない。
そこで酒場に頼み込んで、食事の代わりに働くと交渉を持ちかけていた。
急に人が詰めかけた事で、人手が足りなくなっていると見込んだ九郎の思惑は当たり、一食と引き換えに一時働くとの申し出を酒場の主人は飲んでくれた。
「おう文無し、時間だ! 助かったぜ! 好きなもん食いな!」
熱気に酔いが混じり始めた頃、酒場の主人が九郎に声を掛けてきた。
「うっす! ゴチになりやす! 肉! 肉下さいっ!」
空いた食器を抱えた九郎が、額の汗を拭う素振りを見せ笑顔を浮かべる。
人の輪に溶け込む術はこの国でも有用だと、自分の特技に胸を張りたい気分だ。
バイトで培った人あしらいも、役に立つ。人生無駄な事など一つも無いが、九郎の掲げる言葉の一つだ。
くいぎみに答えた九郎に苦笑を浮かべた酒場の主人は、オウとぶっきら棒に一言返すと厨房へと引っ込んで行く。
食器を流し台に流し、一息ついた九郎は空いてるテーブルに腰かけ所在無げに周囲を見渡す。
農村から逃げてきた人々は早々と宿を取りに行ったのか、残っている人々は荒っぽい風貌が多い。
所謂冒険者として生業を立てている者達だろう。
自分も冒険者なので臆することも無いが、酒場で給仕をしていた身だからと、多少身を小さくしながら九郎は何気なく彼らの話に耳を傾ける。
「ついに騎士団が駆り出されたってよ」
「それでなんとかなるのかぁ? 噂じゃ相手はアレだって言うじゃねえか」
酒場の中の話題の中心は、門の入り口で聞いたアンデッドの話題だろう。
話しぶりからするに余程手強い魔物なのか、国の軍が動くとの話に九郎は身を竦ませる。
国の軍が動く――いわゆる『災害級』と呼ばれる魔物の話は、ミラデルフィアの冒険者時代、度々耳にしていた話だ。
九郎が知るのは、ベルフラムと共に飲み込まれた『
「アレは流石に
「まあ
冒険者風の男達は蔑む口調で酒を煽っている。
「いったい何が出たんすか?」
興味を引かれ、九郎は彼らに尋ねていた。
農民を臆病と蔑んでおきながら、酒場で管を巻いている彼らに少しカチンときたのもある。
実家が農家だっただけに、自分の中の彼らに対する小さな憤りが九郎を動かしていた。
いきなり話に入って来た九郎を、冒険者風の男達は胡乱気な視線で値踏みて来たが、九郎が先程まで給仕で飛び回っていた若者だと気付くと、直ぐに相貌を崩した。
「なんでぇ? さっきまで働いてた文無しの兄ちゃんじゃねえか。もう上がりか?」
「うっす! 一食分働くって約束だったもんで」
「じゃあ、おめえさんは3食くらい食わなきゃなぁ! 親父にしこたまこき使われてただろう?」
豪快な笑い声を上げながら無遠慮に九郎の背中を叩いて来る。
背中を叩くのは何も中年女性に限ってねえな――九郎はそう眉を顰めながら、男達に視線を向ける。
それなりに使い込まれた様子の皮鎧。彼らのレベルもそう低くは無いと思いながら、そんな彼らが躊躇する魔物とはどのようなものかとがぜん興味が出てきた。
「それって門の所でやられた事に関係あるんすか?」
九郎は夕刻やっとに通された衛視の件を尋ねてみる。
何度も衛視に詰問された経験のある九郎でも、この街に入る際にされた取り調べは初めての経験だった。
九郎が何を訪ねているのか、一瞬顔を見合わせた男達はその直後に弾けたように笑い声を上げる。
「なんでぇ? 兄ちゃん逃げてきた農民だったのかぁ? しかも何が起きたか分かんねえで逃げてきたんか?」
「顔つきを見りゃ、間抜けそうだもんなぁ? 訳も分からず流されてきたって感じがするぜ!」
「いや、正解だろう!? 取り残されてたら生きちゃいねえだろうしな!」
爆笑の渦に囲まれた九郎を見やり、男達は更に苦しげに腹を抱える。
憮然とした表情の九郎を面白そうに眺める男達の言葉に、小さな疑問の種が幾つも芽生え、九郎は気にせず問いかける。
「門のアレは何なんすか?」
第一の疑問。
九郎は夕刻衛視が取り囲む中、不思議な体験をしていた。
一人一人部屋に通され詰問を受ける形だったのだが、その途中に白い法衣を着た人物に杖で頭を叩かれると言うものが有ったのだ。
それ程痛くは無く、どちらかと言うと木魚を叩くようにぽくぽくと頭を叩かれながら、法衣を着た人物の詠唱を聞く。―――変な体験だったと思いながら、同時に時間がかかる訳だと嘆息していた。
九郎の問いに、男の一人が目尻に涙を浮かべたまま答えてくる。
「ありゃあ、おめえらが『
男達が笑っていたのは、何も九郎が農民だと勘違いしただけでも無かったようだ。
話を聞くに『
その特徴は黄色く濁った肌と暗い瞳。そして何より恐ろしいのは、触れたものの生気を吸い取る能力だと語る。
しかも『
魔力も膨大で出会えば即自害した方がマシ……そんな噂も絶えない程恐れられている伝説級のアンデッドモンスターだと大げさな身振りで男は語る。
聞く限りでは確かに恐ろしい魔物だ。それこそゾンビ映画のゾンビのように増え続ける強力なアンデッドの存在に、衛視がピリピリしていたのも頷ける。
そう合点がいった九郎が続く疑問を投げかける。
「取り残されたら生きちゃいないってのは?」
九郎が感じた疑問の種のもう一つ。
農民達の見間違いだろうとの言葉通り、九郎が滞在していた村は長閑な風景が広がっていた。
男達が言う通り、単に大げさな噂が広がり不安に駆られた農民たちが逃げて来たのだと九郎も考えるが、それなら軍が出た時点で噂の魔物が退治されたで終わる話だ。
それが「残っていたら命が無かった」との話しとどうにも噛みあわ無い気がする。
九郎の質問に顔を見合わせた男達は、周囲を見渡し何かを確認すると笑いを噛み殺しながら声を潜める。
「それがよぉ……。ここの領主は胆がちっちぇえのに欲が深くてよぉ?」
「おい文無し! 飯が出来たぞ! ってどこ行くんだ!?」
男の言葉を最後まで聞くことなく、九郎は酒場を飛び出していた。
後ろから響く酒場の主人の声も耳に入っていない。
九郎の頭の中には男が言った言葉がずっと鳴り続けていた。
――『
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