第150話  きせいちゅう


   カサ………カサ………カサカサ……


 九郎がいくら焦っていたとしても、時は無情に過ぎ去っていく。

 体に登って来る妹分の重さを感じて九郎は今日も瞼を開く。


「キチカチ! キキキュキキュキキュ!」

「ああ、サクラ……お早う……」


 やれる事が何も無く、ただ食べて寝るだけの日々はどうにも思考が鈍ってくる。

 空気が薄い所為だろうかとふとそんな思いがして大きな欠伸をしてみるが、それほど変わった気がしない。

 毎日の自堕落な生活に疑問を持たなくなってくる自分を何処かで不味いと感じながらも、九郎は瞼を擦り瞳を開いた。


「キキュッ! キキュキキュ!」


 今日も今日とてサクラの起こし方は容赦が無い。

 九郎の肌に口を寄せ、しきりに舌を這わすのは彼女なりの親愛表現だろうか。


「ちょっ!? 分かった、起きたって! こらっ齧んなっ!」


 甘噛みのように九郎の肩に口を寄せ、啄ばむように音を立てるサクラの相手ももう慣れたものだ。

 なにせ同室のサクラは生まれてからずっと九郎と一緒だからだ。

 サクラと名付けたのも九郎である。言葉が通じないので仕方なくと言った感じで付けた呼び名は、彼女の肌の色が他の子供達よりも薄く紅をさしたような色だからといった単純な理由だ。

 だがサクラはこの名前を気に入っている様子だ。言葉が通じなくても、九郎がこの名を呼ぶと直ぐに反応を示す事からも少なくとも悪感情は抱いていないと信じていたい。


 何室あるのか分からないほど巨大なこの家では、数多くの子供達が暮らしている。

 その内の一室が九郎とサクラの部屋だ。


「キュキュ? キュキキキュキキュ?」

 

 強引に引きはがした事に文句を言うかのように、サクラが脚をばたつかせる。

 お互い裸だがそこに恥じらいは生まれない。サクラが子供と言う理由だけでなく、そこに興奮が生まれようも無いと言う確かな理由が有るからだ。


「サクラぁ……言っただろ? 勝手に齧ると死んじまうんだぞ?」

「キキキュ! キキュキュキ!」


 九郎の注意に分かってるといわんばかりに、サクラが脚をざわめかす。

 意思の疎通は出来てそうだが、どこまで出来ているかの自信が持てず度々注意してしまうのは仕方の無い事だ。


「分かってんだったら良いけどよぉ……。んじゃ、飯食いに行くか」

「キューキキュ! キキキュ!」


 九郎の提案にサクラは直ぐに機嫌を直して、九郎の腕を胸に抱く。

 沢山の脚に抱きしめられる腕の感触はどうにもこそばゆい。


「お前……偶には歩かねえと太っちまうぞ?」

「キュ? キキキキュ!」


 やはり多少のコミュニケーションは取れているのだろう。サクラは九郎の手を抱きかかえながら、しぶしぶ床を歩き始めた。カサカサと何本もの脚が九郎の脹脛をくすぐっていた。


☠ ☠ ☠


 カサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサ


「おっ、今日は早めに来たみてえだな!」


 九郎が食堂に入り周囲を見渡す。

 床が見えない程でも無い状況は、混んでいるとは言えないのだ。

 この家に住む子供達がいったいどれくらいいるのか、九郎も性格には把握できていない。

 1000は越えないと思うのだが、サクラやクロガネ、ハイロなど特徴あるものしか覚えきれず、残りは識別出来ないのだ。


 巨大な洞窟とでも言えそうな室内にはそれでも多くの子供達が犇めき合ってはいるのだが……。

 白く淡い壁や床は、光を通して仄かに明るい。魔法の光のように淡い色に輝く室内の、入り口―――まさに入り口に近い場所でこの家の主が今日も食事を配っている。


「お早うございます。今日もおっきいっスね?」

「ギュキュギュキュキュ! キューキュギュギュ!!」


 九郎のいつもの挨拶に、女主人はいつも通りの照れ隠しで答えてくる。

 見上げるばかりに巨大な体躯からの、容赦のない突っ込みに九郎の息が詰まる。

 

 タイノエ―――ウオノエとも呼ばれる魚の口に住むダンゴ虫のような寄生虫。

 それをこれでもかというほど巨大化させた、このの主は今日も機嫌が良さそうだ。

 住処である魚の口にがっちりと脚を喰いこませ、流れ込む水流から魚を次々捕えている。

 同時に流れ込んで来る膨大な水は、エラの方に流され部屋の中までは入って来ない。

 タイノエは本来魚の体液を吸う寄生虫だった筈だが、ここの主人は魚の脳を支配し魚を操り漁をしている。口から流れ込む水の中から目聡く魚を見つけては、せっせと子供達に与えている姿は子だくさんの家庭の母親に共通する力強さを感じさせる。食べ盛りの子供達がこれだけいれば、どんな種族の母親でも大変なのだろう。


(奥さんに拾われなきゃどうなってたんだろうな……)


 九郎は今日の食事を分け与えられながらふと一年前を思い出す。

 自分は不運なのか幸運なのか……その答えは未だに出てはいなかった。


☠ ☠ ☠


 『蜥蜴族ドラゴニュート』の襲撃から何とかシルヴィアの故郷、フィオレの里を守り切ったと感じた安堵が、九郎を迂闊な行動を助長していた。

 目を瞑ったまま、悲鳴を上げて両手を前に突き出す森林族の幼女ゲルムの魔法と、九郎に恐れを抱いた『蜥蜴族ドラゴニュート』の魔法の狭間で、九郎は身動きが取れなくなっていた。


 助けた者にも、敵対した者にも恐れられ、拒絶される。その事に少しの寂しさを覚えてしまうが、自分の姿に怯えを見せない仲間の声に励まされ、何でも無いと九郎は強がっていた。


(幼女に手を伸ばすときは大概全裸ってやばすぎんだろっ!! マジで俺『変質者』じゃねえかっ!)


 少女は既に自分の全裸を見ているのだから、この反応は恐怖なのだろうと朧気に感じながらも、自分の姿が褒められた物では無い事に気付き、九郎が股間を隠した瞬間、背中が支えを失ったように後ろに傾く。


「うあ?」


 間抜けな声と同時に体に感じるのは冷たい水の感覚。


「ぶべごあごぼがべ!!」


 開いた口に突如水が流れ込んできて、九郎の頭は混乱する。


「げべごばがへへがひょべへ(何だこれ!? しょっぺえっ!!??)」


 驚きの声も上手く出せず、流れ込む塩気を含んだ水にさらに慌てる。


(なんだっ!!? どうしまったんだ!!? 何で俺はショッパイ水に沈んでんだ!?!)


 肺の中を満たす塩気に咳き込む事すら出来ず、九郎は喉を押さえて考える。

 ふと頭に浮かぶのは、昔体験した同じ感覚。九郎がこの世界に来ることになった切っ掛けであり、何度も頭を悩ました敵の魔法でもある。


(転移!? ナンデ!? まさか吊り合っちまったのか!??)


 直ぐに答えに行きついたのは、九郎がそれだけ真剣にこの現象について頭を悩ませていたからだろう。

 九郎がこの世界で戦うことになった最大の敵。『来訪者』であり、強大な魔法使いであった 小鳥遊 雄一。

 彼が使う魔法の中で、一番警戒していた魔法だったからこそ、九郎は自分の身に何が降りかかったのかの答えに辿りつく。

 ゲルムが九郎に怯えて放った風の魔法と、『蜥蜴族ドラゴニュート』の一人が放った土の魔法の魔力が吊り合ってしまったのだと……。

 境界を司る黄――土の魔法と、移動を司る緑――風の魔法が同等の威力で合わさると、転移の魔法に転じると、魔法に造詣が深い赤髪の少女、ベルフラムが解説していた事を思い出す。

 もちろんそれだけで『転移』の魔法がそう易々と暴発する訳では無いが、あの瞬間のゲルムと『蜥蜴族ドラゴニュート』の祈りが同じ『拒絶』を意味していた事も関係している所までは、九郎も思い至ってはいない。


 しかし『転移』に行きついた九郎はそれだけでも上等と言えるだろう。

 自分の身に何が起こったのかを知るだけでも、取れる行動はかなり変わって来るのだから。


 ただ、九郎の不運はそれだけでは無かった。

 先程『竜牙兵ドラゴントゥース』を体に収納する為に『修復』の力を使ってしまっているので、自分の体の一部はもうフィオレの里には残っていない。これでは生きている細胞に体を移す事も出来ないのだ。

 ゲルムと『蜥蜴族ドラゴニュート』の魔法がもっと威力のあるものだったのなら、傷の一つも入っていたのだろうが、どちらもそれほどの威力を伴ってはいなかったのも九郎の不運に拍車をかける。そして―――。


(うっそだろぉぉ、オイッ!? 折角これからファルア達と冒険できるって、シルヴィと仲良くなってイチャイチャできるって時に!!?)


 答えに行きついたからと言って、今の現状で最適な行動を取れるほど九郎は冷静ではいられなかった。

 半年間鬱屈した思いがやっと晴れて、信頼できる、自分を恐れない仲間に出会えたばかりだ。

 それだけでなく、『不死者』の自分を好いてくれる美しい少女にも出会えたと言うのに。


(そんなのってありかよ!? 待っててくれよっ! 直ぐ帰っからな、シルヴィ!!!)


 肺の中に満ちた水や酸素を失う苦しさには直ぐに慣れ、九郎は足を、手を必死で動かし水を掻く。

 浮力に身を任せるでも無く、遮二無に泳ぐ方向が水底だと水圧にひしゃげる体に気付くまで―――。


☠ ☠ ☠


(くそ……焦っちまってた)


 泳ぐ方向を間違えたと気付いた時にはもう手遅れだった。

 肺の中に満ちた水の所為で、浮力も失い自分が何処にいるのかも分からない暗闇の中で九郎は自分の軽率な行動に叱咤する。

 光も届かない水中で、上下すらも分からなくなった今の状況は最悪だ。進むべき先も見渡せないまま九郎が水中を漂っていると、僅かに体が浮く。


ふぁんふぁなんだ?」


 肺の中の水を吐き出しながら背中に当たった衝撃に顔を歪める。

 見えないので仕方なく手で確かめると、背中の肉がごっそりとこそげ落ちている。


(なんだ……鮫か何かか……)


 数々の魔物に喰われた経験を持つ九郎は、もうこれくらいのことで驚く事は無くなっていた。

 水の中でも粘度の違う液体が体から流れ出す感触から、自分が喰われた・・・・のだと気が付く。

 いつもの様に体を『修復』してみると、自分の同じくらいの体長の魚の手触りが背中に圧し掛かる。

 自分がどこに『転移』してしまったのかも分からない今、食料の確保はしておくべきか―――そう彷徨い慣れた思考で考えていると、今度は足元が引っ張られるような感覚に襲われた。


(血の匂いで集まってきやがったのか―――――?)


 訝しみながら見えない足元を手でさらうが、魚にかじられた痕はない。


(―――?? ―――――!?!)


 気のせいかと思い直した次の瞬間、九郎の胸中に嫌な予感が浮かぶ。

 何かに引き込まれるような予感。

 暗闇の中でも分かる、奥底に引っ張り込まれるような体を纏わりつく水流の動きに、頭の何処かで警鐘が鳴る。


(引き込まれてる!? 底に!? いや、もっと違う何かに!!?)


『不死』の自分が死ぬことは無いと頭で分かっている。だが、焦る必要が無いと考えているにもかかわらず嫌な予感は収まらない。

 引き込まれる先に何かが有るのなら、そこで考えればと思うのだが、もしも何も無かったら? と言った言いようの無い不安が付きまとう。

 九郎は死ぬ事はあり得ないが、その場で動けなくなってしまったらどうなるのか。

 自由に動けない水中、暗闇の恐怖も相成って有る筈の無い不安が九郎を襲う。


(何だか分かんねえけどヤバいっ! ヤバい気がするっ!!)


 九郎は必死に水を掻く。捕らわれてしまったら動けなくなるのではと、心の中で感じた恐怖から逃げるように腕を動かす。

 進んでいるのかすら分からない中、どれくらい泳いでいたのだろうか。


 ―――――――遠くに微かな光が見えた。


(あそこに辿り着ければっ!!!!)


 根拠のない希望に縋るように、光を目指して九郎は泳ぐ。

 必死で腕を回す事で吸い込まれていく水流に打ち勝ったのだろうか。

 徐々に近づいて来る光に九郎の心に希望が灯る。


ふぉうふこふぃっもう少しっ!」


 その時、九郎の願望が叶ったかのようにかのように暗闇の中の淡い光が、近付いてきた。

 そう思った瞬間体の浮力は元へと戻る。


「どわっ!??」


 腹の中の水と同時に九郎は声を吐き出す。

 いきなり戻った重力に驚き、それと同時に九郎は悟る。


「まぁ~た、ピノ〇オかよぉぉぉぉぉぉぉ!!!」


 仄かに明るい喉の奥へと吸い込まれる感覚は、食べられ慣れた九郎にしか理解できない懐かしさを伴っていた。

 さて、糞として出るか毒殺して出るか―――飲まれた瞬間考えることにも慣れたものだ。

 このまま取りあえず胃袋で考えるか―――そう思案した九郎だったが、今回は少し違った。

 九郎は思いがけない感覚に囚われていた。

 母が子供を抱くように、優しく抱きとめられる感触――――。


(お袋…………?)


 それが九郎が彼女達と出会った切っ掛けだった。


☠ ☠ ☠


(実際問題、あの海流に捕まったらヤバかったんだろうな)


 九郎がここの女主人……巨大なタイノエのような魔物に助けられなかったらどうなっていたか。

 彼女の住処で暮らしてすぐに、九郎の捕らわれたものの正体を知る事になった。

 暗闇の中で光る彼女の住処。巨大な提灯アンコウに似た魚は体を微かに光らせる事が出来るようで、光の届かない海の底でも僅かながらに外が確認できる。


 海の裂け目とでも言えるような深い割れ目。それが九郎を引き込もうとしていたものの正体だった。

 それが大きければどこかに繋がっているのかもと、飛び込む事も視野に入れただろうが、割れ目はそれほど大きなものでは無い。どこかで引っかかってしまえば、身動きも取れないまま、何年も海底に捕らわれる事になってしまっうところだった。


 九郎が彼女に拾われた時、彼女は丁度お産を終えた直後だったようだ。

 流れ込んできた九郎を我が子と勘違いし、優しく捕え巣に運び、今までずっと世話をしてくれている。

 手足があったからだろうかと、当時を思い出して九郎は苦笑を漏らす。


 最初は彼女のグロテスクな姿に、肌が泡立ったものだが、我が子と同じように九郎に接する彼女を害することなど今は出来ない。

 気持ち悪いと思いながらも、ここで生活し、水流の外へと離れる機会を待つしかないと、九郎はここで暮らし始めたのだ。


 そしてそれからもう一年の月日が流れてしまった。


「キュキキュ? キューキュー! キキュ!」


 九郎が思い出を振り返っていると、膝の上でサクラが脚をばたつかせる。

 心配そうに九郎の体を擦る幾本もの脚が、いつもの荒っぽい触り方では無い事に気付き九郎は苦笑を浮かべる。

 薄紅色の体表を持つサクラが雄か雌かは分からない。単純に女っぽい色だから雌だと思っているに過ぎない。

 それでも毎日一緒に寝起きしていれば、情も生まれる。

 九郎の視線を感じたのか、サクラは真っ黒な瞳でじっと九郎を見つめている。


「なんでもねえよ! そう言えば、ダイオウグソクムシってのが流行った事があったかなって」

「キュキキュ? キュ?」


 妹分は自分をどのように見ているのだろうか―――そんな疑問を誤魔化すように九郎はサクラの頭を撫でる。

 訝しむように首を傾げたその仕草に、九郎はもう嫌悪を覚えることは無かった。 

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