第151話  あぶない関係


 ―――フォトン――――


 いまだ未知の魔物が犇めき合う海に於いてフォトンと言う魔物を知っている者は少ないだろう。

 命がけの航海に於いて危険な魔物は数多く存在しているのだから、大人しく人目に付かないこの魔物に出会った事など無いと言うものが殆んどだろう。

 しかし実はこの魔物は多くの船乗りが既に出会っていると考えられる。

 航海をしていて偶に出くわす大型の魔物……それもかなりの大物である海獣種や魔魚は船乗りにとって一番出会いたくない類の魔物だろう。帆船を超える大きさと凶暴な性格。動きの自由がきかない海の上で彼らに出会ってしまえば神に祈る他無いのだから……。


 だが時折凶暴なはずのこれらの大型の魔物の中に大人しいと思える物を見た経験は無いだろうか。

 それこそがフォトンと呼ばれる魔物の巣と化した者達のなれの果てだ。


 フォトンは巨大なフナ虫の様な姿をしており、大型の魔物の口の中に寄生する魔物だ。

 大型獣に自ら飲み込まれることで、その喉元に脚を固定させ居座る。

 流れ込む餌のおこぼれを狙っているのかと思われるだろうが、フォトンは寄生した魔物の脳を支配するのだ。

 脚の付け根に備えられた6対の尻尾を脳に差し込み、意識を奪って巣を支配する。

 それほど多彩な動きをさせる事は出来ないようだが、自分より大型の魔物が数多く存在する海原に於いて彼らは大型の魔物を巣とすることで自衛していると言える。

 その生態からいまだ詳しい事は分かっていないが、危険な海で無闇に他の大型の魔物や我々の船を襲わない事からもある程度の知能を持っているのかも知れない。


 巨大な魔物に見逃してもらえた経験のある船乗りは、その命がフォトンによって救われたのかも知れない事を知っておいてほしい。



       ――――レガレイ・ルルイエ著

          ――――水平線の向こうより



☠ ☠ ☠



 深海を回遊し獲物を求めるここの家主の腕は確かなようだった。

 自ら淡く発光する巨大魚を操り、毎日毎日せっせと魚を捕えていた。


  グゥ~


 しかしもともと生き物の少ない深海に於いて、毎日十分な量の獲物を捕らえる事ができるとは限らない。

 だからこそ毎日子供達は食事時には戦争の様相を見せ、やかましく騒いでいるのだ。


「キュキキキュ? キューキュッ」

「何でもねえよ。気にすんないっ!」


 九郎の腹の虫の音に、サクラは首を傾げるような仕草を見せる。

 もともと居候の身である九郎は、『不死』なのだから餓死することは無い。育ちざかりの子供達が十分に食べられないと感じた場合は、流石に食事を断っていた。

 ただ感じる飢餓感だけはいかんともしがたく、腹の虫がお怒りの様子だ。


「キュキキュク! キューキュ!」

「心配すんなって。別に死んだりしねえから」


 齧っていた壁から離れてサクラが寄って来るのを手で制して、九郎は苦笑を浮かべる。

 獲物が取れない日が続くと、彼女たちは部屋を食べることになる。

 もともと巨大魚の中に作られた家だけに、壁も天井も食べようと思えば食べられるのだ。

 だがあまり食べすぎると、今度は家が『死んで』しまうので食べ物を何日も得られなかった時だけに限られている様子だった。

 それでも1000匹ほどの子供が犇めき合っているこの家が、何時まで持つのかと考えると不安が尽きない。


(魚は身が殆んど無くなっても生きてるって、動画かなんかで見た気がするが……)


 殆んど骨だけになっても泳いでいる映像を思い出して、九郎は一人思案する。

 もともと魚には痛覚が無いと言われていたが、近年はその定説が覆されるような研究もあると聞いた覚えが有る。気が付かない内に体中を齧られているこのの心境はいかがなものか。

 居候させてもらっている九郎が思い遣るには、少し厚顔が過ぎるかと浮かんだ考えを振り払う。


「キュククキュキク?」


 九郎が手で制していたと言うのに、サクラは食事を止めて九郎の膝に登ってきた。

 仲間意識から来る行動なのか、それとも慕う相手を慮っているのか未だに判断に困る。


「サクラも早くでっかくならねえと駄目なんだろ? しっかりと食っ……と……け……」


 例え見た目がグロテスクだろうと、懐く様子を見せる妹分に可愛らしさを覚えない訳がない。

 日に日に大きく成長している妹分に、気にするなとそう言おうとした九郎があんぐりと口を開ける。


「キューキキュ! キュキキュ!」

「お前っ! 何してんだよっ!!!!!」


 小首を傾げる仕草で自分を見つめるサクラに、九郎は思わず叫んでいた。

 サクラが差し出したものを見て、いつかの光景が頭に蘇る。


 サクラが差し出したもの―――彼女の脚を見て――――。


「何やってんだっ!!? 自分がなにやっちまってんのか分かってんのか!? ああ!? どうするどうする!? 救急車……いや獣医にって、んなのどっちもねえよっ!? おくさーん!!」


 慌てふためきサクラを抱きかかえる九郎に、サクラの方が戸惑っている様子だ。


「キューキッキキュッ!! キキュ!!」


 ペシペシと九郎の頬を叩き、差し出した脚を九郎の口へとねじり込ましてくる。


「ふがっ!? やへろって止めろって! ひたくへえのはよっ痛くねえのかよっ!?」


 サクラはキョトンとした感じで首を傾げ、ワキワキ残りの腕を動かすだけだ。

 その様子に痛みを感じている感は無い。少し冷静さを取り戻した九郎が、それでもジッとはしておられず赤子をあやすように部屋の中をウロウロする。

 ザリガニの類は自分の足を食べる事があると聞いたが、サクラ達の種族もそうなのだろうか。

 九郎が思案を重ねている間にも、サクラは執拗に九郎の口へと自分の脚をねじ込んでくる。


(俺が腹を空かせてるように見えたから心配させちまったのか? 腹が鳴るのはしょうがねえんだから気にしねえで欲しいんまい…………)


 一瞬思考が飛んで九郎は思い切り自分の頬を叩く。


「キュ? キュイキキュキキキュッ!?」


 サクラが慌てたように鳴く。

 それを見下ろしながら九郎は眉を下げる。

 思ってはいけない事を思ってしまったと、自分の思考を正そうとしたのだが、口の中に残る汁に思考を引き攣られる思いだ。


 カニともエビとも言えそうな濃い旨味と甘味。―――妹分のサクラの脚は―――なめまわしたくなる程美味しかった。


「キュキキキキュ!」


 舌に残るサクラの脚の味に唾を飲み込んだ九郎を見て、サクラが脚をワキワキさせながら器用に脚の殻を割っていく。

 薄紅色の脚からツルンとした乳白色の身が躍り出る。


「キュキキュ! キュキュクキュー!!」

「や、やめっ……! 止めろぉぉぉぉぉぅ…ま……ぃ……」


 口に突っ込まれたその味に、九郎が抗えるわけが無かった。

 腹が減っていたのは事実であり、その舌にサクラの脚は砂漠の水の如し。

 滴る汁さえ喉を滑り、五臓六腑に染み渡っていく。


(サクラの脚は魚介の女王様やぁぁぁ!)

「キュキュー! キュッキュッ!」


 一瞬我を忘れて喉が動いた九郎を見て、サクラが甲高い声で鳴く。

 頻りに脚をばたつかせて仰け反る様は、どこか胸を張って誇らしげにしているようにさえ見えてくる。


「はっ!?! いかんいかん! サクラ! お前が美味い事はじゅ~ぶん、分かった! だけど俺は大丈夫だからっ! おい? ヤメロ!」


 九郎の美味いの言葉に反応したのか、サクラがまたもや自分の脚を齧り出したのを見て九郎が慌てて止めに入る。

 食料が乏しい今の状況で、さらに傷を広げるのは命に係わる。


(栄養とって、しっかり元気になって貰わなきゃ面目がたたねえよ)


 死ぬ事が無い自分の為に文字通り骨? を折った妹分に何か報いらなければと考える。

 体の中の何処かにある九郎の『水筒』に入っているのは骨や水が殆んどだ。イナゴはあるし、醤油の味はサクラ達も好んでいる様子だが、そのまま食べるには塩分がきつすぎるように思える。


「しゃあねえっ! お互い様だっ!!」


 何度かの逡巡を繰り返し、九郎は自分の腕にナイフを突き立てる。

「ぐう……」と呻き、奥歯を噛みしめ悲鳴を封じる。妹分が何の躊躇いも無く脚を差し出して来たのだ。

 ここで年上の男である自分が泣きわめく訳には行かない。


(く……っそ……。やっぱこれだけは慣れねえよなぁ……)


 自傷に対する痛みだけは慣れてくれないことに文句を思いながらも、腕を切り離す事には段々と慣れてきている。最初の頃は骨に当たり、筋を切るのも一苦労だったが、何度も経験している内にどこに刃を突き立てれば簡単に切り離せるかは分かってきた。

 痛みから逃れるだけなら『竜牙兵ドラゴントゥース』を生み出せば事足りるのだが、アレはその後の処理の方で危険な気がして躊躇われる。


「キュキキキュー!? キューキュー!」


 九郎が突然腕を切り離し始めた事に、今度はサクラの方が驚きを見せた。

 自分がやっておきながら九郎がすると驚くのだから、彼女は九郎が同族で無い事を分かっているのだろうか。

 妹分がどう自分をとらえているのか、答えが聞けない事を惜しみながら九郎は腕を切り離す。


「驚いただろ? 俺も驚くんだから、そう簡単に脚とったりするなよ?」


 腕を『再生』させ、自分の特異さをアピールしながら九郎は脂汗を浮かべる。

 妹分の軽率な自己犠牲精神に対する戒めと、早く栄養をつけさせたいと言う思いで腕を与える。


「キュ? キュキッキュ?」


 どうもサクラは九郎の言いたいことは分からないのか首を傾げる仕草をし、それでも自分が行った事を九郎が返して来た事は理解したのか、躊躇いも無く九郎の腕を齧り始める。


「分かってんのかなぁ……。ああ、奥さんスンマセン……。お嬢さんを傷モノにしちまいました……」


 好意で居候させてもらっている身で、何と言えばよいのか。

 九郎は一日中頭を抱えて悩み続けた。九郎は眠れぬ夜を過ごす事になった。

 娘を傷物にしてしまった謝罪をどう償えばよいのか……一晩中その悩みは尽きる事が無かった。



「って、なんでもう治ってんだよっ!??」


 次の日、見事に生え変わったサクラの脚を見るまでは……。

 サクラの脚が生え変わった事に喜びの顔で怒鳴る九郎に、サクラはキョトンと首を傾げる。


(ザリガニとかも腕が生えて来るのは知ってたけど……サクラもそうなのか……)


 大きく息を吐き出し、つるりとした薄紅色の新しい脚を眺める。

 これほど直ぐに生え変わるから戸惑いが無かったのだろうか。そう思い、そんな簡単な話では無いだろうと頭を振る。

 自分達の脚を互いに喰いあって生きていけるのなら、ここの女主人は毎日漁に精を出す必要が無い。

 九郎が与えた腕の方が栄養価が高かったからこそ、サクラは腕を生やす事が出来たのではないだろうか。

 彼女達はこうして飢えを凌ぎ、餌が取れるまで耐える。

 餌が手に入った時に初めて生え変わって来るのだろうと、九郎はそう結論付けて妹分の脚を触る。


 産毛も生えそろわない艶やかなサクラの新しい脚は、すべすべとした手触りを伝えてきて少し柔らかい。


「すーべすべだなぁ? サクラ! こりゃ別嬪さんの脚だ!」

「キュキキュー!! キュキュ!」


 九郎の言葉にサクラが嬉しそうに答える。

 いつまでも撫でていたい手触りに九郎はゴクリと唾を飲み込み――――

 ―――――――その後自分の頬を激しく叩いて頭を冷やした。


☠ ☠ ☠


 九郎とサクラの中で永久機関が作られてしばらくたった頃。

 いつも見える外の景色が変わっている事に九郎は気付く。


 海の色―――家の灯りが無ければ真っ暗闇の世界の筈の海の暗さが、仄かに色を薄めていた。


「上昇してんのか?」


 思わず九郎は声を上げる。

 色が薄まったという事は、闇が薄まったという事だ。すなわち光に向かって浮上しているのではと。


「ギュキギュー」


 食堂で魚を配っていた女主人が九郎の言葉に何かを返す。

 肯定している様子が見え、九郎の顔に喜色が浮かぶ。


 ふと食堂を見渡してみると今日はいつもの喧騒が無い。

 一年以上を共にした兄弟達が互いの別れを惜しむように、静かに身を寄せ合っている。


「キキュー!! キキュー!!」


 サクラがその様子に何か気付いたのか、突然九郎の胸に飛び付き強く抱きしめてくる。

 いつものように引きはがそうとしても離れ無いくらいヒッシと抱きつく妹分の姿に、九郎も朧気にこれから何が起こるかを悟る。


(巣立ち……か?)


 多くの子供達の大きさももう九郎の胸まで届いている。

 大きくなった子供達が独り立ちしていくのではと、その場の雰囲気が伝えている。


「キューキュー!!」


 無垢な瞳で必死に抱きつく妹分の姿に、九郎もとたんに寂しさを覚える。

 彼女との生活は既に1年半を越えている。この世界に来て一番長く時間を共にした存在と言える。

 言葉が通じなくても、確かに伝わる心のようなものを感じて九郎も眉尻を下げる。


「ほら、俺に引っ付くんじゃなくて兄弟達にも別れを言ってこなきゃ」

「キュキキキュキキュ! キュキュキキュ!!」


 ともすれば九郎も泣いてしまいそうになり、誤魔化そうとするがサクラは全く離れてくれない。

 その間にも家はどんどん浮上して行く。


「ギュキキュグ」


 サクラがやっと九郎の腕を解放したのは、母親の一言だった。

 サクラがはっと顔を上げて、他の子供達と共に女主人の元へと集う。


「キキュギュギュ」


 彼女の一言が何だったのかは分からない。だがその言葉に子供達が一斉に彼女に縋りついた事からも別れの挨拶だったのだろう。強く、厳しくそして優しい母の姿がそこに映る。


「奥さん……親父さん……お世話になりました!」


 九郎は頭を下げる。自分も外へ出ていくと、感謝と別れの気持ちを込めて。

 別れの挨拶を口にした九郎は、暫くの間その頭を上げる事は出来なかった。

 涙を持たない彼女達に、涙を見せる事は恥ずかしかった。


「ギューギュー」


 女主人はそんな九郎を迎えるように腕を広げていた。

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