第116話  のぢゃギャル


 ズキズキと痛む頭と胸の内側でのたうつ嘔吐感のムカつきに顔を顰めながら、淡い緑色の髪の少女が瞼を煩わしそうに開けた。

 顔に掛かる太陽の光が黄色く見えて映る事から、一日の始まりが訪れた事を朧気に理解しながらも二日酔いの煩わしさから逃げる様に毛布を引き上げる。


(後もう少しだけ……)


 2度寝を決め込もうとたくし上げた毛布の柔らかな手触りに、心地良い安堵の表情を浮かべた森林族の少女シルヴィアだったが、長年連れ添った毛布の感触との違いにふと我に返る。

 故郷の村を飛び出してから百余年。人里に下りて冒険者を生業に生きている今の定宿に、これ程上等な手触りの毛布などあったのだろうか。

 肌を擽る滑らかな肌触りは柔らかく、それでいてしっとりと暖かな空気を含んでいる。

 羽の様に軽いのに包まれるような大きな毛布。


 ふと頭を擡げた疑問の念は、徐々に、徐々にと膨らんで行く。

 瞼を閉じたまま少し体をくねらせると、体を滑る様に毛布が動く。

 はらりと零れ出た白い脚が朝の風を受けて心地良い。

 その感覚に再び微睡みかけたシルヴィアであったが、膨らんでいた疑問の念がそれを押し止める。

 眠気を抑えてまで膨らんだ疑問はやがて耐えられなくなり……、


「うぇっ!?!?」


 薄れていた意識を現実へと引き戻したシルヴィアは、驚きと焦りの声を上げて飛び起きる。


「……っつぅ…………」


 自分の出した声が頭の奥に響く感覚に呻きながらも、恐る恐る周りを見渡したシルヴィアの顔は次第に血の気を引いて行く。

 見知らぬ天井。見知らぬ部屋。

 人族と比べると若いとは決して言えぬ歳ではあるが、自分とて乙女の端くれである自覚はある。

 正体を無くして見知らぬ部屋に寝かされている現実を認識して、その迂闊さに顔を青くしていく。


(ちょっと待つんじゃっ! よお考えるんじゃ! 落ち着け儂!)


 シルヴィアは必死に今自分に降りかかっている事態の経緯を思い出す。

 頭を締め付ける痛みからも、酒に酔って知らない場所で一夜を明かした事だけは確かなのだろう。

 だがこれ程までに酒に酔ってしまった事などただの一度たりとも無かったシルヴィアは、混乱と焦燥の中で自分の記憶を辿る。

 昨夜の出来事を――。


☠ ☠ ☠


「コルル坊! こっちじゃ! こっちゃ来い!」


 ミラデルフィア国の中規模な港町、フーガの街の一画でそれなりの料理を出す酒場で食事と酒を楽しんでいた折に、噂に上がった青年が顔を出した事でシルヴィアは顔を綻ばせた。

 簡素な半丈のズボンの上に色とりどりの布を撒きつけ、顔も頭も様々な色の布で覆い隠した奇妙ななりの青年の姿に店内の視線が一斉に集まる。


「あ、シルヴィアちゃんっ! 久しぶりっ!!」

「「ちゃん~!?」」


 キョロキョロと空席を探していた青年は、シルヴィアの姿を見て明るい声を上げる。

 同時に隣にいた知己の冒険者の二人が素っ頓狂な声を上げたことで少したじろんだ仕草を見せた青年だったが、気を取り直した様子で此方へと向かって来る。


「ガランさんとファルアさんも。ご無沙汰っス」


 自分に向かう奇異の視線に気付かぬ様子でシルヴィアの隣に腰かけた青年は、隣で目を見開いている男二人に会釈をしながら腰を降ろす。

 ガランガルンと言う鉱山族の男とファルアと呼ばれる赤髪の人族の青年とも顔見知りであったのか、律儀に挨拶を交わす青年に、二人の男は狼狽えながら頷き返す。

 別段睨んでいた訳では無いが、その視線がシルヴィアを恐れるような表情から少し威嚇してしまっていたのかも知れない。


「お、おう……。『命知らずデアデビル』の……。今おめえ、そこのをなんと呼んだ?」


 ガランガルンがたじろぎながらも恐る恐る青年に尋ねる。

 視線の意味が分からないのだろうか。

 さらに目に力を込めてガランガルンを睨むシルヴィアだったが、さかんに目を泳がせて視線を避けるあの鉱山族の男は視線の意味を分かっているようだ。

 なのに態々わざわざその事を口にすると言う事は、こちらの意図を邪魔するつもりなのだろう。

 鉱山族はこれだからと、怒りの視線を投げやるシルヴィアには気付かずに、青年は事無げに言葉を返す。


「え? シルヴィアちゃんっすか? 慣れ慣れしかったッスかね? 前にこう呼んでくれって……」


 どうしてそんな質問が来るのか分からないと言った感じで青年は答える。


「オババ……。お前なんちゅう……あいだっ!!!」


 呆れの表情を浮かべたガランガルンの顔面に木製の皿が刺さる。

 見事に顔面に突き刺さった皿でのけ反ったガランガルンは、そのままファルアへと倒れ込む。


「うら若い乙女に対してなんちゅう事言っとるんじゃ!?」

「ど~こがうら若いんだ!? てめえは俺のおふくろよりも年上じゃねーか!?」

「な、な、な! なんちゅう事言うんじゃ! 儂はまだ200を超えとらんわっ!!」

「俺はまだ45歳だっ!! なんでぇ! 本当に家のオババよりも年上じゃねえか!?」

「な!? まだ言うかっ! おぬし!!」


 壮年の容貌のガランガルンではあるが、その年は鉱山族で言うならまだ若者の範疇であったようだ。

 顔を抑えていきり立つガランガルンのセリフに、シルヴィアは眉を吊り上げて皿を振りかぶる。

 老成したしゃべり方のシルヴィアだったが、年は森林族の中ではまだ成人とは認められない若さの自覚がある。

 それなのに老人と同一視されるのは我慢がならない。


「え? マジ?」

「ああ、お前はまだ知らなかったんだな……。シルヴィはこの界隈じゃ誰より年上だぜ? 森林族の耳を見て分かんなかったのかよ?」

「ファルアさん……。俺知んねえっすよ!? 女性に歳なんか聞けねえし……。シルヴィアちゃ……。シルヴィアさん? そんなに年上なんスか?」

「話から分かんだろーが? 200は超えて無いって言ってるが……。森林族であの見た目なら180~190くらいじゃねえのか……あぐはっ!!!」


 二人の会話の様子からシルヴィアがここの誰より年上なのを知った青年が、驚きを表したのを見咎めたファルアが、シルヴィアが隠していた事実を突き付けるとその顔に皿を受け取り倒れて行く。


「儂はまだ168じゃ!! 乙女の歳を多めに見積もるとはなんちゅう男じゃっ!!」


 200に届かないと自らのたまったのに、30年以上の差を空けたは森林族と言う長寿の種族故の年月に対する認識の差であろうか。

 肩で息を吐きながら怒鳴るその仕草、その表情はあどけない少女の怒りの表し方と何ら変わらない。

 ただ、口走った年はそれでも店内のだれより年上だという事を裏付けるには充分だっただけで。


「あの……シルヴィアちゃ……シルヴィアさん?」

「くぅぅぅ! コルル坊も儂を年寄り扱いするのじゃな? あれ程儂を幼子扱いしとったとゆうのに!」

「俺の名前はコルルじゃねえって! クロウ! クロウっすよ?!」


 むくれて涙を滲ませる素振りは愛らしいと言って良いシルヴィアに、なんと返せばよいのかとオロつく青年はシルヴィアを宥めながらもその怒りの切っ先を変える事を試みたようだ。


「なんでじゃ? コルルで良いではないか!『コルルゥ』。ようおうとる名じゃと思うぞ?」


 不貞腐れた顔でそっぽを向くシルヴィアを見て、ガランガルンとファルアが顔を見合す。

 シルヴィアが何故この派手な青年、九郎を『鴉』と呼ぼうとしているのか分かった様な気がする。

 彼女は自分が間違えて覚えた彼の名を無理やり通そうとしているようだ。

 仕草は幼子の様ではあるが、自分の間違いを素直に正せない所は老人と同じだと溜息をついたガランガルンとファルアを見咎めて、シルヴィアの眉がまた上がる。

 ガタンと椅子が倒れる音がし、両手を交差させて皿を構えるシルヴィアの姿は思わず笑みを浮かべてしまいそうなほど微笑ましい。

 森林族の平均ではあるが背丈は彼女の年齢よりも10ルハインは低いであろう。

 まるで子供が威嚇しているような光景だが、その少女の目には剣呑な光が宿っている。


「なんぞそこの二人は言いたいことがあるようじゃのぅ? 皿はまだ2枚残っとるから遠慮のううてみい…!」


 シルヴィアの怒気の籠ったセリフに、慌てて二人は両手を小さく掲げて首を振る。

 力がどうとかでは無く、怒りに狂った女性に刃向う事が愚者の行いだとは二人とも良く理解している。

 それが歳を取った女性ならなおさら厄介な事も。


「ふん……。分かれば良いんじゃ」


 諸手を上げて降伏を示した二人に幾分溜飲を下げたのか、シルヴィアはのそのそと倒した椅子を戻すと腰を落ち着ける。

 煩わしそうに椅子を立てるその仕草は老人のそれで、そこにピョコンと腰かける仕草は子供のようで、二人は再び顔を見合わせ小さく苦笑を浮かべた。



「所でコルル坊よ……」

「だからクロウっす! シルヴィアさん・・?」


 酒場の喧騒が落ち着きを見せた所で(主に喧騒を助長させていたのはシルヴィアではあるが)、シルヴィアは九郎に話しかける。

 尚も自分の間違いを正そうとしないシルヴィアに、九郎も敬称に力を込めて言い返す。


「おぬしも儂をシルヴィと呼ぶんならちゃんと呼んでやるわい……」

「う……。年上を呼び捨てには……。これが噂に聞く『のぢゃロリ』……? いや、ロリじゃねえから『のぢゃギャル』?」

「………なんぞ馬鹿にされとるような気分になってくる言葉じゃな……。歳を知るまであんなに親しげにしてくれとうとったのに……。会話が急に冷たくなった感じがして嫌じゃのぉ~。よよよ……」


 九郎が渋面しシルヴィアが泣きまねを見せる。

 女の泣きマネは武器だと良く言うが、彼女の泣きマネはどう見ても老人の泣き落と同じ白々しさを感じさせる。

 だが相手をする九郎にはそれなりの効果を発揮したようだ。

 子供が泣く姿に狼狽えたのか、それとも自分より遥かに年上の女性が泣く事に狼狽えたのか。はたまた女性の涙に弱いだけなのか……。


「な、泣かんでくれよぉ……。ほら、飲み物驕るからさ? 機嫌治して……」

「ほうか? それじゃあ儂はこの竜眼酒をもう一杯!」


 満面の笑みを見せてシルヴィアが顔を上げる。

 海千山千のシルヴィア相手に人族の若者では荷が重かったのだろう。

 只の邂逅で店の高級酒をたかられた形の九郎に、憐みの視線をガランガルンが向ける。


「所でシル……ヴィ……。なんか話があったんじゃ……?」

「うむ! コルル坊、おぬし王国の事が知りたいと前にゆうとったじゃろ?」

「結局治ってねえ…………ってマジっすか!?」


 高級酒を驕ってもらい嬉しそうに喉を動かしているシルヴィアが、意味ありげに九郎に視線を向ける。

 その言葉に一瞬苦面した九郎は食いつかんばかりの反応を見せた。


「まあまあ慌てるでない。確かアプサルのレミウスのお姫様の事が知りたかったんじゃろ? ……おや? もう酒がのうなってしもうた……。やっぱり高い酒は美味いからのぅ……」

「親父さんっ!! シルヴィにもう一杯同じのをっ! それで…どうだったんだ?」


 食事の手を止め身を乗り出した九郎に、焦らすような素振りで杯を傾けたシルヴィア。

 その仕草に九郎が慌てて追加の酒を頼む。決して安くない酒を2杯も驕らされていると言うのに、情報の一欠けらも与えられていない事を疑問に思う素振りも見せないのは、やはり甘ちゃんと言う他無い。


「ふむ、知り合いが最近あちらから戻ってきおっての。しっかしけったいな姫さんじゃの? なんでも『風呂屋』とか言う施設を営んでおるそうじゃ」

「え? 最近の話っすよね?」


 九郎はベルフラム達と別れた後、一か月彷徨い歩いてこの街に辿り着いた。

 何処に行く宛ても無く、気の向くままに歩き続けて。


 別れの涙を見せたベルフラムを気に掛けてはいたが、自分を怖がる視線に耐えられなかった。

 それだけでなくレイアが放った言葉が九郎の胸に消えない棘となって残ってた。

 ――人と『化物』は暮らしていけない。例え近しい者が恐れを抱かないとしてもいずればれて排斥される――


 その言葉は九郎を納得させる十分な説得力があった。

 例えベルフラム達が受け入れてくれたとしても、所詮は自分は『不死』の『化物』である。

 その事を自覚してしまった九郎にその未来は限りない真実として思い描かれた。

 ――このままベルフラム達と暮らして行けば、きっとベルフラム達を不幸にしてしまう――

 その思いがあったがこそ、九郎は泣き叫んで引き止める少女達から離れる事を選択していた。

 雄一が嗾けて来たのは魔物だったが、これが人間の兵士に変わった時、自分がベルフラム達を守り抜ける自信が無かったのも理由の一つだ。

 少女達を窮地に追いやる自分を恐れ、少女達を守る為に多くの人を殺してしまう事を恐れたのだ。

 だがこの世界に来て一番最初に親しくなった、純然たる好意を向けてくれた少女達を忘れる去る事も出来ず、彼女たちが幸せに暮らしているかそれとなく尋ねていた九郎だったが、シルヴィアのセリフに思わず聞き返す。

 風呂を沸かすには膨大な熱量が必要となる。

 沸かす作業を一手に引き受けていた九郎が居なくなったことで、『風呂屋』は出来なくなったと思っていた。


「うむ。まあ知り合いがその姫さんがおる街に寄ったのはかれこれ3ヶ月前位じゃろうが……。なんでも銀貨2枚で湯が使い放題という贅沢極まりない施設じゃったそうじゃぞ? その姫さんが湯を作り出しとるそうじゃ」


 どうやらベルフラムは『風呂屋』を続けているらしい。目を瞠るほどの魔法を使ったベルフラムの事を思い出し九郎は称賛の思いで唸る。

 一日に一度なら湯を沸かす事も可能と言ってはいたが、出来ない事を出来るまでやり続ける彼女の事だ。

 最後の夜に見せた胸を打つほどの魔法が使えたベルフラムは、諦めることなく湯を沸かす魔法を編み出したのだろうか。


「ほ、他には?」


 逸る気持ちを抑えきれずに九郎は身をさらに乗り出す。


「風呂屋には2人の獣人の娘が働いておったと驚いとったな。あの地方じゃ獣人は疎まれとる筈じゃったが、えらくその姫さんに近しい者の様子じゃったそうじゃ」

「そうか……ベル……。クラヴィス……デンテ……。元気でやってんだな……」


 ベルフラムに懐いていた獣人の姉妹も幸せに暮らしていると聞いて、ホッとした表情で九郎は腰を落ち着ける。

 噛みしめる様に呟き優しそうな笑みを浮かべた九郎に、シルヴィアは眼を細める。

 なにやら事情がありそうだが、それを聞くほどシルヴィアは野暮では無い。

 情報を与えるのは自分の方である事は、飲み干した酒が示している。

 ただ自分がもたらした情報がこの男を安堵させた事は、それなりに価値があると思える。

 金を払ってまで欲しがった情報が良い物であるのならそれに越したことは無いのだから。


「それとな……おや? また酒がのうなって」

「親父さーん!! この酒ボトルで持って来て!!」


 少々茶目っ気を出して話を続けたシルヴィアに、九郎がすぐさま反応を示す。

 これにはシルヴィアの方が面食らってしまう。

 サービスにと教えようとした情報に、先んじて対価を決められてしまった格好だ。


「おい、『命知らずデアデビル』……。おめえ金は大丈夫なんか?」


 竜眼酒と言うこの店でも高級な種類の酒瓶を持って来ながら、店の店主も憐れんだ視線を九郎に向ける。

 その視線の先でシルヴィアに咎める視線を向けてくる。

 それ程大したことの無い情報で、ここまで金を毟るのか? と言う叱責の言葉が込められた視線に、シルヴィアも体を小さくしていた。

 自分もそのつもりでは無かったと、オロオロ断りの言葉を口にしようとしたシルヴィアの目の前に、九郎はダンとテーブルにそれを叩きつける。


「? 今日稼いできたんで大丈夫っす!! これで頼んマス!!」


 叩きつけられた九郎の指先には、虹色に光る白い貨幣が示されている。


「こりゃぁ……白貨じゃねえか……。おめえどこでこんなに稼いで来やがったんだ? 半年前は無一文だったじゃねえか」


 店主が驚きの表情でそれを見る。

 ミラデルフィアの通貨は木貨、黒貨、白貨の三種類だ。

 金属の希少なこの国では通常木貨が流通している。王都の限られた地域でしか育たない硬い木を削り出して作られるのが木貨。最小の単位ではあるがそれでも10枚で一食は賄える。ちなみに単位はギア。

 そして木貨よりも価値の高いのが木の化石を削り出して作られる黒貨である。

 木貨100枚分の価値のある黒貨はそれ1枚で3日は暮らして行ける計算になる。

 先程ファルアが2枚の黒貨を置いたが、それは考えている以上に贅沢な行いだ。

 ファルアがソロの冒険者としてそれなりに稼ぎがあるからこそ出来るもので、それは通常散財と呼ばれる類の物なのだ。

 そしてさらに上を行くのが今し方九郎が置いた白貨である。

 魔物でもある淡水貝の内側を削り出して作るこの白貨はそれ一枚で10000ギア。つまり黒貨100枚分の価値を持つ。道端の商店で出せば釣銭を理由に使用を断られる事もある、通常なら見ない代物だ。

 半年前にふらりと街に来たこの青年は、それこそ噂される『裸族ネイキッド』の名の通りの格好だったはずだ。

 一枚の毛織物を腰に巻きつけ、大振りのナイフだけを持った青年。

 着の身着のままというより、焼け出されたような格好のこの青年がこれ程までの大金を持っている事に、誰もが驚きを隠しきれないでいた。


「それは後で!! んでんで?」


 店中の視線がその手に集まっている事も気付かず、九郎は身を乗り出してシルヴィアに詰め寄る。


「おお、おお。愁傷な心がけじゃ。その姫さんがもう一つ営んどった物があってな? なんじゃと思う?」

「何なんスか? 焦らさねえで早く教えてくれっ!!」


 これ程吹っかけるつもりは無かったのだと、申し訳なさそうな表情を浮かべたシルヴィアが言葉を言い淀む。

 それをも気にせず真剣な表情で九郎がさらに詰め寄って行く。


「慌てんでもええじゃろが。おお、分かった。分かったからっ……。そのもう一つはな、孤児院じゃ」


 鼻と鼻がくっ付きそうなほど詰め寄られたシルヴィアが、真っ赤になりながら答えを告げる。

 老成したしゃべり方や達観した所作を見せる森林族の少女も、案外初心な所があるようだ。

 慌てふためくシルヴィアの様子に、店で彼女を知る者達が意外そうに眉を顰める。

 ――ああ、『長老』シルヴィアも恥じらう事があるのだな――と。


「孤児院?」

「何でも親を失った浮浪児達を育てとるそうじゃ。ちゅうても最低限度の食事と部屋を与えとるだけの様じゃが……。それでもまあ、立派な心がけじゃな」


 食い入らんばかりに詰め寄って来た九郎を両手で押し止めながら、シルヴィアが情報を吐き出す。


「そうか……」


 話を聞き終わり九郎がトスンと椅子に腰を落とす。

 その表情が誇らしげで、嬉しそうで、彼女のもたらした情報がそれなりの価値を秘めていたのだろう事を店内の誰もが認める。


「なんだ? クロウは王国の事が知りたいのか?」


 シルヴィアがもたらした情報にじんわりとした笑みを浮かべていた九郎に、ファルアが声を掛ける。

 目の前に置かれた白貨のおこぼれに与ろうとしている事が見え見えの表情である。


「別に王国の情報を集めてる訳じゃねえんスけど……」

「ほう……。欲しい情報は何でもって訳じゃねえんだ。ならこいつは一杯驕るに値するかな…?」

「……なんすか?」


 ニヤリと笑みを浮かべたファルアに怪訝な顔を向けた九郎。

 今や店内の全ての客がこの派手な青年の動向に向かっている。


「王国に『青の英雄』って奴がいたのは知ってるか? そいつがどうやらおっんじまったらしい。」

「親父さーん!! ファルアさんに一杯!!」


 ファルアの情報は九郎の御眼鏡にかなったようだ。

 すぐさま注文を口にした九郎に、ファルアがその口角を吊り上げて白い歯を見せる。


「お、どうやらこいつはその価値があるってか。まあ聞いたのは噂だが、ここ半年姿が見えねえって事で死んだと処理されたらしいぜ? まあ、『来訪者』って噂の『英雄』も所詮は人だって事だよな……。俺らと何も変わりゃしねえ」


 ファルアの情報に複雑な表情を浮かべた九郎。

 知りたかった情報ではあるが、先程のシルヴィアの情報程の価値は無いと言った所だろうか。


「なんじゃ? あの『青瓢箪』死におったんか?」

「シルヴィアさ……。シルヴィ、アイツの事知ってるんスか?」

「うむ……3年程前に儂らの故郷を水浸しにしたらしい……。なんでも聖地に用があったようじゃが……。そこでなんぞけしからん事をしでかして洪水を巻き起こしたそうじゃ……。何人もの村人が巻き込まれて命を落としたと聞いておる。儂らに取っちゃ怨敵と言えるじゃろうな……。最近この界隈にも森林族が増えとるのはそう言う理由もあるそうじゃ。まあ百年前に村を飛び出した儂にはよう分からんが……」

「……そっすか……。……たく碌な事しやがらねえ野郎だ……」


 話に割り込んできたシルヴィアが感慨深そうに杯を煽る。

『青の英雄』の噂はこの国でもよく飛び交う。敵国の『英雄』としてではあるが、その力は近隣の国々を震え上がらせるには充分な逸話が溢れていた。

 シルヴィアが言ったように、3年前に大森林に姿を現した『青の英雄』は膨大な被害をこの国にもたらした。

 普通ならアプサルに抗議の一つも届ける所だが、国力の小さなミラデルフィアに大国に抗議をする力は無い。泣き寝入りするしか無かった大国の『英雄』、ミラデルフィアの怨敵の死に誰もが喜びで沸いた物だ。

 九郎も何処かであの『青の英雄』に煮え湯を飲まされた事があったのだろう。

 憎らしげに語るその口に僅かばかりの安堵が浮かんでいる。


「おう『命知らずデアデビル』。この情報はどうだ? その『青瓢箪』だがな、どうやら死ぬ前に決闘で負けた事があるらしいぜ? 何でも『芋の英雄』って奇妙な奴によ?」

「おお、俺もそれは聞いた事があんな。なんでもさっきの姫さん取り合ったって噂だろ?」

女子おなごを取りあってあの『青瓢箪』相手に挑むとは、何とも命知らずな御仁じゃのぅ……。しかも勝ってしまうとは……」

「…………」


 結構有名な『青の英雄』の情報が酒に変わると知って、ガランガルンが新たな情報を見せる。

 だが、それはこの国では半年以上前に飛び交った古い情報だ。誰もがそれを知っているだろうし、聞かされている九郎も微妙な表情を浮かべている。


「うん? これだけじゃ弱えか? んじゃ、その『芋の英雄』のその後の情報はどうだ?」

「……一杯頼んで良いっすよ……。ガランさん……」


 どうにも腑に落ちない様子を見せながらも、九郎が諦めたように酒を促す。


「お、じゃあ俺は蒸留酒のこいつを頼むぜ。んでその『芋の英雄』だがよ……どうやら首に賞金が懸けられたそうだ……。何でも2度も処刑を潜り抜けたそうだが……結局教会はそいつが許せなかったそうでな。その『芋の英雄』を悪魔認定して首に賞金を懸けたそうだ……」

「ああ、それは俺も聞いた事あんな。何でもシルヴィが言ってた姫さんが教会に怒鳴り込んで抗議したそうだが……。結局国王が強引に決めたらしい。まあ、お抱えの『英雄』を倒した所為で面子を潰された事を怒ったのかもなぁ」

「そっすか……」


 どこか悲しげに俯いた九郎の様子に、シルヴィアが心配そうに視線を向ける。

 自分の言った情報であれ程歓喜に沸いていた九郎が、途端に消沈して行く様が居た堪れないのだろう。

 若々しい身なりだがそれなりに歳を重ねているこの森林族の少女は、人族の老人同様、若者が悲しみに暮れる事を自分の事の様に悲しんでいるようだ。


「おお? 俺らの聞いた噂とは違うなぁ」

「何でもあの『青の英雄』がおっ死んじまったから、そいつを倒したその『芋の英雄』を新たに取り込もうとしたそうだぜ? だがその『芋の英雄』の姿が何処にも見当たらねえ。だもんで賞金を懸けて探そうって気になったらしいぜ?」

「親父さーん! こっちに一杯!!」


 今迄カウンターを伺う様に息を潜めていた店内のテーブルから、若そうな男が声を上げる。

 大森林を挟んでいるとは言え、交通が途絶えている訳では無いアプサルの情報はミラデルフィアに度々入って来る。しかも求めているのが冒険者の街と名高いレミウスの情報であれば、それを知る者も多くいたようだ。


「その『孤児院』の方は聞いた事があるな……。若い金髪の女性が働いてるって……」

「そこの兄さん! その話をもっと詳しく! 酒? じゃんじゃん飲んでくれていいからよぉ! ハリーハリー!!」


 店内のあちこちから掛かる声に、九郎は一喜一憂しながらも酒を振る舞っていく。


「シルヴィよぉ……お前クロウの事『鴉』って呼ぼうとしてたけどよぉ……」


 ファルアが杯を傾け、九郎の背中を見ながら言葉を濁す。

 呆れて言葉が出ないといった所だろう。


「……うむ……。儂の短慮じゃったかもしれん……」


 手酌で酒を飲みながら、テーブルの間を飛び回る九郎を眺めて、シルヴィアも眉を下げる。

 何処か申し訳なさそうで、それでいて少し楽しそうな表情を。

 シルヴィアの言葉をガランガルンが引き継ぐように言い淀む。


「『鴉』っちゅうよりアイツは……」


 その日九郎に新たな二つ名が付けられた事を本人は何時か知るのだろう。

 一晩で白貨を使い切った『鴨』と――――――。


☠ ☠ ☠


 徐々に思い出されていく昨晩の光景に、シルヴィアは一人顔を青くしていた。

 あの後、振る舞い酒に沸いた店内は宴会の様子を呈した。

 正体を無くそうとも、記憶まで無くなってくれない事がシルヴィアにとっては不幸な事に思える。


「あああああああ……」


 頭を抱えて蹲るシルヴィアの脳裏には、数々の痴態が思い起こされてしまう。


「儂じゃってのぉ~! 切っ掛けさえあれば膜の一つや二つぅぅぅ」

「シルヴィ! 飲み過ぎだって……」

「コルル坊、聞いとくれ。同郷のシャルルが言いよるんじゃ! 『――えー? シルヴィまだ乙女なの~? 百五十過ぎてたよねぇ? 確か……。百年以上塩漬けにしてたら腐っちゃうよ~? あ、だからお漬物の匂いがするんだねぇ~』――なんて言いおるんじゃ! わしゃあ悔しゅうて悔しゅうて……」


 穴が有ったら入りたい。いっそ首でも括ってしまいたい。

 正体を無くすまで酔う事が無かったシルヴィアは、自分が酔うとあのような絡み癖が有る事を知らなかった。

 しかも秘密にしていた事柄を自ら暴露してしまうとは……。


「のう、コルル坊よ。どうじゃ? 儂を抱いて見んかのう? 経験は無くとも知識はそれなりに持っとるつもりじゃが……」

「おいおいシルヴィ。そんなら俺に抱かれろよ? 何なら所帯を持つ事も吝かじゃねえぜ?」

「嫌じゃ! ぬしらの匂いは儂の鼻に付くんじゃ! その点コルル坊は匂いが薄い。わしゃ、臭い男は嫌いなんじゃ! で、どうじゃ? コルル坊よ?」

「んだとぉぅ? 男の汗の匂いの良さが分かんねえとは、やっぱ未通女おぼこは分かってねえなぁ?」

「な、なんじゃとぅ~?」

「の、飲みすぎっすよ? シルヴィ……」

「何じゃ? 何か不満があるのかや? 確かに人族ほど抱き心地はよう無いかも知れんが……初物じゃぞ?」

「誰が好き好んで森林族の枯れ木を抱くんだよぉ? なぁ?」

「だーらっしゃい! 鉱山族の樽を抱くよりええじゃろうが! コルル坊を見てみい。こんな細っこい体じゃ潰されようぞ? ほれ、コルル坊! 河岸を変えよう! ここじゃ色ある話も出来んじゃろ?」

「ちょ、ちょっとシルヴィアさん……」

「シルヴィじゃ!」


 一度思い出す切っ掛けさえあれば次々と思い起こされる自らの痴態は、シルヴィアの顔を赤く青く彩って行く。

 親しい間柄でも無い青年に色目を使った事自体、自分ながらに信じられない。

 しかも人族との年齢差を考えれば、孫では足りず玄孫やしゃごでも足りない程の歳の開きがある。


(まさか……)


 恐る恐る毛布を捲り上げて衣服を確認する。

 乱れてはいるがしっかりと存在していた、肌を最低限度で隠している黒色のアンダーシャツと短いショートパンツがそこに有り、シルヴィアは小さく息を吐き出す。


(…………なんじゃ……まだ無事なようじゃな……)


 昨夜の格好からそれ程変わっていない事に安堵しつつも、そこにある微かな落胆を覚えたのは複雑な乙女心故の事だ。

 胡乱気に再び周囲に目をやると、脱ぎ散らかした自分の上着やブーツと共に部屋の様子が分かって来る。


 朝日に照らされた部屋の中は一言で言えば奇妙と感じられた。

 まず部屋の広さは安宿の様な狭苦しい物では無い。かといって高級宿の様に広々としている訳でも無い。

 中規模……といって良い程度の部屋であったのだが、その間取りが奇妙であった。

部屋の作りが丸いのがまず一つ。

 部屋が丸く作られているのだ。ぐるりと視線を巡らせたシルヴィアだったが、その視線の先に部屋の隅と言うものが存在しない事をまず最初に『奇妙』と感じた。

 そして二つ目の『奇妙』と感じたものは天井であった。

 見知らぬ天井と認識したのではあるが、その先は見えてはいなかった。

 天井が高い……いや、天井が見えなかったのだ。

 首が痛くなるまで上を向いても、有る筈の梁も板も見えなかった。

 ただ暗い先が見える中に僅かに張られたロープがあり、そこから明り取りの燭台が一つだけ吊り下がっているだけだった。

 そして最後に三つ目。

 一番奇妙に感じた理由が目の前に大きな存在感を伴ってそこに鎮座していた。

大きな水瓶。

 これ程大きな水瓶をこの辺りで作っていた事すら驚きの、巨大な水瓶が部屋の中に置かれていた。

 何本もの河を持つこの国ではそもそも水を溜め置く水瓶が余り必要とされない。

 水など幾らでもその辺りから汲んで来ればよいのだから。

 そもそも水を溜め置く必要が無いのだ。


(なんとも奇妙な部屋じゃが……)


 部屋の中を確認しえ終えたシルヴィアは、その視線を何気なく外へと移す。

 確認しなくても自分の身に何かが起こった訳では無いのだろう。

 有る筈の痛みも感じないのだから。


 部屋の中に入り込んできた柔らかな風が窓にかかっていたカーテンを巻き上げ、緑の髪をかき上げる。


「うむ? ほぅ……」


 心地良い風に目を細めたシルヴィアは再び驚きの声を溢す。

 カーテンを押し上げ広がった景色は、想像を絶する物であった。

 眼下に見える木々の海。間を縫う様に流れる河川の数々。

 何度も足を踏み入れた仕事場である、大森林を見下ろしている事に気付いたシルヴィアが感嘆の溜息を漏らす。

 度々洪水に見舞われるこの国の家屋の軒下は高い。高床式と称される作りはごく一般的な建築様式だ。

 だが家を柱で支えるのだから、その階層は決して高くは出来ない。

 無駄な場所とも言える一階部分を支えるのに、多くの柱を使う事は無駄な事であるし、そもそも数を増やして水の抵抗に負ける様では本末転倒も良い所だ。

 金持ちであろうとも屋敷を広く持つのが普通で、高所に部屋を構える事などしないのが普通だ。

 なのに見える景色はそれを超える高さに思えて、シルヴィアは漏らした息を小さく飲む。


「あ、起きたんすか? 飯食えます?」


 その時、床下から暢気な九郎の声が聞こえた。

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