第110話 自分会議
(温かぁ~い……)
白に塗り込められたような世界で九郎が最初に思った感想は、場違いなほど平和なものだった。
ポカポカとした春の陽気の様な心地良い温度。眩しいくらいに明るく照らされた周囲。雄一が繰り出したとは思えぬほど清涼とした空気が流れている気がする。
ただそれだけであった。
(いやいやいやいや! 白塗りの修正されんのはお前の方だろっ!!!)
清浄なる光に照らされた九郎が、正気に戻って突っ込みを入れる。
どこが光っているのかは分からないが、大地そのものが光を放つかのように輝き目が眩むほどの白の世界が闇夜を照らしている。
こちらからも雄一の姿は確認できないが、手を伸ばした先すら見えない白い闇とも言えるこの光が九郎に何の効力も及ぼしていない事だけは確信できる。
(『ターンアンデッド』って言ってやがったよな……。あいつ…どう見たら俺がアンデッドに見えるんだよ!? こんなピッチピチの『
雄一の不気味な笑い声のみが木霊する白い世界の中で九郎が憤慨を覚える。
アンデッドが不死を現す言葉なら九郎は間違いなく『
どちらかと言うと雄一の方が、邪悪な存在としてダメージを受けても良いのではないかとの、義憤に駆られる気がしてくる。
(だが一寸先が光って状況も、見えない事には変わりねぇぐはっ!!!」
右手を前にして指先が見えない事に思案し始めた九郎が、痛みと胃袋を突かれる衝撃に体をくの字に折り曲げる。
「なん……ガハッ! ギっ! ダッ!!」
何が起こったのかと声を上げようとした九郎は、次々襲ってくる痛みの洪水に悲鳴を上げる。
(まさか……俺が浄化されるのかぁぁぁあああああ……てな訳じゃねえな……)
知覚していなかった時は痛みが襲って来たのだが、それが何なのかを理解した途端、九郎の『ヘンシツシャ』の『
次々と体に飛び込む痛みが、今やシャーペンで突かれている程度にしか感じない。
どうにも『ヘンシツシャ』の力は九郎の意識と密接な関係が有る様に思えたが、確認している余裕は無いと、襲ってくる小さな痛みを面倒そうに眺める。
(まーた針鼠かよ……)
体に幾本もの刃を突き立てられながら九郎は大きく息を吐き出す。
伸ばした指先は見えはしないが、流石に胸元に突き立てられた刃位は視認できる。
『
その様子を想像しながらも、九郎は実に冷静に策略を練る。
誰かを守る必要のない戦いがこれ程気持ちに余裕を産むのかと、感嘆たる思いだ。
今迄は傍に居た誰かを守る為に、九郎はその全ての思考を傾けていた。
自身の命は無限だが、大事な者達の命は有限なのだからそちらに気が行くのは当然である。
だが今の九郎には、無くす命も傷つく体も存在していない。
この状況なら何日だって戦っていられるし、自分の体がどうなろうとも気にも留めないでいられる。
(だけどこれで俺を倒したと思われちまっても厄介だな……)
このまま白い闇に紛れて『
なるべく早くこの白い闇の中から脱出しなければと逸る気持ちを抑えながら、どうすれば一番有効的にこの状況を利用できるかを考える。
「ぶフフフフフフフフフフフフフフフフ…………」
雄一の声が聞こえている事からも、雄一はまだこの場を離れていないようだ。
声がしなくなったら大声を出して生存を知らしめるのも一つの手だが、相手がこちらを見えない状態なのであればそれを利用して近付く事は出来ない物か……。
白い世界の中、雄一の不気味な笑い声だけが響いているのだが、それが果たして何処から響いているのか。方向感覚が全く分からないのが厄介な所である。
足元すら白い光の所為で見えない九郎は、自分が立っているのかすら分からずに平衡感覚を失っていく。
その間にも九郎の体には次々と刃が突き立てられ、何だか自分の体重が倍ほどになったような気がして九郎は膝を折る。
(一回吸い取っちまうか……『
出来るだけ血を撒き散らし、周囲の『
体に付きたてられた剣の数から結構な量の血を撒き散らしている筈だが、痛みの原因を知覚してからその痛み自体がか細いものになってしまい、どうにも実感がわかない。
微妙に難しい顔をしながら力を解放した九郎の周囲に赤い粒子が霧の様に立ち込める。
白く塗られた世界でも赤い粒子だけは視認できるようで、九郎の体から伸ばされた赤い糸は確かに『
白く塗られた世界に赤い霧が立ち込めたように半円状に広がって行き、そして収束する。
(すげぇな……)
その光景に九郎は改めてこの力の無差別な効果に息を呑む。
『
考えてみれば触れもしない『クリスタル・バグ』の蜜すら削り取った『
九郎の周囲、半径3メートル位、高さは九郎の背丈と同じ空間が、円錐状に削り取られて元の月明かりの明るさに戻っている。
(ん? 光そのものを削り取んなら、今迄『
触れえないものすら削り取る九郎の『
その間にも『
何度か『
白い光に紛れて雄一に近付ければそれが一番なのだが、肝心の雄一がどの方向にいるのかが良く分からないのだ。
(地味だけど慎重にしねえとま~た逃げられちまうもんなぁ……)
仕方ないとばかりに九郎は体を重力に任せて倒れ込む。
白い光の中を進むのに、足元すら見えない状況ではすぐに自分がどの方向に進んでいるのかすら分からなくなる。闇の中で進むのと同じ事だと、九郎は地べたを這う事で確かな地面と言う指針を得ようと考えた。
(あだ、あだ、あだ、あだ)
余り痛そうでない感想を思い浮かべながら、九郎は白い光の中を這う様に進む。
匍匐前進の要領で大地の確かな感触を腹に感じ、『
九郎の背中に突き立てられた刃が、幾筋もの裂傷を生み出して行く。
時折思い出したかのように『
(これで全く逆方向に出ちまったら、どうすんべ……)
雄一の素早さは九郎の素早さを優に超えている。
また逃げの一手を取られ、ベルフラム達の元へ行かせてしまうのが九郎にとっては一番避けたい未来である。
慎重に距離を詰め、どうにか雄一を捉えられなければ、やがては逃げられるかベルフラム達を人質に取ろうと考えるかもしれない。
(あせっちゃいけねえのは分かってんだけど、どうにも近付く手が思い浮かばねえな……。
戦い続けるだけなら九郎にとっては何の痛痒も感じはしないが、雄一の魔力を使った動きは先程も見た通り九郎の動きよりも遥かに速い。それに雄一には『転移』と言う厄介な魔法もある。
闇雲に挑みかかっているだけでは直ぐに逃げられてしまう。
どうにも有効な手立てを考え付かぬまま、九郎はずりずりと大地を這う事しか出来ないでいた。
☠ ☠ ☠
白の神の魔法、『
『
九郎が魔法生物だったのなら『ターンアンデッド』の魔法は何の効果も及ぼさなかっただろうが、所謂悪霊の類が体を乗っ取っている状態であれば、確実に浄化していることであろう。
『
同じ魔法生物であったのなら悲鳴も上げずにこの白い闇の空間を抜けて来ている事だっただろう。
だが中から聞こえてきたのは九郎のくぐもった悲鳴のみ。
光によってダメージを受ける者など、邪悪な悪霊や『
そう考えて含み笑いを徐々に高笑いへと変えて行った雄一は、そのなかで一欠けらの疑惑が生まれている事を、その答えが目の前に現れるまで気付くことは無かった。
――九郎を殺せ――
命令を出したはずの『
ただがちゃがちゃと剣を振る『
(なぁんだぁ~。一発で殺せるじゃねえかぁ~。ま~あ、聖なる俺様に悪のあいつが敵う訳ねえよなぁ~。正義はいつも正しい俺様の元にあるんだからよぉ~)
力こそ正義と言うのもあながち間違いでは無いのだろうが、雄一の自分本位な考えには残虐な思想も独裁的な思惑も隠しきれるモノでは無い。
だがこれまで力のみでその全てを解決して来た雄一には、その考えは極当然と受け止めるのになんの疑問も抱くことは無い。
「さぁ~てぇ……。そろそろ良いかなぁ~? 浄化で倒しちまうと全然グロく成んねえからなぁ~。ベルフラムたんの目の前に置いてやる首はもっと汚してやらねえとなぁ~?」
魔法の解除を行おうと、雄一は指先に魔力を集める。
このまま放置して行く事も考えたのだが、傍から見ていても渋面するほど九郎を慕う様子を見せていたベルフラムの元へ、九郎の首を持ち込むのが一番絶望を与えられるだろうと、非道な手段にほくそ笑む。
ベルフラムもあれ程の魔法を使った後なら、しばらく魔力切れで動く事も儘ならないだろう。
動けもせず、泣き叫びながら犯されるであろうベルフラムの未来を想像して雄一は涎をすする。
「あ゛~~~! 滾ってキターー! ギンギンだぜぇ~! こりゃあベルフラムたんだけじゃ治まらねえなぁ? あの獣人のメイドも一緒に頂くかぁ~? あの金髪の年増はバラバラにしてその辺に捨てときゃいいしよぉ~!!」
雄一の頭の中は、既にベルフラム達を犯す妄想で夢見心地だ。
心の中に湧き出る嗜虐的な快楽に、雄一はその身を委ねて弛緩した表情を浮かべる。そして雄一は、無警戒に白い光に満ちた一画に足を運ぶ。
「なんせ『ディルペル・マジック』使っちまうと、『
白い光に触れて魔法を解除しようとした雄一の面前に黒い髑髏がにゅっと現れる。
心臓が一瞬跳ねあがるが、その黒い髑髏は自分が作り出した『
霧が晴れる様に白い光が消え去っていく。
そしてその場は元の青い月の光の照らす闇夜の姿を取り戻す。
ズリッズリッ……。
静かな夜を取り戻した世界に、地面を擦る僅かな音。
誘われるように雄一の視線が足元へと延び――――、
「らあ゛っぎぃぃぃぃいぃいいいいいい!!」
「ひぎぃゃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああ!!」
血の海となった地面に這いつくばっていた赤黒い物体が、ガラガラに枯れた声を出した。
身の毛の弥立つ悍ましい怪物と目が合って、雄一は恐怖に悲鳴を上げる。
九郎の自身の幸運に感謝する言葉は、雄一には地獄の亡者の声となって耳に届く。
その目に映るのは赤黒い塊。
人とすら認識できない血肉で出来た残骸。
地面を流れ出る大量の血が山を下って川となっている。
そしてその赤黒い物体は蛇の様な体長をくねらせている。
蛇と見間違う程長い胴体の正体は、人の内臓。千切れた胴体を僅かにつなぐ内臓が、その肉塊を蛇の様に見せていたに過ぎなかった。
頭からも背中からも何本もの黒い剣を生やし、這う様に進んだであろう、その身の後が轍の様に地面に線を引いている。
それは余りに凄惨で吐き気を催すほど悍ましい、九郎の姿だった。
今迄の戦いの中、九郎の凄惨な姿は目にしてきた筈なのに。目にしたからこそ『浄化』の魔法を打ち込んだというのに。
予想していた綺麗な死体とあまりにもかけ離れた九郎の姿に、雄一の喉からは怖気る様な悲鳴が轟く。
「『
雄一の悲鳴を掻き消すかのように九郎の雄叫びが木霊する。
赤い粒子が九郎の体に纏わりつき、川となった血を、後方で蠢くだけで剣によって縫いとめられていた下半身も、その全てを飲み込むかのように九郎の上半身へと戻っていく。
「く、来るなぁぁぁぁあああああっ!!!」
尻餅をついて後ずさりながら雄一は眼前に両腕を突き出す。
もし『ターンアンデッド』が効かなかったならと用意していたであろう『ディスペルマジック』の魔法の事など雄一の頭には残ってはいなかった。
ただただ恐怖に駆られたまま、雄一はありったけの魔力を眼前に放出する。
這った状態から腕の力のみで飛びかかって来た九郎の姿が恐ろしくて、咬みつかんばかりに開かれた九郎の口が恐ろしくて、引きずられるように九郎の体にその身を埋めたままボロボロと零れ落ちて行く『
目の前に映る映像全てが恐ろしくて雄一は恐怖に顔を引きつらせたまま前方に魔力の塊を打ち出す。
青の神の水の魔法も、緑の神の風の魔法も、黄色の神の土の魔法も、白の神の光の魔法も。
その全てを極限まで高めた魔力で以って目の前の恐怖から逃れようと試みる。
「逃がすかぁぁぁぁああああああっ!!!!」
九郎の雄叫びが最高潮に達した時、
バシュン
軽い泡が弾ける様な小さな音が響いた。
「ぎゃぁぁぁあああああっ!!!」
続いて響き渡る雄一の悲鳴。
夜の静寂の中、雄一の痛みに対する怨嗟の声が響き渡る。
しかし、その声に答える者はその場から姿を消していた。
大量の魔力を放出して繰り出した雄一の滅茶苦茶な魔法は、その効力を凶悪なまでに示してしまっていた、
ボトリと転がった九郎の足首だけが、その光景を静かに眺めていた。
☠ ☠ ☠
「うぐふぅ……ぐひゅう……」
夜の山に雄一の泣き声が沈んで行く。
「畜生……畜生……ちくじょぉぉぉおおおお!!!!」
怨嗟の籠った呻き声は山々に木霊して行く。
驚き慄いた雄一が放った、滅茶苦茶な魔法は幸運にもその効力を如何なく発揮していた。
水の魔法が細かな泡となって九郎を襲い、風の魔法がその一帯に凄まじい圧力をかけた。光の魔法がその光線を泡を使って反射し振動させ、土の魔法が産んだ重力がさらに圧力をかけた。
魔法の暴走と言って良い状態に閉じ込められた九郎は、振動する分子と電子によって泡の様に膨れ弾け飛んでいた。
だが、目の前でしかも尻餅をついた状態で繰り出した魔法は、雄一の左足首をも消し飛ばしてしまっていた。
痛みなどここ数年感じた記憶も疎らな雄一に登って来る、発狂しそうな痛みに雄一は恨みの籠った言葉を吐き続ける。
失った血液を補充する様に、懐に入れていた高価な魔法の
青の神による奇跡を強引に引出し、徐々に傷口を塞いで行く。
肉が盛り上がり、骨が作られて靴を失った雄一の細い足が姿を現す。
回復魔法も青の魔法の一端であることが幸いした。
青の魔法は雄一にとっては一番得意な魔法だ。
なにせ雄一を召喚した神は青と黄色の神々だったのだから。
魔法のとっかかりを青の神の魔法を見て覚えた雄一には、青の魔法が一番馴染んでいた。
「お、お、驚かせやがってぇぇぇえええ! 余計な魔力を消費しちまったじゃねえか! あー! 魔力も殆んど使っちまったしよぉ! あいつも消し飛ばしちまったから首を取る事もできやしねえっ!」
足元に転がった九郎の足首を雄一は忌々しげに蹴飛ばす。
「核だけ消し飛ばしゃ良かっただけなのによぉ~! どっこにも残っちゃいねえじゃねえかっ! あーもったいね! 俺様の魔力もったいね! あんな雑魚に魔力の殆んどを使っちまうなんざ、一生の恥だな! くそったれ!!」
一度引いて魔力の回復を待ってからベルフラムの元へと向かおうかとも考える。
殆んどの魔力を消費してしまった今の雄一では、後一度の『転移』の魔法で魔力切れを起こしてしまいそうだった。抵抗する力など残っていないだろうが、もし抵抗されて魔法を使わざるを得なくなってしまえば面倒だなと雄一は思惑に耽る。
「あ~……。あいつらも連れて帰らなきゃいけねえしな……」
雄一は一塊になって蠢いている『
結構数を減らされてしまっていたが、まだ半分ほどは残っている。
貴重な竜の牙を用いた『
「ったく……あいつらいつまであんな足首と遊んでいやがんだかねぇ……」
残った九郎の足首に何度も剣を突き立て、宙に向かって剣を振り回す『
その目の前には赤い粒子が、霧の様に広がりを見せていた―――――。
☠ ☠ ☠
((((((((((何が起きやがった!?))))))))))
あと一歩で雄一を捉えられると思った矢先、九郎の視界が何十何千何億と重なりを見せ、その情報量に脳が悲鳴を上げる。
手を伸ばし、飛びかかった筈だった。
目の前の雄一は尻餅をついていた状態で、逃げられる隙など無かった筈だ。
だが目の前に掲げられた雄一の手のひらが見えた瞬間、九郎の思考は何億とも思える数に分離した。
((((((((((俺は何されたんだ!?))))))))))
自分の思惑が、心が何億何兆と重なって響いてくる。
誰が考えているのか……。勿論自分の筈だ。
だがいったい誰が……いや、
頭が混乱を超えて混乱する。
そもそも頭はどれだ。この見ている景色はどの部分が見ている景色なのだ。
雄一の魔法によって弾け飛び塵と化した九郎はその現実さえ分からずに慌てふためく。
(「頭はどこだ?」「目はいったいどこいったんだ?」「口担当は誰だ?」「おい血液は何処でもいいじゃねえか?」「いや静脈と動脈は分けねえと」「はーい右目担当の奴ー!」「おい左腕は経験豊富だろうが! 指示くれよ」「切られてる経験が多いだけでそんなに変わんねえよ!」「歯の細胞はー?」「知らねえよぉ!」「とりあえず何処に集まるか決めねえと集まれねえよ」「ちくわ大明神」「おい今の誰だ?」「とりま、雄一に近い奴が目になっときゃいいんじゃね?」「空を飛んでるぅぅ!!」「浮かんでんだよ馬鹿!」「俺が馬鹿だったらお前間も馬鹿だよ! 馬鹿!」「おいヤメロ、単細胞共!」「仰る通り単細胞だよっ!!」「この中に私の息子はおりませんかー?」「お父ちゃんっ!!」「
全てが九郎だと全ての細胞が理解している。
だがその指針となる部分が決められず、導となる対象が消し飛んでしまった故にどうして良いのかが分からなくなっていきそうだ。
だが、自分が考えている事だけは分かっている。
塵となって漂う全ての細胞は、九郎と言う人間に欠かすことの出来ない重要なファクターだと自分自身が分かっている。
(「足首のこってんぞ?」「あれが集合場所でよくね?」「あーあー、ぐっちゃぐちゃじゃん」「形が残ってるだけマシじゃね?」「とりあえず自分がどの場所担当だったかは覚えてんだよな?」「もち! てかそれ以外に機能がねえし」「うそつけ、膝にモノを見る機能なんて普通はねえよ!」「それもそだなー」「じゃあ、とりあえず『修復』する?」「だけどこの後どうすんべ?」「てか見えてる情報量大杉! 元目だった奴以外目を瞑れって!」「目が無いのに目を瞑んのか?」「やりたまへ! てか目が無いのに見てっからな?」「それもそうだ」「んでどうすっかね? 戻る?」「ああ! 胃袋担当が飛ばされちゃうのぉぉおお!」「ほっとけ! じきに腹空かせて戻ってくる!」「俺たちはずっと繋がってっからな!」「右腕の事を左腕が恨めしげに見てんぞ?」「ちくわ大明神」「だから誰だよ!?」「茶化してんのは何処の担当だ?」「いや、どれも俺らだぞ?」「わかってんよ!」「うぉっ! 雄一の野郎足を再生させやがった!」「まじで!?」「どれどれ」「全部で見るんじゃねえ! 頭担当が涙目だ!」「目もねえのに……」「そう言う話じゃねえ!」「おい! ただでさえ
全てが自身の事と分かっている。細胞一つ一つは間違いなく自分が感じた事を素直に内心で思い描いているに過ぎない。だが全てが自分なのだ。思い浮かんだ、口にすらしない事でも全てが筒抜けで伝わって来る。
別れていても自分の一部だ。心が別れる事などありえない。その感覚だけは何処の細胞でも同じように伝わっている。
(「つか、心担当っていんの?」「俺?」「お前は心臓担当だろ……」「どう違うんだよ?」「心にシナプスは通せねえぞ?」「なら頭が心を兼任してんのか?」「そもそも心とはなんぞや?」「おい、哲学的な話になってきやがった!」「こんな話はしてられん! 俺は抜けさせてもらうぞ!」「お前は元から本能のみだろ!?
何処かの誰か――もちろん九郎だが――が発した提案に九郎が考える。
(「このままあいつの後ろに行けねえのか?」「風の関係で行けそうにねえ!」「このまま炎に『変質』して燃やしてみっか?」「炎が効き辛いのは前回で知っただろうが!?」「じゃあ『
思い浮かんだ一つの手。有効かどうかは確信が持てなかったが、このまま『修復』を行っても雄一を削り取る事は出来ない。ただその手を信じて九郎の全部は雄一を睨みつける。
その手を、自身の右手を信じて。
(「んじゃ、いっちょ行きますか……」「おい、右手担当はここでさよならだかんな!」「次の右手によろしくな!」「次の右手は戻って来ねえよ」「んじゃ、その次の右手だ。ま、それも変わんねえよ」「全部俺だしな!」)
何処の部分が心とかは考えはしない。ただ九郎は全身全霊を以って心を決める。
闇の中に漂う九郎の何億何兆と言う細胞が僅かに赤く発光する。
それは赤い霧となって夜の山間に怪しく細い線を伸ばして行く。
(「分かってんな?」「これが失敗しても諦めねえ!」「絶対俺は諦めねえ!」「雄一を倒す!」「雄一を倒す!」「雄一を倒す!」「雄一を倒す!」「雄一を倒す!」「雄一を倒す!」「雄一を倒す!」「雄一を倒す!」「雄一を倒す!」
「「「「「雄一を倒す!!!!」」」」」
「ベルを守る!」「クラヴィスを守る!」「デンテを守る!」「レイアを守る!」「俺の大事な人たちを守る!!!!」「「「「「「「守る!!」」」」」」)
赤い光の粒子が輝きを増し始める。
青く照らす月の元、赤く広がった九郎の一つ一つが確かな意思を心に宿す。
「「「「「「「「「
んじゃぁ! 派手に行くぜぇぇええ!! ご唱和くださいっ!!!
」」」」」」」」」
その声は大きく山に響き渡る。
何十何百何千何億何兆とも思える蚊の鳴くほどの小さな声は、重なり合って山を振るわすほどの大きな音となって夜の闇を駆ける。
「「「「「「「「「「「
『
」」」」」」」」」」」
震える空気が、幾億もの細胞を一つへと集めて行く。
そこに立つのが当然の様に、そこに在るのが当然の様に、そこに生きているのが当然の様に―――――。
――九郎が生きている事を世界に認めさせるかのように――。
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