第108話  不死身の英雄


「やり過ごすんじゃねえ……お前らが雄一に狙われねえようにするだけだ……。あいつらは――――俺が一人で片付ける!!!」



 静かに言い放った九郎の言葉に、暗闇に覆われた『弾丸兎バレットラビット』の巣穴に沈黙が満ちる。


 確かにいまだ疲れを見せない九郎以外に、戦える者がいないことは誰もが理解していた。

 だが、だからと言って一人で神世の時代の兵士と呼ばれる魔物、『竜牙兵ドラゴントゥース』数百体相手に一人で立ち向かうなど、ベルフラムが神を降ろそうとしたこと以上に自殺行為にしか聞こえない。

 一匹でも熟練の冒険者が束になっても敵わない『竜牙兵ドラゴントゥース』。それが数百体等、ドラゴン相手に戦いを挑む方がまだ生還の可能性が有ると言うものだ。一匹ならドラゴンの方が遥かに強いが、不死系の魔物の中でも魔法に対する防御力が並はずれている『竜牙兵ドラゴントゥース』は『動く死体ゾンビ』や『魔動死体レブナント』等、他の不死の魔物達とは一線を画す。


 不死の魔物は2種類いる。


 死体に『幽霊ゴースト』や『死霊レイス』が宿ると『動く死体ゾンビ』や『走る死体リビングデッド』と言った自然発生すると言われている不死の魔物へと姿を変える。

魔動死体レブナント』は頑強な肉体を持つ死体に魔法で擬似的に作り出した『魔霊ガスト』を宿らせて使役すると言われている。

 どちらも肉体を持つが故に、その肉体に縛られてしまい、アンデッドと呼ばれてはいるが滅ぼす事は出来るのだ。

 通常の魔物よりも傷付いても怯むことは無く、臓器を破壊されても致命傷にはならないが、それでも肉体を破壊すれば崩れて行くのだ。

 不死の魔物とは言え、本当に不死、不滅なら今頃世界はアンデッドで溢れていると言うものだ。


 それと別に不死と呼ばれる生物に魔法生物が存在している。

『ゴーレム』や『悪魔の石像ガーゴイル』等に代表される、擬似的な体に魔力を宿らせて動く生物と言って良いのか分からない擬似生命の魔物達だ。

 肉体は体の素材によって強さが異なるが、核を破壊しない限り自動で修復し、永遠に動き続ける魔物達である。

竜牙兵ドラゴントゥース』は後者に分類される不死の魔物だ。

だが、素材となるのは魔力をこれでもかと湛えたドラゴンの牙である。

 強靭さも、魔法防御力も並みの魔法生物とは桁が違う。

 それが数百体である。

 疲れもせず、破壊する事も困難な魔物にたった一人で立ち向かうなど、それこそ伝説上の『英雄』であっても自殺行為と言わずして何と言うのだろうか。


 ある種の呆れが混じった沈黙は、ベルフラムの消え入りそうな声で終わりを告げる。


「……クロウ………私も……一緒に……」


 クラヴィスとデンテに支えられながら、立ち上がろうとするベルフラムは、魔力切れと回復を繰り返したために体そのものが限界を迎えているのは明らかだ。

 九郎の『クリスタル・バグ』の蜜が下手な治療薬ポーションよりも効果があったとは言え、何度も体が限界を迎えて意識を手放すのを繰り返している。

 精神的な疲労や、肉体的な疲労は傷や魔力とは違い治療薬ポーションでも殆んど回復する事は無いのだから当然と言える。


わりいな、ベル……。フラフラなお前を連れて戦えるほど楽な相手じゃねえんだ……。お前を守って戦いきれる自信がねえんだよ」


 九郎がベルフラムの頭を撫でながら、諭すように言葉を放つ。


「守ってなんて…言ってない……! ……私が…クロウを守りたいの…!!」


 クラヴィス達の手を振り払ってベルフラムは倒れ込むようにして、九郎に縋りつく。穴に入る僅かな月光に照らされたベルフラムの顔は、涙が滲んでいた。

 先程抱きかかえられながら見た、九郎の横顔が悲壮な感情を含んでいたように思えて、目の前から九郎が居なくなってしまうのではと言った不安がベルフラムの心に渦巻いていた。

 この手を離せば二度と会えないような気がして、ベルフラムは九郎の腰に腕を回す。ベルフラムが見上げた九郎の顔は、月明かりとは思えない程輝く月の光の逆光の中、よく分からなかった。

 多分困ったように眉を寄せているのだろうと、ベルフラムは瞼を閉じても思い描ける九郎の顔を想像する。

 いつも自分を危険から守ろうとしてくれている、ベルフラムの『英雄』は自分を守ると言った言葉がとても信じられないと言った様子を体全体で表していた。

 その様子にレイアがふと感じたように、ベルフラムも九郎の中の自棄にも似た行動を儚いものとしてとらえてしまった。


「クロウは…! いつも私達を……守ろうとしてくれてるのは知ってるわ……。でも……それじゃあ……いったいクロウは……誰が守るの? ……クロウがどんだけ丈夫だったとしても……痛い思いを……クロウばっかりしなくちゃならない訳じゃ無い……。クロウだけが……傷ついて……良いって訳じゃ…無いのよ?! だから…クロウは……私が守るの……。クロウは……私の大事な人よ……。それこそ……私の命など……惜しく無いくらい……。……私はあなたのモノよ? ……あの時誓った思いは……あの時捧げた想いは……私を私として支えてくれる大事な言葉なの……。

だから……お願い……。私を置いて行かないで……」


 今生の別れの様に思えて、ベルフラムは涙を流して懇願する。

 それだけベルフラムも必死であった。

竜牙兵ドラゴントゥース』の脅威を知っているのだから当然とも言える。

いくら九郎が『英雄』と知っていても、人であることは変わらない。

『英雄』であっても無事ではいられる可能性は低い。

竜牙兵ドラゴントゥース』数百体相手に戦いを挑むのは、強靭な肉体を持っているであろう九郎であっても不可能だとしか思えなかった。

 魔力の殆んど残っていない自分が傍に居てもどれほど力になれるか分からなかったが、それでも最後の一瞬まで九郎の傍に居たい――――。そんな思いがベルフラムを急き立てていた。


 ベルフラムの涙ながらの懇願に、九郎はくしゃりとベルフラムの髪を乱し、その後両手を背中に回して優しく叩く事で返事を返した。

 その行為がベルフラムの言葉を聞き入れるモノで無い事に、ベルフラムの顔が更に曇る。

 嗚咽を漏らすベルフラムの背を優しく叩きながら、九郎はベルフラムの耳元でゆっくりと言葉を続ける。


「心配すんなって……。何も死にに行くって訳じゃねえんだ…。ただ、俺の全力は無差別でな……。近くで戦ってたらそっちに気がいっちまって使えねえんだ……。なに、俺は大丈夫だ!心配すんな!

 なんたって ――俺は『不死身の英雄ヒーロー』だからよ?」


 ベルフラムから体を離し、親指を立てて九郎が言いやった言葉は、出会った当初の九郎が良く言っていたセリフだった。

 アルバトーゼの街に入ってからは一度も言わなくなっていたが、それまでは事ある毎に九郎が言っていた言葉であった。

 不死である人間など居る訳が無いが、それが自分を安心させようとしている九郎の常套句だった事を思い出し、ベルフラムは懐かしさに少しだけ目を細める。


 盗賊達から助けられた際に、『大地喰いランドスウォーム』に飲まれた際に、暗闇を彷徨っている際に――事ある毎に口にしていた、九郎の身を心配するベルフラムに対してのセリフ。

 自分の身が丈夫な事を大げさに言いやって、ベルフラムを安心させようとしているのだろう。

 だが、どんなに満身創痍の状態でも九郎が口にしたこの言葉は、ずっとベルフラムを支えてくれた本当の言葉となっている。

 100ハインを越える高さから落ち、血だらけになっていても何食わぬ顔で言いやった言葉は、文字通りベルフラムの心配をどこ吹く風と吹き飛ばした。そしてその後の困難からも、どんな絶望的な状況からも自分を救ってくれた真実の言葉になっている。


(不死身の『英雄ヒーロー』……)


 ベルフラムは九郎の言葉を心の中で反芻する。


 なぜか急に言わなくなった気がする。

 代わりに言いだしたのは『ベルフラムの英雄』。

 九郎の事を弱いと思っていながら、『英雄』を目指している九郎を元気づけようと言ったベルフラムの慰めの言葉。

 まわりから白い目を向けられている九郎を庇う為に、ムキになって何度も言った言葉。


 だが、ベルフラムにとって『英雄』はあの時も今も九郎一人だ。

 国の『英雄』と称されていた雄一でも無く、おとぎ話の中の『英雄』でも無い。『来訪者』だからでもなく、九郎その人だけがベルフラムにとっての『英雄』なのは変わらない。

 アルバトーゼについてから九郎が自身の事を『ベルフラムの英雄』と言いだした時は、その言葉は九郎自身を奮い立たせるための言葉の様に感じた。

 不甲斐無い自分を奮い立たせるために自分に向かって言っている所があったように思う。


(クロウは私の『英雄』……。今迄ずっと私を守ってくれた本当の『英雄』……。私に生きる事を教えてくれた……。私に生きる力をくれた……)


 見上げた九郎の顔は月明かりの逆光の所為で良く見えない。

改めて自身を『不死身の英雄ヒーロー』と称したのは、ベルフラムが九郎が死んでしまうと思っているから……。『ベルフラムの英雄』なのにベルフラム自身が九郎の生還を信じていないから……そう言いたかったのだろうかといった思いが胸に棘となって刺さる。


「謁見の間で俺がカッコ良く登場する前に、雄一にでっかい啖呵きったんだろ?」


 なかなか手を緩めないベルフラムに、九郎が唐突に話題を変える。


 ――クロウは死んだりなんかしないっ! 私の大好きな人が……私の大好きになった人が……お前なんかに負けたりしないっ!

 だって……だって……クロウは『私の英雄』だからっ!!! ――


 ベルフラムが折れること無い気持ちを胸に紡いだ言葉。

 クラヴィスからでも聞いたのだろうか。

 あの時は雄一の言葉に負けるまいと、必死に自分を奮い立たせるための言葉だった。

 だがそれは実際に直後に真実となった。

 死んだと言われた九郎は、それこそおとぎ話も霞む様な場面で劇的な登場を遂げ、ベルフラムの言葉通り雄一にすら打ち勝ったのだから。

 その言葉を思い出して、ベルフラムの顔が熱を帯びる。

 本人のいない場面で、大声で愛を叫んだ形でもあるから、そこはかとない気恥ずかしさがあるのだ。


「信じてくれてんだろ?」


 少しだけ手を緩めたベルフラムに、九郎がゆっくりと体を離す。

 ベルフラム自身が言った言葉だ。今になって言葉を翻す事はしないよな?とでも言いたげな九郎の言葉に、ベルフラムもどうしようもなく宙に手を彷徨わせる。

 九郎の力を信じたい。その気持ちはベルフラムの中に確かに存在している。

 どんな状況からでも九郎は生還して来た。

 だが、ベルフラムの中に静かに溢れてくる嫌な予感。


 不死の魔物と呼ばれる者でも滅ぼされる世界。

 完全なる不死など存在しない。

 九郎が『来訪者』だと知っていても、神々からどんな『神の力ギフト』を授かっていたとしても、不死身と言う存在はありえない。


 この世界には多くの神々が存在していたとされている。

 だが、現在残る神はたったの6柱だけだ。

 残りの神々は太古の戦いで死んでしまった・・・・・・・と伝えられている。

 そう――このアクゼリートの世界は――神ですら死ぬ……。

 九郎が幾ら神々から力を与えられたと言えども、神々の力を超える力を授けられる筈が無い。


 ここで九郎を行かせてしまえば、何か取り返しのつかない事になってしまいそうな予感がして、ベルフラムは宙に彷徨わせた手を再び九郎の首に回す。


「信じて……るわ……でも行かないで……。嫌な予感がするの……。クロウが………いなくなっちゃいそうな気がするの……。例え……死ぬ……ことになっても……私はあなたの傍を離れないわ! ……ずっと……傍に居るの! お願いだから……。私の『英雄』……。お願いだからぁ……。今後……我儘なんか言わないから……」


 ベルフラムは九郎に縋りつき、涙を流して懇願する。

 困らせる事になるのは分かっているが、それでもこの手を解いてしまえば二度と触れられない気がして、遮二無に力を込める。


「クロウ……。大好きなクロウ……。愛してるわ……だからお願い………私を……」


 ベルフラムは九郎の何か言いたげな口を唇で塞ぐ。

 どうすれば思い直してくれるのだろう。

 言葉が思い浮かばず、唇を重ねたベルフラムは静かに涙を流しながら腕に力を込める。

 心の中を満たしていた不安とも恐怖とも思える嫌な予感は、心から溢れ出て堰を切ったように留まる事を知らない。

 震える腕に最後の力を込める様に、九郎を抱き寄せ訴える。

 泣きながら口付けをせがんでいたベルフラムの肩に九郎の手が掛かる。

 殊更力を込めようとしたベルフラムは、ゆっくりと九郎の唇から離されていく。

 涙で滲むベルフラムの目には、やはり九郎の顔は逆光で見えはしなかった。

 ただ何も言わずにベルフラムの顔を真正面から見つめているのは分かった。


 九郎の肩が動き、その手がベルフラムの頬に触れる。

 少しビクリと体を竦ませたベルフラムの頬を、九郎の親指はゆっくりと涙を拭って行く。


「クロウぉ………」


 ベルフラムの目に大粒の涙が溢れる。

 まるで心から溢れ出た不安が、目から涙となって漏れ出て来たのかと思えるほど、後から後からとめど無く溢れてくる。


「ごめんな…………」


 九郎は一言短くそう言いやると、ベルフラムの唇に人差し指を添えた。

 もう何も言うなという事なのだろうか。


(クロウが行っちゃう………!)


 ベルフラムの顔がくしゃりと歪む。

 どうしたって九郎は一人で戦うつもりだ。

 どれだけ懇願しても九郎の心を止める事は出来ないと感じたベルフラムはなりふり構わず九郎の腰に抱きつく。

 例え動けなくても、引きずられてもこの手を離さないとばかりに腕に力を込める。


「クラヴィス、デンテ、レイアっ!! クロウを止め…………………っ………」


 どうにかしてと言わんばかりに声を荒げたベルフラムの頭の中が、霞が掛かったようにクラリと揺れる。

 抗えない睡魔がベルフラムを襲い、込めた力がゆっくりと解けて行く。


「……ク………ロ…………」


 引き合う瞼の強烈な力に視界が閉じて行く中、ベルフラムの目に僅かに煌めく九郎の指先が映る。

 九郎の指先、先程ベルフラムの唇に触れたその指には、青白い液体が月光を受けてキラキラと光っていた。


☠ ☠ ☠


「ごめんな……ベル……」


 涙顔のまま崩れる様に眠りに落ちたベルフラムを抱きかかえ、九郎はもう一度言葉を告げる。

 聞こえてはいないだろうが、自分の身をこれ程まで案じてくれた少女に眠りの毒を盛った事が胸に痛い。


「クロウ様……」「クロウしゃま……」


 突如崩れ落ちたベルフラムの姿に、クラヴィスとデンテが心配そうに近づいて来る。


「クラヴィス……デンテ……ベルを頼む……」


 不安気な瞳を向ける姉妹の頭を順に撫でると、九郎は抱きかかえたベルフラムをクラヴィス達に預ける。

 ベルフラムを支えたクラヴィスが緊張した面持ちで頷き、デンテがそれに続く。

 九郎は涙で濡れたベルフラムの頬に軽く触れ、涙の後を拭うとベルフラム達に背を向ける。


「クロウ様……私達ではお役にたてませんか? 例え盾としてでもお役にたつことは出来ないですか?」

「子供を盾にするなんて冗談じゃねえや……。俺を雄一みたいな外道と同じに見てくれるなよ、クラヴィス。俺はお前らの保護者だぜ? だから前に立つんだよ! 背中を見せるんだよ! 心配すんな! ちゃっちゃと片付けてきてやんよ! お前らは……ベルが無茶しねえように見といてくれや……」


 クラヴィスの言葉に九郎は振り返ることなく答える。


「クロウ様……。分かりましたです……。ずっとここで待ってるです……。信じてますです……」

「クロウしゃま……頑張ってくだしゃい……」


 クラヴィス達の言葉に九郎は片手を少しだけ上げて答えると、月光輝く夜の闇へと歩を進める。

 それ程大きな穴では無かった『弾丸兎バレットラビット』の巣穴だったが、それでも九郎が知る熊の巣穴程の大きさがある。


(俺に守る価値なんてねえのにな……)


 九郎は自嘲気味に苦笑を浮かべる。

『不死』である九郎に守る価値があるとは思えなかった。

 傷付いても直ぐに治り、失っても直ぐに生える。

 痛みも自傷を除けば直ぐに慣れてしまう。

 昨日今日で散々刺され、殴られた九郎は攻撃された所で痛みも僅かしか感じはしない。

 自暴自棄になっている訳では無く、九郎を守ること自体が無駄な事だと感じる。

 守らなくても九郎は死なない。傷すら残ることも無いのだ。

 一人で前線に立つ方がよっぽど気も楽だ。


 九郎にとって自分の命にもう価値など無い。

『不死』の体を守る意識すらもう九郎の頭には存在しない。

 ただ大事な人を守る事だけが、九郎にとって『守る』と言う意味だ。


(命を懸ける………か…………)


 ベルフラムが泣き叫んで言い放った言葉が耳の奥に残っている。

 大切な誰かを守る為に命をなげうつ姿は美しいと感じる。

 そこには確かな信頼や愛情が無ければ成り立たない行為だと思う。

 だが九郎に限ってはそれは、近くにある荷物を代わりに取るくらい容易いモノになってしまっている。

 懸けても目減りしない命を懸ける事に何の美しさがあるというのか。

 老いる事死ぬ事もも無くなった九郎に、時間も命も有限で無くなった九郎に、守る価値など無いと思えた故の自嘲の笑み。


 そんな悲しい笑みを浮かべた九郎の顔に、一人の少女の影が掛かる。


「レイア……」


弾丸兎バレットラビット』の巣穴の入り口に、レイアが一人立ち塞がっていた。

 金の髪は青い月光の下白銀色に輝き、まるで妖精様な美しさを見せ九郎は見惚れる様にレイアの名を呼ぶ。


 月明かりの下のレイアの顔は、暗く悲しい影を落としていた。


「クロウ様……」


 レイアが言葉を探すように九郎に目を向ける。

 レイアも自分を止めようとしているのだろうか。

 それともベルフラムの様に共に戦う事を望んでいるのだろうか。

 九郎は歩を緩めることなくレイアへと歩みを進め、


「ベルを頼んだぜ」


 すれ違いざまに一言告げる。


 レイアにとって一番大事な人はベルフラムだ。

 ベルフラムを置いて九郎と共に戦うとは言うまい。


 そう思った矢先、背中に柔らかな感触を感じて九郎の動きが止まる。

 背中越しに感じるレイアの豊満な胸の感触に、九郎の体が熱くなる。


「どうしてそんなに自分を蔑ろにするんですか……」


 背中でレイアのすすり泣くような声が響く。

 素肌に熱い液体が流れるのを感じて、遣る瀬無い気持ちが込み上げてくる。

 自己の命の心配が無い九郎の行動はどう見たって自暴自棄にしか見えないのか、レイアには九郎が特攻でもするかのように見えているようだ。


「私は……ベルフラム様の騎士です……。あの方の幸せを守り、あの方の涙を止める為の騎士です……」


 レイアが九郎の背中で上ずった声で呟く。


「私はベルフラム様の幸せを守りたい……。ベルフラム様の笑顔を守りたい……。でも分かっているんです……。あの方の幸せも……笑顔も……クロウ様がいてこそなんです……。私じゃ駄目なんです……。だからどうか……一人で傷付こうなどとは考えないでください……。自己犠牲など……残された者には何の価値も有りはしないんです……」


 先程自分を犠牲にして崖から飛び降りようと考えたレイアの言葉とは思えないセリフに、九郎は苦笑を浮かべる。

 レイアこそ自分の命を軽く見ている気がして何だか切ない気持ちになって来る。

 レイアはベルフラムの命を自分の命よりも上に見ている。

 クラヴィスやデンテも同様だろう。

 確かに九郎の行動は、自分の命よりもベルフラム達全員を上に見ているからこそ一人で戦いに挑もうとしているのは間違いない。

 ただ、レイア達はその命が一度きりの儚い物なのに対して、九郎の命は無限である。

 やはり比べようも無く、自分の命の価値が安く思えて九郎の顔が曇る。


「レイアはすげえなぁ……」


 ポツリと溢した九郎の言葉は夜の山間に静かに落ちて行く。


「ベルもクラヴィスも、デンテも……みんなすげえよ……。一度きりの命を他人の為に使う事に躊躇いがねえもん……。俺だったら絶対ビビっちまうよ……。一個しかねえ命が懸かっちまったらブルって動けねえと思うぜ……。」


 本心からの言葉だった。

 もし自分に授けられた『神の力ギフト』が『フロウフシ』で無ければ、自分は身を呈することを、これ程当然と受け入れる事が出来ただろうか。女性は体を張ってでも守るべきだと頭では思っていても、心から迷いなく身を投げ出せるかと問われると、即答することは出来なかっただろう。

 子供だから、女だから、そうするのがカッコいいから……。

 色んな理由を付けて足を前へと追いやるだろうが、それでも僅かな時を過ごしただけのベルフラム達の為に一度きりの命を擲つことが出来るのだろうか。

 今九郎がしようとしている事は、傍から見れば自己犠牲の最たる物かもしれないが、そこには誰の命も懸かってはいない。

 自分の命が懸かっていないからこそ、九郎は一人で戦う事が一番効率が良いと考えて、何の気兼ねなく戦いの場に赴ける。


「じゃあ! 何故?!」

「俺は『不死身の英雄ヒーロー』だかんな」


 背中で声を荒げるレイアに、九郎は軽い口調で言いやる。


 人は命の危機に本能的に怯える。

 だが、命の危険が無くなった九郎に恐怖と言うものは一つしかない。

 大事な人を亡くす恐怖。他人の命の危機が九郎にとっては本能よりも恐ろしい恐怖となっている。

 だから例えどれ程の化け物相手であろうとも、一人で戦う分には恐怖など微塵も感じはしない。


「レイアはベルの涙を止めたいって言ったけど……俺はレイアの涙も止めたいんだ。泣かねえでくれや……。絶対に俺は大丈夫だ! 微塵も危険な事なんてしねえよ! 例えドラゴン相手だって負ける・・・気はしねえ! 信じてくれねえか?」


 九郎はレイアに向き直ると、レイアの肩を掴んで強い意志の籠った視線を向ける。

 少し垂れ目がちの九郎の黒い瞳に見つめられ、レイアの表情は涙で曇る。


(やっぱ納得してくれねえか……。結構強え所を見せてたつもりなんだけどなぁ……)


 稽古ではレイアに勝ったためしが無かった故か、レイアは九郎の実力に疑問が残っているのだろう。

 実際、九郎の力は『不死』から来る無尽蔵の体力と生命力による泥仕合を潜り抜ける継戦能力だから、一概に実力を見せる事は難しいのかも知れない。

 レイアも眠らせる他無いのかと九郎が苦渋の選択を決め、指先から『クリスタル・バグ』の『睡眠毒』を滴らせたその時、レイアの顔が九郎の間直に迫って、九郎は慌ててしまう。

 慌てた九郎の両腕を素早く抱きしめたレイアは、涙で濡れる顔で九郎を見上げて静かに言いやる。


「ベルフラム様と同じように眠らされる訳には行きません。ベルフラム様の傍にいてあげて……」


 力強く発せられたレイアの言葉は全てを言い終わらない内に、途切れていた。

 レイアの目が大きく見開かれ、頬が見る見る赤く染まって行く。


 レイアの唇に九郎の唇が触れていた。


「い、いきなり何をするんですかっ!!」


 レイアが眉を吊り上げて唇を離す。

 いきなり抱きついた自分もどうかとは思うが、その途端キスされるとは思っていなかったレイアの動揺の色は大きい。

 しかしレイアは九郎の両腕を抱きしめる腕の力を緩めない。


「お、驚かせて逃れようったって、そそそ、そうはいきませんからねっ! クロウ様と口付けを交わすのは初めてじゃ無いんですっ! 私だってもう経験者ですっ! そんな手でどどど動揺させようったって駄目ですよっ!! どんと来いってものです!むしろこっちから奪ってしまいますよっ!」


 どう見ても動揺を隠しきれていない様子でレイアが声を荒げる。


「すまん……」

「謝らないでくださいっ! ちょっと嬉しかった私が馬鹿みたいじゃないですかっ! って何言ってんですか私はっ!? キスくらいで止められるなら、私だって……」


 申し訳なさそうに謝罪の言葉を口にした九郎に、レイアは眼をぐるぐるさせながら九郎の口元に顔を寄せる。

 完全に混乱している様子だったが、レイアは九郎を抱き寄せる腕に力を込めながら自ら唇を再び重ねてくる。

 その唇が触れるか触れないか、僅かな時を挟んでレイアの腕がほろりと解ける。

レイアの瞳が一瞬開かれ、その目尻に涙が滲む。

 悔しそうな、それでいて悲しそうな瞳は徐々に重たげに閉じられていく。


「スマン……」


 崩れ落ちる様に瞼を閉じたレイアを抱きとめた九郎はもう一度謝罪の言葉を口にする。

 九郎の唇は、青い月の光の下静かに青白い光を反射していた。


☠ ☠ ☠


「そろそろ絶望も最高潮に達してかなぁ~? 上へ逃げるなんてばっかじゃねえのぉ~? まぁ、これだけの戦力差を見せられちゃったら混乱するのも無理ねえよなぁ~。虎の子の『竜牙兵ドラゴントゥース』5百はやりすぎだったかねぇ~。あの恐怖に歪んだ顔はやっぱり最高だぜぇ~!」


 細い山道を『竜牙兵ドラゴントゥース』に担がせた悪趣味な黒い神輿の上に座ってゆっくりと登りながら雄一は顎を撫でる。

 突然の逃げ出した九郎達に当初は少し慌てた物だが、その進路が上へと続く細い山道だった事に嗜虐的な笑みを浮かべた。

 2万を超える魔物を全て屠ってしまうとは思っても見なかっただけに、包囲の穴を抜けられてしまうのではとすこし焦ったのだがそれは杞憂に終わりそうだ。


「まあ、抜けられたら抜けられたで別の手も考えてあんだけどねぇ~。俺ってかしこ~い!!」


 自画自賛を繰り返しながら、雄一は麓に隠してある包囲の結界の魔法を解く。

 山を抜けようと企んでても最終的に阻まれる魔法の結界に、彼女たちはどんな表情をしたのだろう。

 それを見れなかったのは少し惜しいが、上に逃げると言う愚挙を犯した奴らが悪いとばかりにひたすらに残酷な笑みを浮かべる。


「全く……素直に股開いときゃぁ、こんな目に合わずに済んだのに。賢いけど馬鹿だよなぁ~。ちょ~っと考えたら俺に逆らうのがどんなにやべえか分かんだろうがっ! あ~世の中馬鹿ばっかりだぜぇ~」


 自分本位の考えを声高に唱えながら、眠たげに眼を瞬かせる。

 九郎達ほどで無いにしても、雄一もここ二日あまり眠れてはいない。

 練りに練った策略が気になって興奮冷めやらぬのもあったが、ここまで九郎達が粘るとは思っていなかったのもある。

 雄一の予定では『魔動死体レブナント』5000体もあれば優に絶望を与えられると思っていた。

 九郎と決闘で戦った際、九郎の体力や再生力は中々のモノだったが、こと攻撃力に対してはそれ程目に瞠る者は無かったからだ。

 同じように体力が無限とも思える不死生物アンデッドを嗾けて行けば、早々に魔力切れでも起こすと思っていた。だが、意外にも九郎は2日も戦い続け、あろうことか全ての『魔動死体レブナント』を退けてしまった。

 慌てて『動く死体ゾンビ』を大量に召喚し足止めを図り、その間に結界を張ったりと中々の労力を使わされる羽目に陥った。


 また、精々宮廷魔術師クラスだと思っていたベルフラムが、山を覆い尽くすばかりの魔法を使用した事も驚くに値する出来事だった。

 雄一と言えども山を覆い尽くすほどの魔法を使う事は出来ない。

 魔力そのものは膨大にあるが、雄一には古代語が分からないのだ。

 雄一は全ての魔法を無詠唱で行使している。

 それは魔法を唱えている姿が滑稽に思えると周囲には言っているが、その実古代語が分からないから他ならない。

 雄一の魔法は膨大な魔力で無理やりに自然を曲げて、力技で効果を発揮している所謂邪道な方法だった。

 雄一は知らないのだが、無詠唱の魔法は詠唱を通じて行う魔法よりも多大に魔力を消費する。

 この世界の魔法が『神々の眷属』の力を借りて行うものだから、それを言葉も無く行使するには詠唱を使うよりも3倍の魔力を消費してしまう。

 無詠唱の技術そのものは知っていたベルフラムが、それをしようとしなかったのはそもそも魔力が足りないのと、無詠唱はとにかく魔力効率が悪いから他ならない。


「ベルフラムたんを手に入れりゃあ、俺ももっと力が持てるよなぁ~。そうなったらヤバくね? 俺、神じゃね? やっべ~わ~。崇められるわ~。奉られるわ~」


 そもそも基本的な事から力技で解決して来た雄一は、魔法の勉強などしたことは無い。ただそれでも雄一は自分を超える魔法使いにあった事は無い。それだけ雄一は増長するには充分な魔力を持っていたのだが、ベルフラムの行使した魔法はそれだけで使えるようになる者では無い事を雄一は気付かぬまま都合のいい未来だけを見て涎を垂らす。


 爵位を下げられ、その地位さえ脅かされているとは思いもせずに、雄一はバラ色の未来を思い描いて逸る心を解放する。


「まぁ~今日はベルフラムたんとの初夜になりそうだからなぁ~。疲れマラで犯ると気持ちええんだよなぁ~。最初はどうしようかなぁ~。あえて『支配』しないでレイポプレイも有りだよなぁ~。目の前にあのリア充の首置いてさぁ~。いやぁ~興奮して来たわぁ~」

「ずいぶん悪趣味な妄想だな、おいっ…………」


 月光照らす青白い山の斜面、白い岩山が転がり大きく道を狭めた一画にさしかかった雄一に憮然とした声が掛けられる。


「なんだぁ~? 観念してお前だけでも見逃して欲しいってかぁ~?」


 目の前の岩山に気だるげに腰かけた男の影に雄一が愉悦を含んだ声を返す。


「やっぱ自分が一番可愛いもんなぁ~? 命は惜しいもんなぁ~? カッコいい事言ってたって、一皮剥けば皆自分が一番だもんなぁ~? 嫌いじゃねえぜぇ~?」


 月を背負って立ち塞がる九郎の姿に、雄一は喜色を孕んだ顔を向ける。

 勿論見逃すつもりなどさらさらないが、一筋の光を見せてから奈落に付き落とす事が何より好きな雄一だ。

 一人で赴いてきた九郎が、自分に媚びる為に抜けだして来たと疑う事もせずに決めつける。

 そもそも魔法でも物理でも『竜牙兵ドラゴントゥース』に対抗できる実力はこの男に無いのは明らかだ。

 自分の張った魔法防御すら貫けない脆弱な攻撃方法しか持たない九郎に、戦う術など残されていないと高を括って愉悦に浸る。


「何でこの状況で俺が命乞いに来たって思うんだよ……てめえは……」


 九郎は岩山から飛び降り、心外だと呆れを溢す。


「当然じゃねえかぁ~! 一人で来たって事はそう言う事だろ~? 這いつくばって靴を舐めるってんなら見逃してやっても良いぜぇ~? やっぱリア充は世渡りが上手うめぇなぁ~。そうやって女犠牲にして伸し上がっていくんだもんなぁ~? どうせならあの子らの目の前で裏切ってやれよぉ~? 好きなんだろぉ~? そうゆうプレイがっ!!!」


 神々の兵士を伴っているからか、雄一は余裕を見せながら両手を広げ、神輿の上で足を前へと持ち上げる。

 その雄一の顔面に拳大の岩が当たり弾け飛ぶ。

 常に展開している魔法の防御のおかげで傷一つ付かないが、小さな衝撃が雄一の頭を揺らす。


「テメエ……死にてえらしいなぁ~………」

「ごちゃごちゃうるせえんだよ! このハゲっ! 殺せるもんなら殺してみやがれってんだ!!」


 怒りに目を剥く雄一に、九郎はナイフを掲げて道を塞ぐ。

 青い月の光を反射して九郎の持つ大ぶりのナイフがギラリと凶悪な光を反射する。


「そんな魔法も掛かってねえナイフで『竜牙兵ドラゴントゥース』とやりあおうだなんて、頭が悪いにも程があんぞぉ~、てめえ!」


 痛みは無かったが跪いて来ると思っていた者が反旗を振りかざした現実に、雄一は苛立った様に声を荒げる。ここまでしても怯む様子も見せない者など居る訳が無いと思っていたのに、九郎はまるで堪えた様子も見せない事が、自分の計略を根本から否定された気分になって怒りが込み上げてくる。


「てめえは何処のサブキャラなんだぁ~? 死亡フラグでも建てよおってのかぁ~?」


 一人で道を塞ぐ等、漫画の世界では死亡フラグと呼ばれる類の最たるものだ。

確実に残った者は死を迎える羽目に成る事は火を見るよりも明らかだ。


 しかし、雄一の言葉に九郎は動揺も見せずにニヤリと笑みを作る。


「ああ! 人生で一度は言ってみたいセリフ、俺の中では上位のセリフを言ってやんよ! ――ここを通りたければ、この俺を倒してからにするんだな! 雄一っ!!」


 強大な敵を一人で留める物語の脇役が最後に放つ言葉。

 実力以上の力を、命を燃やし綴る言葉を、九郎は大声で叫んで両手を広げる。


 その瞳は死の運命を欠片も見てはいなかった。

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