第002話  今際の際



「・・・・え~・・・じゃん・・・・おも・・・・な・・・さぁ」

「そ・・・・・・? う・・・・あ・・・ほか・・・・・・し・・・・・」


 子供のような声と老婆のような声を遠くに聞きつつ、九郎は頭に霞のかかるような感覚で目を開いた。


「ここは…………?」


 焦点の合わない妙な錯覚におちいり右手で眉間に手をあてる。


「………うん?!?!?!」


 ふと不思議な感覚に驚き左目を擦ろうとして、九郎は更に驚愕する。

 左目が無かった。いや無かった訳では無く、有るはずの場所に無かったのだ。

 九郎の左目は顔の表面にはなく後頭部の方に押しつぶされて陥没していた。


「!? うわぁぁぁぁ!!!!」


 その事実に九郎は驚きの声を上げ、後ずさろうとしてひっくり返る。そしてパニックに陥りながら、体を見渡しさらに驚きを募らせる。

 左手も無かった。

 Tシャツの肩口から上腕部にかけて、やけに大きいタイヤの跡が走っていた。そしてある筈の、Tシャツから伸びている筈の腕は、引き千切られたかのように先が無かった。

 右足も無かった。

 ハーフパンツから伸びていた筈の右足は、ちょうど膝あたりで無くなっていた。

 腹部は胸から下がやけに薄っぺらい。左腹を見ると何やら大きな穴が開いていて中身が無くなっている。

 右足だけはそのままあったが、擦り傷が無数に刻み込まれ、曲がってはいけない方向に曲がっていた。覗いた肉の赤さに九郎は顔を歪める。


 その中に於いて右手はさらに不可解で、手首より先はあったのだが、腕部分が無くなっていた。右手は動くのに腕が無い・・・・のだ。

 切断されたように浮いている右手の断面には、皮膚の下、黄味がかった白い脂肪と赤い筋肉が、骨の周りに着いているのが見て取れる。


(死んじまったんかぁ……俺……)


 あまりにも非現実な自分の姿に九郎は仰向けに倒れ輝くような天井を見上げた。

 内臓も手足の殆んども失って、顔まで拉げていると言うのに、生きていると考えるのはどうにも無理があり過ぎた。


「そろそろ落ち着いた?」


 子供のような甲高い声がしてそちらを見やると、白い翼を持った大きな歯車がゆっくりと回転していた。

 今の声はこの奇妙な歯車から聞こえてきたのだろうか。

 自分の体の有様と、目の前に映し出された非現実な物体に、九郎は半眼で首を傾げる。


「結構慌てるかと思ったけど、立ち直りが早いね。キミ」


 歯車はカラカラと笑っていた。目も鼻も口も無い歯車が笑うと言うのも可笑しな表現だが、九郎にはその翼を持った歯車が笑っているように感じた。

 現実にはありえない光景。夢の中にいるような奇妙な、ふわふわとした感覚。先程確認した己の酷い体。

 九郎は早々と深く考えてもさっぱりだと熟考を放棄し、歯車から声がしている不思議をそのまま受け入れる。


「まあ流石にこんな体で生きてるはずがねえし?」


 九郎は投げやりに答え、胡乱気な視線を歯車に向ける。

 どこから声が出ているのかと、目の前で浮いている翼を持った歯車を観察していると、歯車はさらにカラカラと回転しながらケタケタと笑い声を上げた。


「まあそうだろうねぇ。左頭部陥没、左腕欠損、左足欠損、内臓破裂、右腕欠損、その他もろもろ……こんな体で生きてたらびっくりするよね。戦場でもめったに見ない轢死体だ」


 ことさら楽しそうな声色で歯車は回っている。

 何がそんなに可笑しいのか。イラッとした九郎は、しかし今更どうなる訳でも無いと思い、溜息を吐き出して仰向けに天井を見上げる。


「んじゃ、ここはあの世って訳か……あっけねぇもんだな……」


 最後に見た光景と言えば白く眩しい光と、耳に残るブレーキ音。

 ――ああ、あの時車にでも轢かれて俺はここに来ちまったのか……。

 呆気ない最期だったと肩を竦めた九郎は、寝転んだまま歯車に視線を向ける。


「ここは天国なんか? 地獄に落とされるような悪さはした覚えが無いから大丈夫だとは思うんだが……」


 天国だとしたら目の前の歯車は神様か何かだろうか? 神様の前でこの態度は拙いのではないか? そんな思いも少し頭を過ったが、今は無常感に自分を取り繕う気力も無い。

 九郎がそう言うと、その答えは別の方向から返って来た。


「ところがそう上手くも行かなくてね」


 しゃがれた老婆の様な声。

 その持ち主は言うと同時に九郎の顔を覗き込んでくる。

 こちらはハロウィンの時に見かけるような黒いフード付きの服を着た少女のようなものだった。

 ようなと表現したのには理由が有り、少女の半分は老婆であったからだ。

「可憐な」と表現しても良いほどの愛らしい顔と皺が刻まれ今にも老衰しそうな顔が丁度半分ずつで合わさっている奇妙な顔の女。平時で見たら悲鳴のひとつも上げそうな出で立ちだが、それを言ったら今の自分も大概だろう。

 ただ、天国行きで無いと聞かされ九郎はいきなり焦る。


「ええっ!? そんな悪い事して無いっスよ? 俺、そんな『良い子』じゃ無かったかも知れないっすけど、人様に迷惑かけたことも無いはずっす!」


 敬語にもなってない、しかしなるだけ悪感情を抱かせないよう精一杯、丁寧口調で抗議する。今更だとかは考えない。基本九郎はお調子者で通っている。


「そうなんだよねぇ。それが問題でさあ」


 九郎の必死の弁解に老婆とも少女ともつかない彼女は困ったように苦笑を浮かべた。

 彼女は言いながら九郎に向って茶色い何かを放り投げる。


 ソレは何かの革で出来た紙のようなものだった。羊皮紙と呼ばれるような紙には不思議な文字が書いてある。

 理解出来るはずのない文字であったが、どういう訳か九郎に読むことができ、不思議に思いつつ内容に目を走らせる。

 羊皮紙には九郎の名前、生年月日、身長、体重、視力等が記載されていて、他にも性交の有無や善行、悪行が事細かに記載されていた。善行と悪行の基準には一言申したい部分もあったが、それより目を引くのは羊皮紙の最後に大きく±プラマイゼロと書きなぐられていた箇所。

 0点の答案用紙を見せつけられているようで、何だか少し心が痛い。


「見ての通りキミは善行と悪行が釣り合ってしまっててね……行き先が決まらないんだ」


 少女のような老婆は左手と右手を交互に見ると天秤のようにして苦笑いを浮かべた。


「んなっ!? じゃ、じゃあ俺は浮遊霊か地縛霊みたいになるんすかっ!?」


 慌てて九郎が問いかけると、少女(半分老婆)はニコリと微笑み、仰々しく手をひろげながら理解不能な言葉を続けた。


「落ち着きなよ、クロウ。それは私達も望んでいない。そこで提案なのだけれども―――もう少し・・・・続けてみない・・・・・・? 人生・・ってやつをね?」



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「急な話だから説明しないとね。混乱しちゃうでしょ? ほらそこのひっくり返ってる椅子にでも座りなよ。もう・・立ち上がれる・・・・・・でしょ?」


 白い翼の歯車はそう言って、翼で九郎の前を指した。

 其処には部屋の色と同じ、真っ白な椅子が転がっている。


(さっきひっくり返ったのは椅子に座ってたからか。てかこの歯車、右足だけでどう立つんだよ!? 今の俺は達磨さん一歩手前だぞっ!?)


 文字通り手も足も出ませんと、抗議の声を上げようとした九郎は、先程から感じていた僅かな体の違和感を思い出し、一応もぞもぞと体を曲げ右膝を立てる。

 折れ曲がっていた右足だったが、痛みは感じなかった。

 ただ片足のみで立ち上がれるほど九郎はこの現状すがたに慣れていない。当然のようにバランスを崩し左手をつく・・・・・


 ハッとした九郎は左手を見たが、そこに見慣れた左手は無く、しかし感覚だけは元の左手の感覚がしっかりとあった。左足も見えないだけでちゃんと其処に有るように、白い床の感覚を靴越しに伝えている。


「なんか妙な気分だ……」


 九郎は呟きながら白い床に倒れている椅子を手で持ち上げて直すと、のろのろと腰かける。


「そのうち元の姿に戻れるさ。改めて自己紹介しよう、富士 九郎。僕の名前はソリストネ。こちらで言うと第八異界、アクゼリートで死者の魂を天上に送る役目を担っている大天使さ」

「私の名前はグレアモル。死神よ。同じくアクゼリートの死の世界・・・・を管理してるの。よろしくね」

「聞いたことも無い天使と死神だな。大体、アクゼリートとか何処だよそれ……」


 訳が分からない名称に半ば捨て鉢になって来た九郎は、元の口調に戻りつつそう聞き返す。

 敬語が出来ない訳でも無いが、なんだか目の前で神を名乗ったこの二人(特にソリストネ)には敬意を示す気が起きない。


「そうだね。解らないだろうね。だから説明するね」


 白い歯車ソリストネは縦に横にと回転しながら言葉を続ける。


「まずキミのいる場所、ココ!此処は何て言えばいいかなー。んー……そうっ! 案内所! 魂の案内所みたいな所さ。此処は死の直前に魂が来る場所なんだ」


 そう言ってソリストネは翼を九郎に向けた。


「死の直前って…………俺まだ死んでねえのかよ?!」


 荒っぽい口調で九郎はソリストネに聞き返す。

 どうにも敬意を示す気が起きないのは、この男とも女ともつかない目の前の歯車のしゃべり方にも問題があるような気がしている。

 なんだかとてもうさん臭い――その言葉を飲み込み、座った眼で九郎がソリストネをねめつけると、ソリストネはとても明るい口調で返して来た。


「1秒後には死ぬんだけどさ」


 身も蓋も無い答え。

 一瞬「死んでいない」と聞かされ身を乗り出した九郎は、その言葉に項垂れる。


「そして僕達。キミには聞いたことも無い天使と死神。其処の辺も説明するね」


 九郎の消沈を他所に、ソリストネはクルクルと回りながら、羽を使って身振り手振りを加えて話しはじめていた。


 説明によると、死んだ魂はその魂が信仰している神の下で裁かれて、その魂が信仰している死後の世界に送られるそうだ。

 だが日本人、特に最近の日本人は信仰している神が居ない。

 所謂いわゆる無神論者かと言うとそうでは無いらしい。

 隣の国、中華人民共和国は、そのほとんどが無神論者だが日本人は少し毛色が違うと言う。


「日本人はさ、神を信仰していない・・・・・・・・・のに神はいる・・・・・・って信じているんだ」

「あ~……」


 九郎は一気に捲くしかけてきたソリストネの言葉に、なんとなくではあるが納得を表す。

 クリスマスだの正月だのと楽しんではいるが別段、キリスト教徒でも仏教徒でもない。だからと言って、ただ単に商業的なイベントだと割り切っている訳でもない。

 墓石に粗相をする等怖くて出来ないし、悪いことを考えても、誰かが見ているようで躊躇する。神頼みと祈る事は有るのに、どの神に祈っているのか自分自身が分かっていない。

 日本の文化にまで根付いた八百万の信仰は、不確かな形で確実に存在していた。


「それでね、|そういった神を信じているのにどの神も信仰していない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はさ、全ての神で持ち回りで獲得できるようになってるんだ。

 地球上だけで無く、『全ての世界』でさ。だから今回のキミの魂はアクゼリートの天使である僕、ソリストネと」

「アクゼリートの死神であるわたし、グレアモルが担当するの」


 そう告げながらソリストネとグレアモルは九郎に向き直る。


「………そんで俺どっちに行くんだ?」

「そこなん――」「そこが問題なのよ」


 ソリストネの言葉に被せ気味にグレアモルが口を開いた。


「通常死に行く魂はその魂が持つ善行か悪行かのどちらかに偏っているものなのよ。善に偏っていれば天に、悪に偏っていれば地獄に還ることになるわ。でも富士 九郎。あなたの魂は丁度で釣り合ってしまっているの。善行と悪行が半々」


 グレアモルはもう一度両手を天秤に見立てて肩を竦めた。

 九郎がこの場所に来た理由は、どうやらこの善行と悪行の釣り合いが原因らしい。

 通常なら滅多に起こらない事らしいが、だが全く無い訳でも無いそうで、何もしてこなかった者――所謂ニートなんかはその行動範囲が限られ過ぎているが為に、この場所に来る率が多いと言う。

 転生物の小説の主人公にニートが多い理由をこんな場所で聞かされて、リアクションに困った九郎が顔を顰める。


「で、こういった場合その魂は別の世界に連れて行って、もう少し人生の続きをしてもらうことにしているのよ。その結果、魂が善に寄るか、悪に寄るかを見るわけね。ここまでは理解してもらえたかしら?」

「――――はぁ……」


 要はロスタイムのようなものかと考えながら九郎は気の抜けた返事を返す。


「……ちゃんと聞いてる? そして連れて行った世界で神からの力『ギフト』を与えて、人生の指針『クエスト』を受けてもらうの。連れて行った世界でまた何もせずに終わっちゃったら、此方も困ってしまうからね。『神の力ギフト』を与えて、『神の指針クエスト』を達成すれば良くも悪くも波瀾万丈になるだろうから、また釣り合ってしまうことは無いだろうしね」


 説明終わり。とばかりに両手を閉じたグレアモルに九郎は半眼のまま首を傾げ、


「―――あーー、そのつまり、現在、俺の魂はお二人さんの世界の天国か地獄に行き先が決まっていて、だがどちらにも傾いていない……と。それで『ギフト』とか言うドーピングをしてそっちの世界に放り込む。で、『クエスト』とやらを達成するころには行き先が決まる程度には傾いているだろう……てこと? この認識であってる?」


 と長々と説明された言葉をざっくばらんに噛み砕いて確認する。


「理解が早くて助かるよ」


 九郎の言葉にグレアモルは満足した笑みを浮かべて両手を叩いた



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