おもひでの宝石箱

くるる

共犯者

 人は駄目と言われる行為をどうしてしたくなるのだろう。


 チョークが音を立てながら、黒板に興味の無い文字列を刻んでいく。退屈な授業だ。私は欠伸を噛み殺し、窓の外に目を向ける。薄い青空の上を白い雲が流れて行く。

 こんなに良い天気の日に空を自由に飛べたら気持ちいいだろうなと思う。白い大きな翼を広げ、大空を羽ばたくのだ。きっと、家や学校もちっぽけに見えて、人間の悩みなど小さく思えるに違いない。ふっと、空想を止め、現実に戻る。そこには翼もなければ、教室からも出られない。さながら、籠の中の鳥のような私がいた。

 現実に落胆すると、教室内をぐるりと見渡した。机に突っ伏す男子生徒、メールのように連絡帳を回す女子生徒、真面目に前を向いてノートを取る生徒、そして、いかにも真面目そうな顔をして、教科書を読み上げる、国語教師。みんな、籠の中でやれることをやっていた。私も現実に紛れ込むため、ノートを取るふりをしながら、物思いに耽けることにした。


 自由に生きるを座右の銘とする私には、座学というものほど辛いものはない。授業の内容が面白ければまだいいのだが、とっくに塾で習った範囲だ。残り時間は三十分以上もある。どうやって切り抜けようか。睡魔に負けないように、動かしていた右手はとっくに書くものが無くなっている。黒板を写し終えたノートの隅っこに口がバツ印のうさぎの絵を描き込んでいたが、落書きもすぐに飽きてしまった。

 手持ち無沙汰になった私は、突然閃いたように、前々から計画していたあることをやることに決めた。それはこっそりとお菓子を食べることだった。

 校則では、お菓子の持ち込みは禁止されている。もし、見つかりようものなら、生徒指導室に連行され、鬼瓦と呼ばれる体育教師とマンツーマンでおしゃべりをすることになる。リスクの高い賭けだ。だが、リスクがあるから面白いのだし、やってみたいと考えたのだ。そういえば、ポケットの中に飴があったはずだ。飴なら小さいし、舐めるだけで音を立てずに食べることが出来る。この計画にもってこいのお菓子だ。これからすることと失敗した時のことを想像すると、手に汗が滲んだ。それでも、やるなら今だと思った。


 周囲に気取られないように深呼吸を一度すると、音を立てないように静かにポケットの中に手を滑り込ませた。ポケットの中をかき混ぜ、飴を探り当てると、そのまま、セロファンの包を解き、飴を手の中に握り込んだ。よし、ここまでは順調だ。高鳴る胸の音が周囲の生徒にバレないかとひやひやしたが、誰も気付いた様子はなく、それぞれのスタイルで授業を受けている。

 すっと、ポケットから手を引き抜き、クシャミをするふりをして手を口元にもっていく。コホンと小声を立てつつ、口の中へ飴を放り込んだ。その時、飴と歯がぶつかり、カツりと音を立てた。血の気が引く思いをした。食べる前に失敗するなんてあまりにも情けない。慌てて周囲を見渡したが、誰も気にするような素振りは見せていなかった。安堵の溜息を吐くと、慎重に口内で飴を転がしてみた。

 砂糖のとっぷりとした甘い風味が口の中に広がる。甘いだけの飴がいつもより美味しく感じるのは、いけない事をしているからだろうか。何食わぬ顔をして、書記を再開する。先程まで退屈だった授業が、驚くほどリスキーな授業に変貌を遂げる。もし、先生に当てられたら? クラスメイトに気づかれたら? 対処方法を空想の世界で模索しながら、シャーペンを走らせる。この楽しさをどう表現すればいいのだろう。以前、夜に家を抜け出てコンビニに行った時を思い出す。そういえば、あの時もこういう高揚感に包まれていた。


 機嫌良く、板書を写していると、トントンと机の隅を叩かれた。ドキッとした。振り向くと、隣の席の吉田 明夫が眉毛をハの字にした不思議な表情でジーッと私の方を見つめている。平生を装いながら笑顔を浮かべ、明夫の行動を待っていると、ノートに何やら文字を書き私に見せた。「食べてる物、一つ頂戴」明夫はジェスチャーで自分の口と私の口を交互に指さしている。ここで密告されると困るし、飴玉一つだけなら、ケチるほどのものでもない。

 私は明夫に口止め料を払うことに決めると、ポケットに手を入れ先程と同じように包を剥がした。自分の手を明夫の手に重ね、そっと、飴を渡す。周囲にバレた様子はない。まるで映画で見るような秘密の受け渡しに成功した気分だった。とはいってもここで渡したのは麻薬や機密情報ではなく、ただの飴玉なのだが。

 明夫は少し顔を赤らめ、満足そうに微笑むと飴を口に入れた。ころころと美味しそうに飴を転がす。二人だけの秘密を共有出来たことが嬉しくて、何だか笑いそうになる。映画に出てくる、FBIのあの人や、マフィアのこの人もこんな気分だったのだろうか。犯行がばれないように前を向く、暫くすると、明夫に再び、机を叩かれる。振り向くと、再びノートに何かを書いて見せた。


「甘くて美味しい。ありがとう」


 私は明夫に、にこりと微笑むと黒板の方に向き直った。

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