第79話

 雲ひとつない気持ちのいい晴れ。

 なんてのは視覚情報によるまやかしだ。照りつける太陽は十月にも関わらず、私達から水分を奪い取る。絶好の体育大会日和なんて馬鹿なことを抜かしやがるリア充どもは、今回も例に漏れず祭り特有のテンション爆上げ状態。それを見てるだけでもイライラしてくると言うのに、開会式の校長の話が頗る長い。

 気持ちよさなんて微塵も感じられないまま、体育大会本番は文化祭のような爆発的な盛り上がりも見せず、ぬるっと始まった。


「よお白雪さん。随分苛立ってんじゃねぇか」

「それが分かってて話しかけてくるあなたは自殺志願者かしら?」


 男女別出席番号順で二列に並んだ私の隣、見るからにやる気満々な三枝が声をかけて来た。

 どうせ紅葉さんにいいところ見せたいとか思ってるんでしょうけど、足の速い男子がモテるのは小学生までの話よ。まあ、紅葉さんも割と単純だからどうかは分からないけど。


「十月の癖に暑いわ、校長の話は長いわ、おまけに智樹は運営本部でシンデレラ様と二人きり。そりゃ苛立っちまうよなぁ」


 ケラケラと軽薄そうな笑い声が上がる。隣に視線を刺すものの、それが止まる気配はない。

 そう。そうなのだ。暑いだけならまだいい。校長の話が長いのも、まあそう言うものだと割り切ろう。けれど、運営本部のテントの下で二人仲良く座っているあの二人だけは許せない。

 私がこの暑い中立ちっぱなしになってるのに、本部には常に最低二人詰めておかないといけないからと、何故か夏目と灰砂理世が。

 まったくもって度し難いわ。別に私が夏目と二人が良かったとかそんなのではなくて。ええ、断じてなくて。


「そう言えばあなた、最近紅葉さんとは上手くやってるの? 私が離れてた間とか、全く知らないんだけど」


 気になっていたことを尋ねてみると、ドヤ顔を浮かべる三枝。なるほど、これは確かにムカつくわ。夏目が殴りたくなるのも分かるわね。


「そりゃもうしっかり上手くやってるぜ。白雪さんと智樹のラブラブっぷりには負けるけどな」

「······だから、私達はまだそんなんじゃないわよ」


 正直、そう言う関係にあってもおかしくないと言うか、寧ろそうじゃないのにあんなことをしてる方がおかしいと言うか。まあ、そんな感じではあるんだけど。

 それでも、私も彼も、明確な言葉を口にしたわけではない。

 夏目は量産系鈍感主人公みたいなやつではないし、私もそこらにいる馬鹿なヒロインみたいな女でもない。だから互いが互いに、相手の気持ちを本当は分かっているのだけど。

 あと一歩踏み出せないのは何故なのか。

 私に限った話で言うなら、自信がないからだ。


「まだってことは、その気はあるってことだ」

「ノーコメント」


 多分、私よりも彼に相応しい子はたくさんいる。例えば、今まさしくテントの下で声を潜めて談笑してる子とか。彼女に限らず、これから先。夏目のことを理解して、寄り添って、支えてあげられるような女の子が現れる。

 その子たちは皆一様に、私にないものを持っているだろう。

 歪んだ劣等感で育まれた今の私は、そうやって物事を悲観して見ることしか出来ない。だから自分にも自信が持てない。


「私達のことはいいのよ。今はあなた達の話」

「つっても、俺らの話なんて聞いても面白くねぇぞ?」

「確か今日、紅葉さんの両親も来るとか言ってなかったかしら?」

「え、あの人達来んの?」


 この口ぶりからするに、三枝は既に紅葉さんの両親と面識があるのだろうか。

 自分の高身長を生かしてキョロキョロと周囲を見渡し、ある一点で顔が止まったと思いきや苦笑に変わる。三枝の視線の先をなんとか追おうと思うものの、周りの生徒が邪魔で私には見えない。紅葉さんの両親、ちょっと興味あったんだけど。


「マジでいるな······。後で挨拶いかないと······」

「人の恋路に足を突っ込んでる暇なんてないじゃない」

「白雪さんも来るか? 紅葉さんの友人って言ったらめっちゃ歓迎されると思うけど」

「遠慮しておくわ。運営委員の仕事もあるし」


 それに、なんだか道連れを増やそうという魂胆が見えたような気がするし。そんなに怖いのかしら。

 などと会話していたら、いつの間にか校長の話も終わっていた。どこの誰かは知らない生徒の選手宣誓を聞き流し、最初のプログラムであるラジオ体操を適当にこなして、退場。午前中は出場する競技もなく仕事だけ。

 しかし、夏目が出場するクラス対抗リレーが午前中にある。だから取り敢えず、心の中で応援する準備はしておこう。


「そうだ白雪さん」

「なに?」


 退場門を潜って運営本部に向かおうとした矢先、三枝に声を掛けられた。私としては、一刻も早くあの二人のとこに行きたいのだけど、そんなこと知る由もない三枝は、厭らしい笑みを浮かべながら口を開いた。


「修学旅行、楽しみにしといた方がいいぜ」

「修学旅行? 少し気が早くないかしら」

「そーでもねぇよ。んじゃな」


 その言葉の真意をイマイチ理解出来ず、首を傾げながらも運営本部へと足を進める。

 今年の修学旅行の行き先はもう決まっている。関西だ。三泊四日で京都、大阪、兵庫の三つを回ると、それだけは教師から通達があった。

 まあ、今年は中学や小学校の時と比べて楽しみではあるけど、三枝から改まってそう言われるほどでもない。

 つまり、修学旅行にはなにかしら起こるかもしれないということで。

 例えば、夏目に告白されたり、とか。


「······」


 いや、ない。ないわよ私。その発想はないわ。さすがにそれは浅はかすぎるでしょ。もうちょっとマシな考えはなかったの?

 いやでも、もしかしたら······。


「はぁ······」


 落ち着きましょう。そう、落ち着いて素数を数えるの。素数は孤独な数字。つまり私と同じぼっち。いつも私の味方でいてくれる。いやぼっちなんだから私の味方にもなってくれないに決まってるじゃないふざけてるのかしら。

 ······本当に、ありえないわよね?






 三枝の一言にうんうん頭を悩ませながらも、プログラムは順調に進んでいた。私も一年生のクラス対抗リレーで走り終わった生徒達の列を整理させたりしていたけど、一年男子からなんか凄い羨望の眼差しを送られたりした。こう言うのは、少し鬱陶しい。

 そんなこんなで午前の最終競技。二年生のクラス対抗リレーだ。私は特に割り当てられた仕事もなく、運営本部に詰めているのだけど。


「みんな頑張ってるねぇ」

「高校の体育大会程度で盛り上がれるんだから、男子って単純よね」


 私の隣で長机に突っ伏している灰砂理世に適当な返事を返しながら、入場して来る二年生達を眺めていた。

 なんでこの子と二人きりなのだろうか。いや、シンプルに私達以外の全員が仕事してるからなんだけど。よりにもよって、どうしてこの子なのか。


「て言うかあなた、ダラけすぎでしょ」

「今は休憩中だからねー」

「午前中なにもしてない癖に?」

「さっき玉入れに出たからセーフだよ」


 高校生にもなって玉入れってどうなんだろう、とは私だけの疑問ではないはずだ。しかし実際、観客は大いに盛り上がっていたのだから、不思議な話でもある。

 ダラーっと長机に突っ伏した隣を見て、思わずため息が漏れる。

 べつに、この子とは夏目のことを抜きにすへば普通に仲良く出来るのだ。始業式の日に打たれたことだって、殊更気にするような出来事でもない。ただ、この子と関わると言うことはイコールで間に夏目がいるから、お互いどうにも喧嘩腰と言うか、変に牽制し合うだけで。

 そこを割り切れないのは、私が女だからか。それとも、これまでマトモに人間関係を構築してこなかった弊害か。どちらにしても、私と言う人間がめんどくさいことに変わりはないけど。


「そう言えば、白雪さんにはちゃんと言っておきたいんだけどさ」


 ダラけきった体勢のままに口を開いた灰砂理世。人と会話するならせめてちゃんと座りなさいよ。


「私、ちょっと前に智樹くんに告白したんだよね」

「へぇ」

「で、普通に振られちゃったり」

「それを私に言ってどうするつもり?」


 表面上は何気ない風に装いながらも、心のうちでは結構戸惑っていたり。

 いやだってこの子、昨日までもそれなりに夏目に色々とアピールしてたし、しかも私が知る限りではそんな素振り全く見せてないのよ?

 いつの間に、と言う疑問も湧くけど、どうして振った振られたの関係か二人が、普通に友達としてやっているのかが分からない。男女の友情ってお伽話じゃなかったのかしら。


「別に、どうしようってつもりはないよ。ただまあ、一応報告しとくべきかなーって」

「あなたにそんな義理はなかったと思うけど」

「それがあるんだよねぇ」

「どこに?」

「だって私、智樹くんのこと諦めるつもりなんて、全くないもん」


 なるほど。つまりこれは。


「宣戦布告、ってわけ?」

「そう言うこと」


 ニッコリと、とても私が浮かべられないような、人好きのする笑顔で。灰砂理世は正々堂々、宣戦布告してきた。

 なるほど。そう言う態度でこられるのなら、この子に少しは好感を抱けそうだ。


「なら私からも、ひとつ教えておいてあげる」

「なにかな?」


 視線を隣に移し、ダラけたままの彼女を見下ろす。

 確かに、この子は可愛い。私と違って活発で、可愛げがあって、コミュニケーション能力も高い。いわゆるリア充よりの人種だ。友達も多いことだろう。私にないものを、沢山持っている。

 でも、だからと言って、負けるつもりなんて毛頭ない。自信がないことを言い訳にするつもりもない。


「私って負けず嫌いなのよ。相手を完膚なきまでに叩き潰さないと気が晴れないくらいに」


 パンッ! とピストルの音が鳴り、いつの間にか斜めに並んでいた男子達が一斉に走り出した。火薬の匂いが鼻腔を擽り、僅かに眉をひそめる。


「ふーん」

「なによ」


 ニヤニヤと笑う気配がして隣を睨むが、彼女はそれに怯む気配もない。夏目だとこれだけでビビってくれるから楽なんだけど、この子はそうもいかないようだ。


「ううん、なんでもないよ。ただ、白雪さんもちゃんと智樹くんのこと、好きなんだなーって」

「今更そこを否定しても、説得力に欠けるでしょ」

「それもそっか。あっ、そんなことより、そろそろ智樹くんの出番だよ。智樹くーん!」


 運営本部の目の前にあるスタートラインに、三番手の夏目が立った。呼ばれた声が聞こえたのか、彼は少し微笑み手を挙げて応える。

 大声で声援を送るのとか、私のキャラではないから。だからここは、私らしく。


 ──頑張りなさい。


 口の動きだけでも十分に伝わったのか、一転して真剣な表情に変わる。マウンドの上に立ってる時と同じ、私が恋したあの力強い瞳に。


 ──頑張る。


 だから、同じく声にならない言葉でそう返された私が、口元を緩めてしまったのも、仕方ないことだろう。

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